山口市小郡下郷、山口市小郡総合支所の敷地に、昭和48年(1973)6月17日に山口線の「さよなら列車」をけん引したD51が保存展示されています。
おそらくとても大切に保存されているのでしょう。たまに見かける展示D51の部分的に気になる錆などどこにも見当たらず、ここに展示する為に用意しましたと言っても過言ではない綺麗さ。
前から後ろから、右から左からと子供のように周囲をグルグル回りながら、何はともあれ目の保養😊
展示D51の何が楽しいかって、やっぱり中に乗り込めること。いい年をした大の大人がって笑われそうですが、いい年をした大人だから憧れるのですよ。
こんなに綺麗な機関室、これまで見学させて頂いた数あるD51の中では断トツではないかしら?毎回思うのだけど、操作をする人ってこれ全部覚えるのよね・・と当たり前のことに感心してしまう私😅
展示柵の外に設置された説明プレートには「D51型式蒸気機関車は昭和11年から造られ旅客、貨物の輸送に活躍し「デコイチ」の愛称で呼ばれている日本の代表的な機関車です。このD51813蒸機関車は昭和18年9月30日に誕生し約145万キロ走り西日本各線で活躍しました。最近動力の近代化が進むにつれ蒸気機関車がだんだんと姿を消すようになり昭和50年3月廃車となりました。小郡町ではこの由緒ある蒸気機関車を日本国有鉄道から借り受けここの展示しました。」と展示に至った経緯が記されています。
小郡支所内には、かっての「小郡駅の実物看板」が展示。
そして実物の「D51813」ナンバープレート
かっての小郡駅の模型かな。後ろのは半円形弧状の扇形庫。手前は給水タンクかな・と、まぁ子供のように賑やかな事😆
同じく小郡支所の敷地内に建立されていた「山口農校跡地」の碑。明治18年(1885)山口農学校として現山口市民館の位置に開校。明治43年(1910)小郡町山手に移転。昭和23年(1948)に山口農業高等学校に改称、昭和45年(1970)に小郡上郷へ移転するまで、この地で農業の担い手を育てました。
有形文化財「百万一心(ひゃくまんいっしん)」碑。「毛利元就が「百」の字を「一」「日」に分け、「万」の字を「一」「力」に分け、「一日一力一心」とし「一」は「同じく」の意で「日を同じく・力を同じく・心を同じく」と説き、家臣に「一致団結」「協力」の精神を諭したものと言われています。」
新山口駅南口に「俳人:種田山頭火像」。台座には碑文と山頭火の句。
【まつたく雲がない 笠をぬぎ】
碑文「種田山頭火は、さすらいの旅を続け、質の高い自由律俳句を作りつづけた層雲派の俳人で「昭和の芭蕉」といわれた。昭和7年から同13年まで小郡町矢足に住み、家を「其中庵(こちゅうあん)と称し、生涯でもっとも充実した日々をおくり「其中日記」を残した。この句は、昭和5年に旅の途中、晴天の下で編代笠をとり、ひと休みしたときに詠んだもので、直筆を復元して刻んでいる。」
ラストは新山口駅北口にある「山頭火」のモニュメント。と言っても、徳利に傘がかぶせてあるだけで、知らない人には何が何やら??。お酒が好きだったという山頭火さんらしいデザイン。徳利の下の柱に刻まれた句
【 またふるさとに かえりそばの花 】
訪問日:2017年12月1日&2015年11月12日