tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「令和の改革」が必要になって来た

2024年01月22日 16時42分56秒 | 文化社会

昔の日本でしたら、今年劈頭の能登の災害は「天が怒っている」と考えたでしょう。沖縄の辺野古では県民の意思を無視して粛々・着々と進む軟弱地盤補強工事、能登では現地の人達は天を仰ぎつつ天災の不運に耐える辛苦の毎日です。

今の日本では、こうした極端に鮮烈な対比が「天の意思」と考えなくてもよいのかもしれません。こうした今の科学では「偶然」として見過ごすような自然現象を、かつってのにほんでは「天の意思」と受け取り自らを省みる文化がありました。

そしてそれが、権力者の行き過ぎた権力の乱用を許さないという権力者への自戒の圧力、更には優れた社会的な意識や行動に繋がっていたことは、人間の知恵の深さを感じさせるものではないでしょうか。

「小人玉を抱いて罪あり。」選良の先生方を小人と例えては恐縮です。これは諺です。「権力は腐敗する。」という諺は洋の東西を問いません。

罪や腐敗を防ぎ、新しい人々が新しい思いで国造りに励むことの繰り返しが進歩発展を生むのでしょう。徳川260年の歴史なかでも3回の改革が行われています。

技術革新のない時代、今でいえばGDPは増えません。権力が無駄をすれば幕府の財政は保ちません。「倹約令と新田開発」の享保の改革(1716)、「不作・凶作に備え備蓄」を図った寛政の改革(1787)、「インフレ対応」の天保の改革(1841)です。

こうした改革があって、260年に及ぶ幕府の存続に貢献したという事でしょう。天保の改革はマネー経済の発達と貨幣発行のバランスの問題の理解不足が社会の混乱につながり、外国船の来訪もあって幕末に突入、国際情勢の変化に幕藩政治が対応できず明治維新という大改革になったのでしょう。

つまり、国という社会は、統治者を必要とするのですが、統治者は、「権力は腐敗する」の原理や、時代の変化に対応できず、改革が必要となり、改革が成功して社会が安定し進歩するというサイクルを繰り返しているのです。

戦後の日本を見れば、戦後の政財界を背負ったのは40代ぐらいの若い人たちでした。この清新の気迫が、抑圧された軍国主義から新たな平和と民主主義の社会をめざす、国民の真摯な努力に支えられて高度成長の実現につながったのでしょう。

しかしこの間権力を維持した自民党政権は、長期化と共に驕り高ぶり、1985年のプラザ合意による円高の本質の理解も怠り、その後は政権維持が目的という時代に入ってしまったようです。

この傾向は安倍政権以来急激に高まり、マネー経済と天保銭の増鋳(赤字国債増発)、新たな黒船を受け入れ、カジノもミサイルもという、明治維新の自主性もない民意と離れた支持率の極端に低い日本になりつつあるようです。

徳川時代の改革は老中がやったのでしょうか。今の日本の改革は誰がやるのでしょうか。今の日本は民主主義国ですから、矢張り国民がやるのでしょう。その手段は現実には「選挙しかない」のです。今の日本人は、能く必要な改革をやり遂げることが出来るでしょうか。


「人口8千万人、安定・成長国家」:「人口戦略会議」が提言

2024年01月15日 15時49分18秒 | 文化社会

人口戦略会議というのは、前日商会頭の三村明夫氏が代表を務める民間経営者、学者などからなる民間団体です。

この「人口戦略会」が提言書「人口ビジョン2100-安定的で、成長力のある『8000万人国家』へ-」を発表,新春早々岸田総理に提出しました。

 

この背景にあるのは政府(厚労省)の出している日本の人口の将来推計で、良く知られているのは、2100年には日本の人口は6300万人と今の半分になるという事でしょう。

勿論政府は人口減少には危機感を持っていて、岸田総理も少子化対策は重視していて子育て予算倍増を目指すなどの政策を掲げていますが、矢張り最優先は防衛予算倍増のようで、これは戦争に巻き込まれ、若者の命が失われる事にも繋がるものです。

そういう中ですから民間の確りした組織が政府に圧力をかけないといけないのです。政府が独断で何でも閣議決定すませては困るので、純粋の民間組織が、国民の立場から政府に提言をするというのは大変良い事だと思っています。

人口の規模というのは、国家の最も基本的な枠組みですから、その具体的な指摘がされた事は最も大事な視点だと言えると思います。2017年の春闘の際だったかと思いますが、労使が共に、人口減少を逆手にとって良い国づくりを考えようと指摘したことがありましたが、今回はさらに一歩前進です。

提言の骨格としては、2100年に合計特殊出生率2.07(人口安定レベル)を目指し出生率の上昇のプロセスを示し、その間人口減少の中でも人口の質的強靭化、多様性を持つ成長社会を目指すという観点です。

そのために豊かで幸福度の高い社会(次代の子供を産み育てる気になる社会という意味でしょう)、そしてそのために必要になる効果的・効率的な社会政策・国土政策などを解り易く述べている感じです。

考えてみれば、プラザ合意で円高にされてから、バブルをやり、崩壊し、コスト不況を乗り切ったと思った途端にリーマンショック、黒田バズーカで円安に戻しても、アベノミクスの迷走という政策の失敗続きで疲れ果てた日本人に展望を与え活を入れ、政府には、もう政策の失敗は許されないぞという檄を飛ばした提言ではないでしょうか。

このブログでは、「政府が駄目なら民間で」と書いて来ていますが、こうした国民の心を掴む民間レベルの真剣な提言が種々の分野で続出する事が望まれるところですし、それが、政府の「(勝手に)決める政治」が、いかに日本を貶めてきたかを、今後の日本のために明らかにすることを望んでやまないところです。

この提言が生きて効果を発揮するプロセスは、カネまみれの政治貴族に堕した政治家が民主主義国の政治家に生まれ変わり、国民が国家の主権者であることを改めて認識し、誇り高き主権者に成長するプロセスでもあるのではないでしょうか。

