降って来るもの

写真と散文とぽえむ

kokoroとkaradaと

2018-06-09 06:07:14 | 詩15

                         kokoroとkaradaと

 

僕の本体を

安全に維持し保護し持ち運ぶ器が

覚醒してゆく意識下で

karadaとして回復してゆく

その機能の恙ない状況を

少しずつ確認しながら

僕の総称は

敷布団の上で

今日の心身を揃えてゆく

 是から捕え難い刹那というTOKIとの

 戦に出てゆくのだ

 

僕は何時でも

AIするHITOの為に在る

AIされているのかとは

別の次元の

 

生きている!と

ほんとうに其処に

僕が居ると

確認できる

秘密の出来事

 

僕を生かすのは

付与された器の品質次第だが

僕を成り立たせるのは

その中身に誂えられる

イノチの豊饒さに因る

 

tokidoki オスになる

メスが恋しいのだ

そんなトキに

本能で生きる

動物なのだと分かる

僕も

 

大部分の細胞は

僕を抱合して

時間を動かし始めたけれど

彼方此方 イタイ!!

摩耗し疲弊し錆び付いて

イ.タ.イ・・・

06/09 06:06 万甫

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我がChronicle.Ⅵ

2018-06-08 05:28:46 | 詩15

                     我がChronicle.Ⅵ-episodeⅡ.背番号3-

 

 生計を維持するためと、3人の父親としての子育てに追われた十数年の月日。自分を外と内の二面に分割できるとしたら、この期間は当に目まぐるしく変貌してゆく環境の変化と、否応なく巻き込まれてゆく由なしごとに翻弄され、その対応だけの明け暮れだけで100%のTOKIが消えてゆく時代であった。

 町立の保育園に3人を預けている間に、自営業という立場も加味されてどうしても拒否できなく引き受けた“保護者会会長”の役職。更にその続きのように3人が在籍する小学校では長女が6年生になった春から、当然のようにお鉢が回ってきた、否応なしの”PTA会長”に就任して何れも心身ともに繫忙の日々を過ごしたのだった。

 長男は二年生からその小学校を主体とする地元の少年野球部に入れてもらった。4年生になって試合に出るようになると女房と二人でその姿を愉しんだものだったが、創設者で20年余を監督として支えて来た恩人が高齢を理由に引退することになり、保護者の忘年会で僕に次期監督を!!との要請が有ったのだ。

 息子は6年生になってキャプテンになった。いろいろ担った役柄と同じように、此の時にも断れる理由が無くて監督を引き受け、以後1999年1月から世紀を跨いで2005年7月までの6年弱の年月を、少年野球部の監督として殆どの土曜日曜祭日を提供する環境に存在した。

 僕はもともと「背番号3.長嶋茂雄」の信奉者で、彼のお陰で以後今日までの半世紀をスポーツ好きで過ごせてきたように思える。就職した会社の食堂で”引退試合”を見てもらい泣きしたのを、今でも新鮮な感動で思い出すことが出来る幸せな巡り会い。僕の人生の一面を背番号3の鮮烈さが支えてくれたと言っても過言ではなかった。

 当然のように息子は3年からキャプテンになって仕方なくの10番を付ける6年の春まで、前監督に懇願して3番を付けさせてもらった。それより以前の20年ばかり継続した草野球で僕はピッチャーとして存在したが、背に着けた番号はやはり選択の余地なく「3」だった。

   

毎年卒団式には子供たちから感謝の言葉が書かれた、永遠の記念品になる色紙を貰った。

  それが、6年も監督を続けられた秘訣だったような気がする。軟式野球、少年野球、地域のソフトボールのリーグ戦でそれぞれに獲得したトロフィー。

 書かずにはおれないこの間の内面とのバランスを辛うじて賄ってくれていたのが、日に数行を書き記す記録の部分の日記帳と、胸の哀楽を31文字に絞りぬいて記憶の一部として書き残す五七五七七の短歌の存在だった。

 

 

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我がChronicle.Ⅴ

2018-06-07 05:24:11 | 詩15

                    我がChronicle.Ⅴ-抱idaいて-

 

 輝きの頂点のような二十歳から豊饒の夜明けのような三十代へ、其の百彩に彩られるべき云わば”黄金の時代”に、僕は理解不能の憂鬱を抱えて放浪した。それ故の混沌の坩堝で踠き苦悩し、先の見えない未来と抜け出せぬ現実の蟻地獄に陥って虚しく手足をバタつかせていたのだ。

