東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

七大戦終了!

2023年07月23日 19時05分00秒 | 七大学戦
お世話になっております。

3年スナイプスキッパーの中静です。

大会後帰省し、おいしいものをたくさん食べたり、愛犬の成分を吸引したりすることでしっっかりと英気を養うことができました



さて、今回は七大学戦ブログということで大会運営をゆるく振り返っていきたいと思います。

準備は去年の暮れあたりからスタートしました。

実際に準備を進めるにあたって、2つの問題が顕になりました。

ひとつは、担当者である僕が、学連レースを含めレース運営経験が一切ないこと。
ふたつめは、七年前に東大が主管を務めたときの資料がほとんど残っていなかったこと。

この時点で投げ出したくなりました笑

レース運営でいえば澤田とかの方が適任なのではと本気で思っていました。

このような感じで何をすればいいかもぼんやりとしていて、モチベーションはほとんどゼロで西尾さんにメチャクチャ迷惑かけてしまいました。

スイッチが入ったのは約2ヶ月前の春イン後くらいです。このころから外部の人と多くやり取りするようになり、七大戦を成功させねばという責任感が芽生えました。

そこからは怒涛の2ヶ月でした。
ミーティングや外部との連絡、資料作成に明け暮れる日々でした。

ただ、僕がやったのは逆にこれくらいで、実際に大会が開催できたのは、本当に周りの人達のおかげです。

特に大会当日、自分はほとんど何もしていないです。
大会中の各フェーズで、それぞれの担当者が想定を超える働きをして、運営が進んでいました。



レース1日目の各自の動き。細かいですが、1年生を含めこれだけ各自が様々な役割を果たしました。ありがとうございました。




レース結果でいえば、スナイプ優勝の瞬間は死ぬほど嬉しかったです。インカレで勝ったらもっと嬉しいんだろうなと思いました。






個人戦とインカレはもう意外と近くに迫っているので、気を引き締めていきたいと思います。



最後に、この場をお借りし、関係者の皆さまに心より感謝申し上げます。LBの皆さま、アンパイアの皆さま、七大学の方々、船を貸してくださった大学の方々、トラッキング関係者様、メディア関係者様、コーチ、監督、先生、そして、東大ヨット部のみんな。

自分には至らぬ点しかなかったかと思いますが、他にもたくさんの方々に支えられ、何とかここまでやってこれました。

多くの方とやり取りさせていただく中で、いかに自分達が周りに支えられて活動できているかということと、ヨット関係者はやっぱりあたたかい人が多いなあということを再認識できました。


まだまだ未熟者ですが、今後もあたたかい目で見守っていただけますと幸いです。


それでは失礼します。



中静勇輝





七大学戦(完)

2023年07月21日 10時01分28秒 | 七大学戦

お世話になっています。

 

 

ディンギー班主将の西尾です。

 

卒論の中間発表が今週の火曜に終わり、

それから大掃除に、試薬整理と、

夏休み前の諸々の作業を終わらせているところです。

 

今週末でこんがり焼けたと思ったら、皮がどんどんむけちゃって、

なんとも研究者らしくない顔で教授陣を前に発表しました。実験サボってるって一瞬でばれた気がします、、、

なにはともあれ、無事終わってよかったです。

 

さて、先週末七大学戦が行われました。

 

成績は470が4位、snipeが1位、総合が2位でした。

 

皆さんもご存じのとおり、我ら東大が主幹校で、

正直に言うと、本当に大変だったたなあと感じます。

 

大会運営面、競技面、両方とも書きたいことがいっぱいあって、何から書き始めようかと、、

 

まずは、なーしーと、やまこうへ。

この二人をなくしては、今大会を成立させることはできなかったです。お疲れ様。

 

時を戻して、昨年の東北大学が開催して下さった、七大学戦。

僕らは当日、閖上ハーバーに行って、チャーターもらって、整備して、大会でて。

横目で、東北大学さんが必死になって大会運営されてる姿を見て、来年本当に僕らでこのような大会をできるのかなあ、と不安でした。

 

思えば、代替わり直後から八景島開催or葉山開催論争があり、、、

新クラブハウスの工事の進捗によるけど、どう転じるか全くわからない、、

それに加えて、いつ開催するのか?、

これもなかなか決まらなかったです

 

ともあれ、七大学の主責任を中静、山本が務めてくれることになり、、、

七大の運営の全権を与えるから、うまくやってほしい、という

おおざっぱで、しかも難しいリクエストを二人にしました。

 

はじめのうちは何をすればいいのか、どこまで僕が介入すべきなのか、距離間がうまくつかめなくて、苦労しました。

 

でも、気づけば僕の想像をはるかに超える、リーダーシップを発揮し、この大会を無事成功させてくれました。

予算作成、アンパイアフリート制に始まり、トラッキングシステムの導入、当日の運営、人員配置に至るまで、本当にたくさんのことがあったと思います。

一つ一つ、僕なりの思い出もありますが、きっと後で

なーしーがたっぷり書いてくれると思うので、そっちに期待しましょう。

 

本来であれば、僕をはじめ4年生が担うべき仕事だったと思いますが、

やり切ってくれたこと、本当に感謝してます。ありがとう!