(tnlaboでは、人口1億~8千万人で安定を目指すぐらいでもと思っています)


年末年始の行事と日本の食文化

2024年01月08日 15時48分42秒 | 文化社会

今日は成人式の月曜日です。祝日を月曜にもってくるハッピーマンデー制度で、成人の日が鏡開きより早く来ました。成人の日、海の日、敬老の日、スポーツの日の4祝日が月曜日になりました。3連休を楽しもうという趣旨でしょう。その結果、結構なことに、鏡餅が成人の日にも飾ってあります。

話が初めから横道にそれてしまいましたが、本題は年末年始の食べ物に関する行事です。年末年始の食べ物に関わる行事と言えば、

冬至にはカボチャを食べましょう

年の暮れには餅つきをしまし、鏡餅を飾りましょう

おせち料理も作りましょう

大晦日には年越しそばを食べましよう 

新年の三が日はお屠蘇(元旦)と雑煮で祝いましょう

おせち料理を食べてゆっくりしましょう

1月7日には七草粥を食べましょう

11日は鏡開き、鏡餅を割って食べましょう

日本の年中行事は健康を意識したものが多いようですが、この中で見ましても、冬至のカボチャは、冬になって野菜の摂取が少なくなるので黄緑色野菜の代表のようなかぼちゃでビタミンの補給を心がけます。餅をつくのは、正月はゆっくりと体も気分も休めるように保存食を用意し、神前にも備えます。おせちも日持ちの良い料理を纏めて作り保存の効く重箱に詰めるのです。

年越しそばは忙しい大晦日の夕食をファーストフードの蕎麦で済ますというのと同時に、江戸では白米食によるビタミンB1不足を補う意味もあったようです。

元旦の屠蘇は多様な薬草を含む健康願望の意味も大きく、1月7日の七草粥は、保存食の続いた正月の食事に新鮮な野草でビタミン補給と同時に、胃腸に優しい粥でという意味が大きいようです。

そんな伝統、年中行事、生活習慣があるので、欧米に比べて肥満が少なく、平均寿命が長く、高齢者の就業率も高くなっているのかもしれません。

ところで、鏡開きは神前に供えた鏡餅を神様のご加護とともに頂くのでしょうが、この頃になると、餅には青カビが出て来ます。この辺で食べないと、という知恵でしょうか、そこで落語を1つ。

昔の話ですが、林家木久扇が弟子だったころ師匠の林屋彦六に、カビの生えた餅のカビを削れと言われ、面倒くささについ愚痴が出て、「何でこんなにカビるんでしょうねぇ」と言ったら、師匠の彦六が一言「早く食わねえからだぁ」・・・。お後が宜しいようで、


喧嘩両成敗:日本の知恵

2024年01月06日 12時04分15秒 | 文化社会

ケンカ両成敗という言葉が日本にはあって、大変便利に使われています。

「お兄ちゃんが僕のお菓子を取ったから、僕はお兄ちゃんの本にマジックでバツ印を書いたんだ」というような兄弟げんかの時、親は「喧嘩両成敗ですよ。2人とも謝りなさい!」といて決着をつけるのです。

子供は両方とも、自分のやったことは「悪い事」だという事は解っていますから、それぞれに不満はあっても、それで納得してケンカは収まるのです。

この考え方を、日本以外の所で披露しても、なかなか理解されないようです。先に弟のお菓子を取った方が悪いとか、大事な本のマジックでバツ印などマジックは消せないのだからもっと悪い、と言い始めると収まるものも収まらなくなります。

ハマスとイスラエルの問題を見れば、仕掛けたのはハマスで、それを契機にハマスを殲滅するまで戦うというのがイスラエルです。そしていずれの側でも、関係ない一般人が多く犠牲になっています。しかし「両方悪い」という発言は聞かれません。

現実は「両方悪い」といった立場は取らず、主要国でも「どちらかを支援する」という立場をとるという事になるのです。その結果は、世界を二分する形になり、紛争はますます収まりにくくなります。

この違いはどこから来るのでしょうか。それは、日本の対立があれば融合・習合を考えるという伝統文化と、宇宙は神と悪魔の対立とする二分論の宗教・文化から来るという意見もあるでしょう。

しかし、文化や宗教の違いを論じてみてもそれで平和が訪れるわけではありません。少数の独裁者の意思で対立が起き、平和を望む多くの人が犠牲になるという現実は、人間社会の在り方としても極めれ不条理なものです。

現に国連は戦争を続けるべきではない、停戦こそが望ましいと言っています。しかしそれが聞き入れられないのは少数の独裁者の意識が二分論を信奉しているのでしょうか。

相戦う二分論のリーダーたちは、どちらも、自分は神の下にあり、相手は悪魔の僕だと信じているのでしょうか。それでは争いは絶えず、人類の繁栄を願う神の意志にも反するでしょう。

狭くなった地球、接触の機会の多くなった人間同士、平和共存の知恵の必要性はますます高まるでしょう。

そうした中で平和を願い、「戦争(喧嘩)そのものが悪」とする思想は世界のより多くの人々に共通な理念となっているのではないでしょうか。

そうであってみれば、日本人の育んできた知恵である「喧嘩両成敗」という考え方は、世界に平和を齎す重要な社会規範として、世界の文化の中に広め、広く共有されるように、日本としては積極的に努力すべきではないでしょうか。


天災と人災

2024年01月05日 11時48分44秒 | 文化社会

人類はその誕生以来、天災と戦ってきました。生存のためには多様な災害と戦って防いできたのでしょう。

地震や洪水、旱魃もあれば、猛暑や極寒もあったでしょう。地球上のどこに住むかも大事な問題で、住みやすいところを探して、ホームランドであるアフリカから南米の南端まで随分早く到達しています。

その他、これは天災というべきかどうか解りませんが、猛獣や毒蛇などの天敵も沢山いました。人間が蛇を嫌うのは、その時の思いが海馬のどこかに残っているからだという話も聞きました..

