車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

ご当地マンホール in 兵庫県旧丹南町(丹波篠山市)

2023年07月11日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧多紀郡丹南町(たんなんちょう)は兵庫県南部に位置した町です。 町名は丹波地域の南に位置していることに由来。町域には篠山口駅や、舞鶴若狭自動車道:丹南篠山口インターチェンジがあり、旧篠山町への玄関口として機能してきました。三田市、篠山町、西紀町、今田町、柏原町、山南町、春日町に隣接。「町の花:桜」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、多紀郡味間村・城南村・古市村・大山村が発足。

1955年、味間村・城南村・古市村・大山村が合併、多紀郡丹南町が発足。

1999年、篠山町・今田町・西紀町と合併し市制を施行、篠山市となりました。

マンホールには町章を中心に「町の花:サクラ」がデザインされています。

中央のマークは町章ではなくロゴマークと思われますが、詳細は不明。

昭和40年10月1日制定の町章は、丹南の頭文字である「丹」を図案化したものです。

撮影日:2017年9月4日

 

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お菓子の里・丹波 in 兵庫県丹波篠山市

2023年07月10日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

丹波篠山市東吹にある、お菓子をテーマにした観光施設「お菓子の里・丹波」。広い敷地内には多くの施設が立ち並び、しかも入場は無料という、何ともお財布にやさしい施設。・・で、つい、あれこれと買っちゃうんですよね(笑)

お土産の品定めが終わったら、さっそく広い園内に・・木々の緑を写しこむ池の向こうにポツンと見える茅葺屋根なんて、もうそのまんま水彩画の世界。

小川に架かる石のアーチ橋

唐突に展開される西洋風の館は、旧・神戸市警垂水署を移築改装した、大正初期の洋館ミオール館(旧・ウィーンの館)。 1階は千鳥屋宗家系列の洋菓子ミオールのスイーツカフェになっています。

あまりにもお洒落すぎて、中に入る根性が無かった二人(^^;)・・こんな素敵な場所だと知っていたら、もう少しお洒落をしてくるんだったね・・

ハーブで埋もれた建物は「ドイツ館」。ヨーロッパ各地のビールや、レンガ造りの石窯で焼かれたピザ、黒豆パンなどが販売されています。

嘉永7年(1854)築の古民家を移築した「茅葺きの家」

屋内では囲炉裏を囲んで和菓子や日本茶などを頂くことができます。

古いかまどに掛けられたピカピカの羽釜(はがま)。かまどに架けるためのツバを羽根に例えた名称ですが、言い得て妙です。

茅葺民家から見る「ミオール館」

ラストは、右手の小高い山の上にある「薬師山山荘」。安政4年(1857)に建てられた商家を移築したもので、閑静な佇まいは雰囲気も調度も全てが別世界。

自然に囲まれた山荘でいただく、地元名物のぼたん鍋やしゃぶしゃぶ鍋。私はどれも無理だけど、御亭主殿なら贅沢な一時が過ごせそうねと言うと、一人でこんな所に来てもつまらん!と笑って却下。

訪問日:2017年9月4日

 

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篠山市内~ふらっと街歩き in 兵庫県篠山市

2023年07月09日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

篠山市北新町。篠山市街歩きのスタートは、城下町篠山観光の拠点施設として活用されている「大正ロマン館」から。

建物は、大正12年(1923)に旧・篠山町役場として竣工され、1992年に役目を終えた後、内部の改修を経て翌1993年に「大正ロマン館」の名称で開館。

歩兵第70連隊の兵舎にならったレンガの腰台、屋上にそびえる火の見櫓。大正モダニズムの面影と、丹波篠山の特産品が味わえる場所として観光客に人気の場所です。

車寄せ玄関で愛想を振りまくのは、日本六古窯の丹波焼で作られた「デカンショモニュメント:デカ坊」。デカ坊は篠山名産の黒豆から生まれたキャラクター。毎年8月15日、16日に篠山城跡周辺で開催される「丹波篠山デカンショ祭」が楽しみで仕方ないのです。

「河原町妻入商家群」として、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された河原町地区・・・・歩いた筈なのに記憶が・・画像が少ない(^^;)