 

他にも今大会を通して、多くの人がこの大会を支えて下さったことを身に染みて感じました。

 

運営委員長を務めて下さった植地様をはじめ、運営委員のLBの皆様。大会の数か月前から度重なるmtgをしながら、入念に準備して下さりました。何度も何度も失礼なことを致しましたが、最後まで温かく支え続けて下さったこと、感謝しています。

また、大会当日には大会委員長の松下先生、レース委員長の戸沢様、そのほかたくさんの若手LBさんが今大会のレース運営を担って下さいました。

また、観覧艇をご準備下さり、陸と海との両方で熱い声援を送ってくださったLB様、

本当に今大会には数多くのLB様が駆けつけて下さり、現役とLBさんが一体となって作り上げることができたのではないか、と思います。ありがとうございました。

 

小松コーチに、矢野さん、本多さんと、コーチでありつつも、今大会の海上運営の要を担って下さり、より質の高い運営ができるようにしてくださいました。

レースについてはのちほど触れますが、これから秋に向けてより一層よろしくお願いします。

 

そして、アンパイアフリート制の導入に大きく貢献いただいた岡部様、チーフアンパイアの渡邊様、プロテスト委員長の浅田様をはじめアンパイアの方々のおかげにより、

慣れない制度ではありましたが、無事にアンパイアフリート制でレースをすることができました。SIの作成から、当日のブリーフィング、海上ジャッジに至るまで丁寧に行ってくださったこと、大変感謝しています。

 

また、本大会のもう一つの特徴は、トラッキングシステムを導入したことです。このシステムを導入できたことで、レースに出た選手がレース反省に便利だけでなく、陸に残る部員や応援して下さるOBさんが多いこの七大学戦で、多くの人がライブで楽しむことができたのではないかと思います。関係者の皆様、大変ありがとうございました。さらに、今大会ではメディアボートをだして、海上で多くの写真をとってもらいました。川田さん、羽田さんありがとうございました。

(メディアボートの運転手、2年のゆうた。悠太が笑顔で写真を撮ってくれると、こっちも笑顔になります。ありがとう。やっぱりあざとい(笑))

 

大会調整、また陰ながら今大会を支えて下さった葉山新港の職員の皆様、チャーター艇を貸してくださった葉山・江の島の大学の皆様、ありがとうございました。中には無理なお願いも多々あったと思いますが、ご対応頂きありがとうございました。

 

そして、七大学のみなさん。

葉山までおいで下さり、ありがとうございました。事前から関係者mtg等しましたが、僕らが想定してなかった質問やご指摘をたくさん頂きました。中には、そこまで準備しているんだ!とか、めちゃくちゃSI読み込んでるなあ!とか、驚くものもあり、他大学が大会にむけて本当に入念に準備されていることを今大会で学ぶことができました。

今大会の実施にご協力くださって、本当にありがとうございました。

この七大学が小戸でもう一度対面して熱い戦いができること、願ってます。

そして、京都大学さん、総合優勝おめでとうございます。(悔しいですが、完敗でした、、、また出直してきます)

 

そして、何より部員のみんなへ。

2年生以上は、ほぼほぼ全員がなんらかの仕事を任され、中には二つ、三つ、と仕事を掛け持ちしている人も多くいたと思います。

チャーターの引き渡しから、海上運営、陸上本部、レセプション等々、数えきれないタスクがあって、それらを着実にこなし、臨機応変に対応してくれたみんなを誇りに思います。

今大会の本船は、なんとギョウシュウ。

そう、クルーザー班からも連日お手伝い頂きました。ディンギーのレースにクルーザー班が来てくれるの嬉しかったです。ありがとう。

 

そして、一年生。入部したてて、葉山に来るのは新勧以来だったと思います。何がどうとか分からない中でも、楽しそうにレース手伝いしてくれたことが印象的でした。

僕は閉会式が終わったあと、これらを全部今から片づけるのかと思い、途方に暮れていましたが、部員57名の底力は偉大でした。それぞれが先回りして、効率よく終わるように、またパワーで押しきるところは押し切って、、、このチームなら、これから何でもできる気がします!

 

連日、うだるような暑さ。そして、それぞれがテストに追われてるときなのに、全力を注いでくれたこと、本当に本当にありがとう。

 

みんなの活躍、ここには書ききれないけど、僕はたくさん見たし、たくさん聞いたし、たとえ僕が気づけてなくても、きっと誰かが見てくれています。

 

なんか、引退ブログみたいになっちゃったけど、僕はまだまだ部にへばりついているので、ご安心を、笑

新クラブハウスへの引っ越しに、お披露目会、六大学戦とまだまだ部として乗り切らないことたくさんあります。これからもよろしく!

 

さてさて、こう振り返ってみると、今大会が多くの人の手によって成功へ導いてくれたこと、改めて実感します。

一人でできることは限られているけれど、みんなでやればどんな大きいことでもやり遂げられる、そういうことを体感できました。

 

最後にちょっこっと、競技面を。

 

大野の見事なくじ運により、今年も無事14艇の中で一番古い船に僕が乗ることになりました。

 

 

実は昨年の七大学は27番台で、化石といわれた船。

今年は、29番台。去年よりはだいぶ艇番が新しくなりました(笑)

 

でも、船をよく見ると、、、あれ?メインカムがない。

トラベラーがない、、、トラベラーつけるには船に穴開けないと無理やん、、、

ということに気づき、バンガーになるという、スナイパーになってからの初の挑戦でした。

 

大野を恨みに恨みました。

 

なんちゃって、

 

でも、この3日間だけは、この船を労わろう。そう思って、すべての時間をこの船に注ぎました。

そのおかげで、ほぼほぼ運営はみんなに丸投げしてしまったんだけど、、、

 

色々工夫はするけれど、バンガーと、ザブンザブン浸水してくる水は、僕にはどうしようもなかった。

 

1, 2レース目。なんとかリカバーしつつ、2, 1位とまとめて、いい兆しが見えてきたーと思ったところで、3レース目。1, 2レース目の貯金がすべて消え去った。

 

正直、僕のキャパが限界でした。それをなんとか誤魔化し、周りの助けももらいながら頑張ってきたけど、3レース目が終わったあと自分の中の何かが途切れてしまった。

 

ランニングはスピードでないし、クローズのスピードは自分が一番遅く感じる。

ただでさえ、さまざまなストレスがかかってる中で、、

絶望してたと思う、というか、絶望してた。もう、どうしていいのか、正直わからない。

 

感情が外に現れやすくて、帰着後やレセプション中、負のオーラが表情に出てたかな、、、ごめんなさい。

 

