「ヨットって何が面白いの?」
この4年間、周囲からたくさん尋ねられ、そして自分自身に問い続けてきました。結局いまに至るまで何が面白かったのか自分でもわかっていません。その答えがこれを書き終わる頃には判明することに一縷の望みをかけて、考えながら、最後のブログを綴ろうと思います。
お世話になっております。先日のJ24全日本選手権をもちまして引退となりました、クルーザーLBの友成です。
LBの皆様・監督・社会人チームの皆様・ご家族・先輩・同期・後輩、その他多くの方々との出会いに恵まれ、4年間を完走することができました。ありがとうございました。
引退からはや 1ヶ月、いくぶん晴れやかな気分です。全日本直後は不甲斐なさ・申し訳なさなどいろいろな感情が入り混じり、ブログでは自分の4年間をその都度の感情の機微と共に詳細に振り返ろうと思っていました。
でもやめました。実際に1年生のアニオルズカップのところまで書き進めましたが、全部消しました。(その時点で3000字くらいになっていましたが..)記憶というのは時間が経てば必ず美化されるもので、そうした飾られた言葉からは何も伝わらないし、差し障りのないつまらない文章に終着するだけだと思ったからです。
それに細やかな機微など、すごくどうでもよいことのように思えてきました。だって、温かい周囲に恵まれ引退を無事迎えられ、何よりも充実していたといま感じられているのですから。
最後のブログでは、4年間で記憶に残った出来事・感じたことをベースに、思いつくままに綴ろうと思います。暗い内容は出来る限り最小限にとどめ、なるべくポジティブなものにしたいと思います。未来の後輩たちに向けたちょっとした道標になれれば幸いです。中には醜い感情も出てくるかもしれませんが、何卒ご容赦いただけますと幸いです。
プロローグ:自分とヨットとの出会い
自分とヨット部との最初の本格的な出会いは、多くの同期と同様に新歓でした。ホームページを見てなんとなくかっこよく、なんの気もなしに新歓に参加しました。でもネット上の情報だけを頼りに参加するほど行動力があったのかといえば、そうではありません。ヨットは幼少期の自分にとって、大半の人々よりも少しだけ身近なものでした。祖父母が葉山に暮らしていたからです。幼少期の長期休みの記憶の大半が形作られたのは葉山でした。葉山マリーナの2階にある中華料理店でよく親族の食事会が開催されていたし、日陰茶屋の夏祭りには毎年行っていました。祖母は雑誌『舵』の朗読ボランティアをやっていたし(東大が特集されたときは喜んでくれました)、親族にもy30に乗っているセーラーがいました(クルージングで初めてお会いした方が、翌日「友成さんの親族の〜さんとレースで一緒の船に乗りました」と連絡をくださったときにはさすがに驚きましたが)。
そんなこんなで、「ヨットの形は見たことがある」程度だった自分は、前日に決めた新歓に参加しました。あとは特段あえて書くことはありません。海という非日常体験が楽しく、日に焼けた先輩たちがかっこよく見え、クイズ大会でなぜか優勝してマーロープリンをもらえたことに気を良くした?僕は、翌日には入部を決めていました。飽き性な自分が4年間本当にやっていけるのか、異様な寒がりだけど大丈夫なのか、といった先々のことはあまり考えずに、入部していました。決断が遅く慎重な自分にしては恐ろしいほどに直感的でした。なので、最初から世界選手権で前を走りたくて入部したわけではないし、まして閑散とした小網代で4年間過ごす覚悟があって入部したわけでももちろんありません。いま思えばヨットが単純に楽しかっただけかもしれないし、大学で所属するコミュニティがとりあえず欲しくて焦っていただけのような気もします。でも悪くない判断だったと思います。
「自分よくやった」、いまはそんな気分です。
チャプター1:記憶の数々
入部してからの4年間、いろいろありました。家にいるよりも多くの時間を合宿所で過ごすことになると思わなかったし、洗濯された靴下を見て誰のものがすぐにわかるようになるとも想像できませんでした。学生生活の大半を過ごせばそれだけ出来事が積み重なるわけですので、ここで誠に勝手ながら一部を紹介させていただきたいと思います。感傷的なことは書くのは得意ではないので、できる限り嬉しかった内容にします。
- はじめての全日本選手権でトップフィニッシュ