それから10万年単位の年を経て人間は、天災に対する防御の方法をいろいろと工夫し、改善進化させて、安心して平穏な生活が出来るようになって来たのではないでしょうか。

寒さや暑さ、旱魃や水害、地震や雷に対しても、治水や潅漑、地震に強い建築や避雷針など様々な天災に対して人間でなければできない技術革新を駆使して防御の可能性を広げて来ました。

 

そして人類は平穏に安全に、安んじて暮らせることになったのでしょうか。残念ながら、そうなっていないのです。

人間は、自分の手で災害を作りだすようになってしまったのです。それが人災です。人間の「競う心」が行き過ぎて「争う心」「戦う心」に変わった時、人災は起きるのです。

自分より優れた相手.がいたら、自分も負けないように頑張ろうと考えるのが「競う心」でしょう。それが、相手を倒せば自分が一番と考える時「争う心」が生れます。

小は個人的なものから大は国同士のものまで規模は拡大し、それに天災対応で進化した技術力を活用して大規模な破壊の実行、戦争という段階にも至ります。

歴史的に見れば、こうした形での人災は、技術革新の進展に合わせてますます巨大なものとなり、原爆の開発に至って「核戦争による人類破滅の可能性」まで言われるようになっています。

 

考えてみれば、人間とはいかに愚かなものかという感慨を深くします。当初天災の影響を最小限に食い止めようとして積み上げてきた技術を活用して、人間が人間に災害を及ぼす「人災」の規模を益々大きくして来ているのです。

天災、つまり自然災害が不可避でることは、人間はその発生以来の経験で熟知しています。そしてその防御に努力する事が最善と考えその結果が人間の生活の向上になって、人間社会を素晴らしいものに作り上げてきたのでしょう。

それをどこで間違えたのでしょうか、人間の手で作り上げたものを人間の手で壊すのが人災、就中「戦争」です。そして人災は怨念を生み、往々にして報復の連鎖を生んで永続化するのです。

 

今や人間にとって、天災より人災の被害の方が大きいのではないでしょうか。人間とはなんと愚かの者という感じを強くするのですが、人災を起こすのは、ほんの一握りの年限で、大多数の人間はその被害者です。

若し人災を起こすエネルギーを天災の防御に活用すれば、人災による被害ななくなり、天災への防御は一層高度なものになりうるのです。

 

この一握りの人たちの考えを正せば、人間社会はマイナスのエネルギーをプラスのエネルギーに転換することで二倍のスピードで改善進化する事が出来るでしょう。

これこそが人間が今、自分たちの経験から学ばなければならない事ではないでしょうか。


イスラエルに民主主義の危機、

2024年01月03日 22時10分24秒 | 文化社会

新春早々イスラエルで民主主義の危機というニュースです。ハマスを殲滅するまで 戦争を続けるためには政府が独裁的な権力を持たなければならなという立場から、イスラエル政府が昨年7月に可決した最高裁の権限を制限する「司法制度改革法案」、は無効という判決を最高裁が下したのです。

つまり、この法案の通りになれば、政府が何をやっても立法府はチェックできないわけで、政府の独裁的地位を決定的にするものでしょう。

事は基本法(憲法)に相当するレベルの問題で、最高裁は判決文の中で、「司法制度改革法案」は、イスラエルの民主国家としての中心的特性に重大かつ前例のない打撃を与えかねない」と述べているとのことです。

近代国家では「立法、司法、行政」の三権は「分立」というのが常識と考えられていますが、イスラエルの批評家たちにも、裁判所の独立性を無視し、イスラエルの民主主義を駄目にするという意見が多く、国民の大半も反対で、大規模な抗議運動が起きているという事です。

この法案については、アメリカのバイデン大統領もアメリカとイスラエルの関係を危険にさらすものという見解を示しているようです。

ネタニヤフ首相は、ハマスとの戦争を国の総力を上げて行う事が必要といった説明をしているそうですが。ここから明らかになって来るのは、やっぱり戦争を好むのは独裁者なのだといいう現実ではないでしょうか。

国民の大半がこんな戦争はしたくないと思っているのに、「国の総力を挙げてハマスを殲滅したい」というのはネタニヤフの心なのです。そしてそれに反対するものは疎外する。これは独裁者の特徴です。

という事ですが、こうした独裁者をリーダ-として選ばない事が民主主義国家では可能な筈です。それなのに、そういう人を選んでしまっているのです。選んだ人の中でも、後から失敗だったと思う人も大勢いるのでしょう。

問題は、それを防止するためには、何が大事かです。例えば、このブログで書いている「民主主義のトリセツ」のような事をみんなが考えなければならないでしょう。

しかし、この努力を国レベル、つまり国民に全て任せるのではなく、国の在り方について人類の持つ最も高次の機関である国連が理論的な合理性とともに相当程度の具体性、解り易さを以って、世界に明示する事を実行すればどうでしょうか。

マスコミが報道するような、民主主義を揺るがすような問題が起きたとき、あるいは年に何回と決まった時期に、「地球人類の平和と発展のために、国民は独裁者になるような人をリーダーに選ばないように十分注意しましょう」というメッセージを世界に送る事を国連の行事化するのはどうでしょう。やってみて効果が無かったら、もっと良い方法を考えましょう。


2024年(令和6年) 今年はどんな年に?

