鳥取市国府町宮下に鎮座される式内社「宇倍(うべ)神社」。因幡国一宮。古代には清音で「うへ神社」と呼ばれていましたが、その語義は不明。一説に、境内社である「国府神社」に合祀された「上(うえ)神社」に由来するとも云われます。
御祭神『武内宿禰命』は360余歳の長寿であった事から、長寿の神として広く知られます。絵馬に書かれた『応神天皇』を抱く姿は有名で、社殿彫刻や端午の幟など、様々な場面に登場します。
「孝徳天皇大化4年(648)の創建と伝えられ、延喜式では鳥取県で唯一の名神大社、また一の宮として信仰を集め、明治4年に定められた制度により国幣中社に列せられた。」
「翌32年に全国の神社では初めて、御祭神:武内宿禰命の尊像と共に五円紙幣に載せられ、以後大正・昭和と数回当社が五円・一円紙幣の図柄となった。お金に御縁があり、商売繁昌の神様として崇敬されている。」HPより
社務所で見せて頂いた実際のお札。手前にあるのが明治32年(1899)発行の「甲五圓券」。上は大正5年発行の「丙五圓券」で、『武内宿禰』の肖像が左に移動しています。肖像が中央にあるとお札を折るのが憚られると・・・身位を重んじる日本人らしい理由ですね。
お札に採用された社殿は明治31年(1898)の再建。正面三間側面二間の三間社流造。正面一間に向拝を縋破風で付け、千木・鰹木を置く檜皮葺の美しい姿。
同年、本殿階下の正面一間側面二間の切妻造妻入の幣殿と、方三間の入母屋造妻入で正面に一間の向拝屋根を追加した拝殿を再建。共に檜皮葺。
拝殿前左に置かれた亀に似た石は「福徳亀」と呼ばれ、撫でると願いが叶うと云われます。
宇倍神社の神紋「亀崩」は、神仙思想と長寿延命、また御祭神『武内宿禰』終焉の地である亀金山にちなみ、苔のはえた長寿の蓑亀が用いられています。
「福徳亀」と対になった拝殿右には、まさに飛び立とうとする金色の「飛翔の鳥」。
拝殿前で柏手を打つと、まるで呼応するように柏手の木霊が返ってきます。しんと静まり返った鎮守の杜。時折さやさやと耳に届くのは木立の葉擦れ。
本殿の左奥、木立の下に延びる石段前に「武内宿禰命 終焉之地」碑。延喜式神明帳には【仁徳天皇五十五年春三月因幡国の亀金岡に双履を遺し、三百六十余歳でお隠れになった】と記されています。
石段を登った先、ちょうど本殿の後ろ。亀金岡の小さな高台に残る2つの「双履石(そうりせき)」は、『武内宿禰』が昇天した折に残した「沓」とされています。
考古資料によれば、その双履石の下から竪穴式石室が発見され、古墳時代前期末から中期の古墳の一部であることが判明しています。太古の歴史が眠る一帯は、「神域」と呼ぶにふさわしい静謐に満ち、吸い込む息さえも磨かれてゆく感覚。
亀岡山の左手に鎮座される境内社「国府神社」。
元「宮下神社」と称したが、大正七年に付近の「坂折神社(日本武尊)」、「小早神社(速佐須良比咩神)」、「下山神社(武内宿禰命)」、「白山神社(伊弉諾尊・菊理姫命)」、「上神社(武甕槌命)」、「安田神社(土御祖神・奥津彦命・奥津姫命)」の六社を合祀。現社名に改称。
拝殿前左右より神域を守護されるのは出雲丹後系の狛犬さん一対。阿形さんは胸の間に仔狛を遊ばせています。
手の大きさと顔のサイズのアンバランスさが何とも・・・(^^;)
二度に渡って参拝した「宇倍神社」、明日はちょっと視点を変えて「ほぉ~~!」と思う話題。誰かに話したくなるエピソードなどを・・
参拝日:2012年4月15日&2016年10月20日
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御神名一口メモ
『速佐須良比咩神(はやさすらひめのかみ)』、祓戸四神の一柱。『気吹戸主』の息吹によって運んだ根の国すべての罪や 穢 を祓い捨てる神。
『土御祖神(つちみおやのかみ)・大土神(おおつちのかみ)』、土地の守護神、土壌の神。『大年神(おおとしかみ)』と『天知迦流美豆比売(あめちかるみずひめ)』との間に生まれた十柱の御子神の一柱。
『奥津彦命(おきつひこのみこと)・奥津姫命(おきつひめのみこと)』、竈(かまど)の神。『土御祖神(つちみおやのかみ)』の弟妹。
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