tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

こじれ始めたか、原油価格問題

2021年11月25日 15時51分22秒 | 経済

多くの国で、国民の油断を突いたのでしょうか、コロナがまた猛威を振るい始めているようです。

それに重なるように、原油価格の高騰の問題が起きてきました。
産油国は多くを語らないようですが、産油国の身になってみれば、世界中が「化石燃料から再生可能エネルギーへ」と努力を始めているのですから、原油の埋蔵量が豊富だなどと言って楽観していられる状態ではないという事ではないでしょうか。

当然、今の内に少しでも原油価格を上げたいと考えるのは人情というものでしょう。
そうなれば、原油は投機対象商品ですから、当然値動きは荒くなって来るでしょう。

またこれにタイミングがあっているわけですが、多くの国がコロナ禍からの経済の回復に舵を切っています。当然多様な資源や半導体など材料、部品への需要が多くなり、資源価格を始めそうしたものの一般的な値上がり傾向が出るときです。

更に経済回復を目指す国では、政府の梃子入れで物価は上昇基調です。
そこでかつての石油危機ほどではないにしても原油価格の値上がりを産油国が期待するというのもある意味では当然かもしれません。

再エネ、再エネと言っても、現状、石油は圧倒的に主要なエネルギー源です。多くの国で原油価格の高騰は物価上昇の動きを強くし、典型的にはアメリカの様な物価上昇が、ヨーロッパでもアジアでも見られそうな気配です。

2%インフレターゲットなど疾うに超えているアメリカでは、FRBはインフレ懸念から金融の引き締めを示唆し、まずは量的、更に金利の引き上げも視野という事のようです。

その結果、国際投機資本の動きはドル買いとなり、ドル高、日本にとっては円安の動きが出ます。
しかし、アメリカにとってドル高は大きな痛手になるでしょう。インフレは避けたい、しかしドル高にはしたくない。FRBは難しい選択を迫られているようです。

石油消費国は、原油価格の高騰を何とか止めてほしいと思っています。
そこでアメリカは、アメリカも原油の生産を増やすし輸出もするが、日本などの消費国でも備蓄を一部放出して原油相場を冷やそうという手に出ました。

慌てたマーケットは「一瞬だけ」原油価格の下落をみましたが、よく考えれば、例えば日本の場合の備蓄は140日余だそうですが、そのうち何日分が放出可能かと考えても、供給増加は知れていると気づいたのでしょう。

結果は理論通り原油の先物の価格上昇という形になってきました。

マーケットは、備蓄の放出など高が知れていると読んだのでしょう。そしておそらく、日本のやりくりの様子を新聞記事で見ても、とても対抗手段にはならないが、要請された通り真面目にやりましたという程度と見えてしまいます。

という事で問題は今後です。
この先さらに原油価格が上昇し、世界中がインフレムードになってくるようなことが起こり得るのでしょうか。

基本的には産油国次第でしょうが、これまでの経験から見ても、原油価格が高騰した後はまた下がることの繰り返しです。

ただ、下手な対応をすると、かつての石油危機の後遺症で先進国が一様にスタグフレーションに陥ったようなことが起こりかねません。

さてどんな問題が待ち受けているのでしょか。この辺の検討を次回してみたいと思います。

日本の元気は戻るか:製造業の付加価値率の推移をみる

2021年11月23日 21時35分14秒 | 経済
企業経営の元気度を見る指標はいろいろ考えられますが、売上や利益の伸び率といった量的なものがまずあげられるでしょう。

では、そうして元気の源になる質的なモノ、例えば技術開発、製品開発といった企業成長の原動力になるようなものは何で見るかといいますとやはり「付加価値率」があげられるのではないでしょうか。

付加価値率はご承知のように 付加価値/売上高 を%表示で示したもので、企業のバイタリティの指標などとも言われます。

人気商品でも時がたてば価格は下がります。新しい人気商品、高性能商品をを出し続けることで付加価値率の維持、向上は可能になります。
それができる企業は元気のある企業ということになるわけです。

日本は最近いくつかの先端技術、先端商品の分野で、何となく後発のアジア諸国、例えば中国、韓国、それに台湾などに後れを取っているように感じられますが、その付加価値率の推移にも出ているのではないかと思い、財務省の「法人企業統計年報」を使って日本の製造業の付加価値率の動きを調べてみました。

その結果を示したのが下のグラフです。日本の製造業の付加価値率はほぼ安定的に20%前後、というのが常識といわれていますが、長期にみると、明らかに変化が出ているようです。

製造業の付加価値率の推移

            財務省「法人企業統計年報」

左端の1979年~80年というのは、日本経済が第一次オイルショックから立ち直る時期ですが、その辺りからグラフは上昇傾向です。

1985年は「プラザ合意」の年で1987年あたりで円レートは$1=240円から120円と大幅円高になりますが、付加価値率は 上がり続けます
1990年まではバブルの時期で、エレクトロニクスや自動車などで日本製品が世界で人気でした。

1990年、91年で土地バブル、株バブルは崩壊しますが、付加価値率は何とか22%水準を維持しています。
しかしこの辺りは円高対応で、日本は徹底したコストカットに呻吟する時期で、企業は体力をすり減らし、次第に前向きの力を失い、技術力も元気も失われていくプロセスでした。

2000年代に入ると、日本企業は守り一方の状況になり縮小均衡で最低限の利益を確保する「好況感なき上昇」と言われる中で、我慢して耐える努力の継続中にリーマンショックでさらに1ドル80円を切る円高となります。

付加価値率の動きを見ますと、縮小均衡の中で前向きの企業力は失われ、じり貧状態になり、リーマンショックの時は16.6%に落ちています。

そこからの脱出は容易ではないようです。2012年から円高解消のプロセスが始まり2013、14年の日銀の異次元金融緩和で為替レートは正常な水準(購買力平価相当)に戻りましたが、一旦遅れた技術開発や製品開発力は容易には戻ってこないようです。

2018年には 一時的に漸く20%に載せましたが、19年には再び割り込んでいます。
その後はコロナ禍で、世界の国々の経済もみな変調ですが、日本の場合、いつになったら、製造業の
付加価値率が、かつての22%水準に戻るのか、それには,日本人自体の長期不況の中で失われた元気な心を如何に取り戻すかという、いわば日本社会全体の意識改革のようなものが必要になってくるのではないでしょうか。新政権はよくその任に応えるでしょうか。日本の元気は戻るか

ガソリン高に補助金、それでどうなる?

