車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

檜枝岐歌舞伎 in 福島県檜枝岐村

2025年01月11日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

江戸時代から村民の手によって受け継がれてきた伝統芸能「檜枝岐歌舞伎」。県の無形文化財に指定されており、毎年5月12日と8月18日に奉納歌舞伎として上演されます。

また、9月の第1土曜日には観光歌舞伎としての上演があり、奉納歌舞伎とはまた違った雰囲気で地歌舞伎の世界を楽しむことが出来ます。2012年には、歌舞伎伝承館が整備され檜枝岐歌舞伎の歴史を学ぶことができるようになりました。

檜枝岐村見通にある「道の駅:尾瀬檜枝岐」に併設された歴史民俗資料館には、村の歴史の紹介と共に、檜枝岐歌舞伎の衣装や資料等が展示されています。

「義経千本桜 狐忠信」・・佐藤忠信に化けた狐忠信さんが追手をやっつけ、見得を切る場面です。

大向こうから「日本一!」の声が飛ぶ場面。旅芝居ならおひねりが飛ぶ場面です(って、古ッ!!! 😅  )

実際に着用された衣装。どの演目の、どの役の方が着用された着物だったのか、確認し忘れました。

演目ごとの「かつら」も展示されています。

写真は「奥州安達ヶ原:袖萩祭文の段」。降りしきる雪の中、勘当された親の家の戸口で、涙ながらに境遇を語る盲目の袖萩。母の身を案じながら健気に母をかばう娘・お君。観客席はし~~~~~んと静まり返り、多分あちこちで鼻をすする音が・・・

これらの資料が展示されている「檜枝岐村歴史民俗資料館」の入口には、万里小路藤原秀房の娘「万里姫」の像が建立され、その手杓からは温かい源泉がこぼれています。「かつて尾瀬沼のほとりに住んだ万里姫は近くに湧く温泉で身を洗い温め雪のように白くモチのように柔らかな素肌美人であったと言い伝えられております。」と言う事で、檜枝岐歌舞伎とは関係のない、檜枝岐温泉のPRでした。 

訪問日:2015年7月2日

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ご当地マンホール in 福島県檜枝岐村

2025年01月10日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

南会津郡檜枝岐村(ひのえまたむら)は福島県の西南端に位置する村です。南会津郡只見町、南会津町。県を隔てて東は栃木県日光市、南は群馬県片品村、西は新潟県魚沼市に隣接。東北最高峰の燧ケ岳等2,000m級の山に囲まれ、村中心部の標高は939m、村役場に隣接した集落の他は面積の98%が山林という峡谷型山村で、平均気温9℃、平均積雪が2m近い県下有数の豪雪地帯です。福島県内で人口が最も少ない村で、日本一人口密度の低い市町村ですが、大正11年(1922) に発電所が新設され、全村に電灯がつき、昭和48年(1973)には温泉が湧出。昭和50年に村内各家庭に温泉が給湯されました。

「村の木:ヒノキ」「村の花:水芭蕉」「村の鳥:コマドリ」を制定。

キャッチフレーズは「尾瀬のある郷「檜枝岐」」

明治22年(1889)、町村制の施行により、南会津郡檜枝岐村が発足。

特定環境保全公共下水道用のマンホールには村章を中心に「村の花:水芭蕉」が四方にデザインされています。

水芭蕉がデザインされた橋の高欄

昭和47年(1972)11月制定の村章は「「ひ」・「の」を合成し、図案化したもの」

設置場所の関係で真ん中部分しか写せなかった制水弁💦

撮影日:2015年7月2日

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JR只見線:会津蒲生駅~只見駅 in 福島県只見町

2025年01月09日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

只見川に影を写す蒲生岳のシルエットに心を残しつつ、続いて訪ねたのはJR只見線「会津蒲生駅」

駅舎の後方に見えるのは標高828mの蒲生岳。そのとがった山容から『田部井淳子さん』が「会津のマッターホルン」と名付けたそうですが、どうだろう? 蒲生岳のなだらかな三角錐と、マッターホルンの鋭く尖った三角錐。私のような山の素人には「そうなのかな?」・・・・😓

