我がChronicle.Ⅴ-抱idaいて-
輝きの頂点のような二十歳から豊饒の夜明けのような三十代へ、其の百彩に彩られるべき云わば”黄金の時代”に、僕は理解不能の憂鬱を抱えて放浪した。それ故の混沌の坩堝で踠き苦悩し、先の見えない未来と抜け出せぬ現実の蟻地獄に陥って虚しく手足をバタつかせていたのだ。
そういう荒れ果てた日常の中で必然のように詩を書く心情から逸脱する。軈て再びそれを取り戻すまでの三十年間に亘る不毛のTOKIを、短い詩型の三十一文字に縋って”書く事”の枯渇を何とか免れていた現状だった。
三十代になって如何やら生活の基盤となるべき仕事(その後の四十年を満たしてくれる)に巡り会った僕は、ようように精神の安定を確保すると、運命の女神はその頃合いを見計らったように赤い糸を垂らしてくれた。
1982年、その糸の一端を持つ女性と巡り逢って結婚。33歳になっていた僕は、奇蹟のように復活した詩魂を傾注し、その彼女への”愛の詩”を謳った。表紙を友人に頼んで純白、トムソン(浮き出し)の形態にして完成させた限定五十部の「詩5.抱いて」は、結婚式の記念品として招待客の全ての人に持ち帰ってもらったのだった。
仕事と女房と三人の子どもに恵まれ、その幸せの維持の為に僕は再び書くことから遙かに遠ざかり、沈黙の歳月は知らぬ間に二十年という膨大な年月を過去へと押し流し、その状態は第6詩集「再甦」で不毛の詩の荒野から復活を遂げるまで延々と続いた。
その青春の蹉跌の時代に、僕は多くの師と出逢った。そのお陰が無ければきっとこうしてchronicleを綴る現実になど住まいしていなかっただろうことを想えば、人生はやはり、その時々の縁の糸の存在に尽きる!!と思えるのだ。そうして、その事の為にこそ自分に磨きをかけるべきなのだと。