地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

藤原清登

2011年03月30日 | 音楽・コンサート

  

城下公会堂で開催された「ジャズライブ」、藤原清登のベースに魅了された

今日の最高気温は16度との予報。これまで朝晩はめっきり冷え込み、昼間でも寒い日があったが、やっと春到来という感じだ。この冬は一度も風邪を引かないで過ごすことができた。インフルエンザの予防注射をしたせいだろうか。嬉しい。

 それにしても、早いものでもう3月末。官公庁では年度末、明日からは県議と岡山市議選挙が告示される。時間の流れの速さを感じずにはいられない。そして今日には、岡山でも桜の開花宣言があるだろう。 

 さて昨夜は、藤原清登さんのベースを楽しんだ。これまで何度目かその演奏を聴かせていただいたが、久しぶりであることだけは確かだ。

 そして、昨夜の「ジャズライブ」は「城下公会堂」を会場としており、とても狭い空間で、まさに目の前での演奏であり、たっぷりと楽しむことができた。

 ベースを弾く手の動き、自身で口ずさみながらリズムを奏で、額には流れる汗。それに加えて、若手ピアニストの今井真一朗のピアノ演奏の靴音が重なってくる。まさにライブならでは、しかも狭い空間でだけ味わえる演奏だった。

 少しの休憩を挟んでの2時間、心ゆくまで藤原清登のベースを楽しむことができた。ジャズライブに魅了された素敵な夜を過ごすことができた。感謝だ。

 

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金庫棟完成

2011年03月30日 | 身辺雑記

 

旧日銀を活かす第二弾である「金庫棟」が完成、今日記念式典が開催された

 1922(大正11)年に建設された「日本銀行岡山支店本店」。設計は当時の銀行建築の第一人者だった長野宇平治。2005(平成17)、「大正期の優れた歴史的建造物を公正に残していくため、岡山の文化・芸術の創造的拠点『ルネスホール』」として生まれ変わった。

 そして今日、旧日銀を活かす第二弾である「金庫棟」が完成し、岡山県知事も出席されたその記念式典が開催され私も参加させていただいた。

 さて今回の「金庫棟」、地下に金庫を生かしての「スタジオ」、一階が「ギャラリー」、そして二階が「芸術・文化活動 ワークルーム」となっている。強大な金庫の扉が威風堂々と、来場者を迎え入れる。「さすが日銀の金庫」という感じだ。

 

 私が格別気に入ったのが、地下の「スタジオ」で地元岡山の木をふんだんに使って、とても素敵に設計されている。是非ともたくさんの方々に利用されることを、私も「ルネスホール」の委託管理を引き受けている「バンク・オブ・アーツ」の一員として心よりお願いする。

 これまでのホールに加えて、これだけ素晴らしい「金庫棟」スペースが完成することにより、よりいっそう「岡山の文化・芸術の創造的拠点」となったと言える。

 残るは旧日銀を活かす第三弾の「レストラン棟」の完成である。「金庫棟」が完成して、これで素敵な「レストラン」があればと、多くの方が思ったことだろう。

 第一弾のホール完成に4億5千万円、そして今回の「金庫棟」に2億4千万の費用が投じられて整備されてきたが、最後の「レストラン棟」はそんな大きな費用負担ではない。一日も早い「レストラン棟」の完成を待ち侘びる。

 これまで「ルネスホール」は、とてもたくさんの方々に利用されてきた。今日の「金庫棟」完成を機に、さらにたくさんの方々が愛し利用していただくことを心から願う。

 

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佐川光晴

2011年03月30日 | 読書

 

佐川光晴の二作、西村賢太の作品では感じなかった暗さであり後味の悪さ

 芥川賞を受賞した西村賢太と坪田譲治文学賞を受賞した佐川光晴の著書を、結構読み続けている。西村賢太については、もう何度か書いたので、今日は佐川光晴について書きたい。

 佐川光晴著の二冊を最近読んだ。『縮んだ愛』(2002年、講談社刊)と『とうさんは、大丈夫』(2010年、講談社刊)の二冊だ。この本を読んで、山田洋次監督の『映画館(こや)がはねて』(1984年刊、講談社刊)の一節を思い出した。

 「映画館(こや)がはねて(閉館)、青空を仰ぎながら家路につく観客の胸が幸福な気分でつつまれ、さっき観た一場面を思い返して、おもわず一人笑いをしてしまうような作品(をつくりたい)」というものだ。そんな映画を私は観たいと思う。

 さて、佐川光晴さんとは「坪田譲治文学賞」の授賞式でお会いさせていただき、授賞式後の「トークショー」で、ご自身の文学について語られるのを聞かせてもいただいた。外観も含めて、スポーツ系ののりで語り口も爽やか、とても明るい方という印象だった。

 しかし、作品に関しては、坪田賞受賞作『おれのおばさん』(集英社刊)にはずいぶんと共感したが、今回読んだ二作は陰鬱で正直後味が悪かった。自己破滅型の西村賢太の作品では感じなかった暗さであり後味の悪さだ。

 選ばれている主人公の養護学級を担当する教師、そして児童相談所の職員。どちらも私の問題意識にあう設定だ。ただ、内容的には私の心に残るものではなかった。小説は書き手の問題意識、書きたいことで、その世界は構成される。当然なことだが、改めて実感した。

 私は基本的にはスリラーは一切読まない。映画は日本映画しか観ないように、もうずいぶんと長く日本文学しか読まない暮らしが続いている。

 そうした中で、映画でも文学でも、心が温かくなるようなそんな作品に出会いたいと願っている。

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時間リッチ自由人

2011年03月30日 | 身辺雑記

 

「時間リッチ自由人」の身、昨日は午後の時間を「エスプリ」で過ごした

 このところは外食が続いたが、今日はランチの約束はなく、自宅でお昼を楽しんだ。ただ、午後から「エスプリ」で過ごした。

 「コーヒーに上用饅頭がよく似合う」と、このお店は上用が用意されている。昨日お願いすると「週末限定」だった。やむなく、ケーキセットとした。

 このお店はコーヒーは美味しいものの、「店内で喫煙が可」が玉に瑕だ。その意味では、やはり「畠瀬本店のカフェタイム」が私には心地よい。ただ、自宅から歩いていける範囲が嬉しいのだが、お茶しに行くには、さすがに少し遠い。

 それにしても、田舎に住むのはなかなかに不便がある。以前は「年齢を重ねたら田舎に住む」だったが、今は「年を取ると街中に住む」と変わってきている。

 私も街中に住みたいが、「懐具合」が許さない。豊かにあるのは時間のみだ。「あかれんがクラブ」のある方が、「ハナショー」の自己紹介で「時間リッチ自由人」と書かれていた。私はこれまで「毎日が日曜日の身」と書いてきたが、これからはその方のものを借用して「時間リッチ自由人」と名乗ろうと考えている。ゴメンナサイ、乞うご了解を。

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