それはさて置き、北国の夏は遅いと言いますが、それでも7月ともなれば、人の手が入らないあぜ道は、あっという間に夏草の繁殖を許してしまいます。本来であればこの場所には、摩擦に磨かれた線路が鈍い光を放っている筈なのに、見渡す限りの夏草・・また夏草。

2011年3月の東日本大震災、これに追い打ちをかけた7月の新潟・福島豪雨。只見線は鉄橋の流出や土砂崩れによる線路の崩壊などで、甚大な被害を受けました。

特に会津川口・只見駅間は被害が大きく、只見川に架かる第5、第6、第7の橋りょうが流出したほか、第8只見川橋りょう付近では盛土の崩壊が起きました。豪雨被害から4年後・・・・線路は夏草の侵略を許し続け、手を触れても鉄の感触は伝わってきません。

乗降客の少ない路線、採算の取れない路線の復旧に多額の税金を投じるのは間違っている・・そうなのかもしれません。それでもこんな幟を見てしまうと田舎育ちで世間知らずの私は、やっぱり胸が痛むのです。「つながれ つながれ 只見線」「つながれ つながれ 只見線」

会津蒲生駅を後にして只見駅に向かう国道252号線の途中に見かけた、JR只見線の高架橋。

昭和38年(1963)に完成した会津蒲生駅~ 只見駅間の叶津川に架かる全長372mの「叶津川橋梁」。7月の豪雨災害で叶津川は増水・氾濫しましたが、本橋梁には影響はありませんでした。

見慣れた鈍い色の線路がよこたわる「只見駅」近くの踏切。

駅舎の向こうに小さく見えた「キハ18」

あのホームは現役なのだろうか?只見駅から小出駅までの線路は生きていると聞いたから、ではきっとあの電車は小出駅に向かうのだろう。

見慣れた駅社内の風景。時刻表に路線図。近在のお店の看板・・ああ、間違いなくここは電車の駅なんだと再認識する。

自然首都・只見へようこそ JR只見駅の記念スタンプは山深いトンネルを抜けてくる「キハ18」

福島県の会津若松駅と新潟県の小出駅を結ぶ全長約135kmの「JR只見線」。豪雨災害の後、JR東日本の懸命な復旧作業により、只見線の大部分で運行が再開されましたが、被害が特に大きかった会津川口~只見駅間は2022年9月30日まで、バスによる代行輸送が続きました。只見線を復旧したい・・地元の強い思いはついに実を結び、2017年6月に只見線の復旧が決定。被災から11年2か月となった2022年10月1日、地元の人々の願いを受けて、JR只見線はつながりました。

訪問日:2015年7月1日

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一編の詩~只見川と蒲生岳 in 福島県只見町

2025年01月08日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

只見川と蒲生岳

はるか奥に見えるのは、あれは多分「十島橋」

只見川に立ち込める川霧は刻一刻と姿を変え

眼下の景色を朧に変える

只見川は水鏡となってその美しく尖った山容を映し出す

なだらかな曲線を見せて空高く・・・

なだらかな曲線を見せて水鏡の奥深く・・

天に向かって聳えるその全容が見たくて退けば・・

水鏡は姿を消し、裾野は別の顔を覗かせる

立ち込める川霧の中に浮かび上がる「第八只見川橋梁」

塩沢橋と並ぶのは只見線の鉄橋

痛々しく傷つき、疲れ果ててしまった鉄橋

そこまで見届けて・・私たちは引きかえす。

見送ってくれたのは小さなしじみ蝶

訪問日:2015年7月1日

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ご当地マンホール in 福島県只見町

2025年01月07日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

南会津郡只見町(ただみまち)は福島県の最西端、会津地方に位置する町です。大沼郡金山町、昭和村、南会津郡南会津町、檜枝岐村。さらに県を跨いで新潟県:阿賀町、魚沼市、三条市に隣接。四方を山々に囲まれ、町の中央に流れる伊南川や只見川の流れと、面積の94%を占める豊かな森林資源に恵まれ、わが国屈指の豪雪地帯という厳しい自然環境から生まれる四季の美しい移り変わりが、緑と水の郷・只見の源となっています。

