守田です(20200403 23:30)
● 新型コロナは「そこまでのもの(都市封鎖をしなければならないもの)」ではないのでは?
新型コロナについての考察の続きです。この感染症の「恐ろしさ」、いま過剰に増幅され、社会的害悪を拡大しつつはないでしょうか?
実際、連日連夜、感染や諸外国の死者拡大が伝えられ、「日本もオーバーシュート間近、緊急事態宣言が必要」などの声も高まっています。
しかしみなさん。一度、立ち止まってみましょう。この病の恐ろしさは本当のところ、どこにあるのでしょうか?
「緊急事態宣言」はまだ食い止められている 安倍首相の記者会見 THE PAGEより
最初に僕が参考にしたのは、中国の以下の論文でした。
中国におけるコロナウイルス病2019(COVID-19)の発生の特徴と重要な教訓
https://jamanetwork.com/journals/jama/fullarticle/2762130?fbclid=IwAR2KYa3JRxz06C_bbEBBd_fgA1MDWPG_8Zq5dNTF5jomnFGlYiLxkFYweCg
そこには44,672人の感染者のうち87%が30~79歳。80歳以上3%、20~29歳8%、10~19歳1%(549件)、10歳未満1%(416件)と書いてありました。
致死率は中国全体で2.3%。武漢は医療崩壊で高くなりましたが、その他の中国全体では0.22%。季節性のインフルエンザの致死率が0.1%とされるので、武漢を除けば2倍の致死率でした。
中国から出された論文
ところがその後、中国政府が、陽性でも無症状な人々を「感染者」としてカウントしていないことを明らかにしました。この数が約4万強。それを計算に組み込むと実は致死率はもっと下がります。
無症状・軽症者の割合は80%と言われてきたけれど87%になり、武漢を含む中国全体の致死率も1.5%になる。武漢以外の中国の致死率は計算できませんが、それでも0.22%よりは低くなるでしょう。
さらに20歳未満など検査してない感染者はもっといたはずです。そうなると実は季節性インフルエンザよりも、この病の致死率が高いというエビデンスはどんどん薄まるのです。
● 新たな病だからこそ気を付けなくてはならないけれども
もちろんこの病は新しいものだから、分からないことが多い。「もっと凶悪かも」「増悪する可能性がある」と言えますが、可能性の全てを考えての対応は合理的ではない。
また「イタリアなどで医療崩壊が起きているではないか」と言う声もあるでしょう。その通り。このウイルスの確かな怖さは医療崩壊を引き出しうることです。
それでも僕は前回、専門家会議の自粛目安に対し、もっと緩くても良いと思っていると書きました。理由の一つは、中国の事例からもこの病の致死率がそれほど高いとは言えないと思うからです。
しかし対策には「社会的合意」が大事。これだけみんなで努力をしているのですから、いきなりひっくり返すのはよくない。だから専門家会議の提言を、社会的合意の軸とするのが妥当だと思うのです。
他方で「危険性」が実態を離れ、独り歩きしているように思えるのでみんなで立ち止まることを提案したい。とくに自由と民主主義を、各国がこんなに容易に手放してしまったことに対し、ここはじっくり考えなくてはいけない。
もちろん危険性が謀略で煽られているなどとは思わないしそんな証拠もない。しかし現状は「奴は敵だ!敵はこんなに怖い!やらなければやられる」と自分たちを煽る危険な戦争の論理と、どこか似たことになっているのではないか?
例えば昨年、2019年1月のこの国でのインフルエンザ死者数をご存じでしょうか。1,685人です。1日平均54人、2月は1,107人、3月は258人でした。
このことは季節性のインフルエンザも十分、怖いことを示しています。でもだからといって、このとき厳しい行動抑制はありませんでした。医療関係者は懸命に警戒を呼びかけていましたが。
「なんと1日50人以上「インフル死者」が日本で急増する不気味」プレジデントオンラインより
あるいはアメリカは毎年インフルエンザで数万人が亡くなっており、2017年から2018年にかけては6万4千人も亡くなっています。
もちろん大問題です。医療制度がすごく悪い。貧しい人は医療費が高すぎて受診できない。中産階級ですら一回の大病で破産する人が絶えません。その中で6万4千人も亡くなったのです。
でも極端な行動制限はされませんでした。多大な社会的害悪がもたらされマイナスだからです。そんなことより貧富の格差の是正や、皆保険制度を作ることがアメリカの課題であり続けています。
● 新型コロナの恐ろしさは不安がかきたてられやすい特性にこそあるのでは
これらを考えると、今回の新型コロナウイルスは、これまで何度も世界で流行した風邪と、それほど変わらないか、より危険なものぐらいに捉えた方が良いのではないでしょうか。
だから感染症対策をしなくていいのではありません。日本でだって昨年1月に、1685人もが亡くなりました。医師たちは年々、インフルエンザの死者が増えていることにも警鐘を鳴らしています。
みんなで感染症を防ぐことはいつだって正しい。しかし自由と民主主義を手放し、国家に行動制限の権限を与えてしまうのはあまりに危険です。
社会経済活動をどんどん制限すると、むしろそのことで命が危うくなる人も続出します。コロナではなくて、破産・倒産・失職や、社会システムのダウンの中でこそ、人がもっと死にかねない。コミュニティや人間関係の崩壊も進みうる。
実は新型コロナの本当の恐ろしさは、ここにあるのではないでしょうか。感染しても症状が出ない可能性が高く、そこから感染が拡大する可能性がある。しかも実は致死性が低いからこそ、ウイルスとしては長く生き延び、蔓延していく。
つかまえにくく、防ぎにくく、封じ込めないからこそ、人々に絶大な不安を与えやすい。「もしも」という怖さが拡大し、まだ季節性のインフルエンザより死者がかなり少ないのに、恐怖が膨らんでいく。そこにも怖さの正体があるのではないか。
だからいま、私たちは立ち止まりましょう。落ち着きを取り戻しましょう。
一方で「感染を起こすな」、他方で「自粛なんて必要ない」といらだつ人、そんな自分がいたとしたら、「そうですね」と語ってとりあえず微笑みを返しましょう。
冷静に。穏やかに。そう、こんな時には互いにいつもより優しくなり、意見の違いに対しても寛容になりたいものです。僕自身、自らを戒めなくては。
ウイルスとともに「恐怖心」も恐るべき相手です。ならば後者には「愛と優しさ」こそが特効薬なのかもしれない。
それも含めて、自由と民主主義を守りながら、新型コロナの影響を越えていきましょう。
こんな時はジョン・レノンかなと・・。「私たちはみんなを助けることはできない。でも誰もが誰かを助けられる」 ネットより
続く
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名前が「森田俊屋」になってしまっていますが、ご愛嬌です・・・。
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