2024年01月01日 11時33分05秒 | 文化社会

明けましておめでとうございます。

「去年今年 貫く棒の 如きもの」高浜虚子、連綿として、流れていく「時間」に区切りをつけるのは、人間の知恵でしょう。

多くの人は昨年を振り返り、今年はもっと良い年にしたいと気持ちを新たにするのですが、そんなことに関係なく世界のあちこちで戦争や混乱が続いてしまうという残念なことになってしまっています。

誰もが、こうした問題も今年は解決の年であってほしいと思いますが、どうなるのでしょうか。

このブログも出来るだけ早期の解決をと願いつつ、解決と同時に、今後こうして問題が起きないようにしたいという願いも込めて、皆様とともに考えていきたいと思っています。

特に、2つの大きな問題を追いかけなければならないように思っています。一つは世界共通の問題ですが、「独裁者」という存在が生れないような社会システム、基本的には民主主義の成熟によるものと思っていますが、それについての検討です。

もう1つは、これは現在の日本に特有な問題ですが、政府の努力では、どう頑張っても解決しない「自家製デフレ」を今年中には何とか終わらせたいという思いです。

共に市井の一老人の手の届く問題ではありませんが、日々流れてくる情報に一喜一憂しながら、選挙の一票のような感じで、一票も大事なのだと、皆様と一緒に考えていきたいと思っています。

何卒よろしくお願い申し上げます。


「独裁者」:人類社会の最大の問題を考える(続)

2023年12月19日 14時54分19秒 | 文化社会
民主主義のつもりでいたらいつの間にか独裁主義的になっていた。

これは良くあることです。例えばアメリカではトランプ政権が独裁的な色彩を強め、アメリカ社会を分断することになりました。
日本でも、安倍政権の政治姿勢は官邸独裁などと言われましたし、今の岸田政権も支持率23%になっても自分の主張を曲げず、国民の心配を無視しています。

民主主義というのは病気に罹り易いのです。国民が真剣に政権の行動を監視していないと政府の行動は国民の意識とずれてきます。

独裁者になる人は、往々魅力的で、カリスマ性もあり、頼りになるように見え、言葉も巧みです。「頼りになりそう」、「任せれば確りやってくれそう」などと安心しているうちに、独裁者は権力を固めていきます。

独裁者は人々の被害者意識を巧みに利用します。プーチンはNATOがロシアを滅ぼそうとしている」「ウクライナはナチズムだ」とロシアの危機を訴えます。

中国はアメリカや時に日本を敵視して、国内の輿論をまとめ、トランプは中国や日本がアメリカ市場で利益を上げアメリカは損ばかりだ」と言って「アメリカ・ファースト」で支持を掴みました。

日本では、今、中国、北朝鮮の脅威を言っていますが、それを国民がみんなまともに受け止めれば、台湾有事から「新しい戦前」への可能性が高まるでしょう。
幸い日本の世論では、中国との関係は大事にしなければならないという意見が確りありますから、国民は何とか安心していられるのでしょう。

独裁者は通常後継者を育てません(北朝鮮の世襲制は別)。自分が終われば後は野となれ山となれが結果のようでうす。後の国民は大変です。

ところで、民主主義社会のはずが独裁者を生んでしまうといった過ちを防ぐ方法があるのでしょうか。これは結構難しい問題のようです。

人間は時に怠惰で、任せてやってもらえればその方が楽だと思いがちです。この油断を独裁者は巧く利用します。
矢張り、国レベルも含めて、リーダーを選びの選挙の在り方、選挙に対する有権者の真剣な意識が、民主主義の健全化のための必須条件なのです。

このブログでは、それに役立つような「民主主義のトリセツ」が必要と指摘した事は前回、具体的ヒントも含めて触れました。

しかし、これはあくまで「トリセツ」のレベルです。問題の本質はもっともっと深いところにあるのでしょう。
深いというのは、人びとの意識や文化のレベルに関わるからです。国の場合であれば、国民が真面目で、その上に賢明でなければならないという事ではないでしょうか。

日本の国政選挙の投票率の推移を嘗て取り上げましたが、戦後の民主主義社会を作り上げた当時の日本人は、今よりずっと真面目だったようです。今の日本人の50%は、明らかに「油断」をしています。日本の民主主義はすでに病気に罹っているようです。

思い出すのは、戦後の民主主義の導入の国民的動きの中で大変熱心に行われて運動に「ユネスコの目的や考え方を学ぶ活動」があることです。学校でのユネスコ・クラブなどです。

ユネスコ憲章の冒頭の言葉から前回のブログは始まっていますが、ユネスコの精神は平和と民主主義の根幹に関わっています。

ユネスコは本来、「国連教育科学文化機関」United Nations Educational Scientific and Cultural Organization なのです。

象徴的な事象もあります。トランプ大統領の時、ユネスコからアメリカが脱退しました(独裁気質の証明)。バイデン大統領になって復帰を決めています。

出来うれば、ユネスコの活動が、嘗ての日本でのような活発さを取り戻せば、世界の民主主義は一層強靭なものとなり、人類社会は平和と発展中心のSDGsにも叶った姿への人類社会の進路も見えてくるのではないかと思われるところです。

「独裁者」:人類社会の最大の問題を考える(続)

2023年12月19日 14時54分19秒 | 文化社会
民主主義のつもりでいたらいつの間にか独裁主義的になっていた。

これは良くあることです。例えばアメリカではトランプ政権が独裁的な色彩を強め、アメリカ社会を分断することになりました。
日本でも、安倍政権の政治姿勢は官邸独裁などと言われましたし、今の岸田政権も支持率23%になっても自分の主張を曲げず、国民の心配を無視しています。

民主主義というのは病気に罹り易いのです。国民が真剣に政権の行動を監視していないと政府の行動は国民の意識とずれてきます。

独裁者になる人は、往々魅力的で、カリスマ性もあり、頼りになるように見え、言葉も巧みです。「頼りになりそう」、「任せれば確りやってくれそう」などと安心しているうちに、独裁者は権力を固めていきます。

独裁者は人々の被害者意識を巧みに利用します。プーチンはNATOがロシアを滅ぼそうとしている」「ウクライナはナチズムだ」とロシアの危機を訴えます。

中国はアメリカや時に日本を敵視して、国内の輿論をまとめ、トランプは中国や日本がアメリカ市場で利益を上げアメリカは損ばかりだ」と言って「アメリカ・ファースト」で支持を掴みました。