丹波篠山市呉服町に店を構える「鳳鳴酒造(株) ほろ酔い城下蔵」。築210余年の本社蔵と蔵元の西尾邸を改装、整備して、2001年に酒蔵見学施設としてオープン。2003年には、鳳鳴酒造本社の主屋・仕込蔵などが国の有形文化財に登録されました。

随分と立派な、神功皇后と武内宿祢の武者人形に出迎えられて、いざ、酒蔵へ。

丹波杜氏の伝統を今に伝える酒蔵見学、展示された道具や歴史を重ねた酒蔵の佇まい。完全下戸の私ですが、目に映るものすべてが貴重で興味深く、心に残る時間を体験させていただきました。

丹波篠山市魚屋町に店を構える「小西のパン」。今回はこちらで美味しいと評判の「黒豆パン」をお土産用に購入。お土産用の筈なのに、あまりの良い匂いに負けてつまみ食いをし、もう一度買いなおしに戻る羽目に(笑)

黒豆パンにも使われる「丹波黒大豆」。古くから“川北黒大豆”“波部黒大豆”の2系統があり、時の幕府や宮内省御用達品として知られていました。篠山市黒岡のJA丹波篠山の直営店の一角には「丹波黒大豆発祥の地」碑が建立されています。

丹波篠山市の冬の味覚は何といっても「ぼたん鍋」「ぼたん=猪肉」の事ですが、では何故ぼたんと呼ぶのか。実はこれ、獣肉禁制の名残なんですね。寺社の彫刻:絵画に使われる「唐獅子ぼたん」。この唐獅子のししと猪(イノシシ)のししを勝手にイコールにして、「獅子に牡丹」が「猪肉=ぼたん」となったのです。

「ぼたん鍋」の発祥の地として有名な丹波篠山市、メイン通りには、猪肉を売るお店、食べさせるお店が沢山あります。

私は間違っても食べる事はありませんが(笑)、美味しく食べられたいのししさんは、「猪突猛神」様として、大切に祠に祀られています。

こちらには「子孫繁栄・安産」の御利益があるという「おいのし様」が鎮座されているそうです。祠の扉は固く閉ざされており、御神体は拝見できません。

丹波篠山市東吹上の篠山川に架かる「渡瀬橋」は、通称「イノシシ橋」。季節に応じた花飾りやしめ飾り姿に遭遇する事があり、私のようなもの好きを喜ばせてくれます(笑)

丹波篠山市安田、国道173号線と372号線が交差する左端に空を覆うようにそびえる巨木。篠山方面に来るたびに気になりながらも一度も立ち寄る事のなかった場所でしたが、やっとその機会を得ました。

「県指定文化財:安田の大杉 この杉は「甚七森」と言われる杉の大樹で、川原の住吉神社の末社貴船大名神の境内をおおい、遠くから見ると森のように見える。高さ33m、根回り13.2m、目通周囲幹周8.4m、推定樹齢700~1000年、樹勢旺盛で学術的にも価値が高いと言われる」現地案内より

訪問日:2007年7月7日&2009年5月30日&2017年9月4日

 

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篠山市立歴史美術館 in 兵庫県丹波篠山市

2023年07月08日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

丹波篠山市呉服町の一画に建つのは、明治24年(1891)に「篠山地方裁判所」として建築され、昭和56年(1981年)6月まで使用された「篠山市立歴史美術館本館」

日本最古の裁判所を重要建造物として末永く保存するため、外観および旧法廷を従来の姿で残し、その他は美術館にふさわしく内部を改築。

中央に玄関車寄を置き、左右に法廷を配置。平面はE字型という、明治時代初期の木造官庁舎の典型的な構造を受け継いだ造りとなっています。

門を入ってすぐの場所に保存されている織部灯籠の棹石。上部は十字形で、その下正面にマリア像を浮彫りにした、いわゆる「切支丹灯籠」と呼ばれているもの。

館内には裁判所の法廷の様子が、使用していた当時そのままの姿で公開されており、ドラマや映画などで見るのと同じ景色が目の前に繰り広げられています。光の差し込む窓ぎわ、並んだ椅子は傍聴人の為、彼らの前で真実、もしくは嘘八百を並べる被告人(^^;)

裁判官席には私一人、時間も無いというのに裁判長はどこに雲隠れ?。

書記官を前に体を縮めているのは、犯した罪の重さゆえ?それとも無実の罪に震えているから??

