車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

伊南川の屏風岩 in 福島県南会津町(旧伊南村)

2025年01月21日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

南会津町大桃平沢山地内、国道352号からでも一際目を惹く「屏風岩」

何千年もの長い年月をかけて、伊南川の急流が作り上げた景観。むきだしの岩肌に彫りあげられた奇岩や怪岩がそそり立ち、その様はまさしく人知の及ばぬ神の造形。

岩肌を走る水は、気の遠くなる程の歳月をかけ、やがて幾筋もの道を作り上げ、白く色を変えて下流へと向かう。

そうして別れた筈の幾筋もの水は、互いを恋しがってまた一つになろうとする。出会いの瞬間、透明であるべき筈の水は真っ白に渦巻き、歓喜にしぶきを上げる。

ここは、流れゆく水が自らの休息の場として作り上げた一画。木々を映し、青い空を映し、どこまでも神秘で、どこまでも静謐に満ちた場所。

水の底にも都の有りましょうほどに・・ふと、滅びゆく貴人の言葉を思い出す。覗き込む事がはばかられるような・・そう、多分それ以上近づいてはいけない。何故だかそう思う。

名残惜しくはあるけれど、長居をしては先に進めない。

紅葉の名所としても有名で、遊歩道も整備されている「屏風岩」。お弁当など持参していれば少し早いお昼に出来たのにね。それにしても・・・今だにお店らしきものに出会え無い😓

訪問日:2015年7月2日

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大桃の舞台 in 福島県南会津町(旧伊南村)

2025年01月20日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

南会津町、旧伊南村大桃居平に鎮座される「駒獄(こまがたけ)神社」の境内に建つ農村歌舞伎舞台「大桃の舞台」

幕府直轄の天領だった江戸時代に農民歌舞伎が行われていた舞台で、現存する農村歌舞伎舞台は、明治28年7月9日の再建。国の重要文化財に指定されています。

江戸時代に隆盛した伊勢参りの際に、江戸で見た歌舞伎を村に持ち帰ったのが始まりと伝えられる「農民歌舞伎」

舞台の間口7.64m、奥行き8.56m。正面上部に破風をのせ、正面の小廂がついた切妻造で、全国でも珍しい兜造の茅葺き屋根。

舞台の中央部は、平舞台より一段高い固定二重二層機構の舞台で、上の二重の前後には唐紙をいれることができます。その奥は二重下の面と同じ高さに床が張られ、楽屋として使用。かっては、舞台上手に張り出してゲザと呼ばれる太夫座が常設されていましたが現在はなくなっています。

大桃の舞台は明治40年まで「習(ならい)芝居=地元の人が演じる地芝居)」が行なわれ、その後は「買(かい)芝居=専業劇団の興行や桧枝岐歌舞伎など他の地域の地芝居のこと)」を上演。昭和30年頃まで、毎年3回の宮籠りにも使用されていました。現在では、毎年8月第1日曜に田島祇園祭屋台歌舞伎などの民俗芸能を披露する「大桃夢舞台」が行なわれるそうです。

目を閉じれば、隈取の顔を高く上げ、大きく見得を切るのは・・あれは弁慶か? 白紙の勧進帳を読み上げる弁慶の後方に静かに座る白塗りの人は義経。 主君を守るため、愛しい我が子に毒見をさせるのは乳母の正岡。震える指先、僅かにおののく口元にその苦渋がにじみ出て、客席はシンと静まり・・やがてやんやの喝さい。

耳を澄ませば、どこからか聞こえてくるせせらぎ、有るか無きかの葉擦れ。時折、甲高く木々を揺らしていく、名も知らぬ鳥の声。他は声も無し・・・

訪問日:2017年7月2日

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ご当地マンホール in 福島県旧伊南村(南会津町)

2025年01月19日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

旧南会津郡伊南村(いなむら)は福島県の会津地方、伊南川流域に位置した村です。只見町、田島町、南郷村、舘岩村、檜枝岐村に隣接。坪入岳、高畑山に囲まれ、中央を伊南川が南北に貫流し、その流域に集落が点在します。352号線を走っていると見えてくる、東北一の高さを持ち、日本百名山のひとつである「燧ケ岳」。登山はからっきしですが、遠目で見るのは美しい。

檜枝岐村から檜枝岐川が、舘岩村から舘岩川が流れ込み、伊南村の南部で合流し伊南川となって村を北上。伊南川の急流が作り上げた屏風岩。武士道を悠久に受け継いできた歴史の史跡、農民文化の歌舞伎舞台など、村域には多くの名所旧跡が残されています。

