明日に向けて

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明日に向けて(1411)ドイツの人々によるナチス時代の捉え返しをいかに学ぶのか(ドイツからの報告13)

2017年07月31日 12時00分00秒 | 明日に向けて(1300~1500)

守田です(20170731 12:00ドイツ時間) 

ドイツのフランクフルト空港からです。昨日、2泊させていただいたトーマスさんアネッテさんの家を出てベルリン市街に出向き、ベルリンで脱原発運動をしている日本人の方たちとお会いしてきました。桂木忍さんも一緒でした。その後にベルリンで一番高いアレキサンダータワーに桂木さんに連れて行ってもらい、ベルリンの街を一望した後に、一人でライプチヒ空港へ。ほとんど人のいない暗い空港で仮眠をし、6時15分発の飛行機でフランクフルトに飛んで来て、今、13時20分発の関空便を待っています。関空到着予定は1日7時40分(日本時間)です。もうすぐ搭乗ですが、ドイツを離れる前にもう少し報告を書いておこうと思います。
 
前回の報告でナチズムに対する深い反省を行なって来たドイツが、一方でアメリカ、イギリスの猛爆撃を受け、たくさんの悲劇を体験している国であることを書きました。だからこそ僕はドイツと日本の経験を人類全体の未来へとつなげていきたいと思うのですが、その際、ドイツの人々によるナチ時代の捉え返しをいかに学ぶのかについて触れておきたいと思います。
 
というのはともすれば日本では、「ドイツのナチへの反省はすごい。日本のアジア侵略戦争の反省は浅くてダメだ」と問題を単純化し、なんでもドイツは進んでいると捉える傾向があるように感じるからです。原発問題でもそうで、多くの人が「ドイツはずっと先を歩んでいる」と捉えています。確かに進んでいるところはたくさんあるのですが、しかしあまり問題を単純化してしまうと、ドイツの中で、ナチズムの捉え返しを進め、平和の道を切開き続けてきた具体的な方達の努力、現実の格闘を過小評価することになってしまうと思えるのです。
 
その点でご紹介したいのは、ブラウンシュヴァイクで素晴しい通訳をしてくださったフラウケさんに聞いたとてもレアな話です。フラウケさんの親戚や一家のナチ体験と言ってもよいのですが、話は1932年に遡ります。この年、ナチ=国家社会主義ドイツ労働者党のリーダーだったアドルフ・ヒトラーは、ブラウンシュヴァイク州のベルリン駐在州公使館付参事官にとなりました。党幹部のヴィルヘルム・フリックの手配によるものとされていますが、目的はもともとオーストリア人国籍しか持っていなかったヒトラーが、大統領選挙への出馬を見据えてドイツ国籍を取得することにありました。この頃のドイツでは公務員になると自動的に国籍を得ることができたため、このポストにつくことが必要だったのですが、実はその手引きにフラウケさんの親戚が関わっていたそうなのです。彼女は大きくなってからこの事実を知ったのだそうです。
 
そればかりか実は彼女が幼いころに住んでいた家のまさに隣にナチの施設があり、そこで捕まった人々が拷問され、おばあさんが悲鳴を聞いていたというのです。ところがおばあさんはナチの時代のことを反省せず、「そうは言ってもヒトラーは仕事をくれたんだよ」と言い続けたのだとか。いまはもう認知症でこのことをめぐる討論ができないそうですが、実はこのようにヒトラー時代の「経済的繁栄」を懐かしむお年寄りはけして珍しくないのです。これはドイツとて過去を捉え返せない人がまだまだいることを物語る事実です。
 
いやそもそもフラウケさんの住んでいるブラウンシュヴァイクで一体何があったのか。ナチが何をしたのかなども十分に明らかになってないという。「学校でナチのことを習いましたが、犯罪的なことはポーランドやハンガリーや、どこか遠いところで行なわれたかのように教えられて来て、この故郷であったことなど聞いたことがなかったのです」とフラウケさん。実はそれでまさにいま、ブラウンシュヴァイクの中でナチ時代の捉え返しが進められつつあるのだそうです。ナチ時代を象徴する写真や証言、証拠などの提供が呼びかけられ、収集されつつあるのだとか。このようにナチへの反省は、未だ不十分である面と向き合いつつ、現在進行形で進められているのです。前回、紹介したベルリンでアネッテさんも参加した「暴力の地政学」の展示に向けた取組みもその1つです。
 
