[臆病者]
きょうは一日中、雨だ。べつに嫌だとは思わない。ただ、悲しいだけだ。
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あゝ己は何(ど)うしても信じられない。たゞ、考へて、考へて、考へて、考へるだけだ。
二郎、何うか己を信じられるようにしてくれ。
(夏目漱石著・「行人」より)
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ぼくは彼女が好きだ。すごくすきだ。
会社の先輩から聞いた。彼女が、ぼくのことを馬鹿にしている、と。
「真面目なのネ」
わかれぎわに呟いた彼女のことばに、引っかかるものがあったけど、べつにそれほど深くは考えなかった。
ぼく自身がそう思っていたから。
だけど、彼女のいう真面目と、ぼくのそれとは、違う意味のものだった。
要するに、臆病者という、軽蔑のいみが、ことばの裏に潜んでいた。
なんということはない、映画館でそして帰り道でも、手をにぎらなかったこと。
そして別れぎわにキスをしなかったからだという。
「まだ、子どもね」
先輩は言う。
いまの女性にとってのキスは、友情の印のようなものだ、と。
そしてまた二十歳の年齢でキスの経験がないのは、ぎゃくに不健康だ、と。
ぼくは宣言する、ぼくは男だ! 君は、わかってくれるよね。
あの夜、キスをしたかった。だけど、ほんのちょっとの勇気がなかっただけだ。
だって、付き合いはじめてまだ日が浅いんだ。
気心の知れていない相手に、そんなこと……。
いや、気持ちは通じあっていたんだよな……。
そうか、やっぱり。勇気が足りなかった。
けれど……。
[アンチ処女時代]
一体全体、現代はどうなっているんだ。
週刊誌には、フリーセックスだの アンチ処女時代だのと、書き立てているが、本当だろうか?
だとしたら、ぼくは前時代的人間だということか。
封建的因習から脱け出せない。いや、勇気がなかっただけだ。
ぼくは、なんのために生きてる?
此れといった目的もなく生きてる?
たしかに、「小説を創る」という夢はある。
だけど、小説家とは? それで生計を立てる? 否、芥川龍之介曰くの「売文の徒」にはなりたくない。
……嘘をつけ! 自信がないんだ。
いやちがう。自分を裸にしてみたいんだ。
裸だって? はだかになってどうなる?
風邪をひくのが関の山だろう。
肺炎にかかって死ぬ? あの彼のように。
いやいや、その途中で、蓑(みの)を着てしまうだろうに。
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