車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

旧開智(かいち)学校~Ⅱ~ in 長野県松本市開智

2022年08月03日 10時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・長野県

開智学校旧校舎、いよいよ校舎内の見学!!、二人分の感嘆符付きですが(笑)予想を裏切らない見事な建築美を目にして、出るのは感嘆のため息と称賛の言葉のみ。これ・・校舎内の廊下を歩いていますなんて、誰が信じる?

入口でスリッパに履き替えたらさっそく教室へ。その前に右の壁に架けられている額。

紙の感じからそんなに新しいものではないと思われますが詳細は不明。明治期の小学生とアルプスの山を背景に開智学校舎。添えられた詩は「水清くして 山高く 風光る」

左手にはドアが有るのですが、ドアではなく「桟唐戸(さんからど)」。そこにはまるでどこかの迎賓館かと見間違うような飛竜の彫刻!!ここでまず度肝を抜かれます(笑)小学校の入り口なんですよ。

ドアの向こうに並ぶ教室。どこか懐かしい・・と言うには流石に無理がある風景ですが、それでも奇妙なノスタルジーを覚えます。昭和の時代に生まれて育った私にとって、こうした風景はさほど違和感が無いのかもしれません。

別の室内には往時を物語る様々な資料が展示されています。~Ⅰ~で紹介した「風見」もそうですが、竣工当時の屋根に乗せられていたこの瓦。

実際に側で見るとこんなに大きい。

二階階段の上から写した画像ですが、何処を切り取っても感嘆のため息😊

そして二階入り口の桟唐戸にも飛竜の彫刻。「校舎内には八つの桟唐戸があり、この桟唐戸は校舎に現存している扉彫刻の中で最も古く、浄林寺から転用された扉で、伊勢町の木彫り師『原田蒼渓(そうけい)』の作です」説明より

展示スペースとなった講堂には、往時を物語る貴重な品がズラリ

講堂の天井のシャンデリア部分も『原田蒼渓』の作だそうです。

シャンデリアとステンドグラス。ちなみにステンドグラスがある扉は、二階バルコニー奥の扉の内側なんです。これ、どう考えても扉ではなく窓!ですよね。という事はあの美しいバルコニーには立てない!😲

フラッシュ無しだと、ステンドグラスの鮮やかさがより際立って見えます。校舎の目立つ場所に惜しみなく使われた2500枚の高価な輸入品の色ガラス。移り変わる時間の流れを刻々と彩るその美しさゆえに「ギヤマン学校」の愛称で呼ばれたともいいます。

旧開智学校の校旗・・朱の地に染め抜かれた純白の校章がとにかく美しい。

廊下のシャンデリアは、まるで迎賓館を想像させる上品さ

金屏風が置かれた部屋は、明治十三年の天皇御巡幸の際、御座所として使われた部屋。お椅子の上には明治天皇の御真影が置かれています。

展示されていた竣工当時の開智学校の写真

「工事は、当時のお金で1万1千余円の巨額なもので、およそ7割を地域の人々が負担し、残り3割は特殊寄附金及び廃寺をとりこわした古材受払金などで調達しました。」 当時の大工日当が20銭、今で言う県知事の月給が20円の時代の11,000円がいかに莫大で途方も無い金額か計算するまでも無い事。しかもこの多額の建築資金の7割が町民の寄付で賄われたというのですから、凄い事です。明治維新が成り、これからの時代に教育がいかに重要であるか・・・誰もが強く感じていた時代の歴史の一コマなのです。

訪問日:2010年10月16日

 


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