伊南地区は源頼朝の奥州平定後から、約400年の河原田氏の統治があり文武両道の気風がありました。親から子へ、子から孫へ伊南地区の歴史と 風土の中で息づいた剣士の心は、「剣道の里 伊南」として引き継がれています。

「村の木:イチョウ」「村の花:サクラ」「村の鳥:ウグイス」を制定。

旧キャッチフレーズは「人も自然も輝いています」

明治22年(1889)、町村制の施行により、南会津郡伊南村・大川村が発足。

1955年、伊南村、大川村が合併、新たに南会津郡伊南村となる。

2006年、田島町・舘岩村・南郷村と合併、南会津郡南会津町となりました。

マンホールには「村の木:イチョウ」と中央に枡型、その中に「いな」の文字がデザインされています。

天然記念物「古町の大イチョウ」。樹齢 800年、根回り 16m、樹高 35mで会津で一番の巨木。一気に落葉する時は根雪が早く、まばらに散ると雪が遅いとされ「雪見イチョウ」とも呼ばれています。

昭和48年9月制定の村章は「伊南村の「い」の字を図案化したもので、円形は円満無碍を、下のハネは自然の調和と求心力を、上のハネは内に漲った力が未来に向って限りなく躍進する若さのある村の姿を象徴したものである。」合併協議会資より

「村の木:イチョウ」と銀杏がデザインされた側溝蓋。

撮影日:2015年7月2日

 

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会津田島駅 in 福島県南会津町

2025年01月18日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

南会津町田島地区で毎年7月22日、23日、24日の3日間開催される田出宇賀神社と熊野神社の祭礼「会津田島祇園祭」。「京都祇園、中の津島(愛知)」と並ぶ日本三大祇園祭の一つに数えられ、お祭りの期間中は4つの大屋台が立ち並び、大勢の観光客が訪れるそうです。

会津田島駅舎内に併設された「会津田島ふれあいステーションプラザ」の一画に展示されていた「会津田島祇園祭」の「子供歌舞伎屋台」

静岡県の島田帯祭りの祭礼もそうでしたが、子供だから、ただ可愛い等と考えるのは大間違い。多分、実際に見る事が出来たら、きっと感動で胸熱くなるだろうと思います。

祭礼の紹介で最も興味を惹かれたのが、祭神である『牛頭天皇(素戔嗚尊)』へのお供え物を運ぶ「七行器(ななほかい)行列」。約40名の花嫁たちが、神の来臨を請うため、漆塗りの角樽や曲物などの七つの「行器」にお神酒・赤飯・塩鯖を乗せ、神前に運ぶ神聖なお行列。絵で見ても荘厳で美しい眺めです。

別の場所にあった「七行器行列」の舗道タイル。国指定重要文化財「会津田島祇園祭」。多分、物凄く感動するだろうと思いつつも・・・流石に福島県は遠いです😥

会津田島駅に戻って、「明日への挑戦」と題された銅像。1995年10月の「ふくしま国体」において、レスリング競技会がこの地で開催されたことを記念して設置されました。

駅と言えば電車ですが、かっては日本のどの鉄道にも黒い煙を吐いて走る蒸気機関車の雄姿が見られました。

会津田島駅に情態保存されている「蒸気機関車C11 254号機」。残念ながら実際に運行されているSLには一度も乗車した事がありません。でもこうして改めて見るとやっぱり「カッコ良い」ですね  😍

C11 254号機のすぐ近くに祀られていた「子安観音堂」。8月7日の祭礼日には、駅前広場に櫓が組まれ盆踊りが行われます。

ところでこれ・・・何だと思いますか? 実はこれ「旧田島町の輪郭モニュメント」。高さ10.12mで、1990年10月12日の浅草~会津田島直流電化開業を記念して建てられました。

おや、ピンクの可愛いラッピング電車が入ってきました。「福が満開 福のしま」のキャッチフレーズと共に『んだべぇ・キボッコ・赤べぇ・会津じげん』等々・・見覚えのあるキャラクターが一杯😊

訪問日:2015年7月2日

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堀金家住宅&南泉寺楼門 in 福島県南会津町静川(旧田島町)

2025年01月17日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

南会津町静川風下甲の一画に建つ、登録有形文化財「堀金家住宅(臣の郷)隠居所」

敷地西側、主屋と対になる位置に建ち、建築年代は明治中期頃。2階建・寄棟造・茅葺で南北棟とし、東面と南面に出入口を設け、外観は民家と同様ですが、内部は床・棚を構えた座敷を備えるなど、近代の数寄屋風意匠となっています。

