東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

新主将挨拶

2019年11月10日 23時00分00秒 | 通常練習
お世話になっております。2020年度ディンギー班主将を務めることになりました、吉武宗浩です。一年間どうぞよろしくお願いします。
 
東大ヨット部とは不思議な場所です。いわゆる「体育会系団体」であるものの、インカレ至上主義ではありません。「インカレでトップを目指す」ということを盲目的に信じることはあってはならないとされています。部員が主体的に目標を設定し、そこに向かい努力をする課程で人間的に成長することが部の存在理由です。「インカレに出るかどうか」という、他大学では大前提であることですら「選択肢のひとつに過ぎない」と言い切ってしまう環境は東大ヨット部特有の文化でしょう。「クルーザー班」というものが存在すること自体、その文化を象徴しています。
 
本年度のディンギー班の目標は「全日本総合入賞」となりました。本来、夢や目標とは個々で異なるものです。全日本インカレにこだわる者がいても良いし、七大戦にこだわる者がいても良い。そのような「個人的な目標」は大いに尊重するべきです。自分にとって価値のあり、ワクワクする夢を持つべきなのです。
一方「全日本総合入賞」とは、多くの部員にとっての夢でもあります。正しい努力を続ければ手が届くかもしれない。先週までの全日本インカレの、国立大学である京都大学のクラス優勝・総合入賞や同じく国立大学である九州大学・広島大学のクラス入賞は、そう感じさせるだけの勇気をくれました。私たちにとっても総合入賞ラインである「80点レース」は不可能ではなかった。より多くの知識を得て、より繊細な技術を身につけ、より強固な組織力を作り上げれば。はるか高く雲の上にしか見えていなかった「全日本総合入賞」は、今や高くジャンプすれば届くところにあるかもしれない。
 
夢を持つことの出来た者は、努力をするべきです。その「努力」とは誰しもが簡単に口にするものですが、実はものすごく難しいものです。勝負事の世界では、結局のところ自己に一切の妥協を許さず情熱的な努力をすることができた集団が勝ち、そうでない者が負けるのでしょう。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉がありますが、実際に負けた時多くの人は己の「努力不足」を悔いるのであり、大多数は「あの時もっとこうしておけば」と口にするのです。
一人ひとりの夢や目標が微妙に異なることを許容する東大ヨット部の中でリーダーがすることは、「実現可能に思える夢や目標を見せること」「そこに向かって『情熱的に』努力する環境を与えること」です。非常に高い目標に向かってひたむきに努力する部員が多くなった時、自ずと成績は上がりファンは増えるのでしょう。「妥協しなかった」と言い切る部員が多ければ、より感動的な最後が待っていましょう。とにかく「ヨット馬鹿」となり「情熱的に」「楽しく」努力することが高い目標に向かい邁進する上で必要なことです。
 
高い目標を持ち、熱中すること。これができる集団はより「強い集団」と化けるでしょう。夢を、叶えるために。強豪に、食らいつくために。賞状を、手にするために。それぞれの目標のために、全力で精進して参ります。
 
最後になりましたが、LBの皆様、東京大学運動会関係者の皆様、部員の保護者の皆様をはじめ、東京大学運動会ヨット部に関わってくださる全ての方々におかれましては、日頃より多大なるご支援をいただき誠にありがとうございます。皆様のご協力なくして、私たちの活動は継続することができません。部員一同、感謝の気持ちを持ちながら活動して参ります。
 
引き続き、ご支援・ご声援のほどよろしくお願いいたします。
 
東京大学運動会ヨット部 主将
吉武宗浩

大好きな場所

2019年11月10日 22時31分06秒 | 引退ブログ


お世話になっております、

マネージャーをやらせていただきました塚田です。

 

またまた久しぶりのブログとなってしまいました。1年ぶりくらいでしょうか。1年経っても全く成長することのなかった拙い語彙力をフル活用して、少しでも読めるものとなることを願うばかりです。

 

 

 

まずはじめに、4年間お世話になりました全ての方に感謝いたします。ありがとうございました。

 

 

キラキラ女子大生計画は崩壊しましたが、メイクすらせず部屋着にビーサンで過ごした時間の分だけ、かけがえのないプライスレスな思い出ができました。

 

 

1年生の頃はお客様気分でした。自分の楽しいことを優先し当時の4年生が引退するまで参加した合宿は2回ほど。私がちゃんと参加していれば同期が週6練で辛いプレイヤー食当をすることもなかった。本当にごめんなさい。