日本では、今、中国、北朝鮮の脅威を言っていますが、それを国民がみんなまともに受け止めれば、台湾有事から「新しい戦前」への可能性が高まるでしょう。
幸い日本の世論では、中国との関係は大事にしなければならないという意見が確りありますから、国民は何とか安心していられるのでしょう。

独裁者は通常後継者を育てません(北朝鮮の世襲制は別)。自分が終われば後は野となれ山となれが結果のようでうす。後の国民は大変です。

ところで、民主主義社会のはずが独裁者を生んでしまうといった過ちを防ぐ方法があるのでしょうか。これは結構難しい問題のようです。

人間は時に怠惰で、任せてやってもらえればその方が楽だと思いがちです。この油断を独裁者は巧く利用します。
矢張り、国レベルも含めて、リーダーを選びの選挙の在り方、選挙に対する有権者の真剣な意識が、民主主義の健全化のための必須条件なのです。

このブログでは、それに役立つような「民主主義のトリセツ」が必要と指摘した事は前回、具体的ヒントも含めて触れました。

しかし、これはあくまで「トリセツ」のレベルです。問題の本質はもっともっと深いところにあるのでしょう。
深いというのは、人びとの意識や文化のレベルに関わるからです。国の場合であれば、国民が真面目で、その上に賢明でなければならないという事ではないでしょうか。

日本の国政選挙の投票率の推移を嘗て取り上げましたが、戦後の民主主義社会を作り上げた当時の日本人は、今よりずっと真面目だったようです。今の日本人の50%は、明らかに「油断」をしています。日本の民主主義はすでに病気に罹っているようです。

思い出すのは、戦後の民主主義の導入の国民的動きの中で大変熱心に行われて運動に「ユネスコの目的や考え方を学ぶ活動」があることです。学校でのユネスコ・クラブなどです。

ユネスコ憲章の冒頭の言葉から前回のブログは始まっていますが、ユネスコの精神は平和と民主主義の根幹に関わっています。

ユネスコは本来、「国連教育科学文化機関」United Nations Educational Scientific and Cultural Organization なのです。

象徴的な事象もあります。トランプ大統領の時、ユネスコからアメリカが脱退しました(独裁気質の証明)。バイデン大統領になって復帰を決めています。

出来うれば、ユネスコの活動が、嘗ての日本でのような活発さを取り戻せば、世界の民主主義は一層強靭なものとなり、人類社会は平和と発展中心のSDGsにも叶った姿への人類社会の進路も見えてくるのではないかと思われるところです。

「独裁者」:人類社会の最大の問題を考える(続)

2023年12月19日 14時54分19秒 | 文化社会
民主主義のつもりでいたらいつの間にか独裁主義的になっていた。

これは良くあることです。例えばアメリカではトランプ政権が独裁的な色彩を強め、アメリカ社会を分断することになりました。
日本でも、安倍政権の政治姿勢は官邸独裁などと言われましたし、今の岸田政権も支持率23%になっても自分の主張を曲げず、国民の心配を無視しています。

民主主義というのは病気に罹り易いのです。国民が真剣に政権の行動を監視していないと政府の行動は国民の意識とずれてきます。

独裁者になる人は、往々魅力的で、カリスマ性もあり、頼りになるように見え、言葉も巧みです。「頼りになりそう」、「任せれば確りやってくれそう」などと安心しているうちに、独裁者は権力を固めていきます。

独裁者は人々の被害者意識を巧みに利用します。プーチンはNATOがロシアを滅ぼそうとしている」「ウクライナはナチズムだ」とロシアの危機を訴えます。

中国はアメリカや時に日本を敵視して、国内の輿論をまとめ、トランプは中国や日本がアメリカ市場で利益を上げアメリカは損ばかりだ」と言って「アメリカ・ファースト」で支持を掴みました。

日本では、今、中国、北朝鮮の脅威を言っていますが、それを国民がみんなまともに受け止めれば、台湾有事から「新しい戦前」への可能性が高まるでしょう。
幸い日本の世論では、中国との関係は大事にしなければならないという意見が確りありますから、国民は何とか安心していられるのでしょう。

独裁者は通常後継者を育てません(北朝鮮の世襲制は別)。自分が終われば後は野となれ山となれが結果のようでうす。後の国民は大変です。

ところで、民主主義社会のはずが独裁者を生んでしまうといった過ちを防ぐ方法があるのでしょうか。これは結構難しい問題のようです。

人間は時に怠惰で、任せてやってもらえればその方が楽だと思いがちです。この油断を独裁者は巧く利用します。
矢張り、国レベルも含めて、リーダーを選びの選挙の在り方、選挙に対する有権者の真剣な意識が、民主主義の健全化のための必須条件なのです。

このブログでは、それに役立つような「民主主義のトリセツ」が必要と指摘した事は前回、具体的ヒントも含めて触れました。

しかし、これはあくまで「トリセツ」のレベルです。問題の本質はもっともっと深いところにあるのでしょう。
深いというのは、人びとの意識や文化のレベルに関わるからです。国の場合であれば、国民が真面目で、その上に賢明でなければならないという事ではないでしょうか。

日本の国政選挙の投票率の推移を嘗て取り上げましたが、戦後の民主主義社会を作り上げた当時の日本人は、今よりずっと真面目だったようです。今の日本人の50%は、明らかに「油断」をしています。日本の民主主義はすでに病気に罹っているようです。

思い出すのは、戦後の民主主義の導入の国民的動きの中で大変熱心に行われて運動に「ユネスコの目的や考え方を学ぶ活動」があることです。学校でのユネスコ・クラブなどです。

