旧海部郡甚目寺町(じもくじちょう)は愛知県中西部、名古屋市の西側に隣接しており、名古屋市のベッドタウンとして発展してきました。尾張四観音の一つである甚目寺観音が名称の由来であり、地名になったのは鎌倉時代からと伝えられています。
明治22年(1889)、町村制の施行により、海東郡甚目寺村、萱津村、春富村、白鷹村、森村、新居屋村、東今宿村が発足。
1906年、甚目寺村、萱津村、春富村、白鷹村、森村、新居屋村、東今宿村が合併、改めて海東郡甚目寺村が発足。
1913年、海東郡と海西郡が合併、海部郡となり、海部郡甚目寺村となる。
1933年、甚目寺村が町制を施行、海部郡甚目寺町となる。
2010年、海部郡美和町、七宝町と合併しあま市となりました。
マンホールには、町名の由来となった「甚目寺の南大門」や境内の伽藍が描かれています。
「甚目寺の南大門」
昭和45年(1970)1月1日制定の町章は「重要文化財の甚目寺:三重塔を象ったものです。」
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「側溝蓋」
「町の木:クスノキ」がキャラクター化された側溝蓋。調べてみましたが、特にキャラとしての名前などはありません。
近くの柵にもいます。名前が無いのが勿体ないくらいよく出来ていると思うのですが・・・
甚目寺町では昔から「小松菜」が栽培されており、今も特産品として知られています。特産品の小松菜を高々とかかげる女性・・名前は無いみたい(笑)
こちらの女性が美味しそうに食べているのは甚目寺名物「こまっちゃんおやき」。観光協会、 町民、 町の和菓子店が一. 体となって開発した、特産のこまつなを入れた 「おやき」だそうです。おやき大好きなご亭主殿の「食べてみたい」というリクエストに「後でね」と言って、それっきり忘れてしまった気の毒な思い出が・・(^^;)
綺麗に彩色された女性が食べているのは、こまつな入りのどら焼き「こまっちゃんどら」。小松菜の煮びたしは好きだけど・・どら焼きは微妙(笑)
「方領大根」は江戸時代に甚目寺町方領地内で栽培された品種。「あいちの伝統野菜」に認定されています。
甚目寺地区の地場産業として知られる「刷毛(はけ)・ブラシ」。「甚目寺の刷毛は、名だたる漆職人から銀座寿司店の職人、某国立大付属病院の名医まで、多くの愛好者によって支えられ、また陰のブランドとして、今も日本の名工たちの仕事を支えている」・・と、HPに掲載されていました。
ラストは甚目寺の纏いを持つ消防士さんで「火の用心」。愛知県警から応援に駆け付けたマスコットキャラクター『コノハけいぶ』は「交通安全」。思いがけず楽しませて頂きました(〃∇〃)
撮影日:2011年4月24日&2017年3月29日
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弥富市上野町にある「日光川下流浄化センター」には上記デザインマンホールのカラー蓋が展示されているそうです。
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