車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 山口県旧楠町(宇部市)

2024年02月24日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・山口県

旧厚狭郡楠町(くすのきちょう)は山口県の南西部に位置した町です。宇部市、小野田市、美祢市、山陽町、秋芳町に隣接。有帆川中流域両岸の船木(ふなき)地区、有帆川上流域両岸の万倉(まぐら)地区、厚東川中流域の右岸に位置する吉部(きべ)地区の3地区に大分。町域の北及び西側は山地で囲まれ、東側は厚東川左岸の宇部市小野地区を挟んで山地となり、南側は有帆川に沿って平地が開けています。

船木地区は、江戸時代には山陽道の宿場町として栄え、慶安3年(1650)には船木宰判が設置。以後大正時代あたりまで旧厚狭郡の中心地となりました。

「船木宰判代官所跡」

「旅人荷付場跡」

「石炭と舟木:舟木地区では江戸時代の初期から石炭が採掘され家庭用の燃料として使われてきた。江戸時代に書かれた「毛吹草(けふきぐさ)」にも長門の名物として「船木の石炭(いしずみ)」が紹介されている~」現地案内より

「石炭発祥の地」碑。

町名の楠町・船木は「神功皇后が三韓征伐へ向かう際に立ち寄り、この地ので48艘の軍船を建造し、軍備を増強して出兵した事に由来します。「町の木:クスノキ」「町の花:ツツジ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により厚狭郡船木村・吉部村・万倉村が発足。

1955年、厚狭郡船木町・吉部村・万倉村が合併、厚狭郡楠町が発足。

2004年、宇部市に編入。

マンホールには町章を中心に大きく「町の木:クスノキ」、周囲に「町の花:ツツジ」がデザインされています。

昭和30年(1955)10月制定の町章は「く・す・の文字を図案化したもの。」

支所の前庭の一画に「徳基学舎跡:明治6年(1873)4月、勘場の東側にあった長谷川宅の長屋を校舎として、日本で三番目の女学校が誕生。厚狭毛利家10代毛利元美の妻・勅子(ときこ)を教師に迎えたが、明治12年(1879)2月・61歳で没する。同年4月、新築校舎が落成し、勅子女史の名にちなんで「徳基学舎」と改称。」

撮影日:2015年11月12日&2017年12月1日

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする