笠岡市富岡に鎮座される「徳民於賀(とみおか)神社」。通称「七面神社」とも称されます。
由緒「延宝二年の創建。富岡干拓地の鎮守として福山藩家老上田玄蕃が、七面大明神を勧請したといわれる。富岡新田ができてから、富岡村の誕生は、天和二年と記録されている。明治初年の神仏分離に際し神社書上帳に始めて徳民於賀神社の名が見える。しかし地元の人は七面大明神 或は七面様と呼称している。」岡山神社庁HPより
『七面大明神』とは法華経を守護する神で、『吉祥天』とも『弁財天』とも称されます。それとこの神社との関りが今一つ不明ですが・・・。それはさて置き、この物凄く急な参道石段・・どうしたものか
車を置いていくわけにもいかないし・・と、参拝を諦めかけていたのですが、どうやら別の参道が有り、そちらには駐車スペースがあるとの事、急遽そっちに向かいます。
先の参道鳥居には「徳民於賀神社」の鳥居額。こちらの石鳥居には「七面大明神」。鳥居の先に見える拝殿前の鳥居額には「徳民於賀神社」と刻まれています。
境内の入り口近くより神域を守護されるのは、文化7年(1810)建立の花崗岩製の狛犬さん一対。花崗岩は非常に硬く、ゆえにとがった角も耳も欠けることなく、楽しげな表情も往時のまま。阿形さんの豪快な笑い顔に応える吽形さん。なんと、まったりと笑っておられる事か。
屋根の上では生きの良い鯛が逆巻く波間から顔を出し・・
地上では、世代交代をした獅子が、何とも凄みを効かせて何者かを威嚇しています。獅子の後方に見えるのは・・福の神のようですが・・さてどうでしょう?
摂社。社名・御祭神共に不明
「地神」文字塔
「今から350年ほど前まで、富岡のあたりは遠浅の海であった。そこで、藩の財政を強化するため、海を埋め立てて田を造ることになった。しかし、工事は難航し、堤防は何度も壊れ、遂に人柱を立てることになった。誰にするか相談しているところに、神島天神へ参詣する父娘が通りかかった。村人はその娘に人柱になってくれるよう必死に頼んだ。娘の名はお七と言った。お七が人柱になってから、工事は見る見るうちに捗かどり、壊れていた堤防は波を寄せ付けなくなった。村人達はお七の霊を七面様として、干拓地の見える丘に祀った。」岡山の伝説より
どうやら法華経の「七面大明神」ではなく、お七さんの尊称としての「七面大明神」だったようです。それにしても・・実際にその場面を想像したら、物凄く得手勝手で非道な行為。一緒にいた父親は黙ってそれを許したのでしょうか?・・・それとも・・・・??伝説とは、いつでも時々に都合よく書き換えられていくものです。
参拝日:2010年5月5日
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