宇部市船木岡の坂に鎮座される「岡崎八幡宮」。御祭神は『応神天皇・神功皇后・仲哀天皇 』。配祀『玉依姫命・日女命・宗像三女神』
畑の中央を突っ切っる参道・正面に一の鳥居。石段を上がって玉垣と二の鳥居。向かって右手に「縣社」の碑。更に奥へと参道が続き、三の鳥居が見えています。
由緒「宝亀1年(770)、和気清麻呂が宇佐八幡宮の御分霊を勧請し、岡崎八幡宮と称したのが始まり。 応永3年(1396)大内義弘が再興し、神田を寄進。大内義隆も再建したが、その後陶春賢の防長大乱の兵火により歴代神宝共々炎上焼失。天正4年(1576)杉重良により再建。その後毛利家もたびたび修復し、毎年42石の酒米を献納したと云う。全国に御神酒を造ることが許可された神社は44社。その中で、清酒が造れる神社は4社しかなく(40社はドブ醸造)、その内の1社。現在も室町時代から続く製法で清酒を造る。」公式HP等より
二の鳥居左右より神域を守護されるのは爬虫類顔の狛犬さん一対。吽形さんはそんなにでも無いですが、阿形さんの口は、まんま大蛇の口です(-_-;)
神橋を渡った先に三の鳥居
参道左右より神域を守護されるのは「船山八幡宮」でお会いした狛犬さんととても良く似た、慶応3年(1867)9月建立の狛犬さん一対。船山と舟木・・40年の開きは同一人物なのかもしくは親子、師と弟子の関係なのか、石工の名が無いので確定は出来ませんが色々と妄想が膨らみます。大きな目+獅子顔の扁平頭・・よく見ると可愛い😄
社殿に近い参道左右より神域を守護されるのは文化8年(1811)7月吉日建立の浪花タイプの狛犬さん一対。随分と日焼けされて(違う!!)表情が今ひとつ読み取れません。
拝殿間左右には、手水舎と御神木の大楠(宇部市指定天然記念物)
拝殿貫の彫刻は「獅子」と
耳の穴が見えているので「獏」。それにしても何と可愛らしい貫彫刻。
貫が可愛いと、向拝の龍まで可愛らしい(笑)
「社前のクスノキ古樹、樹齢推定700~800年・樹高20m・幹周4.4m。この木に生息しているシーボルトコギセルという巻貝は潮の干満に合わせ上下する習性を持つことから航海の安全のお守りとされました。」公式HPより
境内社
境内社
庚申塔
当宮は、御神酒清酒醸造免許認可神社で酒醸免許認可を明治32年10月5日に受けています。全国で酒醸免許を認可されている神社は、伊勢神宮、出雲大社、千葉県莫越山神社と当宮の4社だけ。昭和9年(1934)に建立された御神酒醸造殿の前で宮司様と。宮司様から頂戴したお神酒を手に、ご亭主殿大感激。
旧山陽道沿いの大鳥居の前に「船木宰判御高札場跡」の標柱
神社由緒にある和気清麻呂が宇佐八幡宮に行った年は、前年の神護景雲3年(769)に宇佐八幡宮より称徳天皇に対し、「道鏡が皇位に就くべし」との託宣を受けたと宣言し、弓削道鏡が天皇位を得ようとした道鏡事件が起こった年。翌年の770年に、清麻呂は宇佐八幡にて「臣をもて君とする、いまだこれあらず。天つ日嗣は、必ず皇緒を立てよ」との御神託を頂き称徳天皇に奏上。その為、左遷され名を貶められる罰を受けますが、称徳天皇が崩御すると道鏡は配流となり、和気清麻呂は名誉を回復。神社の由緒にある和気清麻呂の勧請は、宇佐神宮へのお礼参りの際に成されたと見るのが妥当でしょうか? 年代から手繰る歴史の糸を推測していくのはとても面白い作業です。
参拝日:2015年11月12日