そんな被告の訴えを信じて弁護するのは弁護人の仕事。ですが・・「赤ちゃんをあやす為に首に紐を巻き付けたら死んでしまったので、ドラエモンに助けてもらう為に押し入れに隠しただけ」とか、
昨今なら「彼は外見は男で○○も残したままですが、心は女なので女性用の公衆浴場に入る権利があるのです」とか(-"-)、そんな話を臆面もなく言って無罪を主張する〇ソ弁護人は、被告以上に許せません。

館内には、篠山城主・青山家の家蔵品を中心に、城下町篠山に伝わる武具、漆芸、絵画、蒔絵などの美術品、それに篠山藩の御用窯「王地山焼」の名品の数々が展示されています。撮影は不可なので興味を惹かれた方は是非とも現地へ。

訪問日:2009年5月30日

 

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御徒士町武家屋敷群&青山歴史村 in 兵庫県丹波篠山市

2023年07月07日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

篠山城跡の西、外壕側の道沿いに面した丹波篠山市西新町の一画。この一帯にはかって藩主の警備にあたった御徒士衆の家屋が数多く現存し「伝統的建造物群保存地区:御徒士町武家屋敷群」として、また「美しい日本の歴史的風土100選」の一つにも選ばれています。

武家屋敷群の中で一際目立つ、茅葺屋根の「小林家長屋門」。文化年間(1804~1818)に、篠山藩第12代藩主青山忠裕がその老女のために修築した屋敷の長屋門で、篠山城下の武家屋敷門を代表する建物です。

時折聞こえてくるのは、名も知らぬ鳥の声と堀を渡る風の音・・他に観光客の姿もない静かな佇まいの中に立っていると、ふいと髷を結ったお侍さんが出てくるような錯覚を覚え、思わずもらす感嘆の声もヒソヒソ(^^;)

時代劇の舞台そのままの景色は、昔見た映画のワンシーンと重なって懐かしいような不思議な感動を呼び覚ましていきます。時代劇が大好きだった父の影響だったのか、子供の頃から「眠狂四郎」に憧れ、長じて収入を得るようになって初めて買い揃えたのが「柴田錬三郎:大全集」(笑)

と、ついつい脱線してしまうのはいつものお約束(笑)。江戸時代末期築の武家屋敷「安間家」。1994年10月から翌年3月にかけて全面的な改修を行い、現在は「安間家史料館」として一般公開されています。

安間家は篠山藩主:青山家の家臣で、「高12石3人扶持」の禄を得る下級武士。天保元年(1830)以降に建てられた武家屋敷で、茅葺:曲屋形式の母屋と瓦葺の土蔵が現存し、当時の武家の暮らしを伝えています。

屋内には、安間家に伝来した古文書や日常に用いられた食器類・家具をはじめ、 のちに寄贈を受けた篠山藩ゆかりの武具や史料等が展示されており、いずれも興味深い物ばかり。 

この日は七月七日の七夕の日。裏口に設けられたふち縁に笹飾りが揺れ、密やかな青笹の匂いと相まって何とも言えない優しい時間を紡ぎだしています。

御徒士町武家屋敷群からほど近く、丹波篠山市北新町にある「丹波篠山市立:青山歴史村」。出迎えてくれるのは「旧澤井家長屋門」

青山歴史村は、篠山藩主青山家の別邸「桂園舎」を中心に、全国的にも珍しい漢学書関係の版木1200余枚、 篠山藩政文書等、江戸時代の歴史文化を物語る史料の数々を収蔵した3棟の土蔵から成っています。

一見井戸のように見えたものは、篠山藩政時代に使用していた石製の金庫で、市指定文化財「石造金櫃(せきぞうかねびつ)」。篠山城大手馬出の北側には、 篠山藩貨幣司が藩関係の金融取引を行っていた掛所があり、その土蔵床下の土中に埋められていたものです。 花崗岩製の板石を組み合わせた櫃で、上蓋は6枚の板石が並ぶようになっています。

