2019年度主将を務めました小野万優子です。
今日は金曜日。八景島には行かず久々に俗世の「華金」を楽しませていただきます。
先日の全日本インカレをもって長い長い4年間が終わりました。最終レースが終わった瞬間は意外にもスッキリした気分でした。
西宮に来る前は、今までの先輩方の引退を思い出しながら、引退の瞬間は悔し泣きするのかな、虚無感に襲われそう、などビクビクしていたのですが、実際はクルーの天木といつも通りおしゃべりしながら笑顔でハーバーに帰ってくることになりました。
私が思うに、モヤモヤしていなかった理由は2つあります。
まず1つは、個人としてやりきった感があったこと。2年からインカレに出ている私は毎年誰かの引退をかけた戦いにのぞまねばならず、成長曲線の良し悪しはさておき毎年力を抜かずに走り抜けたつもりです。
もう一つ、1番大きな理由として最後まで東大らしくレースができたということがあります。
ちょうど一年前書いた私の代替わりブログのタイトルは『354日後に向けて』でした。
そのブログにも書いていますが、これは全日本インカレ「初日」までのカウントダウンではなく、「最終日」までのカウントダウンです。インカレまでのカウントダウンは、大会前日に「あと1日!」となって盛り上げるのがお決まりですが、わざわざ最終日に照準を合わせたのには理由があります。
それは、どんな途中経過であろうと東大らしくレースの全日程をいつも通り過ごすことに重きを置こうと思ったからです。
西宮は風が弱いことで有名です。
初日の11月1日は風待ちの後、やっと2レースを消化。続く11月2日は5時間ほど海上にいたにもかかわらず結局ノーレース、11月3日もレースの途中で中止信号。
選手にとってはストレスを溜め込んでもおかしくない時間が続きました。
しかし、焦らされる途中経過の割に東大ヨット部は穏やかで冷静でした。
海上待機中も風が入ってきたら、すぐに走りをチェック、最後まで気を抜かずレースを待ちました。
宿でのミーティングも小松コーチのいう「お通夜」状態にはなったことはなく終始明るい雰囲気だったと思います。
迎えた最終日、東大は両クラスで1艇ずつシングルでフィニッシュしました。
小松コーチにはいつも「最後に1番いいレースを」と言われ続けていたので、最終日に1番走った船がいたのは嬉しいことです。
思えば、今年の東大ヨット部は最終日や最終レースで1番いいレースをすることが多かった。
インカレ後私が晴れやかな気になれたのは、4日間最後まで東大らしく戦うことができたチームが誇らしかったからです。
全日本出場自体が目標ではなく、全日本インカレが本番という意識で最終日まで過ごせました。
着艇後に多くのOBに言われたのは、「チームの完成度が高い」「部活としてよく機能している」といった言葉です。主将だった私にとっては、自分の走りを褒められるよりもずっと嬉しい言葉です。
とはいえ、「自分が作り上げた」という実感はなく、言葉選びが難しいですが、「勝手に良いチームになった」ように感じています。
50人の後輩に対してディンギー班の4年生はたった4人、管轄下における範囲は相当狭かった。
その範囲を超えたところで後輩たちが自ら考え、さまざまなアイデアを実行してくれたからこそ、このチームができました。
チーム作りには大小様々な「原体験」が大きく影響します。
例えばこんな出来事たち。
1年生の関東秋インカレ。たった3レースしか消化されないまま最終日陸上でのAP旗によって4年生の引退が決まった瞬間。畏怖の念をいただいていた4年生が泣くのを見て自分も悔しくて涙したこと。
1年生の冬、プレーヤー食当が当たり前の時代。寝不足になりながら同期と無限に野菜を切ったこと。とりあえず大量の調味料を入れ味をごまかしていたこと。
2年生の秋、33年ぶりに両クラス全日本進出。
3年生の秋、470は全日本に行けず。自分の手で大好きな先輩達を引退させてしまったこと。
その他、新勧で毎年新しい仲間を得る嬉しさと責任、色んな人に部活を辞めると告げられる苦悩、合宿所でのたわいない会話など。