2021年11月17日 15時07分45秒 | 経済
ガソリン高いですね。160円を超えてビックリしていましたが、170円台になりそうな気配もあります。

1970年代に2度にわたって起きた石油ショックを体験している人なら「慌てない方が良いよ」というかもしれませんが、今の現役のバリバリの方々は、やっぱりこれは大変だと慌て始めているのかもしれません。

そんなことからでしょうか、経済産業省が(経済産業大臣かもしれませんが)「元売りに補助金を出して、ガソリンの価格を抑えよう」と考えたようです。

今の政府は(今の政治家は?)バラマキの人気取りがお好きなのかもしれませんが、政治というのはそんな近視眼的な事では困るので、こういう場合には「如何なる政策が日本経済にとって最も適切か」を十分議論して、誤りないことをやってほしいと思う所です。

かつての石油危機の時もそうでしたが、原油などの輸入に頼るものが値上がりして、日本国内でも関連する商品・サービスが値上がりするといことの意味をキチンと理解すれば、無駄な政策、誤った政策で、日本経済を混乱させることはないはずです。

先ず、輸入原材料などが値上がりするということの意味ですが、それは、価格変動によって、日本のGDPが輸出国に流出するという事です。
言い換えれば、家格が上がった分だけ日本経済が損をするという事ですから、日本の国内で、それを取り戻す方法はありません。

甘んじて損を受け入れるしかないのです。そしてその損は日本国民がそれぞれに負担するのが最も合理的なのです。
そして「それぞれに負担する」というのは、値上がりした原材料を使っている程度に従って、負担するのが最も合理的なのです。

それのやり方は単純で、仕入れの値上がりした分を正直に売値に価格転嫁する事なのです。政府はその時に便乗値上げは許さないという基本原則をみんなが守るように見張ることだけが役割です。

それ以外の事をやると、必ず不公平が起きます。今度のように補助金を出しますと、それは税金か国債が原資ですから、車を使っている人は得をして、その分車に乗っていない人も負担することになります。

値上がりが大きい原油は補助金が出て、半導体や製鉄原材料は値上がり幅が小さいから補助金が出ない、となると不公平が起き、もう少し値上がりしてくれればよかったなどということになりそうです。

今は石油が上がっていますが、石油危機の経験からすれば、そのうち下がるでしょう。
その時はどうするのでしょうか、多分そのままでしょうから、補助金の貰い得でしょうか。

こういう政策は、「神の見えざる手」の正反対の「政府の見える手」で、自由経済の原則から言えば、価格機構という「神のみえざる手」よりも巧く出来るという権力への過信、あるいは、政治的配慮という些かよこしまな心によるもので、経済社会の無用な混乱のもとでしかないのです。

繰り返しますが、政府は、経済界に、便乗値上げをせず、原材料の価格上昇はきちんと価格転嫁してくださいと言って、みんながそれを守るようにするのが最もコストのかからない、最も合理的は方法だということを心得てほしいものです。 

参考:日本は第1次石油危機の時は慌てふためいて大失敗をし、第2次石油危機の時は、政府も民間も確り落ち着いて行動し、経済は順調、「ジャパンアズなナンバーワン」と言われるほどになりました。

GDP(2021年7-9月期)、デルタ株で消沈

2021年11月15日 16時16分18秒 | 経済
今日、内閣府から標記のGDP統計の第一次速報が発表になりました。
この所の経済の動きは、いわばコロナ次第という事で、それが最大の経済活動の分野である「国民の消費活動」(GDPの半分超)と、2番目の企業の設備投資(GDPの十数%)、を左右し、それに国際環境や、政府の経済対策が多少影響してくるといった状況です。

国民としては、コロナの新規感染者の数字が一番気になるところですが、思い出していただきますと、デルタ株という感染力の強烈な新種が生まれ、国内の新規感染者数が連日ニュースのトップになり、みんなが「これからどうなる・・・」と心配したのが8月時点でした。

しかしワクチン接種の加速の効果もあったのでしょう。勿論デルタ型の猛威に、国民の巣籠り状態が徹底したこともあるでしょう、8月中旬をピークに新規感染者数は徐々に減少に転じ今日の、いわば小康状態に至っています。

7-9月というのは、あの巨大だった感染第5波の影響を最も受けた時期でした。GDP統計にもその爪痕ははっきりと残っています。

マスコミが報じていますように7-9月期は前期比0.8%のマイナスで、これは年率に換算すれば3%のマイナスです。数字は実質値です。以下の数字も同じです。

ここでは、少し長い目で、2019年と2020年、そして今年と見てみます。

2019年は、景気としては下り坂でしたが、まだコロナの影響はない時期です。
コロナで大幅な落ち込みが始まったのはこの2019年の4-6月で、前年同期比7.2%の落ち込み、続く7-9月は、同5.5%と連続大幅落ち込みです。

2020年の4月、5月は、第1回の緊急事態宣言で、6月には解除になって、政府も経済の落ち込みを心配して、GoToキャンペーンなども始めましたが国民は慎重でした。
当然その後も低空飛行でしたが、今年の4-6月期に至り、突如前年同期比7.6%のプラスになりました。

これは昨年の4月、5月が初めての緊急事態宣言で前年比7.2%の急減時期との比較でsから、大幅には見えますが、7.2%減って、7.6%増えても、正確に計算すれば、それでも2019年の水準には1.5%程追いついていません。

では今年の7-9月はどうかといいますと、昨年は一昨年に比べて5.5%の落ち込みですから一昨年を100とすれば94.5です。それに比べて1.4%しか増えていないのですから掛け算をすれば、2年前(コロナ前)の7-9月の水準の、95.8%ということになります。

こうしてみますと、経済がコロナ前に戻るのは容易でないように思ってしまいます。

しかし、10月11月になって、有難い事に新規感染者数は順調に減り、昨今は1日200人レベル、新規感染者の出ない県の方が多いといった状況になりました。

専門家の先生方も、なぜこんなに改善したのか解らいといわれるほどで、政府もこれに気をよくして、規制の緩和も進め、経済活動の活発化の方向に慎重に舵を切り始めています。今や、最重要の経済の「先行指標」はコロナの新規感染者数の行方でしょう。

このまま順調にいけば次回の10-12月期か来年1-3月期には「コロナ前水準を回復」という事になるのではないかと言えそうですが。さて、どうなるでしょうか。

国民が能天気の方が経済が活性化する?

2021年11月12日 13時21分05秒 | 経済
今回の表題は些か問題かもしれませんが、世界の経験から見るとそうでもないのかもしれません。

個人の場合も、国民と纏めて見た場合も、同じように「アリ(蟻)型」と〔キリギリス型〕があるようです。

このブログでは「アリ型」の例として日本、「キリギリス型」の例としてアメリカを挙げたりしていますが、これはイソップ童話になぞられたもので、日本は冬に備えて備蓄する国、アメリカは稼ぎ以上の生活を謳歌して赤字を垂れ流す国という趣旨です。

赤字を出しても、アメリカは基軸通貨国で、例外ですが、普通の国では、かつてのギリシャやイタリア、ポルトガル、韓国などのように、IMF(国際通貨基金)が赤字を出さないようにと厳しい管理をして、黒字になるまで経済の緊縮を要請します。

〔キリギリス型〕の場合は、政府も国民もいわば能天気で、ついつい稼ぎより良い暮らしをして赤字を出してしまうという事です。
結局そのツケを、IMF管理になって、緊縮生活で何年も苦しんで正常化するのです。

日本の場合はどちらかと言うと、過度に心配性で、将来に備えて備蓄をすることにばかり熱心になり過ぎているように見えます。

外から見れば、そんなに生活を切り詰めて、節約しても楽しくないでしょう、「もっと現在の生活を楽しんだ方が良いんじゃないですか」などと言われそうな感じです。

そう言われて、「そういえばそうですね。あんまりしこしこ溜め込むのはやめて、少しパット行きますか」と言うためには、人間少し能天気になって、「明日は明日の風が吹く」と呑気に構え、駄目になったら、その時はその時で考えようといった処世哲学に頭を切り替えなければならないのでしょう。

さて、そんなことが今の日本人に出来るでしょうか。
財政赤字の解決のめども立たないし、「公的年金はこのままでは次第に目減りして、老後には最低3000万円必要だと言われる中ですよ。そんな能天気になれるはずがない」とお考えの方が多でしょう。

だからこそ、今の日本はこんな状態なのですが、現状の日本経済の状態から判断すれば、日本がIMF管理になるまでには、まだかなりの段階があり、そこに至る間には、確り計画すれば、日本をアリでもキリギリスでもないバランスのとれた状態に作りかえていく余裕は十分あるように思っています。

岸田政権の新政策がそうした方向を向いていることを願うところですが。日本経済にはまだ余裕があるとうのは、次のような点です。

コロナ明けを待って、日本人が少しキリギリス型になって、もっと生活を楽しもうと消費性向を上げる余裕は5~6%はあるでしょう。それだけでGDPは 3~4%成長します。

余り消費を増やすと経常収支が赤字になるかもしれませんが、そうなると円が弱くなり円安になって、その結果は、国際競争力が強化され、貿易やインバウンドで赤字国になるのを食い止めてくれるでしょう。

多分、こんな状態が繰り返されて、巨大な日本の対外債権もバッファーになり、IMFにご迷惑をおかけする事にはならないでしょう。

これは日本経済正常化のプロセスで、その間に金利も次第に正常化し、貯蓄にはまともな利息が付くようになるでしょう。

金利が正常化するといことは年金財政にはまさに干天の慈雨で、公的年金も、企業年金なども、かつての「確定給付」に復帰する可能性が大きくなります。

国家財政は利払いが大変でしょうが、国債の半分以上を日銀が持っているといった状態ではかなり日銀経由でカネは帰ってきますので、負担は軽減されます。

一番問題は、これまでのアベノミクスで、所得格差がかなり拡大していますので、これを税によって(所得税制の累進強化、金融収益への適切な課税など)適切に再配分する事は、大前提です。一時金のバラマキではだめです。これが一番重要で、早急の課題でしょう。

岸田内閣は、どこまで国民の意識を変えられるでしょうか。

勢いのある経済、勢いのない経済:続

2021年11月11日 15時41分50秒 | 経済
前回の終わりに「元気のあるアメリカ経済、元気のない日本経済」、「さてこの経済活動の元気さの違いは何処から来るのでしょうか」と書きました。

という事で、いつも気になっていることを2つ挙げておきたいと思います。
一つはかなり長期的なもので、官民ともにその病理に侵されている問題です。
事の起こりは基本的にはプラザ合意(1985)です。

1980年代、当時絶頂にあった日本経済は、円高(1$=240円→120円)という環境変化の本質に気が付かないままに、真綿で首を絞められるように経済活動のやりにくさ苦しみました。
しかし、政府も日銀も、強いられた円高に対抗する手段を知らず、ただコストを下げ、身を縮め、縮小均衡で対応するだけでした。

2000年代に入って、塗炭の苦しみの先に、微かに明かりが見えた(コストダウンに6割ほど成功)中で頑張る日本経済に決定的なダメージを与えたのは、リーマンショックによる更なる円高(1$=75~80円)でした。

「コストダウンに頑張れば頑張るほど円高になる」という現実の中で、日本経済は進むべき方向感覚を失ってしまったようです。

この間30年余、政治家も企業の経営者も1世代を過ぎ、円高にもがき苦しんだ経験に苛まれた世代がリーダーにという回り合わせになってしまったようです。
その結果、現在不要なものはなるべくそぎ落として、まずは今日の生活だけに配慮するという風潮が、政治にも、企業経営にもかなり一般化したようです。

政治も、今いらないものは削減する、例えば、将来のための研究開発予算の削減、コロナ問題でいえば、保健所の数は大幅削減されていました。雇用面では、日経連の提唱した「雇用ポートフォリオ」が非正規雇用拡大いに利用され、人件費の削減に貢献したようです。

こうした政治家や産業人の「今日の生活を凌ぐことが大事」という近視眼的な思考は、30余年の間に、本能的なレベルにまでなって来ているようです。
コロナ対応が、後追いとバラマキに終始しているのも、その結果のように見えます。

