師走の今頃には毎年書いているのですけど一年は早いなぁ、12月8日は開戦記念日です。択捉島単冠湾を出撃した機動部隊は、商船との遭遇を避けて波の荒い北方航路を、一路ハワイに向けて航行していましたが、前衛の伊号潜水艦が向かって来る商船を発見した。これはソ連の商船であったが、最悪は味方潜水艦によって撃沈するとの判断も示されたが、商船がコースを変えたために事なきを得たのでした。また、ハワイ近海のアメリカの哨戒圏内では、B17偵察機が艦隊付近に飛来したのに、何事も無かったように飛び去っています。私には空母6隻からなる大艦隊を上空から約10名の偵察員が発見できなかったはずはないと思っています。要するにアメリカは、日本の真珠湾攻撃は察知しており、どこまで接近したかを偵察に来たのでしょう。すでに邦人引き上げ船の龍田丸がアメリカに向けて出港しており,フィリピンのアメリカ軍クラーク基地には警戒配備が発令されて開戦は暗黙の事実となっていました。ルーズベルト大統領は日本を追い込み日本から先に手を出させるように仕組んだもので、毎週末には訓練から寄港する空母(サラトガ・レキシントン)は2隻共、その時に限って真珠湾に在泊していなかったのは偶然ではないでしょう。果たして現在の北朝鮮が先に手を出すか?
日本時間1時30分と言うからハワイ時間では前日の6時30分かな、発艦指揮官の上げる白旗を信号に、戦闘機隊、艦爆隊、水平爆撃機隊、雷撃隊の順で次々に発艦をしたが、これは、滑走距離の短い母艦からの発艦は機体の軽い飛行機が前面に配置されるためです。それでも800㌔の魚雷を抱いた雷撃機はいっぱいいっぱいの離艦でした。映画「トラトラトラ」では、アメリカの空母を使用しての撮影のため、艦影を隠すために日の出前の暗い時刻に発艦したことにしています。南雲長官や源田参謀が居ることから旗艦赤城からの発艦としていますが、赤城は唯一、艦橋が左側にあるので、辻褄が合いませんけどね。
あぁ、与太話を書いていると長くなります。ご常連さんからPEN-Wが来ています。程度の良い個体ですねぇ。最近珍しいぐらいです。
トップカバーの塗膜の艶消しを見てください。これがオリジナルで、ピーカピカの使い込まれた状態がオリジナルではありません。
シャッターは不調、ファインダーは一度分解清掃を受けています。
しかし、アメリカ軍の中でも、日本軍が真珠湾を攻撃する可能性があることは報告されていました。イギリスの情報部なども日本海軍の動静を諜報活動していたし、駐日ペルー大使が真珠湾攻撃の可能性についてアメリカに報告している。なんでペルー大使が? 当時の防諜はザルで、真珠湾の浅海面に合わせた魚雷を製造していた三菱の工員達は、夜の飲み屋などで、やっと間に合わせた魚雷の話などをしていたようだ。スパイの女給が居たら・・ハワイのアメリカ太平洋艦隊司令長官、キンメル海軍大将は日本軍の奇襲には懐疑的で、一人で責任を負わされた格好だが、そのキンメルを任命したのはルーズベルト大統領なので任命の意図があったはず。尚、真珠湾攻撃によるわが方の損害は、零戦九機、艦爆十五機、艦攻五機であった。強襲となった第二次攻撃隊の損害が多いと推測されるが、艦爆(九九式)による急降下爆撃の損害が多かったんですね。私も過去に真珠湾のアリゾナ記念館を訪れて犠牲となった両軍の将兵を慰霊してきました。
で、お仕事。シャッターは未分解で経時的に不動となったものです。最後の洗浄をしたシャッター羽根をセットして完成です。
ストロボ接片の半田は殆どが簡単に外れてしまいます。再半田付けをしておきます。
この個体は使ってないですね。非常にきれいです。これから組み立てて行きます。
チャージレバーの当たるコロが腐食して固着していましたので、コロを交換しています。
問題なく組み上がるかなと思いましたが、レンズのスリ割りが痛んでいて、レンズに少しダメージがあるかな?
分解清掃をしています。
このナットは緩み止めが塗布されていて普通は緩まないのですがユルユルです。これでは絞りリングがクルクル回ってしまいます。
こうなっています。普段は分解しません。PEN-Wの絞りクリックの方式はPEN-Sとは異なります。
洗浄したカム板(シャッターリング)のメッキはきれいなままですね。使ってないよね。
レンズを接着硬化したファインダーを組み込みます。
カメラとは別にワッシャーが付いて来ましたが、普通の方はどこのワッシャーが分からないでしょうね。トップカバーと本体の隙間を埋めるスペーサーでした。
過去にレンズとファインダーの清掃を受けていましたが、その他は手つかずの、あまり使われなかった個体です。最近はこの程度の個体は少なくなっています。