車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 兵庫県旧氷上町(丹波市)

2023年07月21日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧氷上郡氷上町(ひかみちょう)は兵庫県中東部の中山間地帯に位置し、雲海の美しさと、子午線(東経135度線)が通る町として知られています。加美町、柏原町、青垣町、春日町、山南町、市島町に隣接。氷上町石生地区にある石生の水分れ(いそうのみわかれ)は、本州一低い「谷中中央分水界」で、付近は水分れ公園として整備されています。「町の木:赤松」「町の花:山ツツジ」「町の鳥:ひばり」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により氷上郡成松村・沼貫(ぬぬき)村・葛野(かどの)村・油良(ゆら)村・生郷(いくさと)村が発足。

1891年、油良村が改称し、幸世(さちよ)村となる。

1912年、成松村が町制を施行し氷上郡成松町となる。

1955年、成松町・沼貫村・葛野村・幸世村・生郷村が合併して氷上郡氷上町が発足。

2004年、 氷上郡柏原町・春日町・青垣町・山南町・市島町と合併、丹波市となりました。

マンホールには町章を中心に「石生の水分れ」と「町の木:赤松」「町の花:やまつつじ」「町の鳥:ひばり」がデザインされています。

昭和31年1月30日制定の町章は「氷上を「ヒ」と「上」にして纏めたものです。」

撮影日:2014年11月19日&2019年12月21日

 

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柏原あちこちウォッチ~Ⅱ~ in 兵庫県丹波市柏原町

2023年07月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

昨日に続いての柏原町の町歩き、スタートは昭和50年3月27日に市指定文化財となった「太鼓やぐら」。藩政時代は大手門の付近に置かれていました。内部は三層で、最上層の楼上には「つつじ太鼓」と名付けられた大太鼓が吊るされています。

建立の時期は定かではありませんが、藩邸の造営が正徳4年(1714)である事から、それに近い時代につくられたと考えられています。現地に移されたのは明治時代初頭のようですが詳しい記録は残されていません。

太鼓櫓の右隣に鎮座されるのは『大年神』を御祭神とする「大歳社」

鳥居の内、拝殿前より神域を守護されるのは浪花系の狛犬さん一対。足の付け根まで伸びたゆるやかなウェーブの鬣がとてもお洒落。

「太鼓やぐら」にほど近い一画、安藤博士の生家跡地に建立された『安藤 広太郎』像。明治から昭和期に活躍した農学博士で、世界で初めて稲の人為交配による新種の作成に成功した人物です。

そこから大手通を抜けて「柏原藩陣屋跡」へ。柏原藩陣屋は柏原藩2万石の居館及び政庁として正徳4年(1714)に造営。途中火災に見舞われましたが、廃藩置県を迎えるまでその役目を果たしました。

 

現存する建物は、陣屋の表御門にあたる長屋門と表御殿の一部ですが、全国でも数少ない陣屋遺構として、また明治以降小学校として使用された経緯から幕末から近代に至る学制の変遷を考えるうえでも貴重であるとして、国の史跡に指定されています。

陣屋長屋門の道路向かい、柏原歴史民俗資料館の北隣に、昭和28年5月に建立された「ステ像」があり、台座には『田 (でん )ステ』が6歳のときに詠んだ【 ゆきのあさ 二のじ二のじの げたのあと 捨女 】の句が刻まれています

「ステ像」の北側に建立されているのは、丹波国柏原藩初代藩主『織田 信包公』

そう言えば、木の根橋の斜め向かいには『織田上野介信勝命』を御祭神とする「織田神社」が鎮座されています。柏原藩主織田家三代当主であった信勝には子が無く織田家は廃絶。信勝の母はそれを嘆き、邸跡に霊廟を祀ったのが「織田神社」の始まりとされています。

明治18年(1885)に旧氷上郡各町村組合立高等小学校 として建築された兵庫県下最古級の校舎で、県指定文化財の「旧氷上高等小学校」。寄棟造の本体に、ペディメントを持つ二階建ての玄関ポーチが付けられた、明治初期に建設された洋風建築に多く見られる形式です。