「50%の力しか出せないんだったら、その50%の100%を出せ」

 

つまりは、どんな状況であっても、自分のベストを尽くし続けよう、ということ。イチローさんの言葉です。やっぱり、イチローさんは人格が違います。

 

実はすごく感情の起伏が激しいと僕は思います。おそらく、それは三上が一番わかってると思いますが、、、

 

50%しか出せないかもって思ってるときというのは、なんかどうでもよくなって、

10%しか力出せなかったり、そもそも0%になったり。

 

今回もあろうことか、ここで勝負から下りたら楽だろうなって。そんなことをぼやいてました。

この大会、みんなが必死になってる中で情けない、、、

 

まだまだだなあ、、、メンタル的にも、技術的にも

 

そんな中、とある先輩に助けてもらい、なんとかその夜気持ちを落ち着かせて、、、

何度も何度も何度も励まされて、、、

 

 

そして次の日。気持ち入れ替えて、落ち気味の北風でスタート。

東大2艇はまずまずの順位で1上を回るも、ノーレース。

 

南に回って、再レース。右に風がシフトしていく中で、左に取り残された自分。焦りに焦りました。でも、大野がなんとか前を走ってくれてる。点数計算をしつつ、前を大野にお願いし、僕はやるべきことを淡々とこなす。

 

最後、ゴールした瞬間。そして、スナイプ優勝が確定した瞬間。

最高でした

 

 

これだからやめられない

 

 

レースメンバーだけでなく、サポートしてくれてる部員、運営してくれてる方々、応援してくれる方々、と喜びを共有できること、やっぱり最高にうれしい。

 

 

そして、残りラスト、無我夢中で頑張ろう、そう誓えた。

全日本インカレで総合入賞する、その瞬間をこのチームで迎えよう。

 

そのためには、どんなことがあっても、くじけず、ただただ前だけをむいて頑張っていこう。

 

今後とも応援のほどよろしくお願いします!

 

そして、この七大学戦に関わってくださったすべての皆様、本当にありがとうございました。

 

 

 

ディンギー班主将 西尾拓大

 

 

 

 

P.S. 1年の芸だしのおかげで、ちょっと気持ちが晴れました。お疲れさま。なかやまキンニク?を知らないのは僕だけなのか、いつか確かめたいです

この写真からでも必死に取り組んでくれてたことが伝わりやす!

 

この船にも愛着湧きました。でも、やっぱり308が一番だね。

あと、三上お疲れさん。こっから、全スナ、全個、頑張ろう。

 


不甲斐なさ

2023年07月21日 01時46分00秒 | 七大学戦
お世話になっております。3年470スキッパーの澤田です。

先日、7/15-17で七大学戦が行われました。470クラスが4位、スナイプクラスが1位、総合2位という結果でした。詳しい成績はFacebook の方に載っていますのでご覧ください。

自分は4レース中、前半2レースに出場しました。1レース目がUFD、2レース目が7位という結果でした。4662という何ら文句のつけようのない船に乗っていただけに不甲斐なさが募るばかりです。たらればになってしまいますが、UFDがなければ470クラスも2位と、去年と同等の結果を残すことができていました。団体戦におけるUFDの重みというのを身に沁みて感じます。

2レースとも6-7m/sで1ピンオーバーくらいの南風順風が吹いていていいコンディションでした。ただ、岸が近く東よりの風が結構頻繁に入ってくるというのが、普段のレースとの違いでした。共通して言えるのは、ランニングが絶望的に遅かったということ。ロッキングをするもやり方が下手くそ過ぎて逆に遅くなる始末でした。これはもう夏合宿で克服しようと思っています。

さて、個々のレースを振り返ってみようと思います。

1レース目のスタート。下3に並んでいた。1分前の待つ位置は全然問題なく、下のスペースもあるしあとはメインを引いて出るだけ。ただ、下は空いていることもあってどんどん前に出れた。20秒前にはラインとの距離が割と近くなっていることに気づいた。とは言ってもまだ加速する余裕はある。10秒前、いつも不安になって前に出ようとしない自分の背中を押すかのようにクルーからのゴーサインが出る。しかしこの時加速しやすい環境が完璧に整いすぎていた。もういつでもベストスピードでクローズになれるけど、ラインとの距離がそんなになかったことを思い出して3秒前にベアした。これはいい判断だった。しかし下には東北大がいてこれ以上ベアできないので仕方なくラフした。この時、メインセールごしにアウターがバッチリ見えて、ああやっちまったと思った。フィニッシュして順位表を見ると案の定UFDになっていた。

このリコールには続きの話があります。翌日の朝、先輩からスタートの動画を見せられました。意外にも本当にギリギリのジャストスタートに見え、これならばギリギリリコールしてないと言い張ることもできると思い、プロテスト委員会に救済要求を出しました。しかし門前払いでした。それはなぜかというと、アンパイア制ではフィニッシュ後のB旗掲揚中に抗議、救済を受け付けるが、それ以降は全く受け付けないからです。アンパイア制でなければ陸上で審問が行われ、要求が通っていたかもしれないです。少しでもリコールしてない可能性があるならリコールの救済要求は海上て出しておくべきだという考えがなかったことが、自分の落ち度でした。

2レース目。スタートはまた下3にいて直前に左にふれたことにより結果的にまずまずのスタート。1上はラッキーパンチで1位回航。2下はランニング遅くて1艇に抜かされる。問題は2上。クローズのボートスピードはそんなに悪くないのに4艇に抜かされてしまった。あとで振り返ると、これはおそらく右からリフトブローをつかんで伸びてきた艇団に対して受けずに後ろを通ったことが原因だと思われる。これによって負けが確定した。

うまくいかないことばかりでしたが、4〜7月でたくさんレース経験を積みました。レースでこうするとうまくいく、うまくいかないなど、いろいろなことがわかってきました。しかし、レース中にそのことに気づけない、一瞬一瞬でその判断ができないということが多くあります。