1年生の時に出場した初めての全日本選手権。ホーム油壺での開催で、仰秀は第1レースでトップフィニッシュという歴史的快挙。第 2レースでも2位に入り、総合も7位という好成績。僕は運良く大会1日目に出場させていただき、いきなり最高の景色を見させていただきました。観覧されていたLBの方々が「正夢や」と喜んでくださり、月光の方々が「やるじゃん、おめでとう」と祝福してくださったのをよく覚えています。当時はそれがどれほどすごいことなのかわかっていませんでしたが、年を重ねるごとに偉大さを実感するようになりました。もっとちゃんと喜んでおけば良かったです笑。またあのときと同じ景色が見たい、との想いが自分のその後の4年間の大きなモチベーションとなっていました。先輩方、本当にありがとうございました。
- アニオルズカップ無念のAPA
2年次のアニオルズカップ。最終1レースを残し、1点差負けの状態。最終レース前、風がどんどん落ちていき、1本目スタートするも早々にN旗。なんとかもう1レースとスタートするも、上マーク直前で無風となりN旗、そして本船にはAPA旗掲揚。またしての負けが決まりました。あのときリコールを解消しとけば、あの触れに気づけていれば、と後悔の嵐でした。予定されていたレース数を消化できる保証は何もない、ヨットレースにたらればはないと強く実感しました。それだけに翌年最後のチャンスでやっと優勝できたときは本当に嬉しかったし、ほっとしました。
- 新歓で一人だけ留学生?
3年生の4月、僕がクルーザー班の新歓代表を勤めていた時の出来事です。たしかその日は前々から荒天が予想されていてヨットに乗れないことはほぼ確実だったため、前日にそれでも来たい新入生だけ来てね、と連絡しました。すると、なんと当日三崎口駅に現れたのは、留学生?ただ一人。聞いてみると、東大でTAをしている院生とのことでした。なかなかカオスな状態でしたが、レスキュー乗船してもらって鍋パをしました。英語をはじめたくさん協力してくれた後輩たちに感謝しています。
この件に関わらず、新歓代表をやったことで、業務調整力・トラブル対応力はじめ、少し一人前の大人らしいスキルが身についた気がします。たくさんご迷惑をおかけしながら協力してくれた皆さん、ありがとうございました。
- フリートレースで総合2位
3年生10月の全日本前最後のフリートレース。クローズのコースでうまく触れを掴みゲインしまくった仰秀は、第1レースだぼはぜとフィニッシュ直前まで競いながら2位、総合でも2位に入りました。タクティシャンとしての自信が代の最後の最後に少しついた気がします。(ランニングのコースは相変わらだと叱咤をいただきましたが、、)
やはり自分に自信を与えてくれるのはレースの結果しかない、と噛み締めました。辛抱強く実戦の機会を与えてくださった先輩方には感謝しています。
- 涙の全日本選手権
3年次の蒲郡全日本。チーム目標にしてきた世界選手権出場ラインとなる総合5位をかけた最終レース。5位と5点差だったと思います。スタートで殺された仰秀はポートスタート。噛み合わないまま、今レガッタで最低の9位に沈みました。一番最後で一番よくないコースを引いてしまいました。間違いなく敗因は自分のコースでしたが、もう何も叱咤してくれない仲間たちの様子にこの代の最後を実感しました。着艇後「ありがとう、うまくなったね」といってもらいましたが、こんな形で引退させてしまうという申し訳なさ、先輩ともっと一緒にセーリングしたかったという寂しさが募ってよくわからない感情になりました。レースで泣いたのは、先述のアニオルと、この全日本の2回だけだったと思います。
結局世界選手権のクオリファイは獲得できましたが、やっぱり5位に入って出場を決めたかったです。
- 「うん」を味方に世界選手権でトップ回航
4年次のシアトルワールド。初の海外遠征、経験したことのない5日間のレガッタでいろいろありましたが、やっぱりレース2日目、第2レースが思い出されます。他の船がリコールして戻る中、ジャストスタートを決めた仰秀はあれおあれよと爆走します。1上レイ、気づけば前には一艇もおらず、オフセットマークに向かう間後ろを振り返るとJ24の大群が。その後のランニングは心臓ばくばくでしたが、なんとか粘って過去最高タイの総合6位でフィニッシュ。このときの興奮は自分のヨット人生のハイライトとして、一生忘れることはないでしょう。というより忘れられません。いまでもJ24クラス公式インスタに掲載された動画を見返してしまいます。頑張ってくれたみんな、ありがとう!