現存する棟札には、国家的な経済破綻状況や不作などにより混乱・困窮した世情の中で「教育は国家の根底なり、学校は教育の土壌なり」の精神でこの学校創立を発起したことが記されています。改修工事と重なってしまいましたが、無事に美しい外観を見る事が出来ました。

【 雉子(きじ)鳴けり 少年の朝 少女の朝 】細見綾子

訪問日:2014年11月19日

 

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柏原あちこちウォッチ~Ⅰ~ in 兵庫県丹波市柏原町

2023年07月19日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

丹波市柏原町柏原字松ヶ端にあるJR西日本:福知山線の「柏原駅」。駅舎は、1990年に開催された「国際花と緑の博覧会」で運行されていた「ドリームエキスプレス:山の駅」として使われていたもの・・・当時の忌々しく(笑)忘れ難い思い出が蘇ってきました(^^;)

構内のシャッターだったか何かに描かれていた木の根橋の絵

柏原町柏原、観光協会の近くにある「大ケヤキ」。樹齢1000年とも推定される巨木で、目通り幹径6、4m、樹高21m、枝張各25m。丹波市内では最大のケヤキと言われています。

本樹の根の一本が太く成長し、直下を流れる奥村川をまたいで対岸の地下にもぐり込み、長さ10mにも及ぶ自然の橋梁を形づくっていることから「木の根橋」とも称され、昭和45年3月30日に県指定文化財(天然記念物)に登録。

大ケヤキの右に見える木造の建物は旧柏原町役場(丹波市役所柏原支所)。左に見えるのは観光案内所。普通に写した筈ですが、ちょっと変わったアングルになりました(^^;)

旧町役場の敷地内に建立されていた文学碑。後で調べればわかるだろうと思ったのですが、ヒットせず(^^;)

観光協会の近くにある浄土宗寺院「天箇山:西楽寺」『阿弥陀如来』を本尊とします。

鐘楼門・向拝の彫刻は、まるで笑っているように見える龍。

七世紀、インドからの伝説上の渡来僧『法道仙人』による開創と伝える古刹ですが、詳細は不詳。

「子安観音堂」

「西楽寺」の向かい、広場の角に建立されていた碑。「任侠犠牲 一致協力」と刻まれています。

「足立重左衛門 頌徳碑」

まだまだ見所一杯の柏原ウォッチ。明日に続きます。

訪問日:2014年11月19日&2019年12月21日

 

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柏原(かいばら)大神宮 in 兵庫県丹波市柏原町

2023年07月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

丹波市柏原町柏原に鎮座される柏原八幡宮の境内社「柏原(かいばら)大神宮」。御祭神は『天照大御神』。国家鎮護、心願成就、交通安全の御神徳を持ちます。

拝殿の後方、小さな水路を跨いで神橋が掛けられ、茅葺の本殿へと続きます。境内社ゆえに仕方ない事なのですが、ご由緒や創建に関するものが何もないと言うのも悔しい話。柏原八幡宮の創建が万寿元年(1024)という事なので、それに近い時期だろうと推察します。

「神誠」と題された拝殿額。残念ながらこれを読み解く才能がありません(^^;)

奉納絵馬は柏原八幡宮:厄除大祭の様子を描いたもの。毎年2月17日、18日にかけて10万人の人々が参拝に訪れると言われる、中北部近畿最大規模の「厄除大祭」、さぞかし壮観な事でしょう。

同じく厄除大祭の様子を描いたと思われる奉納絵馬で、こちらには奉納者のお名前が記されています。

奉納者である『長野晴璋氏』。実はこのお名前、2015年の広島方面の車泊旅の際、大竹駅前でお見掛けしています。弥栄ダムの工事で採取された岩を使った鯉のぼりのストーンアート。その作者が『長野晴璋氏』でした。有名な方なのだろうから、多方面で見かける事は不思議ではないかもしれませんが、それでもその事実は私を充分に喜ばせてくれます(⌒∇⌒)