今後、この代での目標を達成するためにはもう一段階上に行く必要があります。この夏で一皮剥けることができるよう練習に励みたいと思います。

最後に、大きなトラブルなく無事に大会を築き上げることができたのは、七大学戦の運営に携わっていただいた関係者の方々のおかげであります。ありがとうございました。中静もお疲れ様でした。

それでは失礼します。


レセプションの焼き鳥が美味しかったです。ただ、忙しくて全然交流できませんでした。来年は、ゆっくりしたいです。

2023年07月20日 22時00分49秒 | 七大学戦

お世話になっております。470スキッパーの成相です。

 

七大戦の振り返りブログ。

 

全然納得できる結果ではありませんでした。

個人としては、2日間しっかりレースに出て、個人成績3位、470チームとしては、クラス優勝、そして、東大ヨット部としては、総合優勝を目指していました。

ですが、一つも達成できませんでした。

 

思えば、代交代が行われた東北大学戦でレギュラーから外れ、その後の春イン前でレギュラーに復帰して92に乗ってから、目標と実力の乖離に苦しんでいる気がします。春インでも悔しいというか、呆然とするような結果で終わってしまいました。もちろん、新歓とレギュラーとしての責務みたいなものでなかなか練習に集中できなかったから、春インが爆風1レースであったからという言い訳もあります。しかし、個人戦では、練習期間もあったし、92にも乗りまくっていたと思うし、レース数も多かったし、要は言い訳がほとんどない中で、よくない成績で終わってしまいました。その後は、オリンピックウィークであったり、関東470決勝であったり、フリートレースが続く中、29という素晴らしい船になぜか乗る機会をもらいましたが、思うような成績を残せないで29の時期も終了しました。

そのような状況で、七大戦を迎えました。七大戦に向けての個人としての思いは強かったと思います。チームがあまりうまくいっていない中で、何か形を残して、いい方向性にもっていきたい。そして、自分が3日間出ることは、濃厚であったので、七大戦でチームの目標を達成するには、自分の努力が必要、そんな気持ちで七大戦に臨みました。

 

まず、1日目。

明治の4430と日大の46何たらの船を高天さんがくじで引いてきました。くじ運はよかったのではないかと感じました。もちろん、2日目に澤田が出ることは決定していたので、自分と丸山さんが艇番の低い方に乗ることは金曜日の夜に澤田には伝えていました。なので、明治の4430にしました。整備して、午後から意外と吹いている中、プラクティスレースを1レースやりました。結果は、2位でまずまずのできでした。プラクティスレースは、結果よりも、船の不具合の確認の方が主だったので、船の整備項目がたくさんあることに気づいたのは、よかったです。センターがささらないし、カニンガムが引けないし、トラベラーが引けないし、整備項目が多く見つかりました。七大戦は、整備力や即応力みたいなものも問われるので、そういった意味で整備をすることは重要でした。整備が終わり、どの大学も休憩している中、東大だけはブリーフィングの後に出艇し、整備項目の有無や船の感覚を確かめました。そういった意味で、澤田も僕も言葉にはしていませんでしたが、この大会にかける思いがあったのではないかと思います。着艇後、整備をして、船に文句がない状況にして、この日は終了しました。

 

2日目。

意外と吹いている中、3レースを行いました。1レース目、下1でスタートして、色々失敗したけど、2位フィニッシュ、そして、澤田も6番くらいでフィニッシュしたので、合計点も一桁で最初にしてはまずまずでした。しかし、実際は、澤田がリコールしていたので、芳しくない結果でした。2レース目、スタートの準備ができてなかったり、下有利であることを把握できていなかったりと、自分たちは最悪のスタートをしてしまいました。今回のレースで今まで課題であったスタートの改善も達成しなければならないことの一つであったので、悔やまれるスタートでした。しかし、澤田が1上でトップで回っているのを見て、自分たちも頑張らないといけないと感じ、勇気をもらいました。3レース目は、澤田とひろきが交代することになり、スナイプのレース中の約2時間弱を船の感覚やレース海面の調査に費やしました。このレースは、どちらの船もまずまずのスタートをして、あとはコースやボートスピードの戦いでした。結果は、合計11点でよくありませんでしたが、このレースで2日目のレースを終了しました。実は、僕はレセプション担当だったので、レセプションの準備を着艇後しました。その後、船の整備を行いました。諸々の片付けをして、疲れたので、この辺で就寝しました。

 

3日目。

この日は、微風予報で、レースができないかと思われていましたが、北風が案外吹いていたので、北風の中、470はレースを行いました。この日は、高天さんも出ているので、二人で合計一桁台をキープして2レース行えば、妥協点の目標には達成するだろうということで、とにかく前を走ることを意識しました。スタートも自分が下ピンで、高天さんが上ピンでスタートをしているのを見て、ピンを二人でしっかりと抑えてスタートできたのはよかったですが、その後のコースの選択ミスや抑えるべき船を抑えられずに、フィニッシュしてしまいました。その後は、風が凪ってしまい、南風の中スナイプが1レースやって、終了してしまいました。大野さんがフィニッシュして、西尾さんが京大の前でフィニッシュするかがスナイプがクラス優勝するかどうかを決定するので、みんな固唾を呑んで待っていたのが印象的でした。スナイプが優勝した時、もちろん嬉しかったですが、それと同時に総合優勝できなかったのは、470のせいだと感じていたので、申し訳ない気持ちもありました。さらに、470の賞状獲得もなくなり、いまだに賞状を手に入れていないのは悔やまれる気持ちです。

 

レースは、自分にとっては、あまり喜ばしいものではなく終了してしまいましたが、今回の大会を無事に成功させたのは、中静をはじめ、多くの部員のおかげであると思います。中静とかが平日にミーティングをしていたり、準備をしていたことは知っていました。また、この大会中でも夜遅くまで準備していたことも知っていました。その努力の甲斐もあって、無事終えられたのは、よかったと思います。ありがとうございました。