これほどまでに目まぐるしく感情を揺さぶられた日々はありません。そしてその1日1日が、自分にとってのチームの理想像を作り上げてくれました。
後輩たちにとってもこの1年の体験がより良いチームをつくるきっかけになると嬉しいです。
そしてこの1年間、本当にたくさんの人に支えられました。
部員のポテンシャルを信じ、ひたすら鼓舞し続けてくださった小松コーチ。
本気でコース練習の相手をしてくれた早稲田ヨット部。
3年前に小松コーチの指導を受け始めたのは東大ヨット部にとって大きな転機で、この4年間はストイックな早稲田の背中を追い続けた日々でもありました。
そんな早稲田の部員から「赤旗になったら残念そうにしてる姿がいい」とか、「誰よりも自主練してた」なんて言ってもらえてこっそり喜んでいました。今年は早稲田の胴上げが見られずに残念でしたが、いつか東大と早稲田が優勝争いをする日が来るのを私はひっそりと楽しみにしています。
そして、少ない最上級生を支え続けてくれた後輩たち。
1年生のみんな。
サポートの優秀さに驚くばかりでした。470やスナイプにはあまり乗せてあげられず、ホッパーでひたすら沈させたことを許してください。しかしヨットの理解力は例年類を見ないレベルです。みんなが4年生になった時のインカレが楽しみで仕方ありません。期待しています。
2年生のみんな。
誰もがチームの核になり得る力を持った代だと思います。同期は減ってしまったけれど、残された者の絆は時に強みにもなります。きっと明るくて部員思いなチームを作ってくれるはず。
3年生。
君たちほど生意気な後輩には出会ったことはありません。同時に君たちほど人懐っこい後輩もいません。合宿所でちょっかいを出す相手がいなくなって寂しくなるでしょうね。ダメダメな私を最後まで見捨てず、やれやれ感満載ながらも、1年間支え続けてくれてありがとう。チームとしての土台を作ってくれたのは間違いなくこの代です。
私の最後となるペアを組んでくれた天木。
ヨット歴は私よりずっと浅い天木にレースの楽しさを教えて貰いました。関東インカレは私の度を超えた慎重さでつまらなかったかもしれないけど、全日本インカレは伸び伸びできて本当に楽しかった。2回転してもなおレースが楽しかった。思ったよりも前を走っていることが多く、全日本でも良いところで安定できそうな感じがあったからこそ結果は悔やまれる。来年はもっと前を走れるよ。
引退してもなお現役をおおいに支えてくださったLBの皆様。
遠いところまでレースを見に来てくださり、レスキューから観覧艇から大きな声援をいただきました。数年前東大ヨット部が廃部の危機にあったところからここまでの組織になったのは、皆様のサポートのおかげです。
そして、4年間を共にした同期。
対立という言葉を知らず、みな同期思いでした。しっかり者でクルーザー班から常に見守ってくれていた磯野。マネージャー改革に勤しんでくれたみくちゃん。一番はじめに辞めそうだと思っていたけど誰よりも闘志に満ちたスナイパーとなった多賀谷。同じ経験者としてプレッシャーと戦いながら切磋琢磨したくれた塚本。
改めて東大ヨット部に入ってよかったと心から思います。インカレ後の積み込みでは時間がなくて話す機会がなかったけれど、本当は部員一人一人に直接お礼が言いたい。
全日本インカレにのぞんだこのチームは私の想像を遥かに超えた素晴らしいチームでした。しかし、そんなチームをもってしても入賞という目標を達成できなかったのもまた事実。
なぜ入賞できなかったのか。関東という激戦区で揉まれ勝つメンタルができていないからか。練習内容を見直す必要があるのか。勝つためにどうすればいいかは新しいチームで追求してほしいと思います。
ただ一つ間違いなく言えるのは、東大ヨット部は全日本入賞を目標に掲げても全く恥ずかしくないところまで来ているということ。
チーム力は西宮でも決して負けていなかった。
勝つチームの土台はもうできていると思います。
次の目標は新しいチームが決めること。でもどんな目標を立てても私は全力で応援します。
最後に。ヨット部での4年間は幸せなことだけではありません。でもこの4年間の思い出と共に今後の人生を歩める私は最高の幸せ者です。