画像右側、母屋の後方に見える土蔵造2階建、鉄板葺の「土蔵」は江戸期(1830-1867)の建築、同じく登録有形文化財の指定。

堀金家住宅は、現所有者が旧農家の屋敷全体を再生し、小・中・高校生の宿泊体験学習用の施設「臣の郷」として活用されています。

堀金家住宅から4分ほど車を走らせた、南会津町静川西ノ沢口乙に門を構える、浄土真宗高田派寺院「松見山:南泉寺」の楼門。参拝は楼門からで失礼させて頂きました。

寛政6年(1794)建立の鐘楼門で、入母屋、茅葺、一間一戸、四脚楼門。江戸時代後期の楼門建築の遺構として貴重な事から2003年に県指定重要文化財に指定。内側に袖壁、上層部には花頭窓、正面中央には「松見山」の山号額が架けられています。

訪問日:2015年7月2日

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奥会津博物館 in 福島県南会津町(旧田島町)

2025年01月16日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

南会津町糸沢西沢山にある「奥会津博物館」。2004年に「奥会津地方歴史民俗資料館」として運営され、2009年より奥会津博物館と名称を変更。歴史、民俗資料の他、自然史等の資料を収集、展示しています。

博物館の東側には昭和63年(1988)にこの地に移築復元された茅葺屋根の古民家「馬宿・染屋・猪股家・山王茶屋」があり、当時の暮らしぶりを垣間見る事が出来ます。

糸沢字今泉平に所在した国指定重要有形民俗文化財「馬宿(旧大竹家住宅)」。享和元年(1801)築の寄棟造・茅葺曲家。下野街道(会津西街道)を自分の所有する馬(1 人 6 頭まで)で、自分の商いの荷など仕入地から目的地まで、駅継ぎせずに行き来した仲付駑者(なかつけどちゃ)専用の宿として利用されてきました。

その昔、ネット友達に「茅葺民家に憧れる」と話したところ、彼女いわく「子供の頃に住んでた家が茅葺で、大人になったら絶対に普通の家に住むと心に誓った!」と力説され、見ると住むの違いを改めて感じさせられました。

通路から見る「旧山王茶屋」の佇まい。

塩江字上坪に所在した町指定重要有形民俗文化財「染屋(旧杉原家住宅)」。江戸時代中期頃より昭和 40 年代まで続いてきた染屋で、屋内には石英安山岩をくり抜いた12個もの藍甕(あいがめ) があります。

本来であれば建物全部を鑑賞したいところですが、予定は目白押し。一か所ごとの移動距離は思った以上に長く、陽のあるうちに予定の車泊地に辿り着く事が難しくなります。

折角の茅葺民家ですが、敷地外からの見学でお茶を濁し、次なる目的地へGO!

訪問日:2015年7月2日

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旧南会津郡役所 in 福島県南会津町(旧田島町)

2025年01月15日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

南会津町田島丸山甲、南会津町の中心市街地を見下ろす愛宕山の麓にたたずむ木造一部2階建ての擬洋風木造建築「旧南会津郡役所」

「「郡区町村編制法」の施行により、明治12年1月、南会津郡が会津郡より分割設置。藩政時代の陣屋が庁舎に用いられた。明治17年会津三方道路が開削され、交通産業経済に大きな発展が期待された。ここに至り郡内の有志は「ソレ本郡既に大道開通シ人智随テ開ケ、郡治上ノ面目モ一変スベキ時機至レリ」として、県に郡役所新築を要望。これが認められ、翌18年工事費7700円(内県費3000円、郡民寄付金4700円)を投じ新築。」公式HPより

大正15年の郡制廃止に伴い、郡役所も廃止。以後、福島県南会津支庁・地方事務所となり、昭和45年田島合同庁舎の落成により合同庁舎隣に曳家移築。「奥会津地方歴史民俗資料館」として利用されてきましたが、同施設の新設により「旧南会津郡役所」に複する事となりました。

疑洋風建築の花形ともいえる二階バルコニー。下見板張りの壁、その左右に並ぶ上げ下げ窓。

見上げる正面玄関、ギリシャ建築を思わせる円柱

玄関扉の上部に輝く扇形のステンドグラス

館内には鴫山城跡や享保5年(1720)の「南山御蔵入騒動」に関する史料などが展示されているそうですが、お目当ては建物だけなので・・・😅

訪問日:2015年7月2日

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ご当地マンホール in 福島県南会津町&旧田島町

2025年01月14日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

南会津郡南会津町(みなみあいづまち)は福島県の南西部に位置する町です。2006年3月20日、田島町・舘岩村・伊南村・南郷村が合併して誕生。大沼郡昭和村、南会津郡只見町、檜枝岐村、下郷町、さらに県を跨いで栃木県:那須塩原市、日光市に隣接。 総面積の95%が森林で占められており、国天然記念物に指定された駒止湿原などの豊かな自然に恵まれています。阿賀川(大川)沿いに国道121号や会津鉄道会津線が走り、町の北東部を流れる檜沢川や高野川に沿って、南郷村に通じる国道289号、昭和村に通じる国道400号、さらに阿賀川の上流では、舘岩村に通じる国道352号があり、交通の要所として位置づけられています。「町の木:ブナ」「町の花:ヤマツツジ」「町の鳥:ウグイス」を制定。

