tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「半分民主主義」から「全部民主主義」へ

2024年10月10日 16時22分48秒 | 政治

昨日衆議院が解散になりました。今月27日の日曜日が総選挙の日に決まりました。

10月27日は、民主主義国日本の国民、有権者が、国政の責任者を選ぶ権利を行使する大事な日です。

投票に行く事は国民の義務だという言い方もありますが、ここでは「義務」と言わず、敢えて「権利の行使」と言いたいと思っています。

ところで、この権利の行使状態がいまどうなっているかですが、折角の権利を行使しない人が沢山いるのです。

下のグラフは戦後、日本が民主主義国になってからの総選挙の投票率の推移を見たものです。

     衆院選の投票率の推移(総務省:%)

見れば一目瞭然ですが、戦後の時期の投票率は高いものでした。民主主義とはやはりいいものだ、国民が自分たちの望む政治家を選ぶことが出来るシステムがあれば、軍国主義の政府に騙されて、国民が自分の命を粗末にすることを強制されるような事はなくなるという実感を持っていたからでしょう。

ところがどうでしょうか、投票率は上下に動きながらどんどん下がってきています。そして最近の総選挙では 投票率50%台が当たりまえの様になっています。                        

これでは日本の民主主義は「半分民主主義」ではないでしょうか、半分の人は民主主義の基本に従って行動していますが、あとの半分の人は、民主主義の基本に従った行動をしていないのです。

自分が投票してもしなくても世の中は変わらないだろうと考えているのでしょう。

しかし現実は、第41回総選挙辺りから投票率は急降下し、日本は長期不況に入り、45,46回多少の回復を見ましたがその後はいっそうの低下です。そして日本経済・社会の低迷は深刻さを増しています。

「半分民主主義」では日本は半分の力しか出ないのでしょう。それは、半分の有権者が国政に真面目に支える意識を持っていないからです。

この日本の低迷状態を脱却するには、有権者がこぞって国政に参加する意識を持たなければ駄目でしょう。

「半分民主主義」から「全部民主主義」になったときに、初めて日本は再生するのではないでしょか。

今回の総選挙は、投票率100%を目指し日本の民主主義が「全部民主主義」になって、日本が、持てる力を存分に発揮できる国になるための起死回生の転機ではないでしょうか。

皆さんがそろって投票すれば、必ず日本は大きく変わると思っています。


自民党の再建は難しそうですね

2024年10月05日 12時54分17秒 | 政治

石破新総理の所信表明演説がありました。

マスコミはこぞって演説の全文、項目別の解説、触れられなかった点などと懇切な報道をしてくれています。

石破さんが、総理大臣に就任して、今何が必要かを考えている内容がよくわかりましたと言いたいのですが、本当にそうでしょうか・・・。

多くの方も同じように感じえおられるようですが、これが本当に石破さんの考えていることの披歴なのかという点がどうにも気にかかるところです。

自民党総裁、総理大臣になる前は、石破さんの心の中には、自民党はこんな事をしていてはだめだ、政権維持のためを考えすぎて、国民のため、日本という国のため、日本が世界に役立つ国でなければならないという日本の政治家としての本来の持つべき考え方が失われている。現状の自民党は改革が必要という思いがあったと見ている人は多かったでしょう。

しかし、今回の所信表明演説には、そうした主張や、これまでの自民党への厳しい視線は残念ながら見当たりません。

選挙資金を政治資金と呼んで、資金集めに精出し、裏金と言われる方式まで作って選挙に備えた自民党政治の過ちを、言葉で反省はしても具体的に何をするかは見えません。

国民は、来る総選挙での公認の中に、その答えの一部を見るでしょう。

経済政策ではほとんどが、従来路線の踏襲、物価に負けない賃上げが最初に出てきますが、これは労使の仕事で、政府の仕事ではありません。政策の誤りも従来路線の通りという所が垣間見えます。日本のLeaderは、他人の書いた台本を読むReaderかと勘違いします。

防衛については、今回は敢えて触れませんが、力を入れていると思われるのは災害復興から地方創生の部分です。

国土強靭化に続けての地方創生ですが、この部分は特に熱が入ったようで、報道では地方創世のための「交付金」を、当初予算ベースで倍増という説明があったようです。

インバウンドの活用、農水産物の具体策も織り込まれていますが、地方創生という名目で、日本中に新たなバラマキをするという事が基本でしょう。 

今まで自民党は、コロナの時は1人10万円、今回の4万円の定額減税など、人気取りと誤解(正解?)されるものが多かっただけに、また「交付金」か。災害復興、国土強靭化への資本注入が本筋という意見は多いでしょう。 

以上いろいろ書いてきましたが、最も気になるのは、これまでの石破カラーはほとんど消えているというところです。

一体、石破さんの本音は何か、従来の自民党を変えて行くという事は、この所信表明委演説の内容からすれば殆んど可能性がないと読み取れてしまうという事です。

国民、有権者はどう判断するのでしょうか。

日本は民主主義国ですから、それを知るすべは、10月27日の総選挙で、有権者の半分ほどではなく90%を超える投票率を実現することしかないでしょう。

これまでの投票率50%台の「部分民主主義」で日本の政治が動いている限り、日本はこれまでと変わらないことになるという事が、今回の石破総理の所信表明演説で分かったのではないでしょうか。

本当に必要なことは、日本の有権者が、27日の総選挙には、総て、日本の将来を背負う責任者として投票に行くことだと思っています。


10月27日総選挙? さて、投票率は?