 

 

いろいろやりたいことが出てきても、他大だしマネージャーだし、できないこともありました。辛い時期もありましたが、プレイヤーの苦悩に比べればちっぽけなことに思えます。だから今の私にできることをやろう、なくても困らないけどあったら良い程度のこと、お節介なくらい小さなことでもやっていこうと思うようになりました。今年1年は本当に口うるさく小さなことを言っていたように思います。

 

優しく、温かくみんなを包み込めるようなマネージャーになることが目標でしたが、実際は短気で口も悪いし全然想像と違うマネージャーになってしまいました。。。

 

 

今年の秋インは陸に残っているのが私とインカレサポート経験のない1年生のみですごく不安でした。さらに今年は両クラスシード校のため決勝からのスタートです。けれども始まってみればそんな心配は不要でした。それぞれの仕事を確実にこなしていくみんなはすごく逞しく、私の仕事はなくなってしまいました。笑 サポート力は年々強くなっているように思います。1年生のヨットにかける情熱があるからこそのサポートであったと思います。東大ヨット部のこれからに期待ができるとも思いました。

 

そんな全日本インカレに行くのが当たり前となり始めている今だからこそ、地味で基礎的な部分を大切にしてほしいです。今年1年細かいことをたくさん言っていたのも、去年の先輩方の後悔を目の当たりにしたからです。みんなが小さなことにまで気を配り努力を続ければ必ずより強い東大になると思います。応援しています。

 

 

よくヨット部のマネージャーって何してるの?と聞かれることがありました。炊事が主な仕事だと答えるとお手伝いさんじゃん、ヨット部のマネである必要なくない?と言われることもありました。たしかにそうかもしれません。けれどもそう言われててもみんなが好きだから続けてくることができました。ちょっとでもみんながヨットに集中できるのなら、私はヨットに関わってなくても、ヨット部に関わることができているならそれで良いと思っていました。

今後はマネ改革が進みヨット部マネならではの仕事もできると思います。まだまだ発展途上のマネチームにもぜひご期待ください。

 

 

私は新勧コンパでヨット部と運命の出会いをし、幸運にも東京大学運動会ヨット部に所属させていただくことができました。本当に感謝しています。ありきたりの大学生活からこの上ない思い出に残る4年間を過ごすことができました。もう一度大学生を1からやり直したとしても東京大学運動会ヨット部のマネージャーになりたいです。

 

 

 

生意気な私を優しく応援してくださった先輩方

話を聞いてよいしょしてくれた同期

ダル絡みにも相手してくれた後輩たち

本当にありがとうございました。ヨット部が大好きです。これからはLBの一員として現役を応援していきます。

 

 

 

支離滅裂な文章となってしまいましたが、最後までお読みいただきました方、ありがとうございます。

 

 

 

P.S.マネのみんなへ

1年生のときに部活に参加していなかった自分が言えることは、やっぱりちゃんと部活に参加したほうが良いということです。プレイヤーのヨットにかける思いも、普段のふとした姿も一緒にいるからこそわかります。頑張ってる姿を見ることでもっと頑張ろうって思わせてくれます。ちょっと辛くても何か誘惑があっても頑張って参加してみてください。外からではわからないヨット部の見え方があります。みんななら良いマネージャーチームを作ることができると信じています。チームとしてヨット部を支えていってください。縁の下の力持ちになってください。頑張っていればきっとプレイヤーが結果で応えてくれるはずです。ときどき頭にくることや泣きたくなることがあるかもしれないけれど、それはみんなが本気でヨット部と向き合っているからこそだと思います。一番近いOGとしてみんなを応援しています!

 

 

 

塚田美駒

 

 


ひと夏の長さより...

2019年11月10日 22時30分00秒 | 引退ブログ
ヨット部ディンギー班を引退しましたスナイプスキッパーの多賀谷光です。まずは、全日本インカレで多くのLBに支えていただけたことを改めて感謝申し上げます。また、部員ひとりひとりへメッセージを書きたかったけれど、それはまた会ったときにゆっくり話しましょう。磯野、小野、塚本、塚田という同期がいたからこそやってこれました。本当に、ありがとう。このブログは、全日本の最終レースの思い出から始めさせていただきます。