ユネスコ憲章の冒頭の言葉から前回のブログは始まっていますが、ユネスコの精神は平和と民主主義の根幹に関わっています。

ユネスコは本来、「国連教育科学文化機関」United Nations Educational Scientific and Cultural Organization なのです。

象徴的な事象もあります。トランプ大統領の時、ユネスコからアメリカが脱退しました(独裁気質の証明)。バイデン大統領になって復帰を決めています。

出来うれば、ユネスコの活動が、嘗ての日本でのような活発さを取り戻せば、世界の民主主義は一層強靭なものとなり、人類社会は平和と発展中心のSDGsにも叶った姿への人類社会の進路も見えてくるのではないかと思われるところです。

「独裁者」:人類社会の最大の問題を考える

2023年12月18日 14時49分07秒 | 文化社会
ユネスコ憲章前文の冒頭に「戦争は人の心の中で始まるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない」という故アトリー英国首相の言葉があることは、このブログでは何回か書いています。

最近の世界の大混乱を見るにつけ、また地球人類の将来を考える時、この大切な言葉をさらに具体的に進めて行かなければならないとつくづく感じていました。

そんなことを考え続けている中で、気づいて来た事を言葉にしてみましたら、こんな言葉になりました。
「戦争や多くの紛争は、独裁者の意思決定によるものであるから、人類社会の持続的な平和のためには、独裁者を生み出さないようにしなければならない」

考えてみれば当然のことですが、地球上の人間のほとんどは平和で平穏な社会の持続的な発展を願っているのです。
この希望を無視・蹂躙し、破壊と殺戮、人類社会の退化を進めるのが戦争や紛争です。

こうした大多数の人々の意思に反する事が容易に出来るのは独裁者なのです。
民主主義が貫徹する社会では、大多数の人々の意見に逆らう事は不可能です。

今、我々はその典型をロシアに見ることがウクライナでは破壊と殺戮、ロシア側でも、多くの若者の命が失われているのです。

目を転じれば、ガザの多くの人達も、大多数のイスラエルの国民も、またミャンマーの国民も、独裁者の意思とは異なり、平和と安定・発展の日々を望んでいます。

振り返れば、日本では、軍部独裁が続いた果てに、その帰結は廃墟になった日本でした。愚かにも、国民は独裁者の嘘に騙されていたのです。日本人はそれを恥じ、それは平和憲法に結実しました。

今のロシアも同列でしょう。プーチンの嘘を信じている人も多いでしょう。気付いている人も多いと思われますが、その声を上げられないのが独裁政治の恐ろしさです。

こうした、多くの人が望まない戦争や紛争を引き起こす独裁者は、いかにして生まれるのでしょうか、独裁者が生れる原因の検討が必要でしょう。

ロシアでも来年は、大統領選挙があり、形は民主主義になっているのです。なぜ、民主主義の下で独裁者が生まれるのでしょうか。

このブログでは、「民主主義のトリセツ」でこの問題を取り上げてきました
民主主義社会の土台になる「選挙」の場で、肝心なことを列挙して、さらに多くの人からの意見を求めました。反応もいただきました。

その中で真っ先に掲げたのは「リーダーの任期には制限が必要」という事です。
現に、多くの国、組織では、リーダーの任期に制限を決めています。

プーチンは、 最初に任期が来た時、腹心のメドベージェフと大統領と総理大臣の地位を交替し、次期選挙で大統領に再選、巧みに長期政権を固めました。そして今、ウクライナ侵攻、ロシア帝国の皇帝を目指しているようです。

最近の事例に鑑みれば、中国では、毛沢東の晩年の失政に学び、国家主席は2期10年までとしていました。しかし習近平は忠告や諫言を退け、3期目に入りました。習近平の独裁者化を心配する声は国内外で大きいようです。国内の声は既に圧殺でしょう。

日本の卑近な例では、安倍総理の例があります。党紀を改めてまで3期を強行、長期政権の中で、「決める政治」の旗印の下、内閣府への権利の集中、閣議決定万能など内政、外交の独裁化が進みました。党組織の金銭的腐敗も進行したのです。

次回も、独裁者の問題を、もう少し論じてみたいと思います

1941年12月8日から今日までを想う

2023年12月08日 16時27分28秒 | 文化社会
今日は12月8日ですね」と言っても、「え、何かの記念日ですか?」という答えしか返ってこない事が多くなりましたが、今日は太平洋戦争の開戦、1941年、日本がハワイの真珠湾にアメリカの太平洋艦隊の撃滅を目指して奇襲作戦を敢行した日です。

明治で大政奉還が成って以来、日本は「富国強兵」を合言葉に列強に追いつくことが悲願だったのでしょう。戦争を繰り返す中で、日本は軍の独裁の国になって来ていました。

「殖産興業」という言葉もあって、これは民間産業界のスローガンでしたが、軍の独裁は、産業も軍事力増強のためという独裁国に猛進したようです。

その最終結果が太平洋戦争突入という暴挙となり、82年前の今日が、軍国主義の軍独裁国家日本の「終わりの始まり」の日となったのです。

1945年の8月15日、日本の国土は廃墟となり、列強の連合軍に降伏、北海道、本州、四国、九州の4島中心の小さな島国の平和国家として生き残ることになりました。

近代国家への道を軍国主義から平和国家に切り替え、それから「本来の」日本としての発展が始まったとこのブログは考えています。
「本来の」というのは、日本文化の起源である1万余年の縄文時代、日本には戦争も奴隷制度もなかったという実証研究をベースにしたものです。

そして、平和、自由、民主主義を是とした日本は、経済・社会の順調な成長発展を記録、世界第2位の経済大国にまでになったのです。

もともと日本人はその環境条件のせいか勤勉でエネルギー・レベルが高いと思われます。因みに、H.G.Wellsも、かつて「世界文化史概観」の中で明治維新以来の日本の発展の速さを記しています。