2024年09月30日 15時03分38秒 | 政治

今朝のニュースによれば、総選挙が10月の27日になりそうだという事です。

立憲民主党の野田代表は、選挙の前に、国会で十分政策論争をして、有権者が選挙する際の判断材料を提供しなければならないのだから、国会で議論してからにすべきだという意見のようです。

一方、自民党内では、早く選挙をして決着をつけたい。議論の時間など必要ないという意見が多いようです。

石破さんも、結局10月1日召集の臨時総会で、衆院解散・総選挙に踏み切るという選択に踏み切ったようです。

今度の総選挙は、従来の惰性の中での総選挙とは違って、自民党がいかなる政党だったのかが、白日の下に晒され、日本経済・社会のじり貧の原因が有権者に見え見えになった後の総選挙です。

当然、「政権交代」の可能性もありうるような客観情勢でもあります。

そうした中で、自民党は、裏金問題も旧統一教会問題もブルーシートを掛けただけで、なるべく早く総選挙、という方向を選んだということでしょう。

石破さんが、その決断に全く賛成なのか解りませんが、ニュースの通りら、まさに「賽は投げられた」ということでしょう。 

客観情勢などから推測してみれば、自民党としては、早期の総選挙が有利の考える理由は矢張りあるのでしょう。

これまでも、国民の多くが「何だかんだ言っても、選挙になれば自民党が勝つんだよな」という固定観念のようなものを持っていたようでした。

その「慣性の法則」が、今のうちなら働くだろうから、選挙は早い方がいい。リーダーのすげ替えで「みそぎ」の効果もあるという意見もあるのでしょうか。

こうした感覚は、与党の代表である立憲民主党にもあるのではないでしょうか。テレビで見ますように。立憲民主党は、今回の総選挙につて「目標は自公政権が過半数を占めることを阻止」と言っています。

政権交代という希望は持ちながら、当面はどう頑張っても、現政権の過半数阻止までで、政権交代などは現実問題としては考えられないということではないでしょうか。 

たしかに、今の野党の乱立状態では、有権者もあの「てんでんばらばら」な野党では、それなりに纏まって二大政党対立、安定した健全な政権交代というような望ましい姿は想像できないのかもしれません。しかし、データを見れば、今までの総選挙の投票率は、以前の70~80%から半分強の50%台に下がってしまっているのです。

ですから、与党は、何はともあれ自分の票田を大事にし、有権者の3割程度の票をもらえば、絶対多数も十分可能ということだったのではないでしょうか。

これでは、残念ながら日本は、「部分的民主主義」で、本当の民主主義ではないので、今回は有権者も頑張って投票率を100%は無理としても、90%以上に引き上げるぐらいの意地を見せなければ、「民主主義国の名折れ」という気概を持つべきでしょう。

90%以上の投票率を実現した上で、結果を見ましょう。

本来の、国民の望む日本の政治の姿が、そこに見えて来るのではないでしょうか。


政治を変え、政策を変えるために(続)

2024年09月27日 09時21分41秒 | 政治

戦後の復興期から高度成長期にかけて、日本の目標は「経済復興から経済大国へ」でした。国民も、政府、官僚もまさに一体でした。

目標が明確であれば、ベクトルの方向は一致します、アカデミアも種々の経済成長理論を編み出し理論的、知的な応援をしました。

もともと日本人はエネルギーレベルが高いようです。政府もその気、官僚組織は生き生きと自律的に動き、経営者は企業の発展を越えて日本経済の発展迄考え、労働組合は、経済発展に見合う生活の向上を目指して日本経済のバランスの需要面を支えました。

こういう体制が整えば、日本経済は、まさに力強い発展を見せます。アメリカとの経済摩擦も日米繊維交渉以降、自動車半導体まで続きましたが、良いものを安くという日本製品の伸長は世界で進みました。

そして驚く勿れ、アメリカの人口3分の1、国土面積25分の1の日本が。アメリカに次ぐ世界第2の経済大国になったのです。これは今の中国の位置と同じです。

しかも、ハーバー大学の教授が「ジャパンアズナンバーワン」などという本まで書いたのです。

アメリカにとっては、戦後いろいろと面倒を見てやった日本がアメリカに追いつて来るというのは、あまり面白くないでしょう。特にアメリカの核の傘の下で、国を守る苦労もせずに、安全を保障され、経済発展ばかり進めるのは・・・です。

そこでアメリカが何を考えるかは、状況を顧みれば、誰にも解るのではないでしょうか。アメリカに恩義を感じつつも、非戦を謳う日本です、今の米中対立とは違う道、アメリカとの友好を選んだのでしょう。

これは世界にとっても良かったというべきでしょう。しかし、アメリカが「アメリカと共に戦え」という所まで来れば、日本は納得するべきではないでしょう。

日本は戦後79年の経験から、世界のために日本は何をすべきかを学びました。それは、「人類世界から破壊と殺戮をなくし」、「人類文化の向上に役立つ国になる」という理念ではないでしょうか。

そのために日本の国民は何をすべきでしょうか。最も大事なことは、日本は世界のために役に立つ国でなければならないという事です。これはアメリカのために役に立つこととは違う場合もあります。違った場合には「世界のために役立つ方」を選ぶことです。

そこに、このところの自民党政治との違いが出ます。「日本自体の目標」が明確になるのです。日本に改めて自己意識が生れれば、日本人は変わるでしょう。

話を具体的なレベルに下せば、そのためには、「選挙をすればどうせ自民党が勝つのだろう」と言って選挙に行かなかった有権者がみんな選挙に行くことです。結果は「政権交代とはこんな簡単なものだったのか」でしょう。    

自分たちで目標が決められることになれば、日本人のエネルギーは、忽ち発揮されるでしょう。

今でも、政治に抑圧される学術は低迷ですが、食文化やスポーツ、映画、さらには、全く新しい「文学とアニメと音楽とダンスの融合の様な」嘗てのサブカルチャーの分野では、日本は、世界中に強烈な影響を与えています。そうした分野では、自分たちで自分たちの目標を決められるからでしょう。


政治を変え、政策を変えるために

2024年09月26日 16時47分26秒 | 政治

立憲民主党のリーダーは決まりました。野田さんです。

立候補した4人は、選挙期間中は、4人で手を握り合い、団結の意思表示を示して、政権交代への強い意欲を示していると感じさせるものがありました。

所がリーダーに 野田さんが決まって、政権構想の人員配置のニュースが流れた途端、党内に不協和音が聞かれるというニュースが流れてきました。

こうしたニュースが、どの程度の深刻さのものかはわれわれには解りません。

しかし、自民党の長期支配とその腐敗状況に失望し、政権交代を待ち望んでいる人たちにとってみれば、立憲民主党で党内にリーダー選の直後に不満感は心配です。野党結束で自民党過半数割れから、政権交代へという今後に向けての、懸念の材料になりかねません。

