トラックを返しにいている間に気が付いたら代替わりも終わり、相変わらず除け者にされながら強制終了してしまった武尾です。
最近ようやく立ち直れありつつあるので、僕の最後の記事を書いておこうと思います。
レースにおける一番基本的なことは何ですか?
と訊かれたら、
多分誰でもこう答えると思います。
・ノー沈
・ノートラブル
・ノーケース
でも、自分はそんな当たり前のことすらできませんでした。最上級生にもなりながら。そして当然のように戦えませんでした。
具体的に言うと、
①他艇との衝突、破壊
自分は予選第1Rで明治大学の船と衝突しました。そして、自艇はハルを、相手艇はマストを損傷してしまいました。結果として予備マストを貸すことになり、決勝で痛い目に会いました。
②ジブハリ切断
決勝第1Rでは、サイドマーク付近でジャイブ後、順番は分かりませんが沈して起こす時には切れていました。①もあり、ろくにセッティングも出ておらず、スプレッダ―のねじがイカレテルマストで出場する羽目になりました。
③ターミナルエンドの摩耗、墜落
決勝第3Rでは交換したマストのトラッピーズのターミナル部分が激しく摩耗、及び屈折していたためにとても外れやすい状態になっており、レース中に墜落、その後使用不可となってしまいました。
④ガスケットの剥落
また決勝1日目は前日まで剥がれていなかったガスケットがその日のレース中に剥がれ船内に水が噴き出してしまいました。
①はタック前の確認不足、②③④は前日の確認不足。後悔先に立たずということわざがこれほど身にしみて感じたことはありませんでした。
とても情けなく惨めな気持ち。全7R中4Rが1日目に消化された決勝シリーズでは1日目に大勢が決してしまいました。
そんな1日目終了後このまま自分はレースに出続ける資格はあるのだろうか、と真剣に悩みました。本来ならば自分が他艇をチームを引っ張って7位争いに絡まなければいけない立場であったのにも拘らず、何にもチームに貢献することができませんでした。
雑用をこなしてくれた下級生、マネージャー、自分を育て上げてくれた上級生、色々教えてくれた川田コーチ、監督、様々な支援をしてくれたLB、そしてなにより自分の自由気ままな生き方に反対することなく応援し続けてくれた家族のみんなになんにも申し訳が立ちません。
悲しいくらいあっけなく終わってしまった4年間。
これからを担う下級生諸君。とにかくやりきってください。出し尽くしてください。
一体俺は何のために頑張ってきたんだろう・・・
2010-10-24 20:45:39
素直じゃないですねぇ♪
四年間おつかれさまでした。
Unknown (シモヤマ)
2010-10-24 21:45:10
意味がないことっていうのは1つもなくて、どんなことにも必ず意味はあると思う。いまの時点では他になにも考えられないかもしれないけど、時間軸を長くしたら、「このことがあったからこそ今がある」っていう風に必ずなると思う。それはタケオにとってもヨット部にとっても。起きた事から学んで、先に繋げていくように、自分なりの意味が見つかるように頑張ってください。
とりあえず、お疲れさまでした
。
Unknown (おやま)
2010-10-25 17:42:43
お疲れ様でした。
自分のスピンワークがうまくなったのは間違いなく武尾さんのお陰です。
いつも置いてかれるのが悔しくて、真似したり、スキッパーに指示してみたり、色々工夫してました。
全日本470では勝てるように頑張ります。
らしくないね。 (カントク)
2010-10-25 20:21:49
全日本に行ったら行ったで、多くの選手が挫折感を味わうもんです。 俺って馬鹿だったなあ・・・と後から気付くもんです。
ヨットで学んだ自分の愚かさ、弱さを、今後のいろんな局面で活かしてください。 こういう学びの機会がないままスルスルと社会に出てしまうことを思えば、挫折というのは素晴らしく意味あるものです。
Unknown (muro)
2010-10-26 20:31:40
TKOと聞いてなんか書かなきゃいけないような気がして、筆をとってみた。
ん、けっきょく最初で最後の全日になったか。
まぁどんまい♪意味があるのかないのか、どうきもちを整理するかは勝手に考えなはれ。誰にもわからん。
よし、いま言うこと考えた。2つ。
1.とりあえず最後まで付き合ってくれた松木にだけはちゃんと感謝を伝えるべし。彼がいなければ、船が動くことすらなかったのですから。
と、名言っぽく言ってみた。てへ。
2.後輩に申し訳なく思うなら、部活に行け。口じゃなく行動で償え。オマエの一個上は去年全然教えに行ってねーしよ。まぁそれでオマエはのびのびできたかもしれんが…教えるヤツがいなくて致命傷なのが今年みてわかった。お前らが行くだけで来年勝てるとも思ってないがとりあえず。
というわけでお疲れ様でした。
追記
部活を引退してから半年くらいずっとナーバスでしたが、今では平気です。東大ヨット部の多くの人たちと西宮にいけて嬉しかったけど、こういう場に全員で来て学校の威信をかけた試合がしたかったとずっと思いながらレースしてました。
むろ先輩に言われたとおり2011年は練習の8割以上は見に行った自信があるので、もう思い残すことはありません。これからはヨットとどう向き合っていきていくのかをすこしずつ考えながら日々を送りたいと思います。
最近ようやく立ち直れありつつあるので、僕の最後の記事を書いておこうと思います。
レースにおける一番基本的なことは何ですか?