私の最終レース全日本インカレsnipe級第4レース。(Trac Tracの東大Aを見てもらえると楽しめると思います。)2上のレグで右艇団がブローに噛んで左海面にいた31418艇は絶望の景色。動揺からかクルー阿部がヒールトリムで落水。最後のリーチングを終えて2マークを66位回航。風速が徐々に落ちていく中で、私の最終レースはDNFとの闘いになると察し、阿部にストップウォッチを測らせた。3日目までの他大学との点数は僅差であると知っている。ここで文字をつけるか否かで順位は大きく変わるだろう。そんな中でのファインプレー、阿部が右からのブローをいち早く見つけてくれた。31418は周りの船からいち早くジャイブし、内側に切り込んで行く。後ろから追いついた多くの船で混戦の3マーク。セオリー通り内側を回航してクローズホールドに。2タックを挟み、最後までフレッシュを掴み続け着順は39位。蓋をあけてみれば4-23-39の66点レース。最終の最後にチームとして会心のレースができた。

思えば、全日本インカレはこれで3回も出させてもらえたことになる。幸せだなぁ。

1回目は菅原さんと。クルーの動作で手一杯だった自分。スキッパーの負担は大きかったと思う。他の2艇のBFDによって1艇で戦わなければいけなかった第2レースはとても心細かった。全日本の壁の厚さを初めて思い知った。

2回目は浅川さんと。レース数をこなしてもなかなか前を走らせられなくて辛い思いをさせてしまった。13位だったレースは1度前を走れば全日本インカレのレースでも順位をキープできると自信になった。

そして、3回目は阿部と。スキッパーとしては初めての全日本インカレ。クローズではコースは全て阿部に任せてスピードに集中できた。自分が一番走れていなかったけど、運に恵まれなかっただけだと海の上では自分の中で飲み込めていた。次のレースで絶対走らねばというような強すぎるプレッシャーを感じることはなくレースができた。その一つには、吉武が走ってくれたからっていうのもある。あんまり、走れなくてごめんな。


1年生の時に遡ります。夏合宿中のレスキューボートに乗っていたときに、小松コーチがおっしゃったことを紹介します。「今の4年生の姿をしっかりと目に焼き付けておくように、君たちが4年になるときにどうなっているのか」という内容のものでした。その年の関東秋インカレの最終日は未だに鮮明に思い出せます。最終日のレースは行われませんでした。3レースの成立、忘れられない青木さんの涙、気づけば私が一番泣いていました。ヨットのことは全く分からなかったけど、週6連に参加し食当、ガソリン、レスキュー、リヤカーなどの仕事を同期みんなでこなしました。そんなひと夏の体験が、4年まで私をこの部に残らせてくれたのでしょう。

私が好きな小松コーチ語録のひとつに、「次のレースがあると思ってはいけない」という教訓があります。私たちの代には、この教訓が後輩たちの世代より心の奥深くに刺さっていると思います。それは先程述べた2016年の関東決勝を経験しているからです。今や東大ヨット部は全日本常連校といえるくらいの実力をつけて来ていることは間違いありません。だからこそ、もう2度と同じような悔しい思いはしてほしくないと思います。関東で負ける味を忘れることの無きよう。


もろもろの事情で帰りの2tトラックも運転することになった。八景島の積み下ろしでは、新しい門出を祝福するような心地いい陽射しにうとうとしながら、頼もしい新世代の積み下ろしを見守った。最後に1列に並んで送り出されたときには、泣きそうだったけど、ぐっとこらえて笑顔でマリーナを出た。東京大学運動会ヨット部の『ザ・ゴールデン・ヒストリー』の続きを期待して。

ここはまだ通過点

2019年11月10日 14時28分35秒 | 引退ブログ

4年470リーダーの塚本です。

とうとう自分にも引退ブログを書くときが来ました。この最後の1年はあっという間でした。

 

つい1週間前に西宮で全日本インカレが行われ、全国から集まった72艇の中でなんとか前に出て走ろうと一所懸命になって戦っていました。

結果はご存知の方が多いと思いますが、47013位、スナイプ12位、総合12位でした。これまで東大ヨット部が全国でどのくらいの位置にいるのか測りかねる状況でいましたが、ここ最近全日本に出場する機会を得て、そのリザルトを見ることによって段々と明確になってきました。わずか4レースでの決着でしたが、この結果がまさにサポートも含めた東大チームの今の実力を反映されたものなんだと思います。

 

自分は2年の春から470のスキッパーとしてインカレに出場し続けました。数えると関東インカレ6回と全日本インカレ2回となります。

 