 

もう残すは、秋のインカレのみになってしまいました。最後にこのチームで良い結果を残せるように今後も練習していきますので、今後ともよろしくお願いします。

 

成相悠喬


小戸。故郷、原点、青春、 【七大戦ブログ】

2019年08月08日 16時34分00秒 | 七大学戦
お世話になっております。3年スナイプスキッパーの吉武です。

今年の七大戦は小戸(福岡)で行われました。小戸は、私の青春の場所です。ヨットに出会い、ハマり、打ち込み、挫折し、しかしまた頑張り、たまに少しだけ成功し…。球児がグラウンドに青春の汗を残すように、私は小戸に青春を刻んできました。最後の大会で負けた時、「もうヨットは辞めよう」とクルーと話したことを覚えています。OPからヨットを始めたのに、その年の県大会では圧倒的に経験値のあるチームだったのに、負けた。プライドはもうありませんでした。
トータルで9年、小戸に通っていました。

高校を卒業して上京し、小戸でヨットに乗ることはなくなりました。

東大ヨット部に入部して葉山・八景島で活動を始めましたが、最初はなんでも小戸と比べていました。日没早すぎ、赤旗で出艇禁止とかあるんや、波高すぎる、等々。入部して数ヶ月が経った頃、様々な事情が重なり小戸で開催された七大戦に出場する機会をいただきました。結果は、散々でした。その時の記憶は抹殺したのでほとんど覚えていませんが、6レースくらいやって1レースだけドベじゃなかった気がします。これはある種のトラウマになっており、それ以降その大会で使ったセールは封印されています。
2連敗です。

あれから2年、再び小戸で戦う機会を得ました。関東でのフリートレースではある程度の場所を走れているという実感がありました。全日本に出場できるだけの実力もつけました。上位の中でバチバチ戦うことを楽しみに、小戸へと乗り込みました。

結果は、またもや散々でした。上位は圧倒的に早く、半分より下を走る展開が続きました。また満足のいく走りはできませんでした。会心のレースは1つもなかったように思います。とにかく他大学に比べて我々は下手で、スナイプへの理解も薄かったとしか思えません。

3連敗。

入部した時から目標にしていた大会で走れなかったこと、小戸で走れなかったことはただただ無念でなりません。僕は弱い。最近の成績から少し調子に乗っていた。もう無念とは思うことが無いようにしたい。勝ちきれる実力が欲しい。
いつかまた小戸で笑いたい。


ぐしゃぐしゃなブログになってしまいました。もちろん今年大事なのは全日本個人戦(蒲郡)と全日本団体戦(西宮)です。せめてそこでは笑って終われるように。
西宮で、笑えるように。


3年 スナイプスキッパー
吉武宗浩

3ヶ月前

2019年08月05日 00時10分00秒 | 七大学戦
  こんばんは、4年スナイプスキッパーの多賀谷です。ブログ更新が遅くなって申し訳ありませんでした。7大学戦についてのブログを書かせていただきます。小野のブログにレース結果は載っております。今回のスナイプチームは7大学中5位ということで、自分の中では満足のいく結果とはなりませんでした。もちろんレースに出ていた他のメンバーも、海の上で交代に備えて控えていたメンバーも、陸でスナイプの活躍を待っていたメンバーも満足はいっていないことでしょう。
  結果を見れば、私の艇が2桁の順位が複数回あるということで、単純に力になれなかった。自分の中でも前を走るイメージもできていたし、前日のプラクティスレースでは6位でそんなにスピードも悪くなかった。しかし、レース当日は1レース目の5位フィニッシュ以外は叩いてしまいクラス4位で1日目を終えることに。主に、風が上がってからの対応に苦しんでしまった。トラベラーの無いスナイプを乗りこなせなかった。2日目も、470のレース中に走り合わせを行い、コントロールロープ類の条件を変えて、検討してみたりした。もう1艇の吉武の船に対して大きく負けているとは思わなかった。しかし、私は1日目と同様に順位を上げてこられずに苦しかった(おそらく吉武もそう感じていると思う)。
  総括としては、今回のレースは、私の今の実力がよく反映されたリザルトだなと。上手くいかない時に 、何が間違っているのかを把握できず、レースの中で修正できていない。ただレースをこなしただけという感じ。というか、どのように走れば正解だったのか、未だに恥ずかしながら分かっていない。だから、自分はチャーター艇で行う7大学戦の勝ち方は、教えられないし、語れない。ノウハウを還元できなかったことは本当に申し訳ない。
  でも、全日本は違う。全日本は自分の船で出られる。しっかりと自分の船のコンディションを整えて、その船に乗り込む。自分の船だから絶対に走らないこと無いんですよ!ただ、練習通りの走りをすればいいだけなの!これは誰でもできる。インカレでは、練習は裏切らない。3ヶ月後、全日本でまた会いましょう。

ただいま小戸、またいつか

2019年07月21日 10時10分16秒 | 七大学戦
ディンギー班主将、470スキッパーの小野万優子です。
7月14,15日に福岡市小戸で開催された七大学戦のご報告をします。

結果は、470級が3位入賞、スナイプ級が5位、総合3位入賞でした。入賞は2012年の3位以来7年ぶりとのことです。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、小戸は私のホームポートです。高校3年間のヨット部生活を小戸で過ごしました。
久々に帰ると小戸のいいところを実感しますね。都心から近いし、家も近いし、スーパーもホームセンターも隣にあるし…
高校時代に「他の部活はグラウンドなのに〜なんでヨット部だけ15分もチャリ漕がなきゃいけないの〜!?」なんて甘えていた自分を叱りたい。
私今は江ノ島に一本で出られるように小田急線沿いに住んでいますが、それでもハーバーまで1時間半かかりますから。関東恐るべし。

とはいえ寂しいことにおそらくもう相模湾で過ごした時間の方が長いんですね。
風も波もさすがに関東の方に慣れました。初めて強風の相模湾を見たときは「こんなに波高くてヨットなんかできないょ…前の船のマストも見えなぃ…」と恐れ慄いていましたが。

