リサイクルとむすび
多少観念的になりますが、再生可能エネルギーの再生可能という言葉は大変大事です。リサイクル可能なエネルギー利用という意味で、人類社会のサステイナビリティーを考えた場合、この概念は、地球環境の本質的な問題につながるものだからです。
再生、リサイクルという言葉は、物事の連鎖の最初と最後がつながっているということでしょう。古い言葉で言えば、輪廻の思想です。日没と日の出、月の満ち欠け、冬至から夏至へ、人類は発生以来、こうした繰り返しを信じて暮らしてきています。この繰り返しを信じるからこそ、人類は、安心して暮らしてきたのでしょう。
ところで今のエネルギー問題はどうでしょうか。一方通行、消費のみで再生なしの分野が主力です。 化石燃料も、原子力も、片道切符しか人類は持っていません。「自然」が用意してくれた人類生存の条件であるリサイクル(再生)を全く無視した、いわば大変思い上がった行動で、一時の繁栄を謳歌しているのではないでしょうか。
宇宙は生成と破壊を繰り返しています。熱力学のエントロピーの法則を単純に適用すれば、宇宙は、いつかは何も起こらない定常状態(死の世界)に落ちていくことになるのでしょう。
しかし現実に宇宙は自ら生成(多様なリサイクル)を繰り返し、地球も生まれ、人類のような、大変精緻な奇妙なものも生成されているのです。(「自己組織化する宇宙」 E..ヤンツ)
日本の古い言葉で言えば、これは「むすび」(結び、産霊)でしょう。古事記では、宇宙そのものの象徴と思われるアメノミナカヌシノカミ(天御中主神)が最初に生まれ、続いてタカミムスビノカミ(高御産巣日神)、カミムスビノカミ(神産巣日神)が生まれています。ともに「むすび」の神で、「むすび(産霊)」はすべての創造をつかさどる言葉です。(日本創造経営協会『日本学宗』)
紐も結ばれ、人間も結ばれ、物質も結ばれ(化合)、知識も結ばれて、そこには新たな展開、新たな生命や新たな発展、つまり創造が生まれます。
宇宙も、地球も地球上の生態系も、すべて、リサイクル、結びや再生によってサステイナビリティー(安心できる安定した存続)が可能になっているのです。
今、片道切符を振りかざして、かりそめの宴を謳歌しようとする考えが、特にエネルギー利用の場において顕著です。
宇宙そのものの活動、地球の自然の存続、それを何が可能にし、そのためにいかなる自然の営みが行われているかを考えた時、今日の驕り高ぶった人間だけが、消費と破壊の一方通行をよしとし、宇宙の基本原理というべき「リサイクル」と「むすび」を無視して、自らの足元すら見ない行動を際限なく続けることが、如何に愚かなことか、改めて、よく考えるべきでしょう。
多少観念的になりますが、再生可能エネルギーの再生可能という言葉は大変大事です。リサイクル可能なエネルギー利用という意味で、人類社会のサステイナビリティーを考えた場合、この概念は、地球環境の本質的な問題につながるものだからです。
再生、リサイクルという言葉は、物事の連鎖の最初と最後がつながっているということでしょう。古い言葉で言えば、輪廻の思想です。日没と日の出、月の満ち欠け、冬至から夏至へ、人類は発生以来、こうした繰り返しを信じて暮らしてきています。この繰り返しを信じるからこそ、人類は、安心して暮らしてきたのでしょう。
ところで今のエネルギー問題はどうでしょうか。一方通行、消費のみで再生なしの分野が主力です。 化石燃料も、原子力も、片道切符しか人類は持っていません。「自然」が用意してくれた人類生存の条件であるリサイクル(再生)を全く無視した、いわば大変思い上がった行動で、一時の繁栄を謳歌しているのではないでしょうか。
宇宙は生成と破壊を繰り返しています。熱力学のエントロピーの法則を単純に適用すれば、宇宙は、いつかは何も起こらない定常状態(死の世界)に落ちていくことになるのでしょう。
しかし現実に宇宙は自ら生成(多様なリサイクル)を繰り返し、地球も生まれ、人類のような、大変精緻な奇妙なものも生成されているのです。(「自己組織化する宇宙」 E..ヤンツ)
日本の古い言葉で言えば、これは「むすび」(結び、産霊)でしょう。古事記では、宇宙そのものの象徴と思われるアメノミナカヌシノカミ(天御中主神)が最初に生まれ、続いてタカミムスビノカミ(高御産巣日神)、カミムスビノカミ(神産巣日神)が生まれています。ともに「むすび」の神で、「むすび(産霊)」はすべての創造をつかさどる言葉です。(日本創造経営協会『日本学宗』)
紐も結ばれ、人間も結ばれ、物質も結ばれ(化合)、知識も結ばれて、そこには新たな展開、新たな生命や新たな発展、つまり創造が生まれます。
宇宙も、地球も地球上の生態系も、すべて、リサイクル、結びや再生によってサステイナビリティー(安心できる安定した存続)が可能になっているのです。
今、片道切符を振りかざして、かりそめの宴を謳歌しようとする考えが、特にエネルギー利用の場において顕著です。
宇宙そのものの活動、地球の自然の存続、それを何が可能にし、そのためにいかなる自然の営みが行われているかを考えた時、今日の驕り高ぶった人間だけが、消費と破壊の一方通行をよしとし、宇宙の基本原理というべき「リサイクル」と「むすび」を無視して、自らの足元すら見ない行動を際限なく続けることが、如何に愚かなことか、改めて、よく考えるべきでしょう。