守田です(20170724 12:00ドイツ時間)
昨日午前10時に反核キャンプ地を発ち、プナールさんともに電車を乗り継いでビーレフェルトという町にやってきました。
駅でIPPNW(核戦争防止国際医師会議)ドイツ副代表のアンゲリカ・クラウセンさんとアルパー・オクテムさんに迎えられ、お二人の家に泊めていただきました。お二人との出会いは2014年にはじめて原発問題でドイツ・ベラルーシ・トルコを訪れたときに始まります。
アンゲリカさんとはベラルーシのミンスクからゴメリに向かうバスの中で隣り合わせ、この地がかつてナチスが侵攻し蹂躙した土地であることをお聞きしました。なんとも忘れられない討論でした。そしてベラルーシの人々が催してくれた歓迎会のときにこのことを彼女が発言するのを聞いてとても胸を打たれ、あとでそのことをドイツの方たちに告げに行きました。そこからさらに仲良くなったのですが、夕べ、僕がその時に「若い時に成田闘争に参加していた」と話したことが、彼女が一番、僕を信用した理由だったのだと聞かされ、なんだか嬉しく思いました。
さてこのベラルーシ訪問のあと、ドイツに戻って国際医師会議に参加しました。この場で僕ははじめてアンゲリカの夫であるアルパーに出会い、この国際会議の後にヨーロッパアクションウイークの一環として、彼に連れられてトルコを訪問したのでした。でもこの一連の旅のとき、僕は最初からすっかり舞い上がってしまって、毎日、毎晩、ろくに休みもとらずに記事を書き続け、トルコにいくころには腹痛に悩まされてほとんど食事ができなくなっていました。便秘も始まってしまい、イスタンブールでの初めての講演はおしりに鎮痛剤をうってもらってから行いましたが、途中で激痛が襲って来て冷や汗をだらだら垂らしました。その後、レストランでの食事の際も、ソファーに横になることしかできず、結局、そのまま病院に連れて行ってもらって一泊しました。僕のトルコ訪問初日の夜は病院で迎えたのでした。
プナールさんともこのときにはじめて出会いました。はじめてトルコに行くにあたって通訳がいないことが大問題だったのですが、プロの通訳である彼女が彗星のように現れて来てくれたのでした。以来、彼女は通訳も担うアクティヴィストとして、同じチームの仲間として何度も各地で行動をともにし、今回のキャンプも初日から最後の日まで一緒に過ごしました。素晴しいチームワークを作り出せていると自負していますが、しかし最初のトルコ訪問のときには彼女にもとて心配をかけてしまいました‥。
特に僕をトルコに連れて行ってくれたアルパーには気をもませてしまいました。彼は医師でもあるので痛み止めや抗生物質などを手渡してくれました。
しかし僕はそのときは抗生物質は避けたかったので断り「とにかくどんなに腹が痛くても自分はしっかりと講演をするから大丈夫だ」と語ったのですが、アルパーは「もちろん君はサムライだからそうするだろう。そのことはよく知っている。でも自分も生涯を医師として過ごして来たから、苦しんでいるものをみて何もしないわけにはいかないのだ」というのです。それで幾つかの薬をありがたくいただくことにしました。
ともあれ最初の出会いがそんなことになってしまったので、以来、僕はトルコにいくと必ず人々に「守田さん。体調は大丈夫ですか?」と聞かれるようになってしまいました。なんか変な感じで有名になってしまった(笑)。「いやあ、もう本当に元気です」と答えると人々はニヤニヤと笑ってくれます。「若気の至り」ですね。あ、もうちっとも若くなんてなかったのですが。
さてさて、今日はこれからアンゲリカたちとビーレフェルとの町の観光や買い物に出ますが、明日からは三日間、ブラウンシュバイクという町を訪れます。
そこでアッセ2、コンラート坑道など、放射性廃棄物の処分場の見学をします。また二つのグループに迎えていただいて短い講演もします。
どんなことになるのかな思っていたら、なんと当地の新聞に僕の訪問のことが載せられました!驚きです。こんな風に迎えていただいてとても嬉しいです。
記事のアドレスをご紹介しますのでご覧下さい。
なお今回のこの反核キャンプ後のドイツ各地への訪問の旅は、ドイツ在住の桂木忍さんが素晴しくコーティネートしてくれているのですが、彼女がこの記事を日本語訳してくださったので末尾にそれもご紹介します。
ともあれさらにドイツの方達との交流を続け、反核の連帯の環を少しでも広げてきます!
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日本人ジャーナリスト、我が地域を訪問
日本の京都市から、ジャーナリストの守田敏也が我々の地域を訪問する。
京都市は日本では歴史的に重要な町で、794 年から 1868 年まで天皇の居住地であり(京都 とは文字通り「帝の都」という意味である)、現在では京都府の府庁所在地である。フクシ マから京都市は南西に約 520 キロ離れて位置している。
守田敏也のジャーナリストとしての主要テーマは「被ばくリスク」である。広島での被爆、 福島での被爆に加え、原発による被ばく全般をフィールドとしている。このテーマについて 守田は自身のブログや書籍で数多くの執筆をし続けている。
守田は今回、州教会の「日本学習会」からの招待を受け、7 月 25 日から 27 日の間我が地域 を訪問する。アッセIIとコンラートの坑道見学に加え、当地の市民団体 Aufpassen と Biss と の企画も予定されている。
もちろん、フクシマの最新情報も引っ提げている。25 日の 19 時から公民センター『フレン ドシップ』にてフクシマについて、そしてこれにかかわる彼自身のジャーナリストとしての 個人的な活動について報告することになっている。
現在、守田はライプチヒ郊外での国際反核キャンプに参加中で、その後ビーレフェルトに移動し IPPNW の代表者と会談、その後日本への帰国前にブラウンシュヴァイクに来る予定である。