守田です(20170727 06:30ドイツ時間)
ドイツのブラウンシュバイクからです。この場で2回目の朝を迎えています。
前回、ドイツの放射性廃棄物処分場アッセ2のことを紹介し、見学で地下に潜り込んだところまでお伝えしました。今日はその続きを書きたいと思いますが、坑内の様子やこの問題に関わっているドイツの方たちの思い、同時に日本の栃木県塩谷町での最終処分場建設の動きに反対している人々をも取材した素晴しい動画が送られてきたので先にご紹介したいと思います。2011年に神戸からドイツに避難移住されたドキュメンタリー映画作家の国本隆史さんの作品で、お連れ合いで、今回の僕のブラウンシュバイクでの行動に通訳として同行してくださり、大活躍してくださっているフラウケさんが一緒になって作られたもの。昨夜遅くに送っていただいたものです。11分です。ぜひご覧下さい。
Endlager(最終処分場)
国本隆史2017年1月8日
http://www.speakupoverseas.net/endlager/
さて映像を見て下さった方にはお分かりのように、坑内は車が十分に通れるような大きさの穴がどこまでも続いており、見学も車に乗って移動しながら行なわれます。
もちろんブルトーザやフォークリフトなどの重機も行き来しています。
500m地点に降り立ってから、暫く歩いて坑内の様子をうかがいましたが、埃っぽい上に熱くてむっとします。時々、気分が悪くなる方もおられるそうですが納得です。閉所恐怖症や喘息などをお持ちの方は入られない方が良いです。
少し歩いて見学用の車のあるところまで来ました。後部にそれぞれが持っていた重さ5キロの酸素マスク缶を収納して走り始めます。道は下り坂で250m下の最低部まで続いている。途中で何度か降りて説明を受けるのですが、一見、丈夫そうにも見える坑道が不自然に下から盛り上がっていたり、ひび割れが続いてるところに出くわします。「山が動いてるのです」という説明が。ここには130以上もの空洞が作られていて、その上から重量がかかってくるわけですからいろいろな形でひずみが出続けているわけです。これだけでもここが危険なところで、ここに放射性物質などおいていてはいけないことがよくわかります。
あるひび割れのところにはセンサーがつけられていました。ヒビの進行具合をモニタリングしているのだそうです。それでも鉱山の全体像はなかなか把握できないのですが、今後は岩盤に小さな地震動を与え、跳ね返ってくる音波で様子をうかがう3Dセンサーの投入でより詳しく状態を把握しようとしているそうです。
このほか、坑内には大きなコンクリート製作機などもおいてあります。空洞をそのままにしておくと危険なのでコンクリートを流し込んで埋めているのです。その際、現場では塩分を含んだ水を使って作るので特殊なコンクリートが使われているとのことでした。
では他の岩塩を採掘した跡の鉱山もそうした難しい作業をしているのかというと、そうではなくて単純に採掘後は水を入れて埋めてしまっているのだそうです。しかしここには放射性廃棄物が入れられてしまい、さらにその部屋への水の浸入が問題になっているわけですから、水で埋める手法が使えない。だから巨大な機器をわざわざ狭いエレベーターで分解して地中深くまで降ろして組み立て、コンクリートを作って流し込まなければならないわけです。そのコンクリートも特殊なもので流れ具合は良いそうなのですが、作ってすぐに使わないと固まってしまうそうで、できるだけ現場近くまでもっていって使わないといけない。とにかくやっかいな仕事です。
これに象徴されるように、とにかくここは旧西ドイツ政府の愚かさがぎゅうぎゅう詰めになっているような場です。いやそれは私たち人類全体の愚かさです。「どうしてこんなところに入れてしまったのか」とため息が出るばかりですが、しかし嘆いているばかりではいられない。掘り出すしか道はないのですからそこにまっすぐに解決に向かって行くしか無い。しかし難行でなかなか進まない。