青山氏の家紋青山銭」入りの瓦

「桂園舎」

「桂園舎」を管理してきた「財団法人青山会」の由書碑

訪問日:2007年7月7日

 

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篠山城址と大書院 in 兵庫県丹波篠山市

2023年07月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・兵庫県

慶長14年(1609)、天下普請の城として、徳川家康が十五ヶ国、二十の大名に夫役を命じ、縄張奉行に『藤堂高虎』、普請奉行に『池田輝政』を起用し、豊臣家ゆかりの諸大名を抑えるために築城された「篠山城」

完成後『松平康重』が八上城から移り、以後、徳川譜代の有力大名であった松平氏3家8代と青山氏6代の治世のもとに藩政が行なわれ、明治4年(1871)に廃城。城址には堀や石垣、天守台が残っており、馬出の遺構は、国の史跡に指定されています。

本丸二の丸に作られた3カ所の井戸のうち最も規模の大きい二の丸北に残る「井戸」。上部の直径は2メートル、底へいくほど広くなっているといわれ、水面までの深さは14メートル、水深は8メートルもあります。

城址から見下ろす石垣と内堀

「大書院」は、慶長14年(1609)の篠山城築城とほぼ同時に建てられたと考えられ、以後、幕藩体制が終わるまでの 約260年間にわたって、篠山藩の公式行事などに使用されました。廃城令に際し、二の丸御殿大書院は篠山尋常小学校の校舎として。また明治43年(1910)からは多紀郡公会堂として利用されてきましたが、昭和19年(1944)1月6日 、失火により焼失。現在の大書院は2000年4月に復元されたものです。

建物内に展示されていた精巧な模型。北正面に唐破風をつけた車寄があり、 東に中門が突き出す様式で、内部には8つの部屋。藩主の着座する上段の間は、大床、違棚、帳台構、 付書院が設けられています。

本丸跡に鎮座されるのは青山家の遠祖『青山忠俊公』を御祭神として明治15年(1882)に創建された「青山神社」

境内に残された御神木

明治45年(1912)から大正11年(1922)まで、二の丸に存在した「兵庫県立篠山高女跡」の碑。

丹波篠山市庁舎の正面から見る大書院。外堀に写る影は折々の季節に彩られながら、静かに篠山の城下を見守っています。

訪問日:2007年7月7日&2009年5月30日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧篠山市(丹波篠山市)

2023年07月05日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧篠山市(ささやまし)は兵庫県中部に位置した町です。兵庫県域の約4.5%、県内では第8位を占める自然環境の豊かな地域で、古来より旧丹波国として京都への交通の要として栄えてきました。「篠山」の名は築城の礎となった丘陵「笹山」 の名に由来し、独立丘を崇拝した往古の思想からサ(聖)で聖々山(神聖なる山の意、佐々婆夜麻)の転訛した 名称であるといわれています。笹山の東中腹に東面して貞観のころから春日神社 がまつられ神山として崇められていました。西に丹南町、西紀町、南に三田市、猪名川町と、県をまたいで大阪府能勢町。更に東は京都府瑞穂町、丹波町、園部町に隣接。江戸時代初期に農民の間で歌われていた盆踊り唄が起源とされる、篠山市無形文化財「デカンショ節:発祥地」としても知られ、2015年4月24日に文化庁により日本遺産の最初の18件の一つとして「丹波篠山 デカンショ節―民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶」が選ばれました。

旧キャッチフレーズは「緑と文化 幸せ多いデカンショの町」

篠山市東部の日置地区は“波部黒”と呼ばれた丹波黒大豆発祥の地として知られ、目につく畑のそこかしこに丹波黒大豆が栽培されています。「市の木:松」「市の花:ササユリ」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により多紀郡篠山町・八上村・畑村・城北村・岡野村・日置村・後川村・雲部村・福住村・大芋村・村雲村が発足。

1955年、日置村・後川村・雲部村が合併、城東村が発足。福住村・大芋村・村雲村が合併、多紀郡多紀村が発足。

1955年、篠山町が、八上村・畑村・城北村・岡野村と合併。改めて多紀郡篠山町が発足。

1960年、多紀村が町制を施行、多紀郡多紀町となる。

1960年、城東村が町制を施行、多紀郡城東町となる。

1975年、城東町・多紀町と合併、改めて多紀郡篠山町が発足。

1999年、今田町・西紀町・丹南町と合併、篠山市となりました。

マンホールには篠山城址と「市の花:笹百合」「市の木:松」がデザインされています。(大正ロマン館近くの舗道に敷設)