大事をなすには人心の糾合こそが核心です。立憲民主党にとっては十分な、留意、注意、配慮が必要のように思われます。

自民党のリーダーは明日決まるのでしょうか。もともと意見はバラバラでも、選挙に強く、リーダーが決まれば、何はともあれリーダーを立てて、国会では挙党一致で動く自民党ですから、リーダーが決まればそれなりの体制を取り、内閣の支持率が下がっても、それなりの団結を見せるのが長期政権の中で体得された本能的なものといった感じですから、だれがリーダーになるかは国民にとって極めて大事でしょう。

ということで、リーダーが決まれば、いずれ総選挙という可能性で、これまでだらだらと下り坂を降りてきた日本が、気持ちを切り替えて、「坂を上ろう」という意識になるには何が必要かを考えてリーダーを選ぶ必要があるでしょう。

その気持ちの切り替えのために何が必要かというのが、今、日本人が真っ先に考えなければならない問題でしょう。

企業はたとえ超大企業でも、トップが変われば変わります。それはトップが変われば従業員の意識が変わるからです。そして従業員の意識が変わったことが、結果的に企業が変わることになるのです。

国の政治でも同じことが言えるでしょう。ということで振り返ってみますと、日本が世界も驚く上り坂を上っていた時代は、日本のリーダーが日本の行く先を決めていた時代です。

それではいつから日本が下り坂を歩くようになったのかを考えてみますと、それは「日本はアメリカについていくよりない」と日本の政府が考えるようになった時からです。

きっかけはプラザ合意です。それからの政策の問題は繰り返し書きました。日本のリーダーは、アメリカの意向を受けて動くだけですから、あとは演説のレトリックと支持層へのバラマキという迎合政策、そしてこの所は政権維持のための裏金と旧統一教会で済んでいたのでしょう。 

国民は何を言っても政府は聞いてくれない、政府のやっている事はおかしいという意見は抹殺され、国民は批判は出来ても、批判するだけの無力な存在となったのです。

国民の意見が反映されない世の中で、国民はますます過激な政府批判をするようになりましたが、それは政策に反映されることはなく、無力になった国民は、下り坂を降りるだけの存在になったというのが現状でしょう。(長くなるので次回に続けます)


「高生産性部門への雇用の移動で経済成長」という理解は誤解です

2024年09月14日 17時09分55秒 | 政治

働き方改革が言われて以来、表記のような言葉をよく聞くようになりました。

この主張をされる方は異口同音に、日本の生産性が低いのは、低生産性部門に大勢の人が働いているから生産性が低いのは当然で、そういう人たちが高生産性部門に移動していくことが大変重要だと言います。

聞いていれば確かにその通りですから、積極的に労働移動を促進して、雇用構造を変え、高生産性部門中心の日本経済にしていかなければならない、そのためには、再訓練をしたりして新しい専門分野の仕事に雇用が移るように官民あげて努力することが大事だなどと考えたりします。

働き方改革を推進している自民党の政治家も、マスコミで「専門家は・・」ということで紹介される方も、同じように言われる方も多いのですが、そのたびに感じるのは理屈はそうかもしれませんが、アベノミクス以来10年以上たって生産性も上がらないし経済成長もしないですねという、理屈と現実の乖離です。

何故こんなことが起きるのでしょうか。よく考えてみると、原因と結果の説明があべこべになっているからではないかと思ってしまいます。

たしかに、日本の経験でも、繊維工場で、若い女性が大勢並んで作業をしていたり電機や自動車の工場で、製造ラインにべったり作業員がついて作業をしていたりという景色のころは日本の生産性は低かったのですが、今は工場も人影はまばらで要所要所でモニターを見て,キーボードを操作しているといった感じです。

これでは生産性は大違いということになるようですが、これは結果の話で、技術革新で作業環境が変わったから、高度作業の出来る少数の要員で効率的な生産が可能になったのです。

高度なキーボード作業の出来る高度技術者が増えたから生産性が上がったのではありません。

今、逆に本当に人手が不足なのは対個人サービス、例えば訪問介護とか、増えるネット購入者への商品の宅配、タクシー運転手といった、生産性を上げようにも上がらない部門なのです。生産性の上がらない分野中心に人手不足が深刻になっています。

その中では、社会の安定に必要な、いわゆるエッセンシャルワーカーが多く含まれ、社会が不自由になって、経済成長の足枷になっているのです。

「高生産性部門に雇用が移動すれば」と担当大臣などが言うたびに、政治家の生産性はどうなのかな。GDPが伸びないのは政治が駄目な結果でもあるのだから政治家の働き方改革の方がまず必要なのでは、などと言ってみたくなったりします。

必要なのは日本経済の中に、高生産性部門をどんどん作ること、そちらが先で,それを誰がどうやるのか、国の経営者である政治家が本気でやらなければならないことは沢山あるようです。


政権は国民に対し責任を取る必要はないのか?