ある意味ではここの問題は、日本の私たちからすると私たちが歩まなければならない道の一歩前にある問題だとも言えます。作り出してしまった核のゴミは処理をせざるをえず、処分場も作らざるを得ません。その際、アッセは「こんな処理だけはしてはいけない」ということを教えています。同時に、放射性廃棄物の処理がいかにやっかいで困難であるのかも示しています。そのことを熟慮せず、安易に処理が出来ると考えてしまったことがいかに愚かなことであったのかを示しているのです。その点で僕は原子力の推進を今もなお唱える人々は、必ずここを訪れ、放射性廃棄物の処理をどう進めるのかのきちんとした意見を述べるべきだとも思いました。この道が開かれるまで、使用済み核燃料はいわずもがな、「低レベル放射性廃棄物」であろうともはやこれ以上、ただの1つも作り出すべきではないのです。
さて坑内でいろいろと坑道の様子など技術的な説明を受けている際に、どうしても気になったことを聞きました。ここで働いている人々のことです。みていると結構、若い人々も多い。しかも熱い坑内なのでしょうが、けっこう軽装で重機などを動かしていたりします。一番、気になったのがこれらの人々が下請け、孫請け等で働かされていないかどうかでしたが返って来た答えは、基本的にはみなこの作業を進めている会社の社員で、違う会社から派遣されているのは特殊技術の専門家だけだとのことでした。「けっこう給料も良いのですよ」と自慢げな答えも返ってきました。
「日本では原発労働や福島の事故処理の現場は何重もの下請け構造が支配していて、ピンハネが行なわれているのです」と伝えるととても驚いた顔をされていました。
この点ではドイツの方が進んでいる。いやそうではないですね。日本がもの凄く遅れているのです。恥ずかしい限りです。
さてこんな風に坑内の説明を受けつつ、車で一番深いところに辿り着きました。そこでセンサーで手の汚染などを調べ、OKが出て、みんなで再度、最初に乗ったエレベーターに乗り込みました。今度は一気に750mから地上に上がります。乗り込むと同じように最初にブルンと横揺れがして、静かに上に上がり出す。そして少しすると急にスピードがあがってかなりのスピードで上昇して行き、わずかな間のうちに地上まで着きました。エレベーターの外側の扉と内側の鉄かごの柵があいて外に出て、太陽の光を浴びるとなんとも言えず心が落ち着くのを感じました。大げさですが「ああ、生きて出られて良かったなあ」とか感じました。
そんな私たちの横を、これから潜って行く労働者が通り過ぎました。労働者達は互いに目が合うと「グリュックアウフ」と言い合います。「幸運を祈る」という意味だそうです。aufには「上に〜」という意味もあって「上にもどってこれる幸運を祈ってるよ」ぐらいの意味もあるとか。もともとルール地方の炭鉱などで語られていた挨拶だそうで、鉱山独特のものなのだそうですが、何か深く胸に残るものがありました。
水に浸かりつつある放射性廃棄物が、地下水を汚染し、周辺に被害を及ぼしてしまう前に、なんとか掘り出してどこかに安全管理できる「幸運」を祈らざるを得ないと感じたからかも知れません。
こうして坑内の見学を終えて、再びインフォアッセに戻りました。最初に説明をしてくださった職員の方が一緒に地下までもぐって下さり、質問はないかというので、「この仕事をどんなお気持ちでされているのか」と聞いたところ、最初は「考えたことがない」と戸惑っていました。また「ここが危険だといいたいのか」との答えも返って来て、何か批判めいたことを言われたのではと身構えていることが分かったので、「もともとこの愚かなことは昔の人たちが行なってしまったことです。その処理を担わねばならないあなたの気持ちが聞きたい」と言葉を継ぎ足しました。この方が僕よりはずっと若い方だったこともあってなおさら聞いてみたい問いだったのです。
暫く考えてから「確かにあまりに愚かなことを前の世代の人々がしてしまったけれど、それを後ろ向きになじることばかりが正しいとは思わない。未来に向けて解決策を考えたいし、そこに面白さも感じる」との答えが返ってきました。それで僕は「過去の過ちを正して行くことはとても素晴しく誇り高い仕事だと思います。感謝します」と述べました。実は心の中で「こんな言い方ではちょっと甘いのかもしれないな」との思いもあったのですが、なんというか若い方がこの場で奮闘していること姿をみていてどうしてもこうした一言をかけたくなってしまったのです。