七大学戦の話に戻りましょう。
七大学戦は3艇の団体戦のインカレとは違い、2艇×7校の戦いになります。
あ、そうそう。今年から長らく部員が少なく参加していなかった名古屋大学さんが復活されました。7校での七大学は私も初めてなのでうれしかったです。
以下、今回のリザルトです。

《470》(全14艇)
塚本天木ペア 3-(6)-3-1-6-4-2
小野大橋ペア 8-(7)-9-7-4-6-5

1位 九州 3-(13)-6-7-10-5-5 合計36点
2位 京都 (11)-8-9-8-4-10-9 合計48点
3位 東京 11-(13)-12-8-10-10-7 合計58点
4位 東北 14-15-12-13-15-13-(19) 合計82点
5位 大阪 17-(25)-17-21-16-19-19 合計108点
6位 北海道 (26)-14-23-21-26-22-19 合計125点
7位 名古屋 23-17-(27)-27-24-27-27 合計145点

《snipe》(全14艇)
吉武阿部ペア 8-5-8-8-3-8-(8)
多賀谷野村ペア 5-9-10-11-6-11-(13)

1位 九州 5-(17)-14-5-3-9-3 合計36点
2位 京都 5-4-11-12-(13)-7-8 合計47点
3位 大阪 (18)-10-8-11-13-13-17 合計72点
4位 東北 25-19-17-9-(27)-11-10 合計91点
5位 東京 13-14-18-19-9-19-(21) 合計92点
6位 北海道 15-22-13-(23)-17-20-20 合計107点
7位 名古屋 25-20-(27)-26-24-26-26 合計147点

※2艇合計で最も点数が高いレースをカット

《総合成績》
1位 九州 72点
2位 京都 95点
3位 東京 150点
4位 東北 173点
5位 大阪 180点
6位 北海道 232点
7位 名古屋 292点


1日目は小戸らしからぬ(私が忘れただけかもしれませんが)安定しない風で4レースが行われました。
上マークがちょうど能古島の風下にあるのでアプローチが難しかったです。
風速と風向の変化がめまぐるしく変わる順風でした。葉山の北風の周期をずっと小さくした感じでしょうか。
470チームの話をしますと、塚本・天木組は慣れない海面ながらよく走っていました。私はというと、本来安定して走れそうなところから2,3ポイント落とした順位を取り続けてしまっていました。混みあったところで競り負けることが多かったです。
1日目が終わった時点で2位の京都大学と8点差。自分が走っていれば…と悔やまれました。

2日目は小戸らしい安定した海風でした。多少の海面差はあるものの風向変化も穏やかです。
この日は前日よりはいい順位で帰ってこれました。
「最後にいいレースをして帰ってくる」という小松コーチの教えを4人で思い出し、最終レース前に「両艇5位以内で帰ってこよう」と声をかけました。
結果は塚本たちが2位、私の船が5位。何はともあれ最後に一番いいレースができてよかったです。

470チームに関して言えば、7レースして1位の九大までは22点差、2位の京大まで10点差。
もう一回最初からレースをし直せば…なんて思っても、小松コーチがいつも言うようにヨットレースにタラレバはありません。
総合でも優勝争いをしていたその2校は、様々なところで一歩先を行っていると思いました。国立大学とは思えない選手の層の厚さは本当に見習いたい。

スナイプチームも今回のレースではもっと前を走りたかったはずです。関東6位入賞の実力があればきっともっと上を目指せたでしょう。しかし、二クラスで勝負できるのが大学ヨットのいいところ。スナイプの点差を常に考えながら470チームも走り、総合3位は逃さずに終えることができました。

また、今回のレースで特筆すべきことは「アンパイア制」です。おそらく日本の学生レースで取り入れたのは初めてとのこと。
普段と何が違うかというと、「オンザウォータージャッジ」つまり海上でプロテストできます。ルール違反の判定が即ジュリーから下され、違反があれば1回転。陸上に帰って、ルールブック読んで、作戦練って、遅くまでプロテスト室にこもり…なんてことがありません。すごく楽だし安心してレースできました。
さらに、3艇のジュリーボートが14艇をしっかり見るために470とスナイプが同時にレースをすることもないのも新鮮でした。470のレース中はスナイプが見守り、スナイプのレース中は470が見守り…
レースが終わればすぐ駆け寄って「風どうだった?」「今上と◯点差だね」「がんばっておいで!」と声をかけあえます。
関東に帰っても、これくらい両クラスで情報共有ができたらいいなと思いました。

七大学といえば、2016年の八景島開催の時は4位、2017年の小戸では6位、2018年の小樽は上位確実かと思われましたが大会不成立。なかなか上位にいけそうでいけないのが近年の七大学戦でした。今までで一番優勝に近づけそうだったからこそ悔しい3位。しかし、ひとまず入賞までは今年クリアできました。後輩様方、来年は何としても優勝してください。

7年ぶりの入賞と言いましたが、東大は7年前に小戸大会で3位を取っているんですね。
余談ですが、よくよく思い出せばその七大学戦をヨットの世の字も知らない高校1年生の自分は見ていました。
当時は、今年も七大戦で優勝した某大学を目指していましたし(現役受験時惜しくもない点数で落ちました)、「東大にもヨット部ってあるんだなあ」くらいにしか思ってませんでした。それが今では東大ヨット部として小戸でレースしています。人生って不思議ですよね。

話が逸れましたが、今年の七大学戦は自分にとってとても楽しいものでした。
一緒にレースをしてくれたレースメンバーのみんな、サポートをしてくれたみんな、速報を追ってくださったLB、保護者の皆様、本当にありがとうございました。

七大学の友人たちと、必ず全日本インカレで戦おうと誓いました。今年の全日本では七大学が入賞争いにどんどん食い込むようなレースになったら絶対に楽しい。
そんな日を夢見て、最後の夏全力で走り切ります。