(余談ですが、その日の朝ハーバーについて降車した瞬間、鳥の〇〇が耳を襲い掛かりました。人生初の海外でこのようなプレゼントは予想していませんでしたが、神からの御加護だったのでしょう。)
チャプター2:想い
僕は元来こんにゃくメンタル人間なので、4年間でたくさん落ち込んだり、悩んだりしました。詰めの甘さからたくさんミスもしました。要領が悪いなりにやってきたつもりですが、思ったようにいかなかったことの方がやっぱり多かったです。
ここでは、自分が悩んだこと、ありがたく感じたことについて軽く記すこととします。暇つぶしに未来の後輩たちにでも読んでもらえれば嬉しいです。
- 人と比べて優秀ではない自分への失望
周りができることがなぜ自分にだけできないのか、自分だって〜みたいにできるはずだって思うけれど実際にはできない、理想と現実の間の埋めがたいギャップに苦しむ、という悩みです。上手くいっている人に対して妬ましい、といった最低の感情を持ってしまうことも多々ありました。こういうメンタルの時は、誰も自分のことは本当には理解してくれてない、自分だけが悩んでいると思い詰めてしまうこともあるでしょう。でもそんなことはありません。自分から見て完璧に見えるあの人も、きっとなにかしら悩んだ時期があったはずです。「そのうち上手くなるだろう」くらいのマインドで、悩みさえ楽しんでしまいましょう。誰からも強制されているわけでもなく、自分の意志でせっかくこんな贅沢な「遊び」をやらせてもらっているのですから、思う存分楽しんじゃったもの勝ちです。そのうち、自分なりに上手くなった自分を見つけてびっくりすることでしょう。
- 自分がうまくならなければチームは勝てないという苦しみ
これはクルーザー特有の悩みだと思います。6人というチームで一つの大きな船を動かしている特性上、それぞれに大きな役割がありますし、どのポジションも欠けてはいけません。ほぼ全員がレギュラーとしてレースに出場し代わりはいないのですから、一人一人が与えられた役割で上達しなければチームは勝てません。控えがいるわけではない分自分が成長しなければと、時にはプレッシャーを感じて弱腰になることもあるでしょう。でも裏を返せば、これはチームが勝つために、メンバーがずっと(先輩を含めて)自分に期待をかけ続けてくれるということともいえます。自分の出来不出来がチームの勝利に直結する、ということは、自分の成長次第でチームの勝利可能性を上げられるということです。海の上で、学年立場問わず皆で勝てるチームを作っていける、こんなに幸せな環境はないと思います。期待されていることを意気に感じて、しなやかに乗り越えていきましょう。
- 自分も必要とされたい、というエゴ
自分がチームにいる意味って何かあるのだろうか、自分だってチームに貢献したいって思うことありませんか。自分はめちゃくちゃありました。何かしら貢献できているという実感が欲しくて、誰でもできそうな仕事をやって自己満足にもたくさん浸りました。
でもあなたがいる意味は絶対にあります。小さいチームなので一人がいなくなればまず物理的に困りますし、陸でも一人一人に仕事があって責任感を持たざるを得ないのがクルーザー班のいいところだと思います。
海の上で、「自分はいま1/6としての役割を果たせているのかな」って思うこともあるかもしれません。でも必ずしも常に1/6である必要はありません。自分が苦しい時は誰かに1/12を負担してもらってもよいし、逆に誰かが困っている時は自分がその分3/6になってあげてもよいのです。みんなの力を足し合わせて1になればよいのです。一人では1には絶対なれないけれど、困っている誰かのために4/6にも5/6にもなれる人間でありたいと強く思います。
- 人と一緒に過ごすのが苦しくなった時
合宿生活で人との距離が近すぎて疲弊してしまうことってありますよね。プライバシーなさすぎる、一人の時間がたまには欲しいってなりますよね。そういうときはちょっと夜外に出てみましょう。田舎ならではの満点の星空が迎えてくれます。オリオン座を見ていれば、自分の悩みとか息苦しさとか本当にどうでもよくなるはずです。リフレッシュしながら明日へのやる気を注入しましょう。