さてお昼前に現地について、説明を聞いて、坑内に潜って、また討論をしている間に気付いたら午後5時になっており、アッセ2を去ることになりました。続けて向かう場は僕をブラウンシュバイクに招いてくださったボードさんやパウルさんが関わられている教会の方達の集会の場でした。どんな集いかよく分かっていなかったのですが、通訳のフラウケさんから、「参加者の中にはアッセ2に詳しい人たちがたくさんいると思います。細かいことでもよく知っています」と聞きました。
実際、会場に着くとアッセ2の説明をした展示物がたくさんおかれている。フラウケさんも「さっきは国側の見解を聞いてきましたが、市民の方達の暴露にも注目してください」とすぐに幾つかを説明してくださいます。ここはドイツ政府のアッセ2対策を監視してきた人たちの場でした。
食事をはさんで集会が始まり、長い間、この問題に関わって来た女性からのプレゼンがまずなされました。それが終るとすぐにさまざまな意見が飛び出し、熱い討論の場になりました。「当局は掘り出したものをこの近くにおいた方が安全だと言っているが、そう言いながら結局、ここをまた最終処分場にしようとしているんじゃないのか。信じてはダメだ」という意見。「そもそもこの問題への人々の関心が薄すぎる。ここをなんとかしないとダメだ」という意見。「議員なんてどうだ。選挙の時には良い顔をしているけれど、この会合には誰も来て無いじゃないか」という意見。ただしただちに「ここに一人いるぞ」、「ここにももう一人いるぞ」という声。
「最近、教育の問題でこの地域で集会をしたら女性たちが80人集まった。でもこの問題では40人しか来ていない。どういうことだ」、「人々はもう廃棄物問題は聞き飽きて無関心になってしまったのだ」、「いやそうやって集まっては愚痴を言いあっていても何もならないじゃないか」という意見。とにかく次々とアグレッシブな意見が飛び交い、落としどころが見えないままに話が進んでいきました。
この地域の方たちはもともとこの鉱山を放射性廃棄物の処分場に使い始めたときをはじめ、何度も政府が嘘をつくのをみてきた人たちです。日本からはドイツはなんでも進んでいるかのようにみてしまう場合が多いですが、そんなことはありません。ドイツ政府もまた繰り返し嘘をついて来たのであり、その度に人々が立ち上がり、監視を強化し、政府が正しい道を進むことを強制してきたのです。しかしその道は山あり谷ありで、人々の関心の低さに行動している人々が嘆かざるを得なかったことだって数多くあったのだろうし、今もまたそんなそんな嘆きが溢れ出していました。
実は今回のインフォアッセでの当局の説明の中でも、情報の透明化に尽力し、市民との対話を重視していると強調されていたのですが、この場に来てみて初めて、アッセ2の今後のあり方を検討する委員会にいったんは市民が入り、提言などもしてきたのだけれども、その委員会の位置が低められてしまっていることなども知りました。当局側からは理想的な対話的姿勢を貫いていると強調されていましたがけしてそうでもないのです。しかしそこからどう挽回していけば良いのか、どうもみなさん、「これだ」というものに行き着けているわけでもなく、そのフラストレーションが一気に対話の中で表出されているようにも感じました。
僕はこの激論の後に講演することになっていたので心の中で「ウーム」とうなっていました。
この熱い討論の後に僕の話はフィットするのだろうか。またこれだけの方たちなら鋭い質問がいっぱいくるだろうけれどきちんと答えられるだろうかとも思いました。「ま、でもまあ、やれるだけのことをやろう。あとはなんとかなるだろう」と思いながら近づく出番を待っていました。
続く
すいません。当日の記憶を自分の中で再現しながら書いているので長くなってしまいます。本当はこれから編集作業をして文章を短くするのが理想なのですが、今日もすでに執筆時間が過ぎました。いまはこちらの時間で朝の6時45分。今日はあと1時間後にはお迎えが来て、もう1つの処分地である「コンラート鉱山」に連れて行っていただき、再び地中に潜ることになっています。続きはそれを経たあと、また明日の朝に書きます。
あと前回の投稿に幾つか誤字があったのでブログとFacebookのタイムライン上で訂正しました。いつもながらですが申し訳ありませんでした。