(六)追放
しかし結局のところ、男は村をおいだされてしまいました。
修験者の威光はぜつだいであり、平家の落ち武者である男ではまったく分がわるかったのです。
「汝が名はなんとや! 正味の名をもうせい! しからば拙僧が、汝の正体をあばいてくれん!」
「いやいや、それは……」
と口ごもるばかりの男の代わりに、女房がさけびます。
「この人は、あらしであたまをやられてる。むかしのことは、まるでおぼえてねえのさ!」
「笑止千万! そのような戯れ言で、拙僧をたぶらかせるとでも思うてか!
喝! 『リン、ピョウ、トウ、シャ、カイ、ザイ、ゼツ、ゼン』」と印を切りました。
と同時に、村人たちすべてがひざをつきました。おなかですらひざまずいたことは、男にとって思いもよらぬことでした。
「わかった、おなか。わたしが身を引けばよいのだな。災いがなくなるよう、わたしもいのっていよう」
「あんた、あんた、あんた……」
しかしその後も、森にはいりこんだ者の不幸はつづきました。
あらたな修験者が通りかかったおりに、「ことのしんそうをつきとめてくだされ」と、村おさがたのみました。
昨夜死亡した男を診たその修験者は、「これは祟りなどではない。なにか良からぬ物を食したせいだ」と断じました。
で、その村特有の土着宗教が、あらためて見直されたのです。
村にのこる者たちにわけ与えることなく、おのれたちだけで食したがための事とされたのです。
人間の食にたいするいやしさの恐ろしさを、村人たちは思いしらされました。
「人間の食に対する性は貪欲で業が深く憎悪の根源である」という教えが、ふたたび村人たちに浸透したのです。
決して神々の崇りではなく、人間の為せる業のせいだとなったのです。
(七)捜索
おなかの必死の捜索がはじまりました。まずは森のなかに入りました。
木の実をたべて、生きながらえているにちがいないと思ったのです。
うっそうとした森の中を、日が上がると同時に歩きまわりました。
大声で、男をよびます。
「あんたあ、あんたあ! あいが、わるかったよお! でてきておくれよお!」
と、よびつづけます。
しかし答える声はなく、その木々のあいだに吸い込まれていきます。
二日三日と経ち、四日目からは村人そうでの探索なりました。
「どうくつじゃないか?」
という声があがり、おなかがすぐに駆けだしました。
たき火の跡がありました。たしかに居たようです。
しかし男の姿は、すでにありませんでした。
がっくりと肩をおとして帰るおなかに、村人たちが声をかけていきます。
皆口々に、「すまなんだ、かわいそうなことをした」と言います。まるで男の死亡をつげるがごとくにです。
しかしおなかは「しんどりゃせん! いきとる、そうにきまっとる!」と、村人たちの手を振り払いました。
どっぷりと日の暮れた道をあるくおなかの目に、こうこうと灯りのついた我が家が目にはいりました。
あれは、まごうことなき我が家です。わら葺きの屋根と、庭のすみには痩せこけた柿の木があります。
「あんた、あんた、だよね……」。脱兎のごとくに駆け込むおなかです。
そして土間でわらを打っている男を見つけて、へなへなと座り込んでしまいました。
「お帰り、おなか」
笑顔で迎えてくれた男に、「あんた、ごめんよ。ごめんよ、あんた」と、泣きじゃくるおなかでした。
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