一宮町一宮に鎮座される「玉前(たまさき)神社」。御祭神は『玉依姫命』。御神文は「鏡に御統(みすまる)紋」と「三つ巴紋」。「御統」は勾玉の首飾りのことで、三種の神器である「八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)」がこれに相当します。
一の鳥居は九十九里浜に向かって真東を向いて建ち、春分・秋分の日には、この方角から太陽が昇るといいます。玉前神社は「御来光の道(レイライン)」の東の起点とされ、ここより出雲大社へと本州を横断するそうです。
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神武天皇の母神を祀る「玉前神社」から、唯一の八方除守護神である「寒川神社」、日本最高峰の「富士山」、見延を鎮守する「七面山」を経て、神の住む「竹生島」、宮津の「元伊勢」、そして西の霊山「大山」から神代国造りの神が住まう「出雲大社」・・ まさに太陽とは神そのものであったと思い至ります。
ご祭神『玉依姫』は、海神:綿津見大神の娘で、神霊を宿す女神として日本神話に登場します。 海からこの地に上がった『玉依姫』は、姉『豊玉毘売』から御子である『鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)』を託され養育し、後に命の后となって『神武天皇』をお産みになられました。
由緒に【創始は古く詳らかではありませんが、延喜式内名神大社、 また上総国一ノ宮として平安時代にはすでに日本の中でも 重きをおくべき神社とされていました。また千葉平氏上総権介平朝臣広常をはじめ、源頼朝の妻の 北条政子懐妊に際して安産祈願の奉幣、徳川家康が神田十 五石を寄進するなど武門の崇敬も多く厚いものでした。永禄年間(1558年-1570)の戦火により社殿および古記録等が焼失したため、創建年代は不明。他の文献等により、少なくとも鎮座以来1,200年以上経過していることは間違いないとされる。】
境内の二の石鳥居は、文化三丙寅年八月の建立、「神号額」は『蜀山人』の揮毫によるもの。
社殿は「本殿・幣殿・拝殿」が繋がった黒漆塗りの「権現造」、貞享4年(1687)の造営とされます。 境内案内には【現在の建物は、江戸中期の貞享四年(1687)に、 本殿が『大工棟梁:大沼権兵衛』、拝殿と幣殿は『井上六兵衛』に よって竣工された。 本殿は、桁行三間、梁間二間、一間の庇を付ける入母 屋造りである。拝殿は、桁行五間、梁間二間の入母屋造 りで、正面に向唐破風を付ける。幣殿は、本殿と拝殿を つなぐ建物で、桁行四間、梁間一間の規模である。全体が複合社殿(権現造)となっており、屋根は寛政十二年 (1800)に現在に見られるような銅版葺に改められ ている。】
10年に渡る社殿の修復が竣工され、二年前の2017年3月に終了したとか、この参拝の僅か二ヶ月前とは・・・偶然の僥倖に思わず🙏🙏。 社殿は黒漆の深い輝きに、周囲の深い緑が映しだされ、一種独特の神秘性を持ってそこに存在します。
正面の蟇股に施された「高砂」の彫刻は、名人と謳われた『左甚五郎』の作とも言われています。 流石に「お年を重ねられた媼と翁」では、甚五郎の彫刻について廻る不思議話(抜け出すとか、朝になったら帰ってくるとか)は無いようで、常青の松の下で穏やかに語らっています😊
黒漆の社殿にひときわ華やかに色を添えるのは、極彩色の唐獅子と獏、なんか妙に楽しそう。羨ましいほど白くて綺麗な歯😲
社殿の右手に鎮座される「招魂殿」。日清・日露・大東亜戦争の戦没者325柱が祀られます。 社殿の傍らには、当時の県知事『加納久朗』書による「勇士救亜洲」の碑。
黒の社殿と対比をなす朱塗りの「神楽殿」では、無形文化財である「土師流神楽」が、春・秋の祭礼で奉納されます。
本殿左手の鳥居の奥に鎮座される「摂社:十二社」は、明治時代に一宮町内の十二社が合祀されたもの。 ただ、信仰の中心は「愛宕神社」であったため、今でも通称「愛宕さま」と呼ばれています。
案内には【「宮の後愛宕神社(軻遇突智命)」・「陣屋内八幡神社(誉田別命)」・「上宿三島神社(事代主命)」・「上宿白山神社(白山比売命)」・「下村日枝神社(大山咋命)」・「柚の木山神社(大山祇命)」・「細田浅間神社(木花開耶姫命)」・「道祖神塞神社(賽神三柱)」・「内宿蔵王神社(大物主命)」・「関東台粟島神社(少彦名命)」・「陣屋熊野神社(櫛御毛野命)」・「下の原水神社(罔象女命)」】とあります。
西山は「はだしの道」として整備されており、裸足で歩く事で御神徳を授かる事ができるそうです。 傾きかけたお日様に急かされて辞退しましたが、でも二人の願う事はいつも決まっています。
絵馬架けの横には、『仁徳天皇』の民の竈の賑わいを喜ばれた歌を尊みて詠んだ芭蕉:句碑。【叡慮(えいりょ)にて 賑ふたみや 庭かまど】
中央に「たかき屋にの御製の有難を今も猶 叡慮にて賑ふたみや 庭かまど はせを」と大書。 左には【名にしおはゞ 名取草より 社宮哉 (金波)】を発句とする表十句。 背面には「無尽言」、下に149句が刻まれ、『起名庵金波』の芭蕉景仰の漢文銘があり、さらに碑の陰部分に【広き葉の くらべものなき はせをかな (金波)】【蝶鳥(ちょうとり)や こころの底の なき晴て (何丸)】・・解説があったので、知った風に書いていますが、実際はどれも読めません😔
境内にはまだまだ沢山の碑や史跡がありますが、それはまた明日、まとめて紹介します。
参拝日:2019年3月8日
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