 そういう荒れ果てた日常の中で必然のように詩を書く心情から逸脱する。軈て再びそれを取り戻すまでの三十年間に亘る不毛のTOKIを、短い詩型の三十一文字に縋って”書く事”の枯渇を何とか免れていた現状だった。

 三十代になって如何やら生活の基盤となるべき仕事(その後の四十年を満たしてくれる)に巡り会った僕は、ようように精神の安定を確保すると、運命の女神はその頃合いを見計らったように赤い糸を垂らしてくれた。

 1982年、その糸の一端を持つ女性と巡り逢って結婚。33歳になっていた僕は、奇蹟のように復活した詩魂を傾注し、その彼女への”愛の詩”を謳った。表紙を友人に頼んで純白、トムソン(浮き出し)の形態にして完成させた限定五十部の「詩5.抱いて」は、結婚式の記念品として招待客の全ての人に持ち帰ってもらったのだった。

 仕事と女房と三人の子どもに恵まれ、その幸せの維持の為に僕は再び書くことから遙かに遠ざかり、沈黙の歳月は知らぬ間に二十年という膨大な年月を過去へと押し流し、その状態は第6詩集「再甦」で不毛の詩の荒野から復活を遂げるまで延々と続いた。

    

 その青春の蹉跌の時代に、僕は多くの師と出逢った。そのお陰が無ければきっとこうしてchronicleを綴る現実になど住まいしていなかっただろうことを想えば、人生はやはり、その時々の縁の糸の存在に尽きる!!と思えるのだ。そうして、その事の為にこそ自分に磨きをかけるべきなのだと。

 

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TOKIはMachで

2018-06-05 22:31:36 | 詩15

                       TOKIはMachで

 

月日も時間も

音もたてずに、滑るように、軽やかに

全ての現在を包括して

唯、絶えず、永遠の昨日へ、

果て無い過去へ

有無を言わせず、運んでゆく

それぞれに戻れぬ極地へ

儚いそれぞれの目次へと

無表情に、

イノチの一行を、書き込みながら・・

 

嗚呼、僕は何度溜息を衝いただろう

嗚呼、僕は幾つの嘆息を吐いたろう

不文律の、その、

非情と否常のTOKIの掟に

06/05 22:31:31 万甫

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我がChronicle.Ⅳ

2018-06-05 05:33:31 | 詩15

                    我がChronicle.Ⅳ-煩悶と蹉跌の中で-

 

 会社の寮の6畳ほどの部屋に二段ベットが二つ置かれた4人部屋に住まいして社会人生活を始めたものの、来る日も来る日も始業と終業の時間に挟まれた空間、タイムカードに管理された居場所に馴染めなくて、僕は鬱鬱とのたくる。

 煩悶と蹉跌の日々を何とか正常に保ってくれたのが、文字の咆哮!だったような気がする。今でも・・。

 そんな重苦しい葛藤の中から、1970年1月、二十歳になっていた僕が初めて自費出版した「処女詩集.豫告」は生まれた。

  それから3年、暗く重苦しい言葉を羅列して第二詩集が

  僕は既に23歳になっていたが、職を転々とした。さまざまな種類のあらゆる環境に身を置いたのだ。その鬱屈を晴らすように、気が付けば僕はpenを握り、不平不満、やり場のない苦悩を文字に置き換えて平衡を維持した。

第三集は翌年  1974の夏には仲間を募って同人誌を創刊。

     続かなかったが。

 同じことの繰り返しに耐えられなかった僕は、青春という名の茨道を歩いた。勤労者に思いのままの日常など有り様がないのに、今から思えばその安穏の時間を求めて彷徨った期間だったような気がする。期待と失望、決意と挫折を繰り返し、結局辿り着くのは、何時でも僕を有りの儘に迎え入れてくれる言葉達の港であった。

 同人誌の落胆から三年経って第四詩集「明日の鏡」を手にする。

 題字は父に頼んだ  僕は28歳になっていた。

 

今朝 04:50

06/05 06:12 まんぼ

 

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マーブル玉より

2018-06-04 19:51:52 | 詩15

                          ま~ぶる玉より

 

ヒトたる動物はやっぱり

それが

マーブル玉より小さく

virusより微細なものだとしても

先に楽しみが無ければ

息詰まってしまうようなのだ、兎に角。

其れは稀にしか成就しないものだと

解ってはいても

望みを持つこと!