- 自分を叱ってくれる人の存在は貴重
自分のよくない点や直した方が良い点を指摘してくださる方々の存在ってとても貴重だと思います。大学生ともなると、管理から放たれ自由になり、下手をすれば誰も自分に注意を払ってくれない可能性さえあるのですから。モチベーションの低さや余裕のなさを指摘して自分と向き合ってくださる先輩方が近くにいたのは、僕にとってとても幸運なことだったと思います。(当時は時に生意気な態度をとってしまい失礼いたしました。)
新歓で、余裕のなさから自分にも周囲にもイライラしていたとき、ある尊敬する先輩が嗜めてくださいました。「自分に優しくできない人間は周りに絶対に優しくできない」
以来座右の名として心に刻んでいます。ありがとうございました。
- 感謝の言葉
感謝の言葉は口にしなければ伝わらない、ということを学びました。海の上でも陸の上でもフォローしてくれたり、タスクをこなしてくれている仲間に感謝を伝える、ということは自分の中でしつこいくらいに意識してきました。たったひとこと、5文字だけです。「ありがとう」と言い合えば、お互いがより気分良く生活できるようになるはずです。
チャプター3:後輩たちへ
一緒にセーリングしてくれてありがとう!
1年生に至っては、夏以降あまり練習機会を与えられなくて、そのなかでも本気でサポートしてくれて結果に一喜一憂してくれて、すごく嬉しかったです。もっと一緒に乗りたかった..2年生も3年生も、ヨットにすごく情熱を持っていて、自分にもチーム運営にもたくさん意見してくれて、チームへの想いが伝わってきて、頼もしかったです。
自分も関根も、気が回る方でもなければ、熱が見えやすいタイプでもなく、なんだか取っ付きにくくて扱いづらくて頼りない先輩だっただろうけど、みんなが支えてくれたおかげでなんとか1年間やり切れたと思います。なのに、自分は最後まで尊敬できる先輩にはなれませんでした。ごめんなさい。
この4年の間だけでも、チームの人数は一時期に比べれば増えたし、社会人チームとの交流といった対外的な活動もだいぶ増えたことと思います。特に今年1年間は、他大学と合同練習したり、違う艇種のレースに出たり、いろいろとやってきました。これはひとえに長年の先輩方が長い年月をかけて「仰秀」というチームを確立し、認知させていただいた結果です。レースでも、運営でも、先入観に捉われずもっともっと活動の幅を広げていってください。
ときには辛い、苦しいとかそういう感情になるかもしれませんが、周囲に頼りましょう。別に自分の弱みを見せることは恥ずかしいことじゃありません。自分自身人に相談するのがあまり得意ではなかったので、もっと早くそういう人間になれていればよかったなって思います。監督・社会人チームに頼って、仲間を頼って、強いチームを作ってください。
しごできのみんな(特にマネージャーの皆さん方)にちょっと嫉妬していました。でもみんながいたからチームが回っていました。みんなは僕の誇りです。
あと一つだけ。「前の代よりもいい結果を出すのは当たり前だ」これも昔ある先輩がおっしゃっていました。なぜなら、先輩方が奔走してくれたおかげでちょっとずつ環境は確実に整ってきているはずだからです。自分たちはついに結果を最後まで出せませんでした。無責任かもしれないけれど、結果を出せるチームを作ってください。
そう遠くない未来に、U25ワールドチャンピオンとして仰秀の名が轟くと確信しています。本気で期待しています。
チャプター4:ヨットの何が面白かったのか
冒頭の問いに戻ります。自分にとってヨットの何が面白かったのか。もやっとしているけれど、たぶんこれだと思う自分なりの考えを綴ります。
僕はヨットがうまくありませんでした。素質もありませんでした。大学でスポーツをやるのに十分な身体もなかったし、要領も良くありませんでした。苦しい時間も多かったし、ヨットが大好きだったわけでもありませんでした。
ではなぜ4年間も部活を続けたのか。
僕はヨットを通して「負けたくない」と心が湧き上がる瞬間がたぶん大好きでした。いい順位が取れたときの鼓動が早くなる感覚が忘れられませんでした。ヨットを知らない人に、ヨットのことを説明する時間が好きでした。そして何より大好きな仲間たちとヨットをしているときの自分が好きでした。