東京大学運動会ヨット部
主将 小野万優子

小戸を省み、若狭に誓う

2017年07月21日 23時01分05秒 | 七大学戦
こんにちは、3年470スキッパーの西坂です。

3年生です。3年生になってからブログを書くたびに毎回書いてるような気がしますが、もう3年生です。時の流れの速さを感じます。
最近、後輩のブログで自分の発言が取り上げられることが数回ありました。「3年生」というのはそういうことなんだな、と思わされました。後輩にとっては自分の発言が「正解」になりうる。言葉に責任を持たなくては。

というわけで今回も気を引き締めてブログを書きたいと思います。

先週末、7/15-17に福岡の小戸にて七大学戦があり、そちらに参加してきました。



いろいろ書きたいことがあります。短くまとめるつもりではいますがどうかお付き合い願います。


リザルトは、4704位、スナイプ6位の総合6位でした。

以下リザルトの詳細です。






スナイプチームに関しては高山が先日更新してくれたので、主に470チーム(というか主に自分自身の所感)に関して書かせていただきます。ご了承ください。

今回の七大学戦は、風に恵まれ予定されていたレースの最大数である8レース行われました。
僕は8レースのうち4レースを同期の水石、残りの4レースを2年千葉と出場しました。

結果として、470チームは先ほど書いた通り4位。
全日本常連校との差を感じました。スタートが悪いわけではない、2位を2回取れたのでボートスピードに圧倒的な差があったわけではない、のにです。
レガッタ全体を通して痛感させられたのは、当たり前のことですが、全日本常連校はどんな小さなミスも見逃してくれない、ということです。
普段から意識はしている部分ではありますが、12艇という少ない艇数の中ではっきり突きつけられたように思います。
そういう部分を含めて技術、実力だと思うので、この夏どの大学よりも練習して上達していきたいと思います。

また、エース不在ということの意味を大きく叩きつけられました。というのも、今の470チームには、絶対的なエースがいません。
最近レースを行うたびに、我々のようなチームで勝ち上がっていくためには各艇が叩かないということが大事であると思っています。
今回も叩かないことを目標にレースに臨みましたが、実際各艇が叩いてしまいました。
叩かないレースをするためにはどうすれば良いのでしょうか?
つまるところミスをなくすということなのでしょうか?
それとも技術的にまだまだ足りてないからそういう結果が来るものなのでしょうか?
模索は続きます。

ただ、手応えを感じる部分もありました。
5艇がOCSをつけた第4レース、我々の船はスタートラインが見えていて、きっちりスタートし、3着でフィニッシュすることができました。代替わり後何かとOCSをつけがちでしたが、2/25に行われた八景島レース以来我々の船はリコールをしていません。
実際のところ、今までは技術が足りなくてバウが周りの船より低くなってリコールしていなかったという状況だったのですが、今回のレースではいいスタートを決めたうえでのリコールなしだったので、自信にもなりました。
ただ、今回のレースは艇数が少ない上、基本的にP旗だったのでうまくいったのだと思います。艇数が多くて、U旗が主流のほとんどのレースでもスタートがうまくいくように、練習に励んでいきたいです。

次に、先日更新してくれた七大戦に関する天木のブログについて
1年生は練習が本格的に始まって約二ヶ月、東京大学運動会ヨット部の部員としての自覚が芽生えてきたのではないでしょうか。特に七大戦という、各地方の国公立を代表してはるばる遠征して戦う今回の機会で、大学の名前を背負って戦うということを強く感じてくれたのではないかと思います。
天木が書いてくれた「そしてそのレースを見ていた一年生もつらかった」、この言葉にははっとさせられます。各チーム2艇ずつしか出られないこの大会で、レースメンバーは他の部員全員の思いを背負っている。その覚悟と自覚を持ってレースメンバー全員がレースに望めていたか。
サポートメンバーとして臨んだ去年の秋インカレを思い出します。
まずはレースに出られないのに支えてくれるサポートメンバーに恩返しできるように、このチームでサポートできてよかったと思ってもらえるように、夏の練習は気合を入れて頑張ります。
1年生の前でカッコ悪い結果を出してしまいましたが、うちの先輩はすごい、東大ヨット部は強いと1年生が誇れるように。秋までになんとかします。


最近、レースがあるたびにあの時こうしていれば、と思います。レースがあるたびにこんなに悔しい思いはもうしたくないと思います。
4年生にとっては今回で最後の七大学戦、また一つ恩返しのチャンスを逃してしまいました。
幸い、今のチームでもう1度七大軍団にリベンジするチャンスがこの秋にあります。
「全日インカレでの再会を期して」
福井の海にて必ず再会を果たし、夏で成長した姿を必ずや七大学に見せつけます。




自由にヨットをやらせてもらえるのも残り1年と4ヶ月。ヨットを初めてまだ2年そこらの若造ですが、寿命が迫ってるような焦りを感じます。
まずはできることをコツコツと。

頑張ります。


東京大学運動会ヨット部3年
西坂惇之

悔しさを糧に。

2017年07月20日 17時47分53秒 | 七大学戦
 皆様こんにちは。1年の天木です。自己紹介以来の登場となります。この度の七大戦に参加した一年生から見たこの大会について書いてみたいと思います。

 まず、今回の七大戦はなにより楽しかったです。レセプションで仲良くなった北大や阪大のヨット部仲間とご飯に行ったり、部活の同期や先輩と福岡観光をしたりと福岡を堪能しました。他大の仲間とヨット部1年あるあるで盛り上がったのはいい思い出です。(先輩の愚痴ではありません。笑)

 そして、初めて先輩方のレースを間近に見ることができました。普段は優しい先輩方が真剣にレースをなさっているのを見ることができて良かったです。また、観覧艇を出してくださった西村さんや、僕の同期吉武のお父様にレースやコース引きについて教わり、自分の未熟さを実感しました。

