野尻宿から1里24町、中山道六十九次三十九番目の宿場「須原宿」。天保14年(1843)の「中山道宿村大概帳」によれば、宿の延長は4町35間(約500m)。宿内家数は104軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠24軒で宿内人口は478人と記されています。
かって木曽谷の中では一番古くに栄えた宿場町でしたが、正徳年間に洪水の被害をうけ、享保2年(1717)に現在地へ移転。中山道の中では最も新しい年代に建設された宿駅となったものの、建物等に往時を偲ばせるものはごく僅か。
宿の入口は鍵型になっており、枡形の坂道に広い道幅、町の中を流れる昔ながらの用水路・・物言わぬそれらの景色が、僅かに往時の面影を語りかけてきます。
清水が湧く宿場町として知られていた「須原宿」。小さな広場には丸太をくりぬいた「水船」が置かれ、清らかな水が昔と変わることなく旅人をもてなしています。
傍らに『酒井朝彦』句碑
【 水舟の水 のきをめぐりて いのちのち つねにあたらし 】
6月のこの季節、蒸し暑い日差しの中。おもてなしの柄杓に掬う水の冷たく美味しい事。暑がりのJ🐣さん、水舟の前から離れられません😅
町歩きの折々で見かけた「須原ばねそ 発祥地」の灯篭。「須原ばねそ」は須原宿に古くから伝わる郷土民謡盆踊で、その姿が「はね踊る様」である事に由来します。「民謡須原ばねその里」と刻まれた碑は、臨済宗・定勝寺の境内に建立されていた『山田無文』師の書。
木曽三大寺のひとつ「定勝寺」、続きは明日のブログで🌸
訪問日:2014年6月20日