21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

12.8AKB48と大詔奉戴日

2014-12-08 23:00:33 | 雑記帳

 12月8日になると、毎年思うことは今日は大詔奉戴日であるということだ。

 1941年12月8日の太平洋戦争開戦の「宣戦の詔勅」公布にちなんで、翌年1942年1月8日から、大政翼賛の一環とする国民運動として、毎月8日に終戦まで実施されていた。

 戦後は12月8日は大詔奉戴日とする習わしが国民の間に長らく定着し、開戦にひっかけて商店街などで歳末大売り出しが始まる日として恒例化していたが、さすがに近年は風化した。たぶん、大型スーパーや百貨店の商戦がヒートアップし、売る出し日が早まったことが原因だろう。

 私が小学校高学年の頃は、国家公務員のボーナス支給も重なり、12月8日に商店街の大売り出しの折り込みチラシが入るなど、結構気合いが入っていた。いつからそんな風習が無くなったのか定かではないが、今では右翼の方々以外は、話題にすら上らなくなった。

 私にとって大詔奉戴日とはまさしく、懐かしい売り出しの日という記憶に過ぎず、それ以外の思い入れはない。ただただ幼き日の思い出に過ぎないのだ。だから、12月8日を国民の日にしろという一部の方々の意見には関心もなければ支持もしない。

 ただ、戦争という歴史だけは絶対に忘れてはいけないと思う。その意味では、大詔奉戴日という大政翼賛運動があったという事実も歴史として残るべきで、今日のように全く話題に上らない世の中もどうかと思う。

 だから、私は毎年12月8日になると意識して大詔奉戴日を思い出すのだ。

 若い連中にとってはAKB48が誕生した日であり、1年後に高橋みなみ卒業する日という特別な日かもしれないが、大詔奉戴日という歴史も記憶にとどめて欲しいものだ。

 

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総選挙は猿芝居、一票は木戸銭じゃねーか

2014-12-04 19:39:26 | 政治にモノ申す

 「有権者のみなさまに丁寧にご説明申し上げたい」

 選挙中の演説でよく耳にするフレーズだ。

 今回の総選挙では「何のための選挙なのかわからない」という有権者は多い。これに対し与党のの候補者は「丁寧にご説明申し上げたい」と言う。

 これはおかしい。まったくおかしい。国民が理由を説明されなければ分からない選挙など愚の骨頂だ。本来、選挙は有権者のニーズに応えて行われるものでなければならない。有権者が望んでもいない選挙に、莫大な税金を使い、投票に行こうなどと、有権者をばかにするにも程があるというモノだ。

 こんなバカげた総選挙の情勢を相も変わらず垂れ流すメディアもバカ野郎だ。小選挙区でも自民が優勢、与党が過半数を超える勢いなどと序盤戦の情勢を報道したが、所詮国民が望んだ選挙ではない、そんなことはなっから分かり切った事ではないか。

 現在の政情は政権にノーと言ったところで、それに代わる政権が存在しない。その時点で、総選挙の意味はないに等しい。

 早晩、安倍政権は一気に下降線をたどる。その時期が約束されている増税後なのか、増税の前なのか、いずれにしてもアベノミクスの恩恵とまったく無縁の国民の生活が一段と厳しさを増す来年がその時期だ。

 それを見越して、安倍首相は解散に打って出ただけの話で、そもそもこの選挙に大義などないのだ。解散直後は野党各党が身勝手な解散とブーたれたが、いざ選挙が始まると猿芝居を真剣に糾弾する政党も政治家もいない。

 私が住む北海道はまさにアベノミクスの煽りを食い、生活は苦しさを増す一方だ。しかし、候補者は国民が望みもしない選挙に異議を唱えるどころか、与党も野党も躍起になって安倍政権が仕掛けた猿芝居の役者と化している。こんな選挙に投票するのは、まさに木戸銭を払うようなものだ。

 かといって候補者にはクソみたいな木戸銭でも、有権者にとっては貴重な一票だ。だから下手な役者に投票する気はない、怒りを込めて白票を投じるしかない。

 

 

 

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石田ゆりが松嶋菜々子に見える「さよなら私」

2014-12-02 22:52:49 | 雑記帳

 毎週NHKの「さよなら私」を見ている。2回目から見ているのだが、最初の頃、ともみ(永作博美)の親友であり夫の不倫相手であるかおる(石田ゆり)をてっきり松嶋菜々子だと思って見ていた。エンドロールで違うことを知ったのだが、それから何回見ても何故か松島奈々子に見えるのだ。今日も見ていて、石田ゆりが松嶋菜々子に見えて仕方がなかった。

 がきの頃、死んだオヤジちょうど今の自分より若干若かったと思うが、TVを見ていてしょっちゅう役者を見間違えていた事を思い出した。自分もそんな年になったのかとも思ったが、どうもそれだけではない気がする。何故なら、違う分かっていても、似ていると思えるのだから。

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