村雲(むらくも)地区集排マンホールには、「市の花:笹ゆり」と、「市の木:松」、中央に「清流・篠山川と鮎」がデザインされています。

雲部(くもべ)地区集排マンホールには、「多岐連山と田園風景」「市の花:笹ゆり」、周囲に「市の木:松」がデザインされています。

大芋(おくも)地区集排マンホールには、「多紀連山」と、「田園風景・稲穂」、「篠山川の鮎」がデザインされています。

三岳地区集排マンホールには「多紀連山と篠山川」、「市の木・松」「市の花:笹百合」がデザインされています。

昭和9年6月8日制定の町章は「ささやま」を図案化し、「ささ山」で形どったもので、旧・篠山町制時に制定され、新町制施行後に継承されました。」旧公式HPより

文字から古いものと思われる「ガス」用の小さい角蓋。

撮影日:2009年5月30日&2017年9月12日

 

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ご当地マンホールとマンホールカード in 兵庫県丹波篠山市

2023年07月04日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

丹波篠山市(たんばささやまし)は兵庫県中東部、四方を山に囲まれた自然環境の豊かな篠山盆地に位置する市です。1999年4月1日、旧多紀郡篠山町・今田町・丹南町・西紀町が合併して市制を施行し、篠山市が誕生。2019年5月1日に市名を「篠山市」から「丹波篠山市」に変更。古来より、旧丹波国として京都への交通の要としても栄えてきました。西脇市、三田市、丹波市、加東市、猪名川町に、また県を跨いで大阪府能勢町、京都府南丹市、福知山市、京丹波町に隣接。

キャッチフレーズは「人・自然・文化が織りなす食と農の都」

「市の木:桜」「市の花:笹百合」を制定。

丹波篠山市のマンホールは、篠山町時代のデザインが踏襲されており、特に新しいものは作成されていないようです。

篠山城址

丹波篠山市八上地区集排マンホールには、八上城を中心に、市章と「市の花:笹百合」「旧市の木:松」「市の特産品:黒豆」がデザインされています。

旧丹南町のデザイン、中央の市章のみ丹波篠山市のものに変えられています。

2000年5月20日制定の市章は「丹波篠山市を象徴するササの葉を2枚あわせ、篠山の頭文字である「S」を表すとともに、上方に向かって限りない発展と飛躍を感じさせるデザインとしています。」公式HPより

CCB用の角蓋

市役所近くに設置されていた方位プレート。方位の中心には「市の花:笹ゆり」が美しく描かれています。

丹波篠山市マスコットキャラクター『まるいの』は、篠山にすむイノシシのおさむらい。明るく元気な男の子で、丹波篠山のおいしい黒豆や山の芋が大好き。『まめりん』は、黒枝豆の妖精で豆づくりが得意な女の子。黒枝豆のエリの服がお気に入りなのです。

撮影日:2007年7月7日&2009年5月30日&2017年9月4日

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2017年8月1日、第5弾として全国50自治体で52種類(計191自治体222種類)の マンホールカードの配布が 開始されました。「篠山市」のマンホールカードは、「篠山市役所 上下水道部 下水道課」でいただけます。

1991年に設置開始されたマンホールには「篠山城址」と「市の花:ささゆり」、「市の木:松」がデザインされています。

「かつて城下町として栄えた丹波篠山は、江戸時代の民謡を起源とするデカンショ節によって地域のその時代を切り取った風土や人情、名所、名産品が脈々と歌いこまれ、今なお新たな歌詞を生み出しています。 丹波篠山デカンショ節には「風が吹く吹く 篠山城の松に武勇の 声高く」とあり、本デザインはその一節を題材に制作しました。 中央に篠山城址の石垣と濠を描き、上下に旧篠山町の木「松」と花「ささゆり」をあしらったものです。 市内には、歴史的な町並みや美しい景観、伝統文化が数多く残っています。 散策の際は、ぜひマンホールのデザインにも注目してください。」