その塊を希望と言い表して

ヒトは胸に抱いて、何時か

ココロに流星のように

痕跡を残すTOKIを待つ。

 

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我がChronicle.Ⅲ

2018-06-04 06:13:15 | 詩15

                   我がChronicle.Ⅲ-episodeⅠ.卒業旅行-

 

 卒業が決まり就職も決まった高校三年生の冬休みから卒業式までの凡そ二か月。人生の中でも際立って一点の曇りもなく純粋に幸せの懐に抱かれていた、殆ど唯一と言ってもいい期間だったのではないかと思える

 其の心配事の皆無な稀なる時間を利用して、友人二人と何と16日間もの「北九州一周」の忘れ難い想い出の残る卒業旅行に出発した

福岡県太宰府から    

長崎、熊本、宮崎と巡り      

旅の最後の一日は「胸キュン!!物語」の舞台となった”大分”で、yumeの時間を

修学旅行で知り合ったガイドさんの家に泊めてもらい、その彼女の案内で訪れたのは大分臼杵の石仏群遺跡だった最早あの奇蹟から半世紀が過ぎ去った。

TOKIの流れは非情だが、けれど、心に刻まれた珠玉の想い出は決して色褪せることはない

 

今朝は4時前に目覚めてしまい、それではとばかりFHに来て最初の夜明け前の「deepblue」の空を

04:00

それから再び小一時間うつらうつらして・・05:00に同じ空を撮った

昨日膨れてゆくと書いたが、上弦の月は次第に欠けてゆくようだ

                                         06/04 06:12 まんぼ

 

 

 

 

 

 

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僕のなかの気は

2018-06-04 03:36:11 | 詩15

                      僕のなかの気は

 

 

僕のなかの気が

其処に集まって来ると

損なわれた部分のdamageが

ゆっくりと

塞がれてゆくのが解かる

 

僕のなかの気は

見えないけれど

其処に確かに屯して

その幾万の細胞や意志が

寄り添い手を結んでは

あらゆる危惧や損壊の修復屋になる

 

僕の気に纏わる神経やtelepathyが

其の事を感得できるあいだは

僕はこの僕のまま

きっと

推移できる・・

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百の可能性を

2018-06-03 21:09:12 | 詩15

 

                     百の可能性を

 

僕にも果たして

十九の季節が有ったのだろうか?

十九の言葉の眩しさに

眩暈しながら生きた時代が

ほんとうに

僕にも有ったのか?

 ふと、振り返ってみる

十九から二十へ

自由奔放の十代の煌きから

影を知り初める転換期の年代へ

脆弱で、尖って、訳もなく輝いて

自由で、nihilistで、悲観主義者で

 百の可能性を持て余し

 一つの淫夢に魘された季節よ

疾く過ぎ行く”物の怪”のような十九を

僕は持っていたのだろうか?

 

定かではない程に

その道標から遠く離れた

此処から

十九の墓標は遥か彼方に

ひとつの黒いperiodのように在る

 

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青梅一升

2018-06-03 07:06:18 | ふるさと

    ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ 今日も真夏日に近づきそうなの日曜の朝06:30デス。

 梅雨の足音が聞えつつあるので、その晴れ間を勿怪の幸いに、昨日は久し振りに月日と共に朽ちてゆこうとする今は無人(留守居役だった母が居なくなって最早10年の歳月が流れた)の我が生家の換気と、平成元年に亡くなって30年目の父の月命日の墓参に「ふるさと」へ帰還してきました。

道の中央が苔むした何時もの山あいを縫って

空の青といろは楓の多様な緑の色相だけが出迎えてくれる。

    

    

獲る人とてない儘に実を付けた梅の木の下に佇んで

思い立って”梅酒”にしてあげようと「青梅一升」程を捥いでくる

           

    

昔の儘の風景ですが・・。20軒あった家に今は4軒にしか住んでいないのです・・

我が家も何時か緑の海に沈んでしまいそうです・・。

父の墓前に

90分在所して現住所に戻る

06/03 04:45 早朝ですが、既に昼間のように明るい朝デス。

    

振り返れば、西の空のまだ高みに膨らんでゆく上弦の月が。

06/03 07:05 まんぼ

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