2024年09月11日 17時12分01秒 | 政治

岸田総理は、次期総裁選に出ないことになりました。これに対して、多くの人は岸田内閣の評判が悪く、これで立候補しても格好がつかないからと理解しているようです。

中には、政治資金問題もけじめがつかず総理総裁として責任が取れないからだろうとか、3年の在位のうち、25か月も連続で実質賃金が下がったのだから責任を取るのが当然だ、などという意見もあるようです。

しかし総じて見ますと「責任を取った」というのではなく「出ても格好がつかない」からとか、「どうせ出てもだめだろうし」といった見方が多いようです。

そういえば、今度の裏金事件でも、賃金は下がるし、経済も少しも良くならないという問題でも、政権、政府の責任という言葉は、あまり聞いたことがありません。  

責任という言葉は、日本人の感覚からすれば「強すぎて」そこまで言われては立つ瀬がないから「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」と頭を下げる程度で済ませたいし、「済ませてやってもいいか」で「済まないで済んでいる」という事になるようです。

「それも日本的でいいのかもという意見もあるかもしれませんが、お蔭で長い目で見ると国民が大変な目にあっているのに、政権には自分の責任という意識がなく結果が大変なことになってしまっているようなこともあります。

勿論、裏金問題も、実質賃金低下問題も岸田さんだけに責任があのではなく、その前からの問題の累積の結果という面が大きいので、岸田さんだけを責めても詮無いことでしょう。 

しかしそう言ってしまうと、問題は解決されないので、やはり結果が悪いことが解れば、その時点で、原因の全てを明らかにし、禍根を断つことは必要なのでしょう。

日本の政権、政府は、本来、日本の社会や経済全体をより良いものにするという国民の輿望を担って、「私(私たち)がやります」と立候補したのですから当選の暁には、その実現に全力を尽くすのが役割です。

そういう意味でいうと、戦後の自民党政権はその役割を果たしたように思います。

ところが石油危機も世界に先駆けて克服、「ジャパンアズナンバーワン」などと言われるようになると政権の指導力と過信し、驕り高ぶって、プラザ合意(G5)で円切上げに安易にOKを出すような世紀の失敗をやってしまっています。

自民党の中にも、モノのわかった人はいて、宮沢メモによれば、G5から帰国した竹下大蔵大臣に、宮沢さんは「竹下さん、あなた、自分が何をやってきたか解っているのですか」と自民党要人の前で面罵したとのことです。

時の総理は「ロン・やす」で、レーガン大統領と「仲良し」の中曽根さんでした。宮澤さんの心配に関わらず、竹下さんは総理になり、後程、宮澤さんが総理になった頃には「あの時は毎日のように大幅に円高が進んで大変困りました」(宮沢回顧録)ということで日本は円高不況の中で長期経済停滞に落込んだのです。

その後、2008年のリーマンショックでは、アメリカのゼロ金利政策が齎した、さらなる大幅円高への対抗政策もなく日本経済は瀕死の数年間を過ごしました。

2013-14年と漸く日本もゼロ金利政策を取り、円高は解消しましたが、その後の経済政策はスローガン倒れで、実質経済成長は今に至るゼロ近傍を続け、実質賃金が25か月連続前年比低下という未曽有の記録も作り、この間1人当たりGDPはかつての世界ランキング1桁の常連から2023年には32位に転落しています。

これを経済政策の失敗、経済外交の失敗と言わずして何と言ったらいいのでしょうか。

はっきり言ってしまえば、これは自民党が長期政権の上に胡坐をかき、政権党としての責任、日本の社会・経済についての取るべき政策をなおざりにして、自らの票田の涵養に政策の重点を置いていたことの結果ということでしょう。

裏金問題はこのブログでも指摘していますように、選挙資金(票田涵養の資金)を政治資金という名称にして、国民の目を眩ませ、国民のためよりも、政権維持を主要目標にしていたことから派生した黒い豪華な仇花だったのでしょう。

自民党はそれでも今も「責任」などという言葉とは全く無縁で、政権の維持を続けようとしているようです。日本国民は何処まで寛容なのでしょうか。


平和国家には無理があるという見方

2024年08月29日 17時02分59秒 | 政治

第二次大戦後、憲法で戦争放棄を謳い平和国家として再出発した日本ですが、その日本の中でも、自衛力まで放棄した国が存在可能かという意見はありました。

何処かの国が攻めてきても、何もしないで、その国のするに任せるなどという事で国家が成立するはずがない、という意見です。

それに対して、戦争をしない平和国家に戦争を仕掛けて来る国などないから大丈夫だという意見もありました。

そうした現実的でない議論をしていても問題は解決しません。世界中に200ほどもある国がそれぞれどんな考えを持っているかは解りませんから議論のしようがないからです。

やはり現実の問題は、現実を前提に考えなければなりません。

現在の国際法では自衛権は、現在の世界ではその必要があるという認識でしょう、認められています。これは個人でいえば、正当防衛にあたるものでしょう。

国連、国際法の立場に立てば、純粋に自衛のための戦力は保持は認められている、積極的に解釈すれば「その程度は持ってください」という所でしょうか。 

現実に現在の世界は、少しずつ、それが必要という状況を強めているようにすら思われます。

では、そうした中で、戦争をしない国である日本は、いかなる行動をとるのが最も合理的なのかという問題を、我々は考えなければなりません。

一番大事なことは、日本は、自衛隊は持っています。しかし正当防衛以外、絶対に戦争はしませんという事を世界中に徹底して説明することです。

これは徹底したものでなかればいけまえん。かつて、バングラデシュで日本のJICAの関係者7人がISに射殺されたことがありました、あの時、そのうちの一人が「俺たちは日本人だ」といったそうです。しかし相手は、「日本も有志連合だ」と言って発砲したそうです。日本政府は「有志連合というのは誤解」というかもしれません。