一方アメリカを見てみますと、経済も財政も赤字を垂れ流しながら、研究開発から国民生活(賃金引き上げ消費行動まで、活発で、新技術も科学技術から企業活動まで、(良くも悪くも)元気で、GAFAやテスラが世界で活躍、ワクチンでも世界から信頼される元気と力を持っています。(もちろん基軸通貨国だから出来るという事でしょうか)

日本で事情が変わったのは、2013年、アメリカも日本のあまりの惨状に問題を感じたのでしょうか、日銀がバーナンキ流の金融緩和策を取り、円高の為替レートを購買力平価に近い水準まで正常化できた事からです。

このブログでは、これで日本の政治も、企業行動も、国民の意識も、かつての自信を持って前を向いていた日本に戻るという復元現象が起きるだろうと思っていました。
しかし、30余年、人間の一世代の間、縮小均衡ばかりを追い続けた経験は、すでに今の中枢の年齢層の習性にまで進化したのでしょうか、容易に変わらないようです。

この点、第2の問題点、国民の生活意識の変容を齎します。
国民生活は、政府や企業の行動様式に大きな影響を受けるのは当然でしょう。

為替レートは正常に戻り、外国から見れば日本は物価の高い国ではなくなりました。
しかし日銀は、常に円高を恐れ、ゼロ金利はいつまでも「当分の間このまま」です。

政府は当面の糊塗策としてのバラマキばかりで、世界トップクラスの債務を背負いながら財政再建は実質放棄、年金財政は審議会の答申の受け取り拒否などで、国民に将来不安、特に高齢化の中で、老後不安を煽る役割を演じてしまっています。

雇用政策では「働き方改革」の名で、企業に雇用の不安定化を認め、企業は、国内情勢の先行き不信からか「投資するなら海外で」という指向を強め、GDPは増えず、第一次所得収支(海外からの利子・配当収入など)の著増を見る状況です。

こうした中で、国民の家計は不安定雇用と低迷する賃金収入の下、将来不安・老後不安に備えて貯蓄に励み、まさに「自助努力」の結果として極端な消費性向の低下、消費不振による経済成長へのブレーキという悪循環をつくりだしてしまっています。
この悪循環への無策こそが、「勢いのない日本経済」の元凶ではないでしょうか。

この絡み合った2つの問題、政府、企業の近視眼化、国民の自衛本能による消費抑制・貯蓄志向という現状を、問題の本質に遡って解きほぐし、国民の安心と自信を取り戻さない限り日本経済は多分低迷から抜け出せないのではないでしょう。

岸田政権には能くその課題を克服し、日本の元気回復を実現してほしいものです。

勢いのある経済、勢いのない経済

2021年11月10日 14時56分00秒 | 経済
最初に経済成長と賃金と物価の基本的な関係を見ておきましょう。
経済成長(実質値)は、国民が今年1年働いて生産した付加価値(GDP)が、昨年より何%増えたかという事です。したがって、通常は経済成長の分だけ国民生活全体がが豊かになるという関係になります。

GDPは生産に貢献した人間(労働)と資本に分配され人間に分配された分(賃金)は主として消費に向かい、資本に分配された分(利益)は主として生産設備に投資されます。

労働への分配と資本への分配の比率が一定であれば、それは均衡成長とよばれ、「経済成長率≒賃金上昇率」になります。
従って賃金上昇率が経済成長率より大きければ労働分配率が高まり資本分配率が低くなります。その逆の場合は労働分配率が下がります(資本分配率上昇)。

しかし賃金上昇率の方が経済成長率より高くても、賃金上昇率に見合って物価を上げれば、実質経済成長率は同じでも名目経済成長率が上がり、労働分配率は変わらないということになります。いわゆる賃金インフレです。

数学的に最もまともなのは均衡成長ですが、現実にはそんなに巧くいかないし、少しインフレ気味にした方が、賃金も上る、物価も上るので、売り上げも給料も増え、景気がよいと感じられるのでその方が企業も国民も元気がが出るという考え方もあります。

今の日本政府と日銀が言っている「2%のインフレ」が望ましいという経済政策はその考え方を取っているわけです。しかし何故か上手くいきません。

経済成長と賃金と物価の、こんな関係を基本にして日本とアメリカの状況を見てみましょう。(この関係は、数字をすべて国民1人当たりにしても、基本的には同じです)

アメリカの経済成長と賃金

                  資料:OECD

先ずアメリカの場合ですが、2013年から2021年までの間に20%近い実質経済成長をしています。20年のコロナ禍がなければ20%を超えていたかもしれません。

そして賃金の方も、それに準じて伸びています。コロナ禍があっても賃金は当たり前に伸びていて成長率に一時的に追いついています。

しかし長期的な傾向としては実質成長より賃金の上昇の方が少なく、成長した分の分配は、コロナの時を除いて人間(労働)より資本の方に多く分配されていて、労働分配率は下がる傾向にある事が解ります(これは最近世界的傾向として論じられています)。

一方、前回見ましたように物価も賃金と同様に上がっています。つまり物価上昇は賃金インフレではないようで、資本への分配の方がかなり有利になっている(利益インフレ?)状態のようです。

そのせいでしょうか、ことしに入って、アメリかの賃金上昇率が大分高まっているということが報道されています。

一方、日本の状況を見ますと実質GDPは、2016年までに6%ほど成長しましたが19年は横ばい。20年はコロナでマイナス成長、21年は多少の回復予想ですが、この8年間でやっと5%ほどの成長と低迷状態です。

    日本の経済成長と賃金

          資料:国民経済生産、毎月勤労統計

経済成長率は随分差がありますが、賃金上昇率が実質経済成長率に達していない点は世界的な傾向と同じで、労働分配率は下がっています。賃金インフレの気配はないようです。

まさに、勢いのあるアメリカ経済、勢いのない日本経済と対照的です。元気のない日本経済では賃金上昇率も元気がありません。
さてこの経済活動の元気さの違いは何処から来るのでしょうか。

日本とアメリカ、賃金・物価を見る

2021年11月08日 16時22分05秒 | 経済
日本とアメリカ、賃金・物価を見る
アメリカでは物価の上昇が懸念され、インフレ下景気過熱の予防のために金融引き締め策をといく方向にあるようです。
そのせいでドルが買われこのところ円安傾向で、9月決算でも輸出企業の円高差益が目立つようです。

日本は相変わらず景気低迷で物価も賃金も上らす、アメリかを羨む声もあるようですが、アメリカ経済も相変わらずの双子の赤字で、内実は大変なようです。

そこで、国民生活の現実を見ようという事で、賃金と物価の動きを、日米両国について見てみました。

日本の為替レートが正常化した2013年から2021年(今年はまだ終わっれいないので推計値)までの動きを追ってみました。

先ず、賃金も上っているが物価も上っていると言われるアメリカについて見ました。
アメリカの統計については(日本の毎月勤労統計のような適切な統計がないので)OECDの統計を使いました。
 
2013年を100としてその後の動きをグラフにしますと下のようになります。

アメリカの賃金・物価の推移(2013年=100、指数)


青い線の賃金も結構上がっているのですが、赤い線の物価(消費者物価:CPI)も結構上がっていて、年によって交差しますが、だいたい同じ程度の上昇です。
ということは、賃金が上がっても、物価も同じぐらい上がるので、実質生活のレベルはあまり変わらないということになるようです。

では、日本の場合はどうかといいますと、これは毎勤統計と総務省の消費者物価ですが、下の通りです。
残念ながら、青い線の賃金より赤い線の物価の方が大分余計に上がっているので、生活レベルは下がっているということになります。

        日本の賃金・物価の推移(2013年=100、指数)


消費者物価はずっと上がり続けていて、その上がり方は賃金よりも大分大きく、しかも2019年以降は賃金は下がっています。2020年、21年の予想で見ると4%ポイント以上消費者物価の方が上がっているので、その分実質生活レベルは下がっていると読めることになります。

しかし、ここで気が付いて頂きたいのは、消費者物価の上昇には消費税の増税分が入っていることです2014年の4月に5%から8%に引き上げ、2019年の10月から現行の10%です。 

つまり、この間消費税率の上昇で5%程度の消費者物価上昇があっただろうという事です。
という事でこの分の上昇を差し引いたのが緑色の線(-消費税)で、これで見ますと、賃金上昇率は消費者物価の上昇率を上回ってその分実質生活は改善ということになります。

但しこれは、消費増税分が全て消費生活の改善のための政府の支出(例えば幼児教育の無償化)になっていると仮定した場合です。

そう願いながらグラフを見ていただくということでしょうが、もっと問題は2019年から2021年にかけて賃金が2%ほど下がっている点でしょう。
勿論これはコロナのせいですが、コロナに関わらず上っているアメリカとは対照的です。

この辺りの背景を見るという意味で、次回は実質GDPの動きとの関係を見てみたいと思います。

2021/9月家計調査:家計は緊縮

2021年11月05日 20時00分31秒 | 経済
新型コロナの新規感染者数のピークは8月中旬という所で下旬にかけて減り始めていました。

そのままここまで下がるとは、 多くの 専門家も予想外と言われるようですが、この新規感染者の減少傾向がはっきりしたのが9月ということになります。

ところでコロナの影響が顕著な、このブログで追跡している個人消費の動きはどうかですが。2人以上の全所帯で見ますと、前年同月(政府がGoToのキャンペーンを張っていました)比では1.9%の低下ですが、前月比では5.0%の上昇(季節調整値:何れも実質値)という事です。

去年の夏はGoToキャンペーンで政府も根拠のない楽観状態だったのですが、今年は第5波の感染急拡大で消費低迷、ただし9月に入って新規感染者が減少傾向になったことで少し元気を取り戻したかという感じです。

季節調整済み消費水準指数で言いすと、それでも去年9月が102.1,今年9月が100.1で去年の9月の水準に追いついていません。

去年は春が最初の緊急事態宣言で、消費は落ち込み、秋はGoToで上昇、今年は、春はコロナ慣れで回復かと思われましたが、その後の感染第5波で落ち込み、9月から回復に向かうか(10月からなまだ解りませんが)というところにさしかかったかなという感じではないでしょうか。

例月追っている勤労者所帯の平均消費性向も、あまり状況は良くありません。昨年9月は79.8%でしたが、今年の9月は75.9%で、3.9ポイントも下げています。

可処分所得の方は対前年同月比で2.4%増えているのですが、消費支出の方は2.8%減っている結果です。

この辺りはコロナ禍のせいか、それとも勤労者所帯では、将来不安が強く消費抑制、貯蓄志向が染みついているのかまだまだ判断の出来ない所です。

此の先、コロナの心配がこのまま小さくなっていくのか、それとも第6波が来るのか、どの程度のものになるのか、誰にも解らないようですが、10月以降の平均消費性向の動きで、その辺りも少しずつ見えてくるのかもしれません。

岸田新政権がどんな経済政策を提案してくれるのか、国民が将来に安心感を持てるような画期的な政策構想が出て来るのか、それとも赤字国債を原資にしたバラマキのような事の継続か、本格的な日本経済やり直しの構想を期待したいところですが、まださっぱりわかりません。

ひとつ言えることは、平均消費性向の低迷が続くような状態である限り、日本経済の本格的な回復はないという事ではないでしょうか。

キャピタルゲインの課税問題 続

2021年10月31日 14時48分00秒 | 経済
キャピタルゲインは、典型的には株などの売買益で、実体経済の活動とは直接関係がない事は繰り返し指摘してきました。

つまり、カネ(購買力)がA氏の懐からB氏の懐に移動するという事です。これは、見方によっては、国民所得の再分配が株式等の売買によって行われているという事です。

経済と国民生活の関係から考えれば、実体経済の活動で生産された付加価値(GDP、国民所得)は賃金と利潤と財産所得として国民に分配されますが、そのままではなかなか公正な分配が実現されないので、政府が、税や社会保険料を徴収、国民の間に再分配して、過度の格差社会化を防ぎ、社会的公正、社会の安定を図っているのです。

その意味では、政府以外のもの(株式市場など)が、所得や資産の再分配をすることで、また社会に所得配分の不公正な歪みが生まれることになります。

そして最近その金額が膨大になり、一部に格差社会化を異常なまでに進めることになって来ているので、その防止のために、キャピタルゲインに適切な課税をして、国民への公正な分配が維持されるように、政府が再度是正する必要が出て来ているという事でしょう。

こうした視点から考えられているのがトービン税(外国為替取引の場合)やその他の金融取引税の構想です。

これらは、一般的に、極く低い税率(例えば1%)を「取引金額」に課すというもので、巨大な金額の取引を頻繁に行うことのメリットをなくそうという趣旨です。

しかし、現実には国内・国際等設計の困難性(たとえば各国一斉導入の必要)から実現は難しいようです。

こうした問題は税制には必ず付きまとうものですが、株式の売買の場合には、株式の保有期間によって得た「キャピタルゲイン」に対する課税の税率を変えることで対応するという方法も考えられるのではないでしょうか。

企業にとって、最も大切なのは「安定株主」です。短期の業績の変動や市場の人気を読んでキャピタルゲインを狙う投資家は、企業への安定資金提供者てはなく、逆に、往々株価の変動を大きくして経営の不安定をもたらすという事になるでしょう。

一方、企業に対して安定資金を提供し、企業の安定を支援することは、ひいては国民経済の成長、社会の安定と発展に貢献するという意味を持つと考えてよいでしょう。

そう考えれば、国の税制としても、今日のように株式売買益であれば一律22.1%(源泉徴収の場合、申告の場合は一律20%(国税地方税計)で、更にインカムゲインである配当所得も同率というのは、ほとんど合理性のない税制という事になるのではないでしょうか。

しかも今日の国際投機資本などは、巨大な資金を持ち、自力で相場を作るほどの影響力を駆使して、多様な形でキャピタルゲインを追求する様子さえも垣間見えるところです。

今日は総選挙で、次期政権はどうなるかまだ解りませんが、岸田政権は「新しい資本主義」の検討会を立ち上げ、分配と成長の問題を早急に纏めると言っています。

実体経済の活動の結果のGDPの分配、それを社会の公正の立場から再分配を行う政府の社会保障制度、それを混乱させるような金融取引から生じるキャピタルゲインによる格差社会化の傾向が日本でも顕著のようです。

岸田政権は、何故か早々金融所得課税の検討は封印したようですが、それで「分配と成長」の本格的な検討が可能なのでしょか。

明朝にかけて、総選挙の結果を見ながら、日本の将来をどう見たらいいのか、眼の離せない2021年10月31日、月末の日曜日です。

キャピタルゲインの課税問題

2021年10月30日 12時15分20秒 | 経済
T.ピケティの「21世紀の資本論」が人々の注意を喚起し、「格差社会化はSDGsに反する」、「格差社会化は社会の安定を破壊する」といった論調の合理性が浸透していきました。
マネーゲームによるキャピタルゲインが、格差社会化を齎すといった意見も少なくありません。

折しも、アメリカ発の金融工学の発達と、投資銀行、ヘッジファンドから個人投資家の「デイトレ」の盛行もあり、それに応じた多様なデリバティブなどの投資対象が生まれ、そうした投資対象には大きなレバレッジがかけられるといった投資(投機)システムが一般的になりました。

こうしたいわゆるマネーゲームは当然にコンピュータシステムに乗ることになり、何分の1秒を競い合って、巨大なキャピタルゲインやキャピタルロスが発生するというマネー資本主義が伝統的な実体経済中心の資本主義の中に入ってきました。

伝統的な資本主義は、資本を活用して付加価値(GDP)を創りその中から資本の分け前を得るというものでしたが、上記の様なマネーゲーム・金融資本主義では、付加価値生産のプロセスを省いて、カネが直接にカネを生むというシステムが一般化したことになります。

これは、伝統的な概念から言えば、賭博、ギャンブルと同じもので、実体経済とは別に購買力としてのカネを直接にやり取りする事(富・所得の再配分)に他なりません。

こうしたものは、富くじ、競馬、カジノなどとして、政府などの特別な管轄のもとでのみ認められていたものです。

ただ、気を付けなければならないのは、今日、経済活動の一環として行われているマネーゲームは、単に僥倖を願うものではなく、経済活動の結果に賭けるものですから、一見経済活動そのもののように受け取られㇾことが多いという事です。

「キャピタルゲイン」は、こうしたマネーゲームが追い求めるものですが、そのもともとが価格変動によって、「ゲイン」「ロス」が発生するわけで、こうしたマネー上でのプラス・マイナスは、経済計算では、デフレータによって消去されるもので、実体経済とは関係がなくなるものです。

しかし、ここで問題が出てきます。
価格のプラス・マイナスはデフレータで消去されますが、よく考えれば、価格の変動によって、実体経済の活動は大きな影響を受けています。

消費者の需要が多く価格が上がれば、生産を増やし製品が多くの人に行き渡るとか、日本の高度成長期のように3C、新3C といった商品の価格が下がれば、それらは急速に普及し、経済発展の原動力になるなどというのもよくある事です。

経済発展は価格メカニズムによって可能になるといってもいいすぎではないでしょう。

昨今のマネーゲームの対象の主役である「株式」にもそうした役割はあります。
多くの人が希望する製品やサービスを生産する企業は人気が出て株価が上がり、資金調達が容易になって、生産拡大に貢献するといった形です。

そうした企業に投資し、結果的に株価上昇で、キャピタルゲインを得た場合、そのキャピタルゲインは、実体経済の成長に貢献した成果と言えない事もありません。
成果は株主配当で十分と言い切るには多少問題もあるという意見もあるでしょう。

ここでちょっと横道にそれますが、今の税制では、株主配当も、値上がり益も同じ20%の課税です。これを同じにしている事には合理性があるのでしょうか?

話を戻して、株式やそのデリバティブなどの売買からのキャピタルゲインにも、企業・経済活動の実態の即した資本の配置に貢献した成果という説明は不可能とは言えません。
しかし、秒速で売買し、巨大なレバレッジをかけて巨億のキャピタルゲインを得るといった取引にもそうした説明が可能でしょうか。

同じキャピタルゲインでも、政府が税金をかけるという事になれば、何らかの合理性の根拠が必要なように思えます。

キャピタルゲインの世界は、アジア通貨危機のように、巨大なヘッジファンドが、経済的に弱体と見た国の通貨を空売りし、暴落したところで買い戻すといった、一国の経済活動を破壊するようなものもありました。

マネーゲームは、企業や経済の発展に役立つものから、企業活動や実体経済を破壊するものまであります。

金融所得課税問題は、巨大な仮想空間にまで広がったマネー取引の世界にいかなる税制を対応させるかといった大変困難な問題をはらんでいるように思います。
次回は、そのあたりを少し整理出来ればと思っています。

インカムゲインと課税問題

2021年10月28日 20時47分52秒 | 経済

前回までの検討で、見えてきたことは、税金というのは本来、「その年に生まれた付加価値」の中から、政府が徴収するものであると言えるのではないかという事です。(このブログでは、インカムゲインとは、付加価値(GDP)を構成する利得と仮に定義しています)

そして徴収の目的は、大きく2つあって、1つは、政府の活動を維持するための費用、そしてもう1つは、格差社会化を防ぐための政府による付加価値の再配分(社会的公正の維持、社会正義の実現)システムの適切な維持、と言っていいのではないかという事です。

つまり、課税というのは、本来「実現した付加価値」から徴収するもので、もともとは個人の所億税、法人の所得税(法人税)、それに財産の帰属収入という一部は見えない所得に課税する固定資産税、という事だったのでしょう。

しかし、社会における富の分配の公正化、格好よく言えば、社会正義の実現のために社会保障の概念を現実に導入するための、GDPあるいは国民所得の再配分の手段としての付加価値税あるいは社会保険料(社会保険税)がこれに加わることになったという事になるのではないでしょうか。

国民所得統計では分配面で見た「分配国民所得」は
 ・雇用者報酬(社長以下、企業で働く人の人件費総額)
 ・企業所得 (法人企業、公的企業、個人企業の所得総額)
 ・財産所得 (利子・配当などの投資所得、賃貸料)
の3項目で、これで国民所得(純付加価値=GDP-減価償却費)の全部です。

その意味では所得の捕捉が比較的容易で、課税対象として解りやすい事が、本来の税としてのメリットという事でしょう。

付け加えておかなければならないのは、この中で個人所得である雇用者報酬にかかる個人所得税においては、かなり一般的に累進税率方式がとられていることです。

これは所得税課税の中で、国民が不公正と思うほどの所得格差の発生を防止しようと導入されたものでしょう。
その意味では、分配の公正という意識を所得税制の中にビルトインさせるという意味で、重要な点ですが、国民の公正についての意識は時代や国によって違いますから、その違いが累進度に現れていると言えるようです。

こうして国は付加価値の中から国の運営と国民の経済的公正のための所得再分配の原資を得ているのですが、ピケティの言うように、資本主義社会は格差社会化する傾向が強いので、再分配の要請が強くなるのが一般的なようです。

それに応えるために、負担感が小さく、税収が安定する付加価値税が導入されてきたのが現状でしょう。

付加価値税は付加価値が分配されたところから取るのではなくGDPの生産段階で付加価値が生まれたところから逐次とっていき最後にその全額を消費者が払うというシステムです。

ある意味では、付加価値の発生段階で課税し、分配された先でまた課税という二重課税ですが、それを言う人はあまりいません。矢張り付加価値税が必要だとみんなが解っているから受け入れられているのでしょう。

こうして、インカムゲインつまり付加価値からの徴税制度は出来上がって来て、それなりに認められているようです。

という事で次は、これから問題になるキャピタルゲインについての課税問題になります。

「資本」主義の意味と金融所得課税問題 続

2021年10月27日 11時45分29秒 | 経済
前回は金融所得に課税するという問題を考えるうえでそのベースになる資本の働きについて見てきました。

人間は働いて価値を生み出します。その働きの効率(生産性)を高めるために資本は役立ちます(歩いて運ぶより1万円の自転車を買ってそれで運べば楽してたくさん運べます)。
効率のよくなった分は1万円の資本の貢献です。

税金というのは、こうして生まれた人間と資本の協力の成果である「付加価値」にかけられるものです。
付加価値にかけられるのは付加価値税(日本では消費税)だけではありません。付加価値税というのは比較的新しい発明で、以前は付加価値の分配先、人間と資本に「所得税」と法人税(法人所得税)」それに金利や配当に金融所得課税がかけられていました。

もともと税金というのは、政府が国民のために仕事をするのが通常無償ですので、それを補うために行政サービスの代金として付加価値の中から取っていたものです。

しかし、社会保障制度などが生まれて、税収が足りなくなったので、その分は社会保険料として徴収したり、付加価値税として徴収したりして、社会の中での所得の偏りを是正するようになりました。

これは、資本主義の手法だけですと、どうしても所得の配分が偏って、格差社会になり、社会が健全でなくなるという事から、社会主義的な手法を資本主義が取り入れた結果です。

つまり、税金(社会保険料も含む=国民負担)というのはその年に生まれた付加価値つまりGDPの一部を政府に納め、それを「政府の仕事への対価」と「社会保障のための所得の再配分」に政府が適切に使うというシステムなのです。

付け加えますと固定資産税というのがこのほかにあります(今度中国お導入するようです)。これは架空の計算ですが、その固定資産を借りていれば発生する賃借料(本人が払って本人が受け取る)に相当する収入(帰属家賃など)という経済計算上の見えない付加価値への課税です。

税金と社会保険料を合わせて「国民負担」と言い、GDPの中でそれが何%を占めるかといいう数字を「国民負担率」と言い、北欧などの福祉国家では高く、アメリカが主要国の中では最も低い事は良く知られています。

という事で、税などの国民負担は付加価値の中から支払われるというのが基本的な設定です。

ここで金融所得課税の問題をどう考えるかという問題に繋がっていくわけです。

問題は、金融所得と一口に言いますが、その中身は、全く違った性質の2つのものが入っているという点をまず考えなければならないでしょう。
それは、「キャピタルゲインとインカムゲイン」です。
(ちなみに、これは私のブログでも長期に安定したアクセスがある項目です)

キャピタルゲインとインカムゲインの基本的な違いは、インカムゲインは付加価値の構成要素になるのですが、キャピタルゲインはもともとが「値上がり益」ですから、付加価値の構成要素にならないという点です。

付加価値の構成要素にならないものから税金を取るというのはどういう意味を持つのでしょうか。また取らなかったらどうなるのでしょうか。

この点はもっと深く検討して、金融所得課税を、国民経済の正常な発展に整合するような精緻な理論の構成も含めて、誰もが納得できるものにしていくことが、岸田総理の下での検討会に課せられた使命でしょう。

次回はインカムゲインの性格について見てみたいと思っています。

「資本」主義の意味と金融所得課税問題

2021年10月26日 18時28分48秒 | 経済
岸田総理の掲げるスローガン「新しい資本主義」のための検討会もできたようです。
結論を急ぐようですが、恐らくはまだ中身がないのでしょう。
「早く中身を」という気持ちは解りますが、これは容易な問題ではないように思います。

それは、「人間と資本との関係」を確り見て、資本の性格(実は資本を使う資本家の性格)を確り抑えたうえで、政策を打つ、特に問題になるのは、その先、資本利得(資本を動かすことで得られるリターン)に対する税制をどうするかが最も重要な点になるのでしょう。

という事で、まず「人間と資本の関係」から見ていきたいと思います。
資本は人類社会の発展のために役に立つ重要なものです。だからこそ、資本主義といった考え方が生まれたのです。

近代文明は、資本を確り蓄積し、それを的確に活用したことによって、発展して来たいのです。資本がなければ工場もできませんし、研究開発で新しい技術を開発し、社会を豊かに快適にすることもできません。

原始の昔から人間がもともと活用していた資本は「土地」でしょう。占有する土地が広いほど、採集も農業も畜産も有利です。ですから個人も国も、広い土地を欲しがりました。
今でもその記憶が脳の奥底に染みついていて、領土問題が起きるほどです。

しかし今は会計上は土地は資本の一部で、土地は狭くてもおカネという資本を蓄積し、それを適切に活用していけばいくらでも経済発展出 来ることが解ってきました。

例えば、戦後の日本は領土が狭くなってから、最高の経済発展をしま した。
今、台湾は土地は狭いですが、高度な半導体の技術開発をし、世界に供給、最近ではソニーと一緒に大きな半導体新工場絵を作る資本力を持っています。

財務分析でいえば、「労働の資本装備率」(固定資産/従業員数)と労働生産性は比例関係にあることが経験的に証明されています。

資本蓄積をし、それを適切に投資することで生産性を向上させ、それが社会を豊かで快適なものにするという経済社会の開発・発展の構図はすでに世界共通の常識になっていると言えるでしょう。

さて、岸田総理の「新しい資本主義」これから中身が作られるようですが、どんなものになるのでしょうか。良い物が出来てくれればいいと思います。

という事で資本が人間社会にとって大変重要な役割を果たすものであることは間違いないのですが、矢張り大きな問題があります。

資本には意思はありません。資本が「悪者だ」などと言われるのは、資本が悪い事をするのではなく、その資本を持っている「人間」が適切な使い方をしないという事なのでしょう。

結論から言ってしまえば、上記の「労働の資本装備率」のように、「働く人間の役に立って生産性を高める」のは「本来の資本蓄積の目的にかなった」使い方でしょう。
もともと資本主義というのは「そういう意味で資本の重要性」を認識して付けられて名前でしょう。

「生産性を高める」と言いましたが、それは「一人の人間が、資本装備のお陰でより多くの「付加価値」を作り出せる」という事です。

一人一人の人間がより多くの付加価値を生み出せれば、付加価値はその生産要素である、労働(社長以下の人間)への分配としての賃金も上がり、生活の豊かさ、快適さは増します。同時に資本への分配としての利益も増え資本蓄積も増え、資本装備率を上げより高い生産性への準備が出来ます。(労資はwin=win の関係になります)
これが本来の資本主義の姿でしょう。

ところが、こうならない資本の使い方もいろいろとあります。これは資本を持つ人間の意思によります。
次回その問題を考えてみたいと思います。

ますます「変な」経済学、続編・補遺

2021年10月24日 11時03分36秒 | 経済
「益々変な経済学」で試みたことは、MMTのいう「政府は必ずしも財政規律を守らず、国債を発行して赤字財政をやっても構わないい」という考え方を逆にして「国民はいくら政府からカネを借りてもいい」という事にした場合どうなるかを、ちょっと「遊んでみた」という事になりました。

結果は、経済学、経済行為には倫理感、自制心、はっきり言えば、社会全体の安定と調和を重視する心がないと持続可能ではない、SDGsにかなうものではないという事になりました。

そこから、特にこれまでアベノミクスでやってきた経済・財政政策は持続可能ではないという事が見えてきてしまいました。

そして、それにもかかわらず、アベノミクスが10年近く継続でき、日本経済の国際的信用が維持されてきたのは、ひとえに、国民が恐ろしいほどの自制心を持って、家族や自分の将来・老後のことを考え、消費を抑えて貯蓄に専念し、日本の経常収支の万年黒字を支えたからだという事になっていることが解りました。

ここまでは、「貯蓄は美徳」日本経済のへの世界の信用を維持したと称賛されるべきものですが、それが、日本の経済社会にいかなる影響を与えているかを考えると、大変重要な、困った問題をはらんでいるようです。

具体的に言いますと、節約生活で消費が伸びないことで経済が成長しない、結果的に、将来の見通しが暗い事から、結婚をためらう、こどもは作らないか出来るだけ少なく、といった意識で、少子化が進むといった状況を作り出しているようです。

つまり将来を暗くしていることが、日本経済・社会自体の発展を抑制してしまっているのです。これでは、日本の将来を長い目で見た場合にSDGs(持続可能な開発目標)に反することになってしまっているのではないでしょうか。

今の日本に必要なことは、将来の暗さに脅えた「縮小志向」を脱却することでしょう。
日本には昔から「稼ぐに追いつく貧乏なし」という諺があります。これが社会の自然だからこそ諺になっているのでしょう。
それが実現しない社会というのは、今の社会システムがうまく出来ていないからなのではないでしょうか。

脱出の方向は2つあるように思います。
国民は「頑張れば、将来はきっと良くなる」と信じて、生活の仕方を積極的なものに変えていくという意識改革。
政府は、徹底して格差社会化を許さない、国民みんなが積極的になれる政策を堅持すること。

前者は、国民が、思い切って意識を変えていくこと、コロナも終盤に近付いているようです。
後者は、政権が政策選択を変えること、これには総選挙での国民の政権選択が必要かもしれません。でしたら今がチャンスです。

明るい明日を目指して国民の意識改革とそれを支える政治がそろえば、もともとエネルギーレベルの高い日本人です、日本は変えられるはずだと思っています。