また、戦後には只見川を利用した電源開発事業が大々的に取り組まれ、一大電源地帯として脚光を浴びるという歴史を持ち、さらに古く江戸時代には南山御蔵入と呼ばれる幕府直轄の地に編入されていました。「町の木:ブナ」「町の花:こぶし」「町の魚:岩魚」を制定。

キャッチフレーズは緑と水と心のふるさと………只見町」

明治22年(1889)、町村制の施行により南会津郡伊北村(いほうむら)・明和村・朝日村・南郷村が発足。

1952年、伊北村が改称。南会津郡只見村(第一次)となる。

1955年、明和村と飛地合併、南会津郡只見村(第二次)となる。

1959年、朝日村を編入、町制を施行し只見町となる。

1968年、南郷村大字和泉田の一部を編入。

マンホールには大きく町章、周囲には上から左回りに「町の花:こぶし」「只」「町の魚:岩魚」「見」「町の鳥:鶯」がデザインされています。

昭和43年(1968)10月制定の町章は「明治百年記念事業の一環として制定。三村合併を、只見の「只」の文字に合わせ図案化し、円の構成は融和と円満、外へ開く広がりは未来への発展をあらわしています。」公式HPより

 只見町公式キャラクターは、心優しいブナの精『ブナりん』。ブナ王国の王様で山の精のお父さんと、ブナ王国の女王で水の精のお母さんに大切に育てられました。ブナの木たちや森の仲間たちと話ができる不思議な力をもっています。

撮影日:2015年7月1日

 

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金山町内~あちこちウォッチ in 福島県金山町

2025年01月06日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

金山町中川上居平、「道の駅:奥会津金山」の敷地内に建つ「旧五十島家住宅」。沼沢地区の五十島家が江戸時代中期の宝暦頃に建てたものを現在の場所に移築。原形を残したまま正確に復元したものです。

どこからどう見ても真夏の服装の御亭主殿、東北の雨にすっかり冷え切ったようで、囲炉裏の温もりが恋しい様子😅

「只見線復旧復興募金」。僅かばかりですが、美しい景色を見せて頂いたお礼の気持ちを込めて・・

2011年7月の新潟・福島豪雨で甚大な被害を受け、福島県の会津川口―只見間27.6kmで運休が続いていたJR東日本:只見線。地元の方の念願であった運行が2022年10月1日から再開されたと聞きました。長かった11年、地元の方達を含めた多くの方々の尽力と熱意と執念が実現させた只見線全線復旧・・できるものなら今一度現地に行き、見る事が出来なかった第一橋梁を走る電車を見たかったと心から思います。

国道252号線を隔てた向かいに門を構える曹洞宗寺院「滝谷寺(りゅうこくじ)」。近くに立ち寄ったのもご縁の一つ。宗派の礼儀は存じ上げませんが、二人揃ってお参りさせて頂きました。

石仏様のお顔はこの上なく優しく、私たちに笑みを見せてくれます。

会津川口駅では「カッコ良い」転車台を見学。そこから只見川と平行に走る国道252号の右手にダムを発見!。山道や林道は遠慮したい軟弱者ですが、こんな風に苦労せずにみられるダムは貴重😊。 金山町水沼、阿賀野川水系只見川にある東北電力「上田(うわだ)ダム」ダムマイスターのブロ友さん風に説明するなら、提高 34m。発電用の重力式コンクリートダムで、総貯水量・20500千m3。洪水吐用のローラーゲートは5門。

いわゆる「天端」と呼ばれる道。ダムによっては立ち入り禁止の所もあるようですが、ここは通行可能のようです。止まない雨ですが珍しい景色を見る事ができて、ちょっと得した気分😊

上田ダムを後にふたたび国道252号を走行。ふと見上げた山沿いにJR只見線の「細越拱橋(きょうきょう)」。昭和14年(1939)に竣工されたコンクリート製の8連アーチ橋で、 通称:めがね橋と呼ばれています。

2015年の訪問当時、目に入る只見線の線路はどこも草の浸食が激しく、言葉に出来ない切なさを感じたものです。

金山町滝沢上ノ山の一隅にある「大塩天然炭酸水」。春にかけて湧き出る炭酸水は貴重な軟水にして微炭酸というまろやかな口あたり。今回、とっても楽しみにしていた場所です。後日談ですが、2019年に開催された第14回20ヶ国:地域首脳会合において、ミネラルウォーターとして提供されたそうです。