4年間本当にありがとうございました。
今日は金曜日。八景島には行かず久々に俗世の「華金」を楽しませていただきます。
先日の全日本インカレをもって長い長い4年間が終わりました。最終レースが終わった瞬間は意外にもスッキリした気分でした。
西宮に来る前は、今までの先輩方の引退を思い出しながら、引退の瞬間は悔し泣きするのかな、虚無感に襲われそう、などビクビクしていたのですが、実際はクルーの天木といつも通りおしゃべりしながら笑顔でハーバーに帰ってくることになりました。
私が思うに、モヤモヤしていなかった理由は2つあります。
まず1つは、個人としてやりきった感があったこと。2年からインカレに出ている私は毎年誰かの引退をかけた戦いにのぞまねばならず、成長曲線の良し悪しはさておき毎年力を抜かずに走り抜けたつもりです。
もう一つ、1番大きな理由として最後まで東大らしくレースができたということがあります。
ちょうど一年前書いた私の代替わりブログのタイトルは『354日後に向けて』でした。
そのブログにも書いていますが、これは全日本インカレ「初日」までのカウントダウンではなく、「最終日」までのカウントダウンです。インカレまでのカウントダウンは、大会前日に「あと1日!」となって盛り上げるのがお決まりですが、わざわざ最終日に照準を合わせたのには理由があります。
それは、どんな途中経過であろうと東大らしくレースの全日程をいつも通り過ごすことに重きを置こうと思ったからです。
西宮は風が弱いことで有名です。
初日の11月1日は風待ちの後、やっと2レースを消化。続く11月2日は5時間ほど海上にいたにもかかわらず結局ノーレース、11月3日もレースの途中で中止信号。
選手にとってはストレスを溜め込んでもおかしくない時間が続きました。
しかし、焦らされる途中経過の割に東大ヨット部は穏やかで冷静でした。
海上待機中も風が入ってきたら、すぐに走りをチェック、最後まで気を抜かずレースを待ちました。
宿でのミーティングも小松コーチのいう「お通夜」状態にはなったことはなく終始明るい雰囲気だったと思います。
迎えた最終日、東大は両クラスで1艇ずつシングルでフィニッシュしました。
小松コーチにはいつも「最後に1番いいレースを」と言われ続けていたので、最終日に1番走った船がいたのは嬉しいことです。
思えば、今年の東大ヨット部は最終日や最終レースで1番いいレースをすることが多かった。
インカレ後私が晴れやかな気になれたのは、4日間最後まで東大らしく戦うことができたチームが誇らしかったからです。
全日本出場自体が目標ではなく、全日本インカレが本番という意識で最終日まで過ごせました。
着艇後に多くのOBに言われたのは、「チームの完成度が高い」「部活としてよく機能している」といった言葉です。主将だった私にとっては、自分の走りを褒められるよりもずっと嬉しい言葉です。
とはいえ、「自分が作り上げた」という実感はなく、言葉選びが難しいですが、「勝手に良いチームになった」ように感じています。
50人の後輩に対してディンギー班の4年生はたった4人、管轄下における範囲は相当狭かった。
その範囲を超えたところで後輩たちが自ら考え、さまざまなアイデアを実行してくれたからこそ、このチームができました。
チーム作りには大小様々な「原体験」が大きく影響します。
例えばこんな出来事たち。
1年生の関東秋インカレ。たった3レースしか消化されないまま最終日陸上でのAP旗によって4年生の引退が決まった瞬間。畏怖の念をいただいていた4年生が泣くのを見て自分も悔しくて涙したこと。
1年生の冬、プレーヤー食当が当たり前の時代。寝不足になりながら同期と無限に野菜を切ったこと。とりあえず大量の調味料を入れ味をごまかしていたこと。
2年生の秋、33年ぶりに両クラス全日本進出。
3年生の秋、470は全日本に行けず。自分の手で大好きな先輩達を引退させてしまったこと。
その他、新勧で毎年新しい仲間を得る嬉しさと責任、色んな人に部活を辞めると告げられる苦悩、合宿所でのたわいない会話など。
これほどまでに目まぐるしく感情を揺さぶられた日々はありません。そしてその1日1日が、自分にとってのチームの理想像を作り上げてくれました。