平和国家日本は、誤解を受ける前に、「戦争はしない国」というイメージを確りと世界中に周知しないといけないのです。   

戦争のさ中では,説明や言い訳など役に立ちません。「日本人なら撃たない」と言わせなければならないのです。「俺たちは日本人だ」と叫んだ声が空しく響きます。

その日本ですが、最近は「戦争をしない国」というイメージはどんどん薄れてきているようです。

憲法は何も変わっていないのですが、日本も戦争をする国になるのではないかというイメージが次第に強くなっているように思われます。

戦争をしない国はどこの国とも出来るだけ等距離の外交をしなければなりません。

勿論、等距離の外交と言っても、ロシアのように、勝手な理由で外国に戦争を仕掛けるような国には厳しい態度を取るべきでしょう。

しかしその厳しさも、国連機関の判断を基準に、日本自体の自主性を持ったものでなければならないでしょう。

アメリカの政府関係機関が、台湾有事の際に、日本が 戦争に参加するシミュレーションなどした場合には、釈明や削除を求めるべきでしょう。

中国との関係は最も重要でしょう。必要なのは、長期的視点を忘れぬ外交ではないでしょうかう。

今、最も問題なのはアメリカとの集団的自衛権でしょう。閣議決定であれば、見直しが必要なようです。

まずは、改めて日本は戦争をしないことを明確に世界に伝えることが重要と思うところです


「国民の生命と財産を守る」という事

2024年08月28日 13時40分24秒 | 政治

巨大な台風10号が、まともに日本列島縦断の進路を取りそうな動きで進んできています。現状935ヘクトパスカル、上陸時には925に発達する予測もあります。

未曽有の強さで,瞬間風速70メートルに達するといわれています。気象庁は国民に厳重な警戒をと呼びかけています。

ところで、政府は常に「国民の生命と財産を守るために」と言います。

今年は、元日から能登半島で、まさに「激震」が走りました。春から夏にかけて集中豪雨や強風、突風などの被害も異常に多いような気もします。

過日は南海トラフを震源とする巨大地震の注意報がありました。一週間ほどの緊張が続きました。一週間と期限が切られましたが、その後も注意は必要という事です。

政府は、国土強靭化を言いますが、地球環境の変化による自然災害の深刻化は政府の対策のより速いスピードで進んでいるようです。

自民党政府は、「裏金問題」収取もできずに、次期総裁選びに候補乱立、「国民の生命財産と自分の政治生命や裏金とどちらが大事なんだろう」と思われるほど迷走状態です。

そして「国民の生命と財産を守る」という言葉が使われる局面がもう一つあります。   

もうすでに多くの方はご存じと思いますが「先島諸島からの12万人避難計画」というのがあります。

勿論、日本には平和憲法がありますし、国民の多くは日本はもう戦争などしないと思っていますから、「国民の生命と財産を守る」という大義名分で、この計画を正面から打ち出しましたら、「何だ、政府は戦争をする気なのか」「戦争になれば国民の生命と財産は失わる」と大問題になるでしょうから、何かひっそりとやっているようです。

具体的には、台湾有事で先島諸島にミサアイルや無人機が飛んでくるようになると、民間人がいると巻き添えになって、自衛隊の活動がやりにくくなるから、民間人12万人ほどを九州に疎開させるという計画なのだそうです。

戦時中、沖縄の子供たちを本土に疎開させようとして米軍に撃沈され、多くの子供が犠牲になった対馬丸の記憶を彷彿されるような話ですが、これは集団的自衛権の範囲の問題で、アメリカの意思決定次第で、日本は協力する義務があるという事でしょう。

しかも、先島諸島限定というのは、日本政府の想定です。今の戦争は、ミサイルや無人機が中心ですから、相手の戦略・戦術次第で、いざ戦争となれば、米軍基地のある日本中が攻撃の対象になるかもしれません。     

という事で、さて、「国民の生命と財産を守る」といった場合、国民としては、政府は本気で言っているのか、国土強靭化の遅れのために失われる生命財産だけでも大変なのに、ミサイルや無人機からも守ってくれるなど期待できなことは見え見えでしょう。

考えてみれば、台風や地震、集中豪雨や落雷・竜巻といった自然現象は人間の力ではどうにもなりませんが、戦争は、人間がやることですから、人間の善意や知恵や努力で避けることが可能です。

日本政府は勇気をもって、戦争の阻止に全力で立ち向かい、「国民の生命と財産を守る努力は」国土強靭化など自然災害対策に集中するようにお願いしたいものです。

そういう政府でしたら、国民は総力で支えるのではないでしょうか。


自民、立民の代表選挙:本当の問題は?

2024年08月21日 13時14分51秒 | 政治

自由民主党の総裁選、立憲民主党の代表選挙が相次いで行われます。これからも、当分、マスコミは、この問題でにぎやかな状態が続くでしょう。 

日本の政党の中での、第一党と第二党のリーダーを選ぶのですからいずれにしても国民の関心は高まらざるを得ないでしょうし、その後には、恐らく総選挙が控えているという事ですから、確かに国民にとっての大問題です。

更にその背後には大きな問題があります。戦後日本の政治で殆んど主導権を握ってきた自民党が、長期の政権のゆえに驕りが過ぎたのでしょうか、カネに関わる問題や選挙組織の問題で根腐れを起こしていたことが明らかになったのです。

野党は群小といわれ、政権奪取には程遠いと多くの国民は見ていましたが、いわゆる政治資金の裏金問題、選挙に絡む旧統一教会問題で、自民長期政権の実態が明らかになってみますと、国民の意識にも変化が起きてきています。

折しも、日本経済は不振を極め、一人当たりGDPが嘗ての世界ベストテン常連から34位(2023年IMF統計)に落ち:実質賃金の対前年低下が連続25か月に及び、実質経済成長は年1%が「目標」といった惨状から、如何にして抜け出すかという日本の再生を実現しなければならない時期に来ているのです。

昨年から今年にかけて、真面目に働いている国民の多くは、こんなはずではないという気になりつつあるのでしょう。政権支持率が20%そこそこにまで低下するという異常事態となり、根腐れした自民党政権への批判が、日本の再生をだれに託すべきかという問題意識に発展しつつあるという変化が見られます。

はっきり言ってしまえば、これまでの自民党政権の政治は、外交においても、経済政策においても失敗の連続で、今の経済的没落はその端的な結果というのが客観的な見方でしょう。

そういう意味では、野党にとって、早晩行われるであろう総選挙は、従来にない重たい意味を持つものでしょう。

そして、今回の自民党と立憲民主党の総裁、代表選びは、ここまで落ちた日本の国際的な地位を、何としてでもかつての「ジャパンアズナンバーワン」とまでに世界から注目を集めた日本に戻す第一歩を踏み出すための、新しい日本のリーダーを選ぶことに繋がっていると考えなければならないはずです。