国内産としては大変珍しい、地下において自然の炭酸ガスがほどよく溶け込んだ天然炭酸水と言う事で「物凄~~~~く!!」期待していたのですが・・・「井戸の水位が下がった為 つるべ等を撤去しました(美味でない)自然のなせる業なので何卒ご了承ください」😱 確かに、ズームで見た井戸には、水の気配が有りません😭 

更に後日談ですが、この記事を書いている2024年現在、井戸は塞がれており、炭酸水を汲む事は出来ません。ただし、近くに取水口が設けられており、そちらで美味しい天然炭酸水を取水できるそうです。

訪問日:2015年7月1日

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第四只見川橋梁 in 福島県金山町

2025年01月05日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

奇蹟の一枚・・・私たちはこの写真をそう呼んでいます。

もちろん、この程度の写真は条件さえ揃えば誰でも写す事が出来ます。雨が降って、それが小止みになった時間にこの場所に立つ。が、私たちがここに立つには高速をフルに使ってノンストップで9時間。初日から予定はぎっしり詰まっている、この場所に上記の条件を見計らってカメラを向けるというのはほぼ不可能。だからこそ私たちにとって上の写真は「奇蹟の一枚」なのです。

金山町水沼にある「第四只見川橋梁」ビュースポット。

少しずつズームを繰り返し、只見川に架かる橋梁に焦点を合わせてゆく。

やがてクッキリと橋梁のアーチが見えてくると、後方の山々は墨絵の様相を見せて景色を彩り出すのです。

只見川の水面から立ちのぼる川霧は、ゆっくりと高さを増し、ふうわりと、これ以上ない優しさで橋梁を包みこむ・・それは幻想的な異世界の景色。

金山町のJR只見線「会津水沼駅」と「会津中川駅」の間、只見川に架かるJR東日本・只見線の鉄道橋「第四只見川橋梁」の水沼只見線ビュースポット。霧の中にくっきりと浮かび上がる水色の橋梁もまた、幻想的に美しい。

訪問日:2015年7月1日

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会津川口駅:転車台 in 福島県金山町川口新町

2025年01月04日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・福島県

金山町川口新町にあるJR東日本:只見線「会津川口駅」・・ですが、今回のお目当ては駅ではありません。

駅舎の窓越しから見る線路・・では無く、その向こうに見える只見川・・でも無く。

お目当ては駅舎を出てしばらく歩いた先にある「手動の転車台」。転車台とは読んで字のごとくで、車体を転回させるための台。決して鉄オタではない二人ですが、機関車とか扇形庫とか転車台が見学できると聞くと、立ち寄らずにはいられないのです😊

何がどうで気になるのかと聞かれても、多分満足な答えはありません。それでもとにかく見学できると聞くとじっとしていられなくて、多少の無理で叶うのなら立ち寄ってしまいます。

転車台の前に待機しているのは・・・窓の円形ワイパーから想像するに、冬でも使えるモーターカー?

鉄道設備が好きというだけで全く詳しくない二人。でここからはどこかで読んだ知識から、こちらの転車台は50フィートの上路式。枕木締結式のバランスト型で、大正四年(1915)の製造だそうです。

これで最上に運が良かったら、機関車が転車する場面を見る事が出来たかもしれませんが、流石にそれは欲張り過ぎ😓

車止め??

