大阪杯といえば、なんたって92年のトウカイテイオーだ。まだGⅠに昇格する前であり、テイオーも春天のステップにこのレースを選んだ。
ダービー後に故障が発覚し、菊花賞を断念、実に10カ月ぶりの実戦である。鞍上が岡部に替わり、新たな挑戦が始まる。
無難にスタートを決めたテイオーは、馬なりで楽に3番手をキープし直線へ、岡部はゴーサインを出す素振りすら見せないが、テイオーはまるで自らの意志でそうしたように楽に前の2頭を捉え、先頭に立つ。岡部はただ乗ってるだけで、ステッキを一度も入れることなく、後続を寄せ付けない、まるで父ルドルフを彷彿させる圧巻の復帰戦だった。デビューから7連勝、まさに栄光の第二章の幕開けに相応しい勝利だった。
しかし、それはテイオーにとって栄光どころか、波乱に満ちた奇跡のドラマの始まりだった。長距離の王者として君臨するメジロマックイーンを押さえ、1番人気で迎えた春天本番では、マックイーンとの一騎打ちというシナリオは無残にも崩壊、テイオーはいいとこなしの5着と初めて敗戦を味わった。レース後またも、故障が発覚し、再び休養を余儀なくされる。
復帰戦は半年後の秋天だった。ここでも1番人気に推されるも、結果は7着、本来のテイオーは影を潜めてしまった。
それでも、周囲の心配をよそに果敢にジャパンカップに参戦する。その大舞台で、テイオーは脚元に不安さえなければ、俺は負けないのだと言わないばかりの見事な復活劇を見せた。
当時のJCはまだ外国馬が幅を利かせていた時代で、1番人気はユーザーフレンドリー、2番人気がナチュラリズム、3、4番人気も外国馬で、テイオーは日本馬最上位の5番人気だった。そこで、テイオーはナチュラリズムを完封して見せたのだ。ちなみに、このJCで初めてテイオーの馬券を取らせてもらった。後にも先にも最初で最後のテイオー馬券だった。当時の心境は、今でも覚えている。穴党を自負していただけに、強すぎるテイオー馬券の対象ではなかったが、人気を下げた今が買いと言う自信の勝負だった。思いっきり留飲を下げたことは言うまでもない。
しかし、またまた断然の人気で臨んだその年の有馬記念で、テイオーを三度目の悲劇が襲った。ちなみにその時はメジロパーマーから馬券を買っていた。しかし、JC組を嫌ったばかりに万券を取り逃した。それもあって、テイオー故障のショックは半端なかった。
それから一年後、前日の深酒がたたり、馬券を買えずに有馬をテレビ観戦。画面に映るテイオーを見て、勝つと確信した。今ならネットで買える馬券も、当時は電話口座が無ければ買えなかった。それでも、奇跡の復活劇を見せてくれただけで満足した。今でも一番好きな馬はと問われれば、トウカイテイオーと即答する。
そんなテイオーの奇跡の物語の始まりは、ケガからの復帰戦となったあまりにも強すぎる大阪杯ではなかったか。
GⅠに昇格して久しい大阪杯だが、今年はジャックドールの復活に賭けるつもりでいる。
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