柏原八幡宮「境内社:淡嶋神社」。御祭神は『少彦名命』。病気平癒、医薬の神の神徳を持ちます。

柏原八幡宮:一の鳥居後方に「境内社:白比賣社」、御祭神は『白比賣大神』。病気平癒・怪我平癒の御神徳を持ちます。

一の鳥居近くに建立されていた歌碑二基

「八幡社頭 少年の日は物に感せしや 『上田 三四二』【 蝉声のしげき人なき社頭には 受験少年の わがまぼろしあゆむ 】【拝殿の 石に蜥蜴のはしるさえ 昔日に似て うつつなきかも 】

【 名さえ目出たい入船山に 町の守りの八幡宮 】野口雨情

一の鳥居から見上げる参道・・いかにもな坂道に参拝を断念した事が未だに悔やまれてならない・・丹波佐吉の狛犬・・・重文の本殿・・ああ・・本当に悔しい。

参拝日:2019年12月21日

 

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石見(いわみ)神社 in 兵庫県丹波市柏原町

2023年07月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

丹波市柏原町大新屋に鎮座される「石見(いわみ)神社」。御祭神は『谷垣岩見守』

現地案内板に「祭神は、隣村との長年の紛争を解決した谷垣岩見守です。新山(石戸)は永正六年(1509)に米百俵、銭百貫を代償として大新屋他四ヶ村の領有となりますが、以後百年にわたって山争いが絶えず、これを元和年間に石見守が囲碁の勝負で解決したと伝えられます。郷人はこれに感謝し、文化五年(1808)新井神社の境内に石見大明神として祀ったのが石見神社の始まりです。その後、大正三年(1904)現在地に移されました。1992に日本一の石造の大碁盤が奉納されました。」

「日本一の石の大碁盤」とjさん。通常の碁盤と私。大きさの対比が面白い(笑)

鳥居の内より神域を守護されるのは・・・何と形容すればよいのか悩んでしまう狛犬さん一対。これまでずいぶんと沢山の狛犬さんを見てきましたが、浪花でも江戸でも丹後でもない、ある意味(笑)新種の狛犬さんです。

正面から

小さなお社ですが丁寧にお掃除が行き届き、とてもきれいな空気に満たされているのが感じられます。耳を澄ませて目を閉じると、石を打つ音が聞こえてくるような・・・。

参拝日:2014年11月19日

 

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新井(にい)神社 in 兵庫県丹波市柏原町

2023年07月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

丹波市柏原町大新屋に鎮座される「新井(にい)神社」。御祭神は『高皇産靈(たかみむすび)神』

「欽明天皇在位の頃(6世紀)の創建といわれ、郡内にある延喜式内17社中の一つ。古来より、旧新村の内五ケ部落の総社として崇敬されてきた。もとの社殿は今の社殿より約500m奥の滝ヶ谷に祀られていたが、天正7年(1579)明智光秀の高見城攻めの時、兵火にかかって焼失。後に再建されたものが現存する社殿である。 寛文年間(1661~1672)には神宮寺日吉山王鎮護寺と称し、比叡山の守護神・近江坂本の山王日吉大社の分霊を祀っている。」兵庫神社庁HPより

 

「県指定重要文化財の社殿は茅葺きで妻入。三間社春日造様唐破風造。蟇股の備え、三猿その他木鼻の彫刻などからして、江戸時代中期頃の建築と思われる。拝殿両側に『中井権次正貞』作の一対の猿の木彫像がある。」丹波市HPより

