明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(1409)いかに民衆運動を前に進めて行くのか ブラウンシュバイクの討論に参加して(ドイツからの報告11)

2017年07月28日 09時00分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)

守田です(20170728 09:00ドイツ時間)

ドイツ・ブラウンシュバイクからです。ここでの最後の朝を迎えていて、これから今回の旅の最終訪問地のベルリンへと向かいます。ベルリンでは3日間過ごします。
早いものでもう14回目のドイツの朝。旅の残りもあとわずか。しっかりベルリンの今について深めてこようと思います。
 
さて今回はブラウンシュバイクでの行動の報告の続きを書きます。アッセ2の報告が長くなってしまいましたが、さらに前回少しだけ触れたアッセ2の周辺の方達の集会でのことを書きたいと思います。
この集会は今回の僕のブラウンシュバイク訪問の受け入れてくださったパウルさんやボードさんが主催してくださったものです。
パウルさんは2014年開催したヨーロッパ・アクション・ウイークの主催者であるIBBという組織の重鎮のボランティアスタッフでもあって、この年の秋に開催されたポーランドでの国際会議のときにもお会いしてその後もFacebookでつながっていたものの、言語の壁もあってあまりお互いに連絡をとっていなかった方でした。
 
クリスチャンとして社会福祉活動に関わって来ていて、お子さんが4人おられますが、多くの親のいない子ども達の里親にもなり、自分の子ども以外に30人も育ててこられたのだそうです。長年、チェルノブイリの保養(ナデシタ)にも協力され、萩原ゆきみさんをはじめ毎年福島からの「語り部」をよんで学校に連れていってくれています。鎌仲さんのカマレポにも登場しています。とにかくいつもニコニコと笑っている方でなんとも言えない愛くるしいオーラをもたれている素敵な方です。
 
ボードさんは教会で福祉関係の仕事を専門としている方です。牧師とはまた違った1つの教会の役職でカウンセラーとしての訓練を数年にわたって受け、その後、教会から大阪の釜ヶ崎の「希望の家」に派遣され、7年間にわたって福祉活動に従事。とくにアルコール依存症の方達のケアに奔走されました。「わたし、それで日本依存症になりました」とか言いながら、いまでも1年半おきに2ヶ月ほど釜ヶ崎を訪れてくださっています。次回の訪問は来年秋だとか。
 
今回は、反核キャンプ以降の旅のすべてをコーディネートしてくださった桂木忍さんからの連絡を受けてパウルさんが受け入れを決めてくださいました。ただし「もちろんいいよ、受け入れるよ」と言ってしまってから「予算がなかった!」と気がついたとか。それで昔からの仲間であるボードさんに相談したところ、「では教会関係に働きかけるよ」と言って下さって訪問の全体が決まったとのこと。そんなことから僕はいまもブラウンシュバイクの中心街にある教会の関連施設(少し前まで修道院として使われていた素敵な建物)の一室に泊めていただいています。夏休み期間中で他に利用者がいないのでかなり贅沢に使わせていただいています。
 
さて25日夜の集会はそんなお二人の肝いりで開かれたものでした。忘れられないのはアッセ2から集会場をめざすときにパウルさんに「今日は何人ぐらいこられるのですか?」と聞いた時のこと。「うーん、20人ぐらい」と答えて、暫くしてから「20人来たら嬉しい」と言われます。でも暫くしてからまた「何人であってもそこに来てくれた人が大切なんですよ」と笑われました。「ああ、この感覚、すごくいいな」と思いました。僕もいつもそう思っているからです。
それで車で会場に向かうとはじめからもう20人ぐらいは集まっている。その後にどんどん参加者が増えて最終的には40人になりました。
 
集会が始まり、地元の方がアッセ2の報告をしたあとに、すでに昨日、報告したように参加者からかなり激しい意見が飛び交いました。あとで聞いたところ、あれほど激しいやりとりは最近ではまれだったのだそうです。僕が聞いている限り、アッセ2の今後の運営方針の策定に市民が参加していくことが決まったのだけれど、その約束が後退している。でもその参加の仕方や誰が入るのかなどでも必ずしも人々の意見がまとまっているともいえず混乱もあるようです。また原発からの撤退が決まっている中で、次に残された大きな課題である廃棄物問題へは今ひとつ多くの人々の関心が喚起されていない。それらへの焦り、悶々とした気持ちがあふれているような集会でした。だから「なんで議員たちは来ていないのか」とか「参加者が少ないのはなぜだ」とかの声も繰り返し出されていました。
 
ただこの点をパウルさんと話したら笑いながらこう言うのです。「こうした集まりは年に何回かやっているのだけれど、毎年必ず1回だけ来る人がいてね。それで必ず「どうしてこの集まりはこんなに人が少ないんだ」とかいうんだよ。毎年、必ずね」。「教育の会合では80人来たのに、今日は40人だったという人もいたけれど、そんな単純な比較をしてはだめだよ」。それで僕が「パウルさんは20人来たら嬉しいと言ってましたよね。それに何人来るかではなくてそこにいる人が大事なのだとも」。そうしたらパウルさん、とても嬉しそうに笑って「そうそう。そうなんだよ。あのね、教会ではね、「人が3人集まったらもう神様がそこに一緒にいてくださる」と言うのだよね。数ばかり問題にしていてはだめなんだよ」と言います。横で聞いていたボードさんが「そうそう。その通り」と嬉しそうに笑いました。
 
