昨夜「稲川淳二の怪談ナイト」を楽しんだ、満員の客席から黄色う声が飛んだ
「MYSTERY NIGHT TOUR 2014 稲川淳二の怪談ナイト」は、7月末から10月末まで、全国36ヵ所の会場で開催される。この公演回数は、ホント、半端ではない。そして同時に、チケットが完売となっている会場が多い。スゴイの一語。
岡山では市民文化ホールを会場に、昨日の夜開催された。早くから満員御礼の札が出されて、大入り袋も出されていた。
今回のセットは、昔の映画館。すごくノスタルジックで懐かしいという感じ。そんな舞台に稲川淳二が登場すると、若い女性からの黄色いかけ声も飛んだ。稲川淳二も端から端まで、手を振って応える。スゴイ人気だ。
さて、稲川淳二の怪談話は今回始めて聞いたが、素晴らしかった。同時に、稲川淳二の人柄の良さが伝わってくる語り口だった。人気の程が理解できた。ただ、私的には心霊写真には興味はなかった。私はあくまで、人間の芸に魅力を感じる。
さて終演後、会場を出ると、舞台装置運搬用のとても大きなトラックが待っていた。独り語りの舞台に、これだけの装置を用意。これも人気の秘訣か。ともあれ、とてもいい時間を過ごすことができた。
『両親四人 看送りの記』を読んだ、誰もが納得のいく送りをと心から願う
人間の死は突然やって来る。その後の葬儀・告別式は、あれよあれよという間に、流れていく。私の父の場合がそうだった。昼間、見舞って「退院したら温泉でも行こう」と話をして別れた。
その日の夕方、病院から「来て欲しい」との電話があった。途中車の中で、母は「頼まれたものを忘れたが、次でいいか」とも語っていた。すると、父の顔には白布がかけられていた。、
そして、すぐさま葬儀の用意。私の住む地域でよく利用していた葬儀社に依頼。その頃、地域で祭壇を購入して共同利用することになり購入したばかり。父はそれに関わっており、私はその祭壇を利用することとした。
そして、葬儀後霊柩車が来て、驚いた。目を見張った。これほどボロイ霊柩車があるのかと思える程に、まさにオンボロの霊柩車が自宅前に止まっていた。
異議を唱える間もなく、その霊柩車で斎場へ行った。もちろんというか、骨壺も全くお粗末なもの。そう言えば、そうしたことは一切話をしていなかった。祭壇を利用しないと言ったことで、その後の細かい打ち合わせはなかった。立派な生花や花輪だけは、とてもたくさん届いた。
その夜、悔しくて泣いた。父に申し訳ないと思った。ただ、父が関わった祭壇を利用したことだけが、わずかに私を慰めた。その葬儀社は今も、立派な看板を掲げて営業している。
さて、長濱晴子さんは看護師で重症筋無力症と癌を煩い、夫・直志は二度の癌手術や敗血症で入退院を繰り返してきた夫婦。その二人が4人の両親を「『自信を持って看送れた』と思えるまでに努力と実践を積み重ねた20年の足跡(「はじめに」より)」を書いた、二人の共著『両親四人 看送りの記 父母からの最後の贈り物』(文藝春秋企画出版部刊)。
長濱晴子さんも、最初の義父の死後の葬儀で、「世間一般の風習に従って、あっという間に終わった。しかし、悔いの残る見送りとなった」という。そして、その不本意な「見送り」の経験から、その後は納得のいく「看送り」をと、心に誓ったとのこと。
「両親の死を改めて自分流に考えることなしに、世間一般の流れに沿って済ますが『見送り』であり、(中略)いろいろ考え、自分の考えを貫くのが『看送り』(本の表紙の「見返し」より)。「家族の年表」や「四人の両親の生き方・死に方」を表にして、巻末に掲載されている。
私は、私の死後は戒名や葬儀は不要、誰にも知らせず家族だけで見送ってもらうこととしている。死後の問題は悩ましいが、今は逝き方や葬儀について家族などで語られることも多くなった。超高齢化社会故か。そんな中、誰もが納得のいく「送り」であってほしいと心から願っているのだが・・・。