太平洋戦争開戦の日、当時国民学校の2年生だった子供は、今、卒寿を迎えてブログを書いています。
戦争は勝つと教え込まれ、現実は焼夷弾の下を逃げまどい。食糧難の中で畑を耕し、貧しい暮らしから高度成長期をサラリーマンとして満員電車で通勤し、1人当たりGDP世界ランキング4位に達成感を感じ、そして今、年金生活の老人として、その後の30年の日本経済の沈滞の中で人生の終局に居るのです。

この有為転変は何だったのか、日本という国の失敗と成功が織りなす環境変化の中で、矢張り、何が問題なのか考えてみなければならないのでしょう。

最も深い感慨は、国民の生活は、大きくリーダー次第という事ではないでしょうか。
「富国強兵」を信奉するリーダーたちの長期的存在が国を廃墟に導きました。大正・昭和時代にも石橋湛山のような人はいました。しかしその声は抑圧されるだけでした。

高度成長期のリーダーたちは、平和維持と経済発展に強い意欲を持っていたように思います。戦争の破壊、そして廃墟の実体験から建設と発展への意識の強さを感じるところです。 

2度の石油危機を乗り切って「ジャパンアズナンバーワン」と書かれた日本の針路を狂わせることになったのは中曽根政権の時です。1985年の「プラザ合意」と言われる日本の円高容認要請でした。出席者は竹下蔵相と澄田日銀総裁です。総理と財政、金融の日本のリーダーが認めたのです。もし安易に受け入れていなければ、日本経済は、全く違ったものになっていたでしょう。

しかし、現実は円高容認という経済外交の大失敗で、日本は国際競争力を完全に失いました。その対応策としての麻薬の役割を果たした中曽根政権下の金融緩和→バブル経済、そしてその崩壊によるダブルデフレ。(澄田氏前任の前川日銀総裁のリポートの影響が大きい)

更には、その克服に努力の途上で起きたリ-マンショックへの対応の遅れ(いち早く金融の徹底緩和策のFRB(バーナンキ議長)に対し7年遅れた日銀(白川総裁まで)です。

黒田総裁の異次元金融緩和で日本経済回復かという期待を裏切った安倍政権後の日本のリーダーたちでしょう。
安倍長期政権以来、日本のリーダーたちは、日本経済社会のためより、自己の政権の長期化を優先するようになり、この自己中心主義は急速に政界に拡大したようです。

最後に、こうして到達した現状を見れば、年ごとに零落する日本の国力の現状になすすべもなく、空洞化した政策の看板だけを掲げ、中身の活動は自己の地位と権益の維持に最大の関心という様子が丸見えです。

振り返って、つくづく感じるのは、一国のリーダーの立場というものは、その国の命運を左右する力が「現実にある」という事だったような気がします。

人類の残念、ハマスとイスラエルの争い

2023年12月06日 15時24分31秒 | 文化社会
今回の戦争の発端はハマスが仕掛けたものでしょう。
ハマスは、初戦で、これまでにない打撃をイスラエルに与えたと自らの行動を喧伝したようです。

マスコミ報道ですが、この攻撃で、イスラエル側に1200人といわれる犠牲者があったようです。
勿論軍事力では圧倒的に勝るイスラエルは黙っていません。こうしたことが起きるのであれば、この際ハマスを殲滅し、こん後、こういう事が起きないようにしなければならないと考えたのでしょう。

これは、同じパレスチナという地域に住んでいる人たちの中での喧嘩です。
しかし今やこの隣人同士の争いが、世界中の人々を嘆かせ、悲しませています。

この相互の破壊と殺戮を早く終わらせてほしい、それには即時停戦しかないというのが、世界の多くの人の声でしょう。

しかし、イスラエルは、ハマスの掃蕩、殲滅を目指して、ガザの北部から南部まで地上戦を展開、そのすさまじさに、そこまでやるのはどうかと思う。これでは一般人の死傷者も増えるばかりではないかといった声が強まっています。

ネタニヤフさんにはその声は届かないのでしょうか、それとも、二度と再びこうしたことが起きないようにするためには、ハマスが無くなることが必要という信念なのでしょうか、圧倒的に優位の力で戦争を最後まで続けるようです。

これに対しては、多くの識者から、今、ハマスを殲滅しても、この掃蕩作戦は、将来のハマスを作ることでしかない、という意見も聞かれます。
これは、アメリカのイラク進攻が、ISを生んだという考え方と軌を一にするものでしょう。
歴史がそれを証明しているという指摘もあります。

しかし、我々日本人として考えると、どうでしょうか。
日本は、当時の意識では、国家の存続をかけて、アメリカに戦いを挑み、先ず、真珠湾のアメリカの太平洋艦隊を撃滅を強行、太平洋戦争を起こしました。(そういえば12月8日は明後日ですね).

しかし結局はアメリカの国力、軍事力に抗するすべもなく、国土は焼け野原になり、2発の原爆投下まで経験、廃墟から再起となりました。

しかし、日本人の中に、いつか再び力をつけ、アメリカに仕返しをといった気持を持つ人は恐らくいないでしょう。

その代わりに、戦争は、結局、破壊と殺戮のための行動であって、人類の進歩に逆行する野蛮な行為という戦争への反省だけが確りと残っているようです。

また、コロンビアのように、反政府勢力が、内戦をやめて、政党になり、政府とは野党と与党の関係になり、戦争がなくなって若者が大喜びといったケースもあります。

「報復の応酬」か、「争いの無意味さへの反省」か、戦争は全く違った結果を生むようです。
この違いを生むものは何か。国連も、現状の戦争に関わらざるを得ない国々も、この問題を本格的に検討し、戦争という、惨禍と人類文化の向上への障害を、出来るだけ早く人類社会から無くすべく努力してほしいものです。

三題噺:政治家の世襲、鞄、赤字財政

2023年12月05日 13時24分21秒 | 文化社会
<政治家の世襲>
自民党には世襲の政治家が多いですね。
名前を上げればきりがないので、ここでは上げませんが、特に大臣クラスになると総理大臣を始め世襲が多いようです。

