車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

宇部護国神社 in 山口県宇部市中宇部小串東

2024年02月23日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・山口県

宇部市中宇部小串東に鎮座される「宇部護国神社」。御祭神は長州三家老の一人『元宇部領主福原越後公』。禁門の変で戦死された家臣、日清日露戦争から大東亜戦争で亡くなられた兵士の御英霊、公務に殉じられた消防士の御霊三千四百三十柱が祀られます。

『福原越後元僴公(ふくばらえちごもとたけこう)』像と辞世の句

【くるしさは 絶ゆるわが身の夕煙 空に立つ名は 捨てがてにする】

由緒「幕末、元宇部領主:福原越後元僴公が幕府との戦い「禁門の変」の敗退により、幕府より第一次長州征伐が下命され、第一次長州征伐回避、藩存続のために責任を負わされ、元治元年十一月十二日岩国の龍護寺に於いて自刃された。翌年慶応元年五月十六日幕府との戦いに於いて犠牲となられた越後公の招魂祭を初めて藩の許可を得て琴崎神社で斎行し合祀したのが創始とされる。慶応二年(1866)11月19日に崩し山(現:維新山)に社殿を建立、翌慶応三年(1867)12月5日琴崎神社より越後公の霊魂をご遷座し現在に至ります。藩の許可を得て招魂祭を斎行した歴史の延長線上に東京招魂社(現、靖国神社)が建立された事から、旧称:維新招魂社、現在の宇部護国神社が靖国神社の源流と言われる所以である。」公式HPより

「維新招魂社」跡に立った時の感覚は、何と表現すればよいのか言葉を持ちません。目を閉じ手を合わせていると、不意にふ~わりと何かに包まれたような心地になり、そのまま・・何故か画像に残す事を失念していました。

清々しい日の丸の旗が掲げられた拝殿。

「大東亜戦争忠霊塔」

「日露戦役紀念碑」揮毫:山縣有朋

私たちはこれまでに幾社もの社寺に参拝させて頂き、御朱印を頂きました。会話が可能な時は、お寺様であれば宗派を持たない事を告げたうえで、神社であれば、今生の別離れの時に共に旅立つ道連れとしたいのだと告げて。頂いた御朱印にはその時々の私たちの生きた証があります。だから御朱印の扱いが雑な社寺は、どれほど由緒があろうと、どれほど立派であろうと心からの崇敬の念が薄れてしまいます。こちらに参拝させて頂いた時、宮司様は所用で出かけておられ、奥様がわざわざ連絡して下さったのですが・・宮司様は私たちに多少時間が掛かりますがと断られたうえで・・白小袖:白袴に御着替えになり、墨を摺り朱印帳に向かって下さったのです。その姿勢にどれほど心打たれたか・・たった二人の参拝者の為に礼を尽くして下さったそのお姿は、今でも忘れる事はありません。このような宮司様に護られる御祭神の皆様方に改めて感謝の祈りを捧げてまいりました。

参拝日:2015年11月12日

 

コメント (6)
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