清須市(きよすし)は愛知県西部、尾張平野のほぼ中央に位置し、南東部は名古屋市、北部は北名古屋市・一宮市・稲沢市に、西部はあま市に接しています。市域には尾張平野最大の「朝日貝塚」を擁し、室町時代のはじめ守護所下津城の別郭として築かれた清洲城など数多くの歴史資源が残されています。弘治元年(1555)に織田信長が清洲城へ入城し、慶長年間には城下町一帯が「関東の巨鎮」と称され、文化の中心地として、また尾張の要所として栄えてきました。「市の木:花水木」「市の花:桜・チュ-リップ」を制定。
キャッチフレーズは「水と歴史に織りなされた安心・快適な環境都市 清須市」
2005年、西春日井郡清洲町、西枇杷島町、新川町が合併して発足。
2009年、西春日井郡春日町を編入、現在に至っています。
マンホールは市章を中心に置いた規格蓋ですが、この当時に見つける事が出来た貴重な一枚です。
2005年7月7日制定の市章は「2色のブルーの輪は、“水”と“未来”を象徴し、河川の流れと調和のとれた発展を表しています。また、水紋が重なり響き合うイメージは、安心・快適・創造のまちづくりが実現される姿を示しています。 清須市が、豊かな歴史環境や水辺環境を生かした魅力ある環境都市として飛躍する姿を表しています。」公式HPより
清須市イメージキャラクター『きよ丸』、清須市の花「桜とチューリップ」をあしらった着物と清須市章の旗印がお気に入りの清須男児。『うるるん』は清須のまちに流れる3つの川を見守る「川の妖精」。右手に持っているのは魔法の杖なのです。
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旧西春日井郡清洲町(きよすちょう)は愛知県名古屋市の北西に位置した町です。古くは尾張国の中心部に位置し、京鎌倉往還と伊勢街道が合流し中山道にも連絡する交通の要所として栄えてきました。清州町を代表する鉄筋コンクリート造りの模擬天守は、町制100周年を記念して、清洲城跡に隣接する清須市清洲地域文化広場内に建設されたものです。「町の木:金木犀」「町の花:桜」を制定。
明治22年(1889)、町村制の施行により、西春日井郡清洲村・朝田村・一場村が発足。
1906年、西春日井郡清洲村と朝田村、一場村が合併、調整を施行し西春日井郡清洲町が発足。
1909年、中島郡大里村西市場地区を編入。
1910年、海部郡甚目寺村廻間地区を編入。
1943年、海部郡甚目寺町土田・上条地区を編入。
2005年、西春日井郡西枇杷島町、新川町と新設合併、清須市となりました。
清州町のマンホールは、町章を中心に置いた名古屋型と呼ばれる規格蓋のみです。
昭和47年9月18日制定の町章は「頭文字の「き」を図案化し、全体の形で清州城を想像したものです。」合併協議会資料より
仕切弁
消火栓
撮影日:2011年4月24日
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