と訊かれたら、
多分誰でもこう答えると思います。
・ノー沈
・ノートラブル
・ノーケース
でも、自分はそんな当たり前のことすらできませんでした。最上級生にもなりながら。そして当然のように戦えませんでした。
具体的に言うと、
①他艇との衝突、破壊
自分は予選第1Rで明治大学の船と衝突しました。そして、自艇はハルを、相手艇はマストを損傷してしまいました。結果として予備マストを貸すことになり、決勝で痛い目に会いました。
②ジブハリ切断
決勝第1Rでは、サイドマーク付近でジャイブ後、順番は分かりませんが沈して起こす時には切れていました。①もあり、ろくにセッティングも出ておらず、スプレッダ―のねじがイカレテルマストで出場する羽目になりました。
③ターミナルエンドの摩耗、墜落
決勝第3Rでは交換したマストのトラッピーズのターミナル部分が激しく摩耗、及び屈折していたためにとても外れやすい状態になっており、レース中に墜落、その後使用不可となってしまいました。
④ガスケットの剥落
また決勝1日目は前日まで剥がれていなかったガスケットがその日のレース中に剥がれ船内に水が噴き出してしまいました。
①はタック前の確認不足、②③④は前日の確認不足。後悔先に立たずということわざがこれほど身にしみて感じたことはありませんでした。
とても情けなく惨めな気持ち。全7R中4Rが1日目に消化された決勝シリーズでは1日目に大勢が決してしまいました。
そんな1日目終了後このまま自分はレースに出続ける資格はあるのだろうか、と真剣に悩みました。本来ならば自分が他艇をチームを引っ張って7位争いに絡まなければいけない立場であったのにも拘らず、何にもチームに貢献することができませんでした。
雑用をこなしてくれた下級生、マネージャー、自分を育て上げてくれた上級生、色々教えてくれた川田コーチ、監督、様々な支援をしてくれたLB、そしてなにより自分の自由気ままな生き方に反対することなく応援し続けてくれた家族のみんなになんにも申し訳が立ちません。
悲しいくらいあっけなく終わってしまった4年間。
これからを担う下級生諸君。とにかくやりきってください。出し尽くしてください。
一体俺は何のために頑張ってきたんだろう・・・
2010-10-24 20:45:39
素直じゃないですねぇ♪
四年間おつかれさまでした。
Unknown (シモヤマ)
2010-10-24 21:45:10
意味がないことっていうのは1つもなくて、どんなことにも必ず意味はあると思う。いまの時点では他になにも考えられないかもしれないけど、時間軸を長くしたら、「このことがあったからこそ今がある」っていう風に必ずなると思う。それはタケオにとってもヨット部にとっても。起きた事から学んで、先に繋げていくように、自分なりの意味が見つかるように頑張ってください。
とりあえず、お疲れさまでした
。
Unknown (おやま)
2010-10-25 17:42:43
お疲れ様でした。
自分のスピンワークがうまくなったのは間違いなく武尾さんのお陰です。
いつも置いてかれるのが悔しくて、真似したり、スキッパーに指示してみたり、色々工夫してました。
全日本470では勝てるように頑張ります。
らしくないね。 (カントク)
2010-10-25 20:21:49
全日本に行ったら行ったで、多くの選手が挫折感を味わうもんです。 俺って馬鹿だったなあ・・・と後から気付くもんです。
ヨットで学んだ自分の愚かさ、弱さを、今後のいろんな局面で活かしてください。 こういう学びの機会がないままスルスルと社会に出てしまうことを思えば、挫折というのは素晴らしく意味あるものです。
Unknown (muro)
2010-10-26 20:31:40
TKOと聞いてなんか書かなきゃいけないような気がして、筆をとってみた。
ん、けっきょく最初で最後の全日になったか。
まぁどんまい♪意味があるのかないのか、どうきもちを整理するかは勝手に考えなはれ。誰にもわからん。
よし、いま言うこと考えた。2つ。
1.とりあえず最後まで付き合ってくれた松木にだけはちゃんと感謝を伝えるべし。彼がいなければ、船が動くことすらなかったのですから。
と、名言っぽく言ってみた。てへ。
2.後輩に申し訳なく思うなら、部活に行け。口じゃなく行動で償え。オマエの一個上は去年全然教えに行ってねーしよ。まぁそれでオマエはのびのびできたかもしれんが…教えるヤツがいなくて致命傷なのが今年みてわかった。お前らが行くだけで来年勝てるとも思ってないがとりあえず。
というわけでお疲れ様でした。
追記
部活を引退してから半年くらいずっとナーバスでしたが、今では平気です。東大ヨット部の多くの人たちと西宮にいけて嬉しかったけど、こういう場に全員で来て学校の威信をかけた試合がしたかったとずっと思いながらレースしてました。
むろ先輩に言われたとおり2011年は練習の8割以上は見に行った自信があるので、もう思い残すことはありません。これからはヨットとどう向き合っていきていくのかをすこしずつ考えながら日々を送りたいと思います。