カネの泥にまみれた自民党では、その泥だらけの姿で「私もやりたい」という人が大勢いるようです。国民はどう見ているのでしょうか。

立憲民主党では、かつて、短期に政権を取った時の経験者を含め、若手は経験より若さでという人もいますが、いずれ立憲民主党だけではなく、野党を糾合できる人材が必要になるのでしょう。

マスコミはまだ、人気本位の報道の範囲を出ず、新しいリーダーに何ができるか、誰なら何を託せるかといった所にはほとんど踏み込んでいません。

しかし、可能性としては、次の政権を担い、この日本を何とかするべき人が選ばれるという事の前哨戦ということに直接つながるのでしょう。

これからの時期、国民としては、日本再生のためにどこまで役に立つ人材かという鑑識眼をもって、当面する党首選びの段階から確り見極めておく必要があるように思われるところです。


日本には政治家を育てる必要が

2024年08月17日 14時13分58秒 | 政治

岸田さんが総裁選不出馬を表明して、マスコミによれば、ずいぶん多数の人が動き始めているようです。

自民党は、皆さんご承知のてえたらくですから、だれが出ても、混迷の日本を救ってくれそうもなさそうだな、などと感じてしまいます。

野党の方も、いずれ早晩総選挙と読んで、動き始めていますが、いずれにしても小党分立ですから、この党に託せばいいというわけには行かないようです。

せめて「小異を捨てて大同に」という考え方の党首が何人かいて、「おれが、おれが」ではなく、「国民や、世界のために」と考える人がいるかと期待するのですが、そんな気配はありません。

昔はそんな政治家がいました。例えば、石橋湛山のように、大正時代に「小日本論」を唱え、戦後、本当にそうなって、日本は大発展したような人、先見の明、洞察力の優れた人もいました。 

しかし、今の政治家は、二世、三世政治家に代表されるように、政治家の秘書などから始まって、政治家という限られた専門分野しか知らない人が多いようです。

そして「選挙資金」のこを「政治資金」というように、「政治」とは「選挙に勝つ事」で、それが政治家の専門分野」ということになっているようです。

自民党の場合は特にこれがひどいようですが、これでは、国民のためとか世界のためといった政治になると、アメリカ従属ばかりで、自主性などどうにもならないのは当然です。

日本では、以前は「官僚が確りしているから日本は大丈夫」などといわれたものです。そして官僚もその気で頑張っていたようです。

ところが安倍政治になって、「決める政治」で官僚の人事権を政治が握るようになって、官僚は安倍さんの方ばかり見て仕事をするようになり、「官僚が確り・・」という事もなくなって、日本は迷走状態になってしまったようです。

安倍さんや岸田さんは沢山のスローガンを掲げました。挙げればきりがないですが、自分で思いついたのか、人から聞いたのか解りませんが、結構なことが多かったように思います。

しかし、意味が解って言っているのではありませんから「○○国民会議」などを作りますが、モノになったスローガンはありません。

アメリカの場合などはバイデンさんからハリスさんに代われば民主党支持者な熱狂してハリスさんを支持します。

アメリカでは、政権が変われば主要官僚4000人程は総入れ替えになります。学者や実業家も含め、アメリカには在野の国際的にも有名な人材が山ほどいるのでしょう。

そしてアメリカのリーダーは、アンドリュー・カーネギーのように、「自分より優れた人材を、自分の周りに集め得た人」ということになるのでしょう。

勿論、アメリカのやることが常に正しいわけではありません。日本を再び戦争をする国にしようとしたりします。しかしアメリカなりの民主主義の原理とシステムを守っているように思われます。

日本のように政治家がごく狭い政治家の家族や政治家の世界の中で育つような社会で、優秀な人材を集めたはずの官僚組織の能力発揮を、人事権を使って潰してしまうような政治家の行動はまさに政治家の自殺行為でしょう。

日本でもかつては実業家が、優れた政治家を育てようと「松下政経塾」を作ったこともありました。財界代表だった桜田武が「こんな政治家しか育てられなかったことを恥じる」と発言したこともありました。

財界が政治家を育てるのが良いという事ではありませんが、そうした関心を日本国民全体が持たなければ、日本は本当の民主主義国にはなれないでしょう。

そして、民主主義の本義から言えば、それは「選挙」を通じて国民が政治家を育てる意識を持たなければならないのでなないでしょうか。

まずは、盆暮れの付け届けが来るからとか、冠婚葬祭に、いつもご丁寧だからなどと考えていては、日本の政治はよくならないし、日本も救われない、という所から始めるのでしょうか。


<月曜随想>政治におけるSDGsの思想

2024年07月22日 15時39分45秒 | 政治

今朝のニュースで、アメリカでは、バイデン大統領が、大統領候補指名の大会を前にして、これまでの大統領選出馬の意思を翻して、カマラ・ハリス副大統領に感謝を表明し、再選を目指すことをやめると宣言しました。

見方はいろいろあるのでしょうが、バイデンさんが、自分の意思で次期大統領選出馬を目指していたのか、それとも、自分の年齢、健康などを念頭に、適切な人がいれば譲ってもいいと思いながら、対トランプの選挙戦という事ですから、民主党政権の継続のために、やはり自分が出なければならないと考えていたのか、その辺はいくらニュースを深読みしてもわかりません。

おそらくその両方の考え方を内心では意識しながら、民主党政権の継続を願うベストの選択をしなければと考えていたのではないかなどと推測(忖度)しながら見ていた人もおられるでしょう。

選挙戦が本格化してくる中で、何となく考えていたのは、企業経営でも政治でも基本は同じかなという事でした。

人間には加齢という問題がつきものですし、加齢以外にもいろいろなことが起きる可能性があります。組織の目指すところを進めていくという事の「持続可能性」(SDGSの基本概念)を考えれば、後継者の育成という問題はリーダーが最も重視しなければならないことのはずです。

