守田です(20170718 0640 ドイツ時間)
ドイツのデーベルンからです。
昨日17日に反核サマーキャンプが始まりました。
朝、早くからまずは巨大なテントを設営。各国から来た人々とああでもないこうでもないといいながら組み立てました。
僕はわかい頃、たくさんの山を登ってたくさんのテントを建てたので、こういうことは得意。ま、少しは活躍しました。
その後、10時からキャンプ開始。この時点で参加者は20人ちょっと。午後にわらわらと増えて来ていまは35人ぐらいはいるのかなあ。
顔ぶれは実に多彩です。ドイツからの参加者が一番多いけれど、そのほかにイギリス人のカップルが最初からスタッフとして活躍してくれています。
このほか、フランス、スウェーデン、ロシア、ウクライナ、トルコ、インド、アメリカ、日本とたくさんの国の人々が集まっている。
キャンプは長いのでこれからもわらわらと集まってくるそうです。ま、わらわらと帰っていく人もいるのでしょう(笑)
ちなみにフランス人の男性の一人はシシリー島の出身で、自分は半分はイタリア人だし、「何人」というよりコスモポリタンなんだと自己紹介していました。
いいなあ、こういうの。ちなみに日本語ではシシリーはシチリアになります。
それで近づいて「シシリーというとコーザノストラ(マフィア)で有名ですね」と言ったら顔をしかめるのです。
みんなで討論しているときも、「シシリー」という名に誰かが「マフィア」と応じたら顔をしかめる。
オープニングセッションで彼と僕が互いに相手を紹介することになり、話をしたのですが「シシリーと聞いてすぐにコーザノストラと言ってしまってごめんなさい」とあやまりました。そうしたら彼、にっこり笑って「シシリーにはマフィアに反対しているグループがあるんだよ。僕はそのメンバーの一人なんだ」と誇らしげに語るのです。
そうです。シシリーはマフィアの発祥地として有名ですが、そこにはマフィア=暴力団に反対している誇り高き人々がいるのです。
さて各国から来た人々の互いの紹介の次は、誰がどこからきたのかを距離で示すゲーム。部屋の端をドイツにして、反対側を遠くのどこかにする。
この時点で一番遠かったのは僕でした!その次がインド。そしてわらわらと人が並ぶ。
続いて「あなたは幾つの言語を話せるのか」で並び直す。二つの言葉が一番少ない人で、僕は日本語と英語しか話せない少ない人。
みんな必ず英語が入りますが、その他、複数の言葉を話せる人が沢山いて、最高は7つだったかな。
そんな交流を終えてからいよいよそれぞれからのプレゼンが始まりました。
発話者はいままでのところすべて英語。通訳はありません。必死で聞きました。
これが一日中続いたので、とても一つ一つを紹介できませんが、強く印象に残ったのはフランスからの報告でした。
フランスには今、19サイト、58基の原発があります。それでエネルギーの75%が原発で賄われている。依存度が尋常ではありません。
そのフランスにおいて、長い間、原子力に関することはある種のタブーだったのだそうです。理由は原子力が核兵器にリンクしているからです。
このことを論議することそのものが「フランスの威厳」を疑うことになると考えられてきたといいます。
第二次世界大戦後、フランスは核大国に迎えられました。技術はおもにウェスチングハウス社から供用されました。
そしてフランスは「世界に影響を及ぼす強国」の位置を得ました。その結果、国連の安保理常任理事国にもなった。
だからこれを批判することが許されない雰囲気が長く続き、その中でアメリカに次ぐ核大国になってしまったわけです。
この話を聴いていて、あらためて原発と核兵器の直接的なつながりを感じるとともに、フランスが第二次世界大戦の勝者となったがゆえに背負ったものを強く感じました。なんというか強国の位置を維持するために核武装にのめり込み、原子力につかりきって行ったのです。
あるいはフランスもまたアメリカの核戦略に引きづられていったともいえるかと思います。
これに対する反対運動の歴史が十分に語られたわけではありませんが、おおきな原発反対運動は1977年におこったそうです。
7万人の人々が参加しました。
しかしこの運動は激しい暴力による弾圧にあい、一人の方が亡くなり、二人が障害を負ってしまった。
そのことで「運動の羽根が折れてしまった」といいます。
ところが1986年にチェルノブイリ原発事故が起こり、ゆっくりと再度の運動が立ち上がって行ったのだとか。
この運動は徐々に力を増し、1996年には高速増殖炉、スーパーフェニックスの開発中止を勝ち取りました。
今では原発に反対する900以上のグループ、NGOが存在していて、多彩な運動を繰り広げているそうです。
福島原発事故後も、フランスのこれらのグループは懸命に日本の市民派を支援してくれました。
とくにクリラッドという市民と科学者からなるグループは、すぐに沢山の測定器を福島に送ってくれて、測定者のトレーニングまでフランスで行ってくれました。
福島でたくさんの測定所が立ち上がったのはこうした支援のおかげによるところが大きかったと聞いていますが、そこにくるまでにフランスで長い苦労があったのですね。
これらのことがほんの短い時間にわーっと語られ、しかも僕の拙い英語力でどこまで理解できているかよく分からないのですが、しかしフランスの方たちが長く続いた困難の中から、今日の脱原発運動を築き上げていることが知れて感動しました。
発言の最後は「フランスで最初のチェルノブイリ事故が起こる前に、核の火を止めたい」と締めくくられました。
さてこの日は他にプナールさんがトルコの様子を1時間にわたって語ってくれ、僕も30分のプレゼンを行いましたが、これらはまたあとでご報告します。
可能な限り、この早朝の時間を使っての報告を続けたいと思いますが、途切れてしまったらごめんなさいです。
最後にこの活動へのカンパをお願いしたいと思います。
今回は自腹で渡航してきています。また2週間の行動になるので資金も必要です。
賛同していただける方は、よろしくお願いします。
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