僕はこういう感覚がとても好きだし、大事な点だと思うのですよね。運動には盛り上がりもあれば盛り下がりもある。それ自身は人知の及ばない側面があります。できるだけ多くの人々に理解してもらおうと心を込めて呼びかけ文やチラシを作ることなど、運動を広げるための尽力は大事ですが、しかし数や盛り上がりばかりを気にしていると、あまり良いことはない。「どうしてこんなに人が少ないんだ」と言う時はどこか「自分は関心の高い偉い人」「来ない人は関心の低いダメな人」という上から目線の考え方に陥ってしまってはいないでしょうか。抜本的には集会や運動への参加は自由なのです。「来なくたっていい」というのも大事な観点だと僕は思うのです。
 
それに僕の経験でも年に1回しか来ない人に限って「どうしてこんなに少ないんだ」なんて言うことが良くある。あるいは運動を始めたばかりの人ほど、「どうして人々はこんなに意識が低いのだ」とか言うことが多いような気がします。そんなとき僕はちょっと意地悪に「だってあなたもこないだ来なかったじゃない?」とか「あなたもこの間まで運動などしてなかったじゃない?」とか言ってしまいます。そこには「だからと言って僕はそのときのあなたを否定なんかしないよ。意識が低いとかも思わないよ」という気持ちも込めています。
 
そもそも、僕などはまあ、稀な例なのです。すべての人が僕のように走り回ったいたらきっと人類はすぐに倒れて滅んでしまうでしょう(笑)。僕の生き方はレッドゾーンまでエンジンをまわし気味ですから。あるホメオパスによればこれは「ヒーロー病」なのだそうです。そう動かないと気が済まないというわけですね。でも誰もがそんなに一生懸命にならないのも種の保存のために大切なのではないと、けっこう真面目に思っています。でも種全体のためには僕のように走り回る特殊例も必要なのでしょう。だから僕が倒れたらきっといまは待機している誰かが僕の代わりに出てくるのだとかも思います。
 
僕のことについては余計だったかもしれませんが、ともあれ「人々の意識が低すぎる」なんて焦らずに、ゴーマンかまさずに、どこまでも淡々と、「悪いことは悪い、危ないものは危ない」と、その時々に自分が知りうる真実を、一生懸命に、心を込めて訴え続けることが大事だと僕には思えます。同時に互いに対しても人々に対しても、おおらかな視座を持ち、ゆったりと歩むのが良いのではないでしょうか。パウルさん、ボードさんと話しながらそんなことを感じました。
 
さてそれで肝心の僕自身のこの集会での発言ですが、主催者の方たちがあらかじめ合間にギターの弾き語りを入れてくれていました。「福島からケムリが吹き出した。チェルノブイリの経験は生かされなかった」という悲しい歌詞を伴った調べでしたが、この音楽で会場のトーンがかなり和らいだように思います。「そうだよな。みんなこの悲しみの前にいまこうやって集まっているのだよな」という気持ちが会場をおおっていったように僕には思えました。
 
僕の話は反核サマーキャンプで行なった「福島原発のいま、日本の反核運動のいま」を短く縮めてきたものでした。これをフラウケさんにテンポよく通訳してもらいながら発言を続けました。多少のアドリブも入れさせてもらいました。アドリブは通訳者には大変なのでいつもは避けているのですが、あらかじめフラウケさんが「大丈夫だからぜひ思ったことを挟んでください」と言ってくださったのでそうしました。ありがたかったです。
 
それで主に日本で福島原発事故後にたくさんのデモが起こっていること、人々の意識が明らかに変わり、覚醒が起こっていること。この結果として各地の金曜デモが250回にもいたっていることなどを話し、さらに「東芝の崩壊、日本の原発輸出のいきづまりは世界の人々の反核デモがひきおこしたものです。だからなお一層、一緒に頑張りましょう」と語り、最後に「この言葉を送ります。Power to the people」と閉めるとすごい拍手がかえってきました。あとからも「とても良かった」という声をたくさんいただきました。この日の集会を熱い拍手のうちに温かく閉めることができて良かったです。
 
同時にこうも思いました。「ドイツには日本より進んでいるところがたくさんあるけれども、でも変わらないところもたくさんあるな。やはり大事なのはいつでも未来の可能性を提示していくことだな」」と。また「やはりパウルさんのような温かさ、おおらかさが最強だよなあ‥」とも。
 
最後にこの日の集会のことが記事に載り、僕の発言風景が紹介されましたのでURLをご紹介しておきます。
僕の隣に立っているのがフラウケさんです。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする