もう1年半ほど前になりますが、土曜日のブログに「時間と宗教について考えてみました」というのを書きました。
これは、人間だけが宗教を持っているという事が気になって、さらにそれが時間と関係があるような気がしていたことから発したようです。
巨大な規模の宗教もありますし、孤立した未開の集落の人たちだけの宗教もあるでしょう。宗教のある理由は「人間の社会だから」と考えていました。
人間は「社会的な生き物」であり、人間社会は必ず宗教を持っていると考えると「なぜ人間だけが?」という疑問が湧いて来ます。
ヒントを与えてくれたのは、大阪大学の北沢茂教授の「時間」についての研究です。
北沢教授の研究は、人間の大脳には、頭頂葉内側面の後方に位置する脳回の「楔前部(けつぜんぶ)」という部位があって、そこが、人間が経験したことを時系列に整理して記憶する仕分けをしているという事なのです。
確かに我々は、自分の過去から現在までの経験を「時系列に整理して記憶」しているのです。これは人間だけでしょう。
人間だけが宗教を持っているという事と、人間だけに「大脳楔前部」の機能があるという事が、人間だけが宗教を持っている事と結びついたのです。
人間が宗教という形で記憶の無いはずの死後のことまで通して考えるのであれば、生きているうちのことは、当然、より具体的に十分考えるだろうという事になり、それは哲学でしょうという事になります。
哲学と言いますと、何やら難しい学問のようですが、フィロソフィーといえば英語圏では「君の考え方は?」という程度にも使われる言葉です。
人間存在の意味付けから、当面の処世術まで、総て含めて考えれば、単純に言えば「良いこと」、「適切なこと」、「正しいこと」といった判断は、人間だけが持っている「大脳の楔前部」が整理してくれた記憶を基準にして行うことになるのでしょう。
楔前部の整理してくれた記憶(知識)は、時系列ですから、前後がはっきりしていて、因果関係の理解が可能です。夫々の行動が良かったかどうかは、原因となる行動の結果から判断され、例えば「過ちは繰り返しません」といった判断に繋がります。
記憶、知識の中には、自分の経験だけでなく、他人の経験、文献や諺などあらゆるものが入ってくるのでしょう。
人間が社会を作り、法律制度を作り、失敗や成功を繰り返しながら様々な開発をし、今の社会を作り、相変わらず失敗や成功を繰り返しながらも、より失敗の少ないような方法を探し、それを記憶し、安心して暮らせる社会、より快適な社会に向かって前進しているのも、考えてみれば、多くの人の大脳の楔前部が確り働いているからという事になりそうです。
ところで、民主主義というのは、より多くの人が経験から学んだ結果(判断)に従うのが合理的とするシステムでしょう。
今日、人類のほとんどは民主主義が好ましいと考えていると思います。そうであれば、大脳楔前部を与えられた我々人類は、それを確り活用しないと、宝の持ち腐れで勿体ないという事になるのではないでしょうか。