配布場所展示:ミニサイズマンホール

篠山市内のマンホール一覧と市内マップ

「がんばろうニッポン!」長島鋳物:展示マンホール

2019年5月1日より、市名が丹波篠山市に変更になったため、カードの地域名も「丹波篠山市」に変更になりました。「丹波篠山市」のマンホールカードは、「丹波篠山市役所 上下水道部 下水道課」でいただけます。

訪問日:2017年9月4日&2019年10月9日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧東条町(加東市)

2023年07月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧加東郡東条町(とうじょうちょう)は兵庫県の南東部に位置していた町です。黒谷・秋津地区には、鴨川ダムの建設によって出来た町のシンボル的存在「東条湖」が有名。特に、湖底に沈んだ土井集落に対する感謝の意を表すとともに観光の発展を願って守護神を祭った「水天宮」は、東条湖八景の中でも最も美しいと言われています。三木市、小野市、三田市、社町に隣接。町域を占めるゴルフ場の面積が日本一である事から「ゴルフ場銀座」の異名も持ちます。主産業として釣針・鯉のぼりの製造が盛んで、旧庁舎近くでは「鯉のぼり」のモニュメントが風に揺れています。「町の木:松」「町の花:コスモス」を制定。

明治22年(1889)、町村制の施行により、加東郡中東条村・上東条村が発足。

1955年、中東条村・上東条村が合併、加東郡東条町が発足。

2006年、加東郡社町・滝野町と合併、加東市となりました。

マンホールには「町の花:コスモス」と「町章」、風に泳ぐ「鯉のぼり」がデザインされています。

昭和40年7月30日制定の町章は「「と」を図案化し、円形は平和と東条湖を表したもの。」合併協議会資料より

町章と火消し纏がデザインされた消火栓

道の駅東条の壁に架けられていた看板。「太閤殿下の昔から作り続けられているひな人形 五月の風に舞う鯉のぼり 釣り針づくりは日本一 歴史と文化を大切に 人の手のぬくもりのある 清らかな水と緑の東条町 にっぽん人の心のふるさとです」

「道の駅:東条」の記念スタンプは、特産の「鯉のぼりと釣り針」

撮影日:2009年5月3日&2014年12月5日

 

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ご当地マンホール in 兵庫県旧滝野町(加東市)

2023年07月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・兵庫県

旧加東郡滝野町(たきのちょう)は兵庫県の中南部、加古川中流部に位置した町です。西脇市、加西市、小野市、社町に隣接。滝野町上滝野の加古川中流にある「名勝:闘龍灘(とうりゅうなだ)」が有名で、特に奇岩・怪岩が加古川の川底いっぱいに起伏して連続し、岩に阻まれた川の流れは激流や滝を形成、飛び鮎の名所としても知られています。「町の木:松」「町の花:菊」を制定。

また1989年11月に、アメリカ合衆国カリフォルニア州のホリスター市と姉妹都市提携を結んでおり、町にはそれを記念したプレートと、ロデオのモニュメントが設置されています。

明治22年(1889)、町村制の施行により加東郡滝野村・加茂村が発足。

1925年、滝野村が町制を施行、加東郡滝野町となる。

1954年、加東郡加茂村と合併、改めて滝野町が発足。

2006年、加東郡社町・東条町と合併、加東市となりました。

マンホールには、町の名所「闘龍灘」と、キャラクターの「アユッキー」がデザインされています。

 

雨水用マンホール

昭和31年10月20日制定の町章は「「たきの」をカタカナにして「タ」を図案化したもの」です。

プラ汚水桝の蓋には、町章の中に「闘龍灘の鮎」と周囲に「町の花:菊」がデザインされています。

仕切弁、空気弁、消火栓はいずれも『アユッキー』が主役で頑張っています(^^;)

「たきの」の文字と、阪神水道企業団のキャラクター『ピュアリン』がデザインされたプラ汚水枡。

日本一早く鮎漁が解禁される滝野町のマスコットキャラクター『アユッキー』。「鮎」をモチーフに昭和63年(1988)に誕生しました。

撮影日:2009年5月3日&2014年12月5日

 

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