政治や政党の場合には、リーダー個人の後継者育成の意識も重要ですが、政党自体の活動としてバイデンさんの次のリーダーを育てるという意識があったのか、些か疑問でした。

副大統領制というのが、制度的にそれを担保するシステムかとも思いましたが、これは今後明らかになって来る所でしょう。

逆に、トランプさんの共和党を見ますと、トランプさんも若くはありませんが、やはり、後継者育成などという雰囲気は感じられません。

アメリカという国は人材豊富だから、後継者は何時でも、彗星のごとく出てくるという意識なのでしょうか。今後の大統領選が見ものという事にもなりそうです。 

ところで、後継者育成が最も熱心に行われるのは世襲制組織の場合のようです。世襲でない独裁者の場合は後継者の育成にはあまり熱心でないので、その代で終わることが多いようです。

ところで、日本の自民党の場合には、かつては寡頭政治の様に複数の リーダー候補をそだて(三角大福など)、その中から順次リーダーを出していくような時代は、持続性がありましたが、独裁的なリーダーが出て、あとは数を揃えればという事になってから、上手くいかなくなったようです。

それでは野党の場合はどうかと言いますと、育成の意識は余りないようで、自分で育って自分がリーダーになるという方式のようで、結果は小党分立です。

日本では、政権党は独裁的になって衰亡ですが、群小野党にも、持続的発展のために組織をまとめ、その中でリーダー候補を育成するといった日本の政治・経済のSDGsを目指すといった思考方法はいずれも欠落しているようです。

やっぱり、どんな組織でも、(地球人類にも)、SDGsの概念は重要なようです。


人・後継者を育てない組織は・・・

2024年06月28日 16時13分38秒 | 政治

アメリカの大統領選挙はこの秋です。日本の総選挙は決まってはいませんが、いずれそう遠くないうちだと言われています。

アメリカの大統領候補はお二人ともご高齢です。お二人には失礼ですが、もっと若くて優秀な人材はいないのかなどと思ってしまいます。アメリカならいくらでもいそうですが。

日本では、長年政権を担ってきた自民党が自分たちの選挙で選んだ岸田総理に不満のようです。元気はいいのですが自民党自体の評判を下げてしまったようで、自民党内で岸田下ろしが始まっているという惨状です。

アメリカも日本も民主主義の国ですから、リーダーを決めるのは選挙によるのですが、その結果がうまくいかないというのは何故でしょうかと考えてしまいます。

なぜか?なぜか?と考えて達した結論は「人が育っていない」というところに行きつくのではないでしょうか。そして、人が育っていないという事の原因は「人を育てなかった」 ということでしょう。

リーダーは組織を統率し、運営し、育てる責任者です。リーダーに宜しきを得れば組織は発展します。しかしリーダーには、さらに、もう一つの責任があります。それは後継者を育てることです。人間には老化も寿命もあります。しかし、組織はいつまでも存続発展しなければならないのです。いかに立派なリーダーでも、いつかは交代しなければなりません。後継者育成は当然必須の仕事なのです。

これはアメリカの話ですが、アンドリュー・カーネギーとデール・カーネギーは日本でも有名です。同じカーネギーですが、親戚筋ではありません。

アンドリュー・カーネギーはアメリカの鉄鋼産業を興し、鉄鋼王と呼ばれた人です。この人の墓には「自分より優れた人々を自分の周りに集め得た人、ここに眠る」と刻まれていることで有名です。

デール・カーネギーは『人を動かす』という著作で有名な人材育成、コミュニケーション、リーダーシップなど人間関係分野の「大御所」です。 

アメリカは短い歴史の中でもこうした世界に名だたる人間関係の実践のプロ、理論のプロが名を残している国ですが、今や、民主党も共和党も、組織・国の成長発展のためには、人を育てることが必須であるという先人の経験や教えを忘れてしまったのではないでしょうか。

日本の自民党もかつては特色のある政治家が、自由民主という新しい時代にふさわしい思想哲学の中で、自説を展開し、それぞれに支持層を得ていたように思います。 そうした雰囲気は二世議員の増加などとともに、地盤・カバン・看板といった政治信条とは無関係な選挙の法則などが言われるのと共に薄められ、本来の政治家の在り方を怠ってしまったのではないでしょうか。

組織は人材に支えられていますが、同時に組織での仕事は人を作るのです。リーダーはそれをわきまえ、後継者の候補者・後継者を着実に育てなければなりません。それはリーダーの義務です。

しかし、多くの人はリーダーになると、自分がリーダーであり続けることが主要な関心事項となるようです。そのためにリーダーは独裁色を強め、その結果組織の運営を誤ります。そしてその時、同時に後継者不在の問題が発生するのです。

自民党もこのところこんな状態が続いているのではないでしょうか。ならば政権交代すればいいというのが民主政治の世界ですが、ならば野党に適切な後継者がいるかという問題は、「自民党もダメだけど、野党も四分五裂で困ったものだ」というよく聞かれる意見が示すところでしょう。 

人の育成、後継者の育成には時間と計画性が必要なのです。本当に必要なのは政治資金ではなく、政治の勉強と政治の現場での仕事と活動の積み上げといった経験と努力なのでしょう。 


「政治には金がかかる」を公認するのか!

2024年06月20日 15時16分53秒 | 政治

先日の党首討論でも岸田総理は「政治には金がかかる」といっていました。マスコミにもネットにも政治資金規正法の議論の中でこの言葉は常につかわれ、それに疑問を差し挟むコメントはありませんでした。 

それでもこのブログでは、その言葉は使い方が間違っているのではないかとしてきしました。

政治というのは、日本という国の安定と発展を目指し国民がより豊かで幸せな国になるように運営していくことですから、それには膨大な金がかかるのは当然です。

くりかえしますが、しかしそのお金は国民が税金や社会保険料として全額負担しているのです。

その上に政府は国民から借金をしてまで政治に使っています。国民はそれも一応認めていますから、赤字財政の問題はここでは置くとして、そのほかに何に金がかかるのですかということです。

政治資金規正法の関係で議論していることは、「いや。まだほかに金がたくさんかかるのだが、その中身はできるだけブラックボックスにして、国民にも解らないようにしたい」という事の賛否なのです。

