ある後輩は、このぼくを「恐い」と言う。
そしてその理由の多くを語ろうとしない。
が、その少ないことばから推察するに、その後輩のことばを引用すれば、
“人間として書いてはいけないことを書きすぎる”のは、
「神をおそれていない証拠」と、なりそうだ。
そして
神=社会をおそれぬぼくは、ときに傲慢となり、時にエゴイストとなり、
ときに、英雄とのさっかくを起こしたりする、ということらしい。
ぼく自身、その傾向があることには気がついている。
〔岐路〕という作品=自己不信というテーマのさいに、
自分を徹底解剖して真実をつかみえたと思っていた。
が、それは頭の中でのことであり、実体にはむすびつかぬものだった。
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