前面一杯に張り渡された注連縄。本殿扉の前より神域を守護されるのは、一対の木彫りの神猿。

両掌に如意宝珠を戴く吽形。御幣を肩に捧げる阿形。その表情の暖かさと優しさは、すべての参拝者の心を包み込むように穏やか。ただ穏やか。

脇障子の彫刻は「鯉の滝登り」と「竹林の虎」。

明治十一年初夏の奉納絵馬。騎馬武者の戦いの様子が描かれていますが、それが誰なのか、何の戦いの場面なのかは不明。

三本杉の御神木は幹周:8. 80m、樹高:40m。根もとをまたぐと子授けの利益があると伝えられています。

心地よい気に満ちた湯の森の一画。深い緑の木々の中央に聳える一回り太い巨木は、幹周:3. 40m、樹高:23mのアラカシの巨樹。

参拝を終えて立ち去る前にもう一度振り返って見上げた社殿。こんなにも心地よい気持ちにさせてくれる神社に出会えると、神社巡りが更に楽しくなります。

参拝日:2014年11月19日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧柏原町(丹波市)

2023年07月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

旧氷上郡柏原町(かいばらちょう)は兵庫県中東部の盆地に位置した町です。山南町、氷上町、春日町、篠山市に隣接。慶長3年(1598)に織田信長の弟・信包(のぶかね)によって柏原藩が立藩。その後慶安3年(1650)に幕府領となりましたが、元禄8年(1695)に再び織田家の系譜が領主となり、明治2年(1869)の版籍奉還では、第10代藩主:信親が知藩事を任命されました。町域には「柏原藩陣屋跡」が残されており、国の史跡に指定されています。「町の木:ケヤキ」「町の花:バラ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、氷上郡柏原町・新井村(にいむら)が発足。

1955年、氷上郡柏原町と新井村が合併、改めて柏原町が発足。

2004年、氷上郡氷上町・青垣町・春日町・山南町・市島町と合併し、丹波市となりました。

マンホールには、兵庫県天然記念物として指定された「木の根橋(きのねばし)」と、周囲に「町の木:ケヤキ」がデザインされています。

兵庫県天然記念物「木の根橋」

昭和39年9月1日制定の町章は、「柏原の「か・い」を図案化したもの。」

丹波市観光協会かいばら観光案内所前にあった顔出しは、初代柏原藩主:織田信包と姪の江姫。長政の死後、お市と三人の娘は、兄である信包の庇護を受け、清州城で9年余りを過ごしたといいます。

撮影日:2014年11月19日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 兵庫県丹波市

2023年07月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

丹波市(たんばし)は兵庫県東部の内陸部に位置し瀬戸内海と日本海のほぼ中間部の山間に位置する市です。2004年11月1日、氷上郡柏原町・氷上町・青垣町・春日町・山南町・市島町が合併して発足しました。丹波篠山市、西脇市、朝来市、多可町、また県を跨いで京都府福知山市と隣接。市名は、市域がかつて丹波国の一部であった事に由来。加古川水系の最上流、由良川水系の最上流に位置し、北海道と末端部を除けば日本で一番標高が低い中央分水界がある事や、子午線(東経135度線)が通る事でも知られます。「市の木:もみじ」「市の花:カタクリ」を制定。

キャッチフレーズは「人と自然の交流文化都市」

マンホールには丹波市のマスコットキャラクター『ちーたん』が、兵庫県の中の丹波市を指す様子がデザインされています。

2004年11月1日制定の市章は「丹波市の将来像である「人と自然の交流文化都市」をデザインし、未来への発展をイメージしています。 中心部で人が、両手を広げた形で「みどり」を表し、人と自然が融合する豊かな未来を象徴しています。  また、全体は丹波市の「丹」をイメージした力強い線で市章にふさわしい重み、緊張感を表現しています。」公式HPより

「丹波竜マスコットキャラクター『ちーたん』は1億1000万年前に生まれた市のPR特命大使。 体の模様は地球の歴史とともに生まれてきた地層をイメージ。 「ち」は地層、地球、いのちなどを、「ー」は長く、永遠、「たん」は丹波、誕生、まごころなどを意味しています。」公式HPより

丹波市春日町東中(ひがしなか)集落周辺は「丹波大納言小豆発祥の地」として古くから知られています。丹波大納言小豆マスコットキャラクターとして誕生した『丹波のあずきー』。ちなみに何で大納言なのか?ですが、実は大納言と言う位は、殿中で抜刀しても切腹しなくても済む事から、煮ても腹の割れない小豆に大納言の称号が与えられたんだそうです。