 しかし、やはり先輩方のレースを見ていて思ったのは、負けるのは悔しいなということです。当然のことなんですが、今回レースを見させて頂いて、より実感しました。今回の七大戦が先輩方にとって悔しい結果に終わったこと、そしてそのレースを見ていた一年生もつらかったこと、この二つは必ず今後に活きてくると思います。同期の一年生も僕と同じ思いだったのか、七大戦の最終日の夜は皆でご飯を食べながらレースについて話し合ったり、経験者にレースについて教えてもらったりしました。

 「レースに勝ちたい。」僕はこの気持ちが練習に対する意欲や真剣さを向上させてくれると思っています。ヨットに乗るだけの四年間にはしないつもりです。

 最後までお読み頂きありがとうございます。

東京大学運動会ヨット部一年 天木悠太

2017 七大戦 と 東日本スナイプ

2017年07月19日 11時21分17秒 | 七大学戦
四年生の山本です。お久しぶりです。


7/14,15に江ノ島で開催されたノースセイルカップ東日本スナイプに出てきました。

リザルトは

【全67艇】
37位 31418 菅原・金澤 (BFD)-26-53-17-18-49 計163点
42位 31308 山本・浅川/江村 6-(57)-25-44-51-45 計171点
56位 30785 師田・江村/浅川 (BFD)-28-46-46-56-51 計225点



7/14,15,16は福岡で七大戦がありました。

去年は東大が七大戦の主幹校で、運営の総指揮の青木さんの元で、僕は陸上での海との連絡係、現役戦と並行して行われたOB戦の準備やOB連絡などの仕事をやってました。
ついうっかり多めの仕事を抱えてしまったがためにスムーズな引き継ぎが厳しそうだったので、去年の七大戦2日目に出ることができませんでした。これは仕方ないと思ってます。


去年運営する過程で様々なOBの方と連絡を取って感じたことは、七大戦は多くのOBが注目する、結果を出すことを望んでいる、厚く支援する定期戦であるということ。

また、旧帝七大学は九州大学を始めどこも今人数が多く勢いがあり、レベルが高い。その中で七大戦は互いにしのぎを削り、意識を高め合う場に他ならないということを感じました。

北海道から九州まで、全国各地に散る七大学が持ち回って主管を受け持ち、各大学はそれに合わせて全国を周り、その土地の風土やマリーナの性質によって練習方法や気質などが異なることを知ること。それは、レースそのものと同等に価値のあることなのかな、と一昨年の東北、一昨々年の京都の七大学戦に行った時から薄々感じていました。

国内の定期交流戦では最も移動距離や参加校の数が多いこの七大戦を毎年開催できているのは、学生のみならずOBOGを始めとした様々な方々の並々ならぬ努力と協力の賜物であります。去年運営に携わったことで、七大学戦の歴史を感じ、さらに好きになりました。


僕が、七大戦で1番好きな瞬間は、エール交換の時です。全日本インカレでの再会を期してエール交換をするんです。
七大戦のために全国各地から集まってきた七大学が、もう一度、各自が目標を果たすための全日本インカレで、再会するのです。熱いですね。
普段のエールは特に何も思ってないんですけど、七大学戦のエールは好きなんです。僕は。

去年も、八景島の地で、七大学戦、閉会式の時に、絶対に蒲郡の地に行って再会しようと思った。去年の七大戦の結果は全日本の蒲郡の地で見返せる。絶対に海野さんのスナイプチームで全日本に行こうと。

そして迎えた2016/9/26。最終日ノーレースを告げる無情なホーンとともに、両クラスともに8位が決まりました。関東で夢潰える。


11月上旬、授業中も全日本インカレの速報をずっと追ってました。早稲田が優勝して嬉しかったし、慶應の猛追も圧巻でした。また、上位の中で唯一国立で優勝争いする九大スナイプがかっこいいなと思いました。

そして、八景島の地で再会のエールを交わした大学と全日本インカレで再戦できなかったことに、無力さを感じました。


そして代替わり後、両クラスで32年ぶりの全日本インカレ出場の権利を掴み取り、全日本インカレで総合10位という目標を立て、結果を残すため、全てを投げうつ所存で臨んだ最後の一年間。
春のインカレの結果を見ると、目標のためには最上級生の多いスナイプチームがいかに部を牽引できるかにかかっていると考えています。
とにかく、ビックフリートでの経験を増やし、前を走れるようにする。

今回、七大学戦と東日本スナイプの日程が被ってしまったこと、断腸の思いで東日本スナイプを選択しました。
多くのOBの期待を裏切ったし、部全体としてチーム全体で総合順位を狙える機会である七大学戦にベストメンバーで臨んでいないことは部としての一体性を削ぐことを自覚しています。
七大学戦の初日に後輩が不調だったのに実際に現地でおらず、電話のみであまり大したアドバイスができなかったのも非常にもどかしく感じておりました。

ただ、スナイプチームは公式戦のレギュラーがほとんど上級生で、今回下級生中心のチームで大学の名を背負うレースを経験できたことは来年以降に繋がることと思います。


今回の責任は秋に結果を出すことによって取ります。両クラスで全日本に行くし、総合で上を目指す。本当に、一分一秒でも長く海に出て誰よりも練習する。七大学戦の結果は今年の全日本インカレ、福井の地で取り返す



色々犠牲にして出場した東日本スナイプ、蒲郡から遠征してきた社会人チームもあり、多くの社会人セーラーと、関東決勝シード校、そして非シードはほぼ東大と東京海洋大のみ、と非常に高いレベルのレガッタでした。

また、艇数も67艇と全日本インカレに近い艇数の中で戦うことで、長いスタートのライン読みの精度や上マーク、下マークの大混戦の経験を積むことができ、次に活かすことのできるレガッタでありました。



この経験を必ず糧にして前に進みます。


東京大学運動会ヨット部四年 山本圭祐