隠蔽に公然と賛成したのが自民党と公明党で、かつてのっ選挙で絶対多数を擁していますから、強行採決で分からなくてもいいでしょうということが決まったのです。

野党のほうも、ブラックボックスというのは、あまりにも無責任だから、国民に見せても何とか納得くしてもらえるようなものにしようではないかという意見から、そんな闇ガネ、裏ガネは認めるべきではないという意見までいろいろあるようです。

そこで政治資金規正法でいう「国民に隠しておきたい政治の資金とはなにか、という事になるわけですが、それは公式には解らないのです」 それは政治資金規正法で決めてきたように、使途についてきちんと説明しなくてもいい」 という事になっているからです。

しかしそれでも、いろいろな状況証拠は沢山あって、それは、政党が、自分の政党のシンパを多くするため、つまり党勢の拡大強化を図るための金が殆んどだという事だと多くの国民は知ってしまっているのでしょう。

それは政治なのでしょうか。民主主義の政治体制では、より多くの国民(有権者)から信任された者が国民の代表になり、政治を行うというのが本来の趣旨ですから、市町村議会の選挙から国会議員の選挙まで、選挙に立候補する人は有権者に自分の考え方などをよく知ってもらわなければなりません。

もちろんそのために選挙活動の期間があるわけですが、出来れば普段からこの人が政治家になればいい政治をしてくれるだろうと思うような発言や活動をすることが大事でしょう。

そこで分かれるのがそのための方法論でしょう、まともなのは積極的な情報発信で有権者の心を掴むことです。そしてもう一つは、金にものを言わせて支持者や信者を獲得することです。

前者の場合は本人の地道な努力が必要です。後者の場合はカネが必要で、カネは多々ますます弁ずです。

前者の場合は健全な民主主義が発展し、後者の場合は、民主主義の金権政治へ堕落が起きます。

日本の場合には金権政治に情が絡んで、政治が歪められて来るというプロセスの途上というところでしょうか。

そして今、そのプロセスの進行を止めようという反省が起きているのですが、過去の選挙での絶対多数がその反省の動きに全力で阻止しようと抵抗しているというところでしょう。

以上、改めて「政治には金がかかる」という言葉の意味を、市井の一老人の目で論じてみた次第です。 


骨太の方針を支えるのは骨太の人材

2024年06月11日 15時33分51秒 | 政治

今後6年間の「骨太の方針」についての記事が多くなっています。6月中には「骨太の方針」、正式名称は「経済財政運営と改革の基本方針」を策定する「経済財政諮問会議」を座長である岸田総理が開くのでしょう。

これまでも「その骨子」が報道されていますので、このブログでも取り上げてきました。財政の基本には2025年に「プライマリーバランス回復」が掲げられるようですが、辻褄合わせに終わりそうです。これから国債の金利も高くなるでしょう。ゼロ金利だからと国民から借金して(外国から借りていないからまだいいのですが)来ましたが、まともな金利が付いたらどうするのでしょう。

物価を上回る賃上げ(実質賃金の上昇)も大きな目標のようですが、日本の実質賃金を引き上げるには日本経済の実質成長が必須です

賃上げは企業がするのですから、企業の成長がなければできません。そして企業総体の成長があって、その積み上げが経済成長になるのです。

その経済成長については先日、実質1%以上という方針だと報道されていました。「実質1%以上」では「骨細」ではないかと書きました。

最終案では多分修正されて実質2~3%になるのではないかと思われますが、これだけ真面目に勤勉に働く国民を持っちながら、実質1%以上でいいと言いうのは、如何に一国の経営陣(総理以下大臣たち)の経営手腕が拙いかを政府自らが告白しているようなものではないでしょうか。

もともと、この30年ほどで、国民一人当たりのGDPを国際ランキングを、ベスト5辺りから40位近くまで落として、その反省もなく、なお政権に留まっている政権党ですからそんな発想が出て来るのかもしれませんが「国民が選挙で選んで呉れた結果です」で済むのでしょうか。

今日は「骨太の方針」として労働経済分野の報道が出て来ました。基本は、経済の成長する分野へ労働力を移せば経済成長が高まるという事のようで、そのためには、「リスキリング(学び直し)」が大事という事のようです。ここで何でカタカナが出て来るのが解りませんが「産業訓練の新展開」の方がよほど解り易いでしょう。

先ずは、教育訓練の行き届いていない非正規労働者の徹底再訓練が出て来るのかと思いましたら、不況期の教育訓練欠如の欠如には触れられていないようです。

確かに、新しい産業分野が生まれ、それが伸びる、そこに人材を配置する事は大事でしょう。かつて日本自身がそれを世界が注目する程上手くやって、アメリカの脅威に迄なるといった実績を上げて来ているのです。

その日本がなぜ今、カタカナの「リスキリング」なのでしょうか。「カタカナを使から失敗する」という人もいます。聞いてすぐ中身が解る方が効率がいいのです。

日本の教育訓練は、現場で仕事をし、給料を貰いながら高度技能・技術を身に着けるという方式です。これは人間だけではありません。企業自体も進化、変身するのです。

従業員は基礎技術を現場で身に着け一專多能の多能工になり、企業は意欲的に新産業分野に進出し、育てた従業員を活用して技術を革新し先端企業に脱皮するのです。

政府は職務中心の欧米流人事制度崇拝のようですが、そこでは一専多能な従業員は育ちません。企業の仕事、特に先端分野などでは、人間が協力して新しい仕事を設計するのです。

そこでは個人の能力と、優れた能力の人間の協力があって、はじめて新たな企業、産業活動が成功するのです。そこでは日本流の人間集団の威力が大きい事は産業人なら皆知っています。

もともと日本の企業は人間集団が基本なのです、職務があって、そこに人間を 当てはめるという欧米流の人事システムは、日本産業の衰退を齎すことですから、産業界代表は、政府関係者を徹底説得すべきでしょう。

「骨太」の6か年計画が実のあるものになり、日本経済社会が再生する事を切に願うところです。