しかも現代ドイツは深刻な問題にも直面しています。この点についてドイツ在住の桂木忍さんに「ドイツの過去への反省に向けた取組みの現状についてどう思うか」と言う問いに答えてもらいました。すると彼女は、例えばヨーロッパ・アクション・ウィークを繰り返し行なって2014年春に僕をトルコに派遣してくれ、同年秋にもポーランドに招待してくれたドイツの民間団体のIBBなどは、ナチへの反省を深めることをいまも主要な取組みにしていて、しかも国から大きな予算が出ている。こうした点は素晴しいとまずは語りだしました。
  
僕もまったくそう思いますが、しかし反面、こうした取組みの連続に嫌気がさしてしまって、ドイツに誇りを持てない人がいるし、ドイツ人であることを嫌って、海外に移住する人もいることを桂木さんは教えてくれました。そしてこうした人々の中から、ドイツの過去の捉え返しに反発し、ネオナチになったりする人々もでてきたのだそうです。ただしこれらの人々はどちらかと言えば、ナチに近いような表現をすることを避けていた。しかしそうした人々が一斉にその声や行動を表に出してきたのが、シリアの大混乱のもとで89万人の難民がドイツに押し寄せた2015年の「難民危機」の時だったといいます。
 
このとき、ドイツのメルケル首相は「難民のみなさん。どうぞドイツへ」と演説したのですが、これに右翼が反発。中でもAfD=「ドイツの選択肢」という右派政党が台頭しあからさまな難民排斥に動きだしたのだそうです。このグループはそれまでも地方議会で選挙の度に議席を伸ばしてきており、今秋に予定されている国会議員選挙で、はじめての議席を獲得するのは間違いないといわれているそうです。
いわば「それまで隠れていたネオナチ勢力が一斉に表に出て来た、難民問題で一気に自らの社会的位置を獲得してしまった状況だ」と桂木さんは語りました。
 
ちなみに2015年の10月には、反イスラム運動「ペギーダ」(西欧のイスラム化に反対するヨーロッパ愛国主義者)などが率いるヘイトデモまでが、ライプチヒやドレスデンでおこなわれました。この団体はフランスの大衆紙のシャルリー・エブドが襲撃を受けたことで急速に伸張して来た団体で、この日もドイツ各地から人々が集まったそうです。もちろんAfDもまたこれに乗りました。
こうした動きの中で、ドイツの民主主義を否定し「ドイツ帝国」を名乗っているグループも出て来ているそうです。独自にパスポートまで作っているそうですが、ここまで来ると明確に違憲になるので摘発もされているといいます。ナチは「神聖ローマ帝国」「ドイツ帝国」に次ぐ「第三帝国」を名乗っていたため、「ドイツ帝国」の呼称はナチの肯定につながり憲法で認められないからです。しかしこうした動きは止まず、ドイツ連邦軍の宿営所の中で、ナチス時代の「国防軍」を想起させるようなアイテムを飾っていて摘発されたものもでてきたそうです。
 
なぜにナチ時代の捉え返しをあらゆる面から進めて来たドイツで、このようにネオナチが登場してきてしまっているのか。今回の訪問だけでは十二分に確かな根拠をつかんではこれませんでしたが、やはり新自由主義のもとでの貧富の差の拡大、働く機会の喪失などが大きく影響しているのだろうと僕には思えます。そこにシリア危機が起こり、難民が殺到して来た中で、さもしい感情のあおり立てが功を奏してしまっているのではないでしょうか。
 
ただ今回、僕が踏まえたいことは、歴史を捉え返し、自分たちの祖先の過ちを正して行くことは、いつだってどこでだって難しいことであり、だからまた尊いことなのだということです。反対に過去の過ちをないものとして自己を絶対化し、他者に悪罵を投げつけることでフラストレーションをはらそうとするのは安易な道です。残念ながらドイツの中では公然と後者の道を叫ぶ人々が出て来ているわけですが、しかし他方でカウンター行動が数多くなされています。例えばドレスデンの行動があった日にはベルリンでもペギーダの支持者によるデモが行なわれましたが、カウンター行動のデモ隊に道を塞がれヘイトデモが完遂できなかったそうです。このほか、各都市でさまざまにカウンター行動が行なわれています。
 
このようにドイツの心ある人々はいま、一方でのネオナチ的な傾向を持った人々の台頭にも直面しながらも、なお過去の捉え返しを進めつつ、過去と今をつらぬく排外主義との対決を続けています。そのリアルないまの姿が僕は素晴しいと思うし、固く連帯していきたいと思うのです。
コメント (2)
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