後輩たちにとってもこの1年の体験がより良いチームをつくるきっかけになると嬉しいです。
そしてこの1年間、本当にたくさんの人に支えられました。
部員のポテンシャルを信じ、ひたすら鼓舞し続けてくださった小松コーチ。
本気でコース練習の相手をしてくれた早稲田ヨット部。
3年前に小松コーチの指導を受け始めたのは東大ヨット部にとって大きな転機で、この4年間はストイックな早稲田の背中を追い続けた日々でもありました。
そんな早稲田の部員から「赤旗になったら残念そうにしてる姿がいい」とか、「誰よりも自主練してた」なんて言ってもらえてこっそり喜んでいました。今年は早稲田の胴上げが見られずに残念でしたが、いつか東大と早稲田が優勝争いをする日が来るのを私はひっそりと楽しみにしています。
そして、少ない最上級生を支え続けてくれた後輩たち。
1年生のみんな。
サポートの優秀さに驚くばかりでした。470やスナイプにはあまり乗せてあげられず、ホッパーでひたすら沈させたことを許してください。しかしヨットの理解力は例年類を見ないレベルです。みんなが4年生になった時のインカレが楽しみで仕方ありません。期待しています。
2年生のみんな。
誰もがチームの核になり得る力を持った代だと思います。同期は減ってしまったけれど、残された者の絆は時に強みにもなります。きっと明るくて部員思いなチームを作ってくれるはず。
3年生。
君たちほど生意気な後輩には出会ったことはありません。同時に君たちほど人懐っこい後輩もいません。合宿所でちょっかいを出す相手がいなくなって寂しくなるでしょうね。ダメダメな私を最後まで見捨てず、やれやれ感満載ながらも、1年間支え続けてくれてありがとう。チームとしての土台を作ってくれたのは間違いなくこの代です。
私の最後となるペアを組んでくれた天木。
ヨット歴は私よりずっと浅い天木にレースの楽しさを教えて貰いました。関東インカレは私の度を超えた慎重さでつまらなかったかもしれないけど、全日本インカレは伸び伸びできて本当に楽しかった。2回転してもなおレースが楽しかった。思ったよりも前を走っていることが多く、全日本でも良いところで安定できそうな感じがあったからこそ結果は悔やまれる。来年はもっと前を走れるよ。
引退してもなお現役をおおいに支えてくださったLBの皆様。
遠いところまでレースを見に来てくださり、レスキューから観覧艇から大きな声援をいただきました。数年前東大ヨット部が廃部の危機にあったところからここまでの組織になったのは、皆様のサポートのおかげです。
そして、4年間を共にした同期。
対立という言葉を知らず、みな同期思いでした。しっかり者でクルーザー班から常に見守ってくれていた磯野。マネージャー改革に勤しんでくれたみくちゃん。一番はじめに辞めそうだと思っていたけど誰よりも闘志に満ちたスナイパーとなった多賀谷。同じ経験者としてプレッシャーと戦いながら切磋琢磨したくれた塚本。
改めて東大ヨット部に入ってよかったと心から思います。インカレ後の積み込みでは時間がなくて話す機会がなかったけれど、本当は部員一人一人に直接お礼が言いたい。
全日本インカレにのぞんだこのチームは私の想像を遥かに超えた素晴らしいチームでした。しかし、そんなチームをもってしても入賞という目標を達成できなかったのもまた事実。
なぜ入賞できなかったのか。関東という激戦区で揉まれ勝つメンタルができていないからか。練習内容を見直す必要があるのか。勝つためにどうすればいいかは新しいチームで追求してほしいと思います。
ただ一つ間違いなく言えるのは、東大ヨット部は全日本入賞を目標に掲げても全く恥ずかしくないところまで来ているということ。
チーム力は西宮でも決して負けていなかった。
勝つチームの土台はもうできていると思います。
次の目標は新しいチームが決めること。でもどんな目標を立てても私は全力で応援します。
最後に。ヨット部での4年間は幸せなことだけではありません。でもこの4年間の思い出と共に今後の人生を歩める私は最高の幸せ者です。
4年間本当にありがとうございました。