昔から、地盤、鞄、看板などという三題噺のテーマのような言い方がありますが、確かに世襲であれば、名前(苗字ですね)は聞き慣れていますし、選挙区では「親御さんは偉い人だった」というイメージは広く定着しています。

大体政治家は地元には親切ですで、悪い印象を与えないようにしているようですから、名前も知らない人より親近感があるような気がしているというのは、一般的でしょう。

「親の七光り」という言葉は、場合によっては揶揄のような場合もありますが、日本人には素直に受け入れるという面もあるようです。

多分これは、藩幕政治からの伝統で、やっぱりお殿様は偉くて、その血筋ならという無意識の感情もあるのでしょう。

企業ですと、今は世襲より実力という事がかなりはっきりしてきていますが、政治家の場合は、当選何回、大臣経験といった事が判断基準のようで、実力の方はあまり見えてこないのが現状でしょう。

<鞄>
鞄は資金力です。昔は「井戸塀政治家」などという言葉がありましたが、やっぱり資金力がなければ当選も難しいという事で、そういう政治家はいなくなったようです。

お殿様であってみれば、鞄は膨らんでいるという事のようで、これは地域には支援する人達もいますし、政治家はそうした人達を大事にしますから、世襲の場合には有利です。

巷では世襲の政治家が増えるのは、政治家をやれば、井戸塀どころか鞄が膨らむからという見方もあるようで、これは勿論与党であることが条件かも知れませんが、それなら、親の仕事を継ぐのが最も有利という事にもなるようです。

あんまり世襲が多いので、政治家の収入をもっと減らせといった意見はいつもありますが、政治家の数も収入も政治が決めるのですからなかなかそうはいきません。

しかも、法律で決める収入だけが収入ではなくて、この所もバレてしまったように、いろいろと収入を増やす方法があるようです。

<赤字財政>
この30年ほど次第に貧乏になっている日本ですが、そんなに金があるのですかという事になりますと、実は政治のためのカネはどんどん出て来るのです。

答えは簡単で、赤字国債を出せば良いのです。今度の13兆円余の補正予算も7割ほどは赤字国債でしょう。

赤字国債で、国民のためにと政策を打ち出すと、喜ぶ人、恩義を感じる人もいるわけで、与党の先生を支援しようと政治献金が集まるのでしょう。

その行く先が、必ずしもはっきりしていないという事が今問題になっているようです。
まあ、そんなことで・・・
赤字国債が世襲政治家を増やすという「桶屋哲学」の一席。 お後が危ないようで!

自由享受には知恵と努力が必要

2023年12月01日 14時14分04秒 | 文化社会
歴史的に見れば、人類社会は自由を求める方向に進んで来ているのでしょう。その理由は、人間は本来、不自由は嫌いで、自由の方がいいと思っているからでしょう。

不自由から抜け出すために、人間は人間に与えられた発達した大脳組織を活用し、様々な努力をし、より自由な生活が出来るように生活環境を改善してきました。

マズローの「欲求5段階」に従えば、食物を得られるように努力し、安全な暮らしが出来る様に考え、人間同士の交流を楽しめるような環境を作り、その中で自分を認めてもらうように努力し、最後は自分の望むように人生を充実させたいという事になるようです。

人類全体としてもそういう方向に進んでいて、(地球環境問題はありますが)生活を豊かで快適にして、自分の望む人生を選択出来るようになって来てはいるのですが、そこで問題になるのが、自分の自由と他人の自由が衝突する事のようです。

確かに、物理的に豊かで快適になって来ているのですが、お互いの自由が衝突するという問題はなかなか解決が難しいようです。

これを解決しようという社会制度が民主主義なのでしょう。しかし自分の自由を他人の自由より優先させたいという願望の強い人間もいて、そういう人が偶々リーダーになると専制主義の社会や国家が生まれるのでしょう。

専制主義、独裁主義のリーダーが生まれるケースの主なものは2つあって、1つは民主主義で選ばれながら、時間を掛けて国や社会を作り替え、独裁者として君臨するようになる場合、もう1つは、クーデターのような形で、軍事力でリーダーになる場合でしょう。

現状では前者はプーチンさんであり後者はミャンマーのフラインさんでしょうか。
前者の場合には、リーダーの独裁者への変質を防ぐために任期の制限が一般的です。
時に任期の制限を無視したり改めたりして任期を延長するリーダーがいるようですが、それは厳禁というのは「民主主義のトリセツ」で指摘したところです。

後者の場合は、通常は軍事力によりものですから、文民優位の原則の徹底が必要という事になるのでしょう。

ところで独裁者の下では、殆どの人間は大変不自由ですが、その極致は戦争です。そしてこれは大抵独裁者が起こします。

人間には、自由を好むのと同時に、「相手より優位に立ちたい」「相手に勝ちたい」という本性があり、これが進歩の言動録ですがが、それが「競いの文化に」に立たずに「争いの文化」に立つ時に紛争や戦争が起きるのでしょう。

こうした問題は、経済でいえば、アダムスミスが『国富論』で「レッセフェール」の良さを認めながら、片方で、「道徳感情論」を書いている事、日本では、渋沢栄一が『論語とそろばん』を表している事からも十分に留意されなければならない事でしょう。

人間の求める「自由」は矢張り素晴らしく、大事なものです。しかし自分の自由が他人に不自由を齎したのでは社会は成り立ちません。

そこには自由と不自由の上位概念が必要です。そおれは道徳倫理であったり、合理性であったり、社会正義であったりするのでしょう。

こんな事は、人と人との関係では解りきった事ですが、国と国の関係になると、途端に、解らなくなるというのが今の国際関係でしょう。
自由を享受するためには、人間には、まだまだ知恵と努力が必要なようです。