キャッチフレーズは「互いを思いやり、人と自然がやさしさに包まれた、安心と信頼のまち」

マンホールは旧田島町のデザインで「ヤマツツジと鶯」。中央上の自治体章が南会津町章に変更されています。

2006年7月20日制定の町章は「南会津の「み」と、みんなの「み」をモチーフに、豊かな自然の中で元気に躍動する南会津町民を象徴的に表現したものです。橙は南会津町民の暖かい心、青は阿賀川、伊南川の清流、緑は森と大地で、自然の豊かさをイメージしています。」公式HPより

南会津町観光大使『んだべぇ』。食べるの大好きな食いしん坊の妖精。南会津のおいしい特産品が好きになり、いつの間にか住みついていた。笠と雪ぐつを着用しているのは、南会津の寒さを耐え忍ぶため、先人の知恵を借りたらしい。

南会津町産ひとめぼれ「奥会津雪の舞」イメージキャラクターは、『舞ちゃん』。お茶碗の体に真っ白なお米の女の子です。

撮影日:2015年7月2日

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旧南会津郡田島町(たじままち)は福島県会津地方に位置した町です。舘岩村、伊南村、南郷村、昭和村、下郷町、また県を跨いで栃木県那須塩原市、藤原町に隣接。鎌倉時代には長沼氏の所領として田島地域に鴫山城が築かれ、江戸時代には、舘岩・伊南・南郷地域ともに幕府直轄「天領御蔵入」となり、その後も会津西街道の主要宿場町として栄えてきました。

「町の木:赤松」「町の花:ヤマツツジ」「町の鳥:ウグイス」を制定。

旧キャッチフレーズは「自然が満天 人が真ん中」

明治22年(1889)、町村制の施行により南会津郡田島村・檜沢村・荒海村が発足。

1896年、田島村が町制を施行、南会津郡田島町となる。

1955年、田島町が檜沢村・荒海村と合併、改めて田島町が発足。

2006年、舘岩村、伊南村、南郷村と合併、南会津町となりました。

マンホールには町章を中心に「町の花:ヤマツツジ」、その上に二羽の「町の鳥:ウグイス」がデザインされています。

昭和33年(1958)1月制定の町章は「「南十字星」をかたどった「田」を図案化し、南に位置するシンボルと南を指向する意志とを表すものである。」合併協議会資料より

「町の花:ヤマツツジ」のカラー側溝蓋

撮影日:2015年7月2日

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橋場のばんば~ in 福島県檜枝岐村

2025年01月13日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

昨日紹介した桧枝岐歌舞伎の舞台がある愛宕社・鎮守社への参道途中に、「橋場のばんば(おばぁさん)」と呼ばれる石像が祀られています。

ばんばの石仏は、子どもを水難から守ってくれる水神様。ばんばの頭にお椀のフタをかぶせると、どんな願いでも叶えてくれます。

最近では縁結び、縁切りの神様として信仰され、悪縁を切りたいときは、新しいハサミを。良縁で切りたくないときは、サビて切れないハサミを供えるのだとか。

ばんばが座るお堂の入り口左右に奉納された、巨大な糸切鋏。向かって左はギトギトといかにも鋭い切れ味を想像させる鋏。向かって右には、すっかりさび付いてしまった鋏。ご丁寧に刃の部分は鎖で縛られています。

もちろん良縁を大切にしたい方が奉納した鋏には、これでもかと言うように紐が巻かれており、奉納者の想いの強さが窺えて、思わず「ガンバレ!」と心で応援。もちろん、私たちも錆びた鋏みの前で、二人の縁の糸が切れないようにお参りしてきました 😊

「開村者の墓印  明治中頃まで、これより北に住家はなく、この付近は倉や墓石が並ぶ村外れであった。本村集落の北川道脇に、カラマツ(枯死)、桂、黒檜の三本が等間隔にあり、古老の話によると村を開いた人で、南より治部右エ門・勘エ門・勘佐エ門の墓印だと云う。」パネル案内より