「ヨットを通じて得られる勝負の緊張感・ヨットを通じて少し逞しくなれた感覚」が自分にとってのヨットの面白さだったのだと思います。僕にとってセーリングすることは、自己そして仲間と対話をすることと同じでした。自分、そして周りとコミュニケーションを取る手段でした。手段だったならヨットじゃなくても何でもよいじゃないか、と言われればその通りだと思います。しかし、体力も頭脳もフル活用しなくてはいけなくて、毎度コンデイションが異なるセーリングというスポーツは、やっぱり難しくて、自分自身が4年間取り組むのに値するスポーツだったと思います。
僕が部活を楽しめたのも、ひとえに周囲の方々に恵まれたからに他なりません。ありがとうございました。
エピローグ:謝辞
だいぶ長くなってしまいましたが、最後にお世話になった方々への感謝を書かせていただきます。
LBの皆様
いつも私たちの活動に多大なるご支援をいただきましてありがとうございます。特に今年度は、世界選手権出場に関しまして金銭的にも多くのご支援をいただきました。最上級生となって、LBの方々がいかに私たちの安全・活動のことを考えて行動してくださっているのかを身にしみて実感しました。LB総会でたくさん活動について聞いてくださったのも嬉しかったです。自分も皆様のように現役の声に耳を傾けられる、温かなLBになりたいと思います。
仰秀LBの皆様
艇更新に関してたくさんご助言いただきありがとうございました。おかげさまで無事に更新できました。聞かせてくださった昔の仰秀のお話、全て興味深かったです。クルージングにもぜひまた誘っていただければ嬉しいです。
監督
4年間ありがとうございました。特に最後の1年間は、艇体更新から、世界選手権に向けての準備まで、大変にお世話になりました。強い月光チームのバウマンとして・仰秀再興の祖として、セーラーとしても一人の社会人としても、自分にとって見習うべき存在です。監督が見守ってくださる・近くにいらっしゃっていつでも相談できる、という多大なる安心感があって、ご迷惑をおかけしながらも様々な試みにチャレンジできました。
来年以降も仰秀チームのことをよろしくお願い申し上げます。
月光・ジェリーフィッシュをはじめとする社会人チームの皆様
ワールドクラスの皆様と一緒に練習できる環境があったのは、セーラーとしてこれ以上ないほど幸運でした。おかげさまでチーム一同成長できました。いつも無知な私たちを気にかけてくださり、叱咤激励してくださりありがとうございました。
自分と関わってくださったクルーザー班の先輩方へ
暖かく成長を見守ってくださる皆様のおかげで、無事引退という日を迎えることができました。先輩たちはいまの僕よりもずっとずっと大人で、僕の記憶のなかでかっこいいままです。みなさんから教えていただいたセーリングの楽しさを追い求めて走り続けてこられました。先輩方が皆さんで本当によかったです。レース最終日に福岡まで来ていただいたこともありがとうございました。素直に嬉しかったです。みなさんに見守られながら現役ラストレースを迎えられて、幸せでした。
関根へ
1年間主将お疲れ様。見えないところでたくさん仕事をしてくれたおかげで、円滑に部がまわったと思います。おかげで自分は任せきりで楽しむことができました。
部活以外ではあまり会うわけでもなかったし、ちょっと不思議な関係だった気もするけど、本当に感謝しています。ありがとう。
他にも、各チームのオーナーの方々・整備に関してお世話になった「トキ・エンタープライズ」の方々・各地のマリーナの方々・大会運営してくださった皆様・合宿所の大家さん、そしてディンギー班の先輩方や同期そして後輩・外洋学連の他大学の皆さんなど、その他ここでは挙げきれない自分と関わってくださった全ての皆様に、心から感謝申し上げます。ヨットを通じて出会えた皆様との思い出は、僕の宝物として永遠に残ります。
誠にありがとうございました。
最後に家族、とりわけ両親へ。
まずたくさん送迎してくれてありがとう。それから経済的にもお世話になりました。