撮影日:2014年11月19日&2019年12月21日

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2019年12月14日、第11弾として全国61自治体で種類(累計自治体種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「丹波市」のマンホールカードは、「丹波市観光協会:かいばら観光案内所」でいただけます。

2018年に設置開始されたマンホールには「丹波竜のちーたん」と「虫眼鏡」がデザインされています。

「兵庫県丹波市は、2004年に氷上郡6町が合併して誕生しました。 このデザインは下水道をPRするため、2017年に全国から募集し、採用された作品です。 丹波市は兵庫県中東部に位置し、日本一低い分水界があり、下水道は日本海と瀬戸内海に流れます。 そんな丹波市を知り、訪れていただくため、兵庫県のどの辺りに位置するのかを、丹波市のゆるキャラ「丹波竜のちーたん」(2006年に白亜紀時代の地層から恐竜化石が発見され、その地層から発見された丹波竜のマスコットキャラクター)が虫眼鏡で丹波市を覗いているデザイン、虫眼鏡の中の6つの配色は旧6町を表します。」

訪問日:2019年12月20日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧今田町(丹波篠山市)

2023年07月13日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧多紀郡今田町(こんだちょう)は兵庫県中部に位置し、六古窯の一つ「立杭焼」で知られた町です。町域には「立杭陶の郷」「兵庫陶芸美術館」があり、例年10月に開催される「丹波焼陶器まつり」は、窯元めぐり市など陶芸に親しめるイベントが盛り沢山です。また今田町今田新田にある天台宗寺院「西方寺」は、樹齢600年のサザンカの寺として知られています。「町の花:サギソウ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、多紀郡今田村が発足。

1960年、今田村が町制を施行、多紀郡今田町となる。

1999年、篠山町・丹南町・西紀町と合併し、篠山市となりました。

マンホールには、町章を中心に「立杭焼の器」と「町の花:サギソウ」がデザインされています。

昭和27年制定の町章は「「今田」を図案化し、中央の三角形は和田寺山を表したもので、今田村章として制定され、町制施行後に継承。色は「今田」の部分は金色・三角形の部分は緑色が指定されています。」合併協議会資料より

撮影日:2017年9月4日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧西紀町(丹波篠山市)

2023年07月12日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧多紀郡西紀町(にしきちょう)は兵庫県中部に位置した町です。「西紀」の地名は1955年の合併時に付けられたもので「多「紀」郡「西」部に「錦」をかけたもの」と言われています。丹南町、篠山町、春日町に、また県を跨いで京都府瑞穂町、三和町に隣接。舞鶴若狭自動車道サービスエリア:上り線から見た三岳や黒頭峰などの山々。800mに満たない標高ですが、その険しい山容から多紀アルプスと通称されています。「町の花:シャクナゲ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、多紀郡南河内村・北河内村・草山村が発足。

1955年、南河内村・北河内村・草山村が合併、多紀郡西北村が発足。即日改称し多紀郡西紀村となる。

1960年、西紀村が町制を施行し、多紀郡西紀町となる。

1999年、篠山町・今田町・丹南町と合併し、篠山市となりました。

マンホールには、「町の花:シャクナゲ」が大きくデザインされています。

昭和35年1月1日制定の町章は「全体を「西」で表し、三つの輪を象徴したもので、昭和43年10月に再制定されました。」

町域にあったマンホール、自治体名と自治体章が何故か削られています(-_-;)

撮影日:2019年12月21日

2014年11月の車泊旅ではこちらの西紀上りSAにて車中泊をさせて頂きました。「丹波路味わい食堂」で頂いた「黒豆うどん」は癖のないシンプルな味でとても美味しく体もホカホカ(⌒∇⌒)。車で旅をする私たちにとってこうした施設は本当に有難く大切な場所です。 その節は本当に有難うございました。

 

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