橋場のばんばの近く、檜枝岐村下ノ原・国道352号沿いの道端にたたずむ六体のお地蔵様。桧枝岐村は山深い里のため、昔から冷害に悩まされ、とくに凶作の年には餓死者も出る程でした。ゆえに、働けぬ赤ん坊が「まびき」されるという悲惨な行為もありました。この稚児像は、口べらしのために「まびき」された霊を弔い、母の嘆きを慰めるために建立されたものです。🙏🙏

切ない話の後は可愛いカワウソ君の像を

橋の上から見る「伊南川」

桧枝岐村と群馬県との境にある「尾瀬国立公園」。中学の音楽の時間に習った「夏が来~れば思い出す・・遥かな尾瀬~野の小径」のあの尾瀬が、ここからでも行けるのです。と言ってもここからさらに車で走り、シャトルバスに乗り換えて沼山峠を越えて・・・無理!!絶対に!!無理!😱😱

南会津町へと引きかえす途中に見かけた・・・一応「滝」かな。実はこの時、私たち普通の水に餓えていました。手持ちの水筒は空っぽ。予備の水も空。ずっと探しているのに、お店もコンビニも無い。自販機はジュース系ばかり・・どれだけこの水が美味しそうに見えた事か😭😭 

訪問日:2015年7月2日

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檜枝岐神社奉納歌舞伎舞台 in 福島県檜枝岐村

2025年01月12日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

檜枝岐歌舞伎とは関係のない「万里姫」の像で終わった昨日のブログ。二日目は地歌舞伎が演じられる「歌舞伎舞台」の紹介ですが、その前に・・檜枝岐村居平に鎮座される「愛宕神社・鎮守神社」。御祭神は火伏の神として知られる「愛宕神」。参道石段上に鎮座される「鎮守神社」。御祭神は「鎮守神」

毎年5月12日の「愛宕神社祭礼」・8月18日の「鎮守神祭礼」には、境内において奉納歌舞伎が催されます。画像左に見えるのが「檜枝岐の舞台」、右手の建物は2012年に開館した「歌舞伎伝承館:千葉之家」

桧枝岐歌舞伎が演じられる、茅葺きの芝居小屋「奉納歌舞伎舞台」

檜枝岐の地歌舞伎は鎮守神の祭礼に歌舞伎を奉納する目的で上演されるのですが、頂いたパンフレットには「江戸中期の寛政、文化時代から二百年以上の歴史を持つ農民芸能は、かつて村人たちが伊勢参りなどに出かけた折りに見覚えたものが、今日まで伝承されたものです。役者は村人たちで、代々役を継いでいる家も多いとか。近松の名作を昔のままの姿で鑑賞できると遠方から多くのファンが訪れます」

国重要有形民俗文化財の舞台で演じられる、県重要無形文化財の地歌舞伎。そうして、山の麓に建つ舞台を取り囲むように、すり鉢状の斜面に築かれた石積の客席。参道の正面奥に鎮座されるのは「鎮守社」のお社。

最大収容人数は村の人口よりも遥かに多い約1000人。平地よりも数多くの観客を動員でき、また半円状の斜面は音が反射して音響効果も高められる。客席自体が、自然の地形を巧みに利用した最高の舞台装置の役を果たしているのです。

尾瀬会津観光協会のHPによれば「檜枝岐の歌舞伎は元来鎮守神の祭礼に歌舞伎を奉納するという形で上演され、村民もこれを楽しむというものでした。したがって建物は神社に向かって建てられ、拝殿のような形態をとっています。 明治26年の大火で消失し、明治30年頃に再建されたのが現在の舞台です。全村火災という大災害に遭い、当時の貧しい暮らしの中で、村民が総力をあげて作ったと思われます。」

上部に破風があり、前面に廂がある切妻造。軒端の様式はこの地域の民家などにみられる「兜造」で、舞台の上手に座の低い太夫座があり、花道は上演時に設けられます。

舞台中央部に固定式の二重があり、その四方に角柱。二重の前後に唐紙を入れる事ができるようになっており、短い時間に舞台設定を変える事が出来ます。

「歌舞伎伝承館千葉之家」に展示されていた奉納歌舞伎の様子。境内を埋め尽くす圧倒的な観客席の様子に、胸が躍ります。

「歌舞伎伝承館千葉之家」

境内参道に建立されていたのは「袖萩とお君の像」。雪の中、盲目の袖萩が娘のお君に手を引かれ、懐かしい我が家の軒先に立ち尽くし泣き崩れる・・昨日紹介した「奥州安達ヶ原:袖萩祭文の段」の一場面です。

訪問日:2015年7月2日

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