レース結果を気にしてSNSを見てくれたり、現地まで応援に来てくれたり、得体の知れない?タブレットを用意してくれたり、、うっとうしいと感じたこともあったけれど、全部嬉しかったです。
あまり家にいなくても、全然授業に行かなくなっても、単位落としても、なかなか就活しなくても信じて見守ってくれたおかげで完走できました。
いろいろと迷惑もかけました。ここまで育ててくれてありがとう。
これからも遥か彼方を見据えて生きていきます。
最後の全日本選手権は総合9位。
思い返すと虚しくて、あのときもっと自分に厳しくできていたらとか、下級生の頃からもっと意識高く取り組めていればこんなはずではなかったのでは、とか思い浮かびます。気持ちの整理なんか全然できてないのかもしれません。
ただ、皆は最後まで諦めることなくセーリングしてくれていて、その事実だけはすごく幸せでした。部活として取り組んでいる以上結果が求められるのは当然なのでそんなの甘いけれど、それは嬉しかった。
自分たちはついに勝てなかったのと思うのと同時に、もう一方では楽しくセーリングができて、セーリングを好きなままでいられて、悪くなかったと妙に納得してしまう自分がいます。多分その弱さが勝てなかった原因です。
自分の中に、自己満足を超える何かがあったことは生まれてから22年間、確かに一度もありませんでした。自分が選んだ道を正解にするのが、満足するのが自分が生きる意味だと信じてきました。
だから、難しいことを考えずに、自分が楽しいかどうかを最優先にしてしまった1年間は、自分の生き方に合っていて、楽しかった。自分の存在意義なんか考えずに、自分の存在を肯定する理由を探すのもやめたラスト1年間は確かに楽しかった。
それが自分の課題から目を背けることにもつながっていたし、本当に無責任だったと思うし、それでよかったとか美化して言い訳する気は毛頭ありません。でも楽しむこと・後から振り返って自分が誇りをもてる部活人生だったと言い切れることが、自分がセーリングを続ける最大のモチベーションでした。そのことに満足していました。
この4年間、辛いことも楽しいこともあった。
朝5時に出発するのはしんどかったし、強風の日はビクビクしていたし、海はやっぱり最後まで怖かった。
晴れの日はテンションが上がったし、いいレースを作ったときは嬉しかったし、後輩がたくさんできて楽しかった。
その中でも、人より頑張れたとかとても言えませんが、自分なりに積み上げてきました。
自分なりに情熱を傾けてきました。
最後の瞬間までそんな自己満にしがみついて、最後まで自己肯定し続けてしまう自分は、とっても気持ち悪くて、でもやっぱり狂おしいほど満足しています。
嘔吐したことも、早朝に回航したことも、ブローチングして命の危機を感じたことも、全部が脳裏から離れません。
仲間に恵まれて、夢にまで見た世界の舞台にたてて、想いを託せる後輩ができて、想像もできなかった素晴らしい4年間となりました。
自分がチームにもたらせたものはたぶんありません。でもヨット部は自分に様々なものをもたらしてくれました。自分を変えました。
飽き性で、何かを本気で頑張った経験なんかなくて、そのくせプライドだけは高くて負ける勝負を避けてきた人間が、すこし逞しくなって、すこし器が大きくなって謙虚になって、そしてだいぶ日焼けしました。
一人の人間の人生にこれだけ影響を与えるほどには、ヨットって、ヨット部って、やっぱりすごいんだなって思います。
無事に単位を揃えられれば、春からは社会に出る予定です。
ここで知った人の暖かさを胸に、今後の人生に希望をもって進んでいけます。
東大に入ってよかった。ヨット部に出会えてよかった。
東京大学運動会ヨット部クルーザー班の一員であったことを心から誇りに思います。
後輩たちがいつまでもセーリングを楽しめることを、切に願っています。
今後とも東京大学運動会ヨット部の応援のほど、よろしくお願い申し上げます。
海の上の情熱。
ありがとうございました。
2024年度 東京大学運動会ヨット部クルーザー班
副将
友成遼
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