2年の時はなんとか当時の4年生を全日本に行かせてあげたい、その一心で練習をしていました。久しぶりの全日本出場ということで決まった時の喜びは一入でした。若狭での全日本では、第1レースこそシングルをとったものの次のレースでBFD。最終レースも後方で埋もれ自分たちのレースはできませんでした。

ペアを組ませていただいた中田さんの最後の言葉が「悔しさが残るインカレ」だったのが今でも自分の中で印象強く残っており、なんとかこの悔しさを晴らすことができるようなレースをしなければならないと思ってきました。

 しかし、3年の秋インカレ決勝、最終レースでUFDをつけてしまい、全日本への挑戦はできずに終わってしまいます。この年はヨットに対して前向きになれない時期もあって、自分で自分が情けなく思えたり、当時の470リーダーの西坂さんには申し訳ない気持ちしか残っていません。

 

そんな失敗を経験しての最後の年、インカレに対して半ば恐怖に似た感情を抱きながらもどうやったら厳しい関東インカレを勝ち抜けるチームが作れるか、全員で悩んで考えてきました。ペア決めをするときはいつも長いミーティングをしていました。その中でしっかりと勝ち抜いてレギュラーを掴んだ松前、厳しい練習に付いてきてくれ、本番でもパフォーマンスを落とさなかった崇には最大限の拍手を送りたいし、頼りになるクルーの天木、大橋はスキッパーの力をより引き上げることでチームの底上げをしてくれたことは非常にチームとしても明るいものにしてくれました。またサポートに徹し練習時間が短い中でも着実に実力をつけてきている、足立、廣瀬、下重、古橋、智貴、シーホッパーを自ら志願して準備し練習機会を創出しようとしてきた活気と意欲のある一年生たちからはこれからの東大内の激しい競争とその先の強い東大を予感させてくれました。

それぞれが逞しくこの一年を渡りきり、成長してくれていましたが、まだブレイクスルーには及ばなかったようです。それは目標の秋インカレ6位入賞はおろか7位にも遠く及ばず、全日本の最後の枠に入ることが精一杯だったことに言えます。そう簡単にいくかとは思いませんが、それにしても大きく立ちはだかる壁に感じてしまったのが実情です。

 

今回の全日本では3艇の合計100点のレースを続け、10位を目標としました。

不慣れな地、いつもと違う戦う相手ということもあり、海面、レースにどのような傾向があるのか、模索しながらの戦いでした。そしてそれがすごく楽しかった。まさに自分のヨット力というものを試されているのだと、上手くいけば前を走れるのではという期待感を持ちながら過ごしていました。

チームの結果としては13位。正直この結果には悔しさが残ってしまいました。というのも最終日の最終レース、前のレースが6位と会心の出来であった後のレースで一番悪いレースをしてしまった。小松さんの最終レースを一番良いレースにするという教えが体現できませんでした。シングルでなくても10~20番台で終わらせられればもう1つ2つ順位が良かったかもしれない。調子が良かっただけに最後叩いてしまったのはやはり悔しい。

結局後悔が残ってしまった全日本でしたが、これを晴らしてくれるのはもう後輩たちしかいません。今回よりも上に目指していけるチームをぜひ作っていってください。

 

西宮インカレが終わり晴れて引退という形にはなりましたが、タイトルの通り自分としてはまだまだここは通過点だと思ってます。今振り返るとこれまで多くのLBの方たちから支えられてきて、それが力になっていたのだなと深く実感しており、そして今度はそれが自分の番であると。そう考えるとやはりここは通過点でしかなく、いつの日か東大が全国制覇するまでそういう思いが続いていくのだと思います。

また自分の人生においてもヨットと海を通して成長させてもらった自分がさらに成長するにはやはりこれからが大事になる、そういった意味でもここは通過点でしかないという思いを残しておきたいです。

 

最後に

この1年間いろいろあったけど最後まで一緒に戦ってきた470チーム、スナイプチームの後輩たち、応援し続けていただいたLBの方々、4年間不器用な自分を辛抱強く指導してくださった小松コーチ、人数が少なく大変な時期も過ごしてきた同期の小野と多賀谷と塚田、そしてたくさん心配をかけてしまいながらも支え続けてくれた両親、言葉では言い表せないくらい感謝しています。

ここまでヨットを続けてこられて良かったなと思っています。改めてありがとうございました。

 

 

塚本将史

 

P.S.

全日本470までまだまだ470に乗ってます!最後までセーリングを楽しんできます。