贅沢言いません、せめて普通の電車でも・・・なんて、やっぱり贅沢ですよね😅

訪問日:2015年7月1日

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ご当地マンホール in 福島県金山町

2025年01月03日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

大沼郡金山町(かねやままち)は福島県の南西部、奥会津に位置する町です。三島町、昭和村、河沼郡柳津町、耶麻郡西会津町、南会津郡只見町に、また越後山脈の急峻な山並みを隔てて新潟県阿賀町に隣接。町の周囲を800m~1300mの山々に囲まれ、町の総面積の90%が山林地帯。中央部には南西から北東に向かって只見川や、そこに流れ込む中小の河川が深い渓谷を刻み、町の東部には沼沢火山の噴火によって出来た二重カルデラ湖「沼沢湖」が神秘的な景観を見せています。中世には、会津四家の一人「山ノ内一族」の支配にあり、現在の集落はこの頃に形づくられ、江戸時代には尾瀬を含む広大な天領「南山御蔵入」の一角として栄えてきました。「町の木:桐」「町の花:こぶし」「町の鳥:カッコウ」を制定。

キャッチフレーズは「自然の恵みと笑顔あふれるかねやま」

明治22年(1889)、町村制の施行により、大沼郡川口村・沼沢村・本名村・横田村が発足。

1955年、川口村、沼沢村、本名村、横田村が新設合併、大沼郡金山村が発足。

1958年、金山村が町制を施行、大沼郡金山町となる。

マンホールには町章を中心に「妖精」と、「町の花:こぶし」がデザインされています。沼沢湖に残る大蛇伝説から、金山町は「妖精の里」として知られており、毎年8月には大蛇伝説を模した沼沢湖水まつりが開催されます。

昭和41年(1966)3月1日制定の町章は「金山町の「カ」の字を天に、「山」の字を地に図案化したもので、町民の和と積極的に町づくりに取り組む姿勢を表しています。」公式HPより

金山町公式キャラクターは、町の特産品「奥会津金山町赤カボチャ」の妖精『かぼまる』。頭はカボチャ、リボンは炭酸水、身体は温泉を表現しています。

撮影日:2015年7月1日

 

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ご当地マンホール in 福島県三島町

2025年01月02日 08時00分00秒 | マンホール・マンホールカード・キャラ・福島県

大沼郡三島町(みしままち)は福島県会津地方の中西部に位置する町です。昭和村、柳津町、金山町に隣接。尾瀬を水源とする只見川が町の中央を貫流し、冬季には積雪が2m近くなることもあり、特別豪雪地帯に指定されています。町の大部分は森林で典型的な山村であり、町名は旧宮下村にある「三島神社」に由来します。「町の木:桐」「町の花:大山桜」「町の鳥:ヤマガラ」を制定。

キャッチフレーズは「豊かな自然と溢れる人情「桐の里」みしま町」

明治22年(1889)、町村制の施行により大沼郡川西村・原谷村・三谷村・西川村が発足。

1889年、 西川村、原谷村、三谷村が、西川村外二ヶ村組合村となる。

1917年、川西村が、大沼郡西方村と改称。

1942年、西川村外二ヶ村組合村が、大沼郡宮下村となる。

1955年、宮下村と西方村が合併、大沼郡三島村となる。

1961年、三島村が町制を施行、大沼郡三島町となる。

マンホールには「町の木:桐」が対角にデザインされています。

昭和40年(1965)11月3日制定の町章は「三島町の「ミシマ」を図案化し、3文字を組み合わせることによって町民の団結を表し、円は和を、鋭角的な図案は躍進を意味しています。」公式HPより

三島町マスコットキャラクター『みしまる君』は、三島町特産の会津地鶏がモデル。日本一と言われる三島産会津桐の下駄をはき、桐の花の色のはっぴを着ています。

正面からでは会津地鶏なのか、ヒヨコなのか判断がつきにくい・・ので、横から・・・でもやっぱりヒヨコ🐤 マンホール画像が少ないので遊んでみました😅

三島町宮下田中にある「JR東日本 只見線:会津宮下駅」。雨の日に出会う駅舎は、どんなに小さくても古くても、何故かしら温かく感じるもので、それがこんなに素敵な佇まいだと、その思いはより一層強くなります。

ホームから見る雨に濡れた線路・・・こんな景色は昔々の切ない思い出に繋がって、油断したら泣いてしまいそうなレッドゾーン・・

見知らぬ町を車で走り抜けるには、お世辞にも快適と言えない雨の中。それでも見方を変えれば目に入る景色はしっとりと美しく、特別な顔で私たちを歓迎してくれます。

宮下発電所の看板近くにあった「只見川三峡21景」。私たちが出会えるのはこの中のどの景色でしょうね。

撮影日:2015年7月1日

 

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