マンホール撮影を兼ねて訪問した芸西村役場。敷地内の北側に「芸西村文化資料館」があり、二人の女性と並ぶ龍馬の姿があります。二人は多分、お龍さんと妹の君枝さんだろうと思われますが・・微妙にそっくり過ぎて😅
資料館の入口右には、芸西村出身の維新の志士:顕彰碑。案内に「芸西村では村庄屋、郷士、足軽など十三名が勤皇運動に参加し八名が維新の夜明けを見る事無く倒れ、五名は明治以後も私心無く生きた」
村役場の前には立派な「庁名碑」。裏面に、この石が京都丹波産の「綿茶石」であり今から二億年前のものである事などが刻まれています。が、「綿茶石」で幾ら検索してもヒットせず・・もしかしたら読み間違いかも・・
芸西村和食に位置する白砂青松の月の名所「琴ケ浜」。ここに、お龍・君枝姉妹の銅像が有るという事で行ってきました。 説明によれば、「龍馬を失ったお龍は、明治元年から一年余り、妹:君枝の嫁ぎ先千屋家に身を寄せた。」という事です。 桂浜に立つ龍馬の銅像に手を振って居ると言う事なので、桂浜からお呼びしてみましたが・・・想いが届くと良いですね。
「琴ケ浜」から「和食駅」に向かう途中、和食川の傍らに「向い地蔵」様を見つけました。「昔、和食川には橋は無く川を渡っている途中で流される人もいた。江戸時代の何時の頃か、亡くなった人の成仏と旅人の安全を願ってお地蔵様が川の両岸に向き合う様に建てられ、向い地蔵とも見合い地蔵とも呼ばれている」と記されています。
ちなみに芸西村の真ん中を流れる和食川には、「カッパ」が住んでいると言う伝説があるそうです。 だからこれを見つけた時は思わず「エッ??エエ~~~!!😱」 もう少し根性があったら側まで行ったかもしれません😅
和食駅に建立された『鹿持雅澄(かもち まさずみ)』の歌碑。作者は藩政時代に万葉集研究書「万葉集古義」という大著をなした人物で、天保4年(1833)1月から10月まで、和食浦分一役人を勤め、その時に詠んだ歌が数首残されています。
【引く網に 幸やあるらむ 呼び立てて 海人さわぐ 浦もとどろに】
撮影日:2013年3月19日&2018年6月17日
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます