17日(火)。昨夕、10階ホールで記者クラブ主催の試写会「相馬看花 第一部 失われた土地の記憶」を観ました 監督は1979年福岡県生まれの松林要樹(まつばやし・ようじゅ)です。2009年に、戦後タイ、ビルマ国境付近に残った未帰還兵を追ったドキュメンタリー映画「花と兵隊」を発表、第1回田原総一朗ノンフィクション賞を受賞したとのことです この「相馬看花~」も福島県の南相馬市で撮ったドキュメンタリーです
福島第一原発から20キロ圏内にある警戒区域・南相馬市原町区江井(えねい)地区がドキュメンタリーの舞台です。被災の後、2011年4月3日、津波と放射能汚染と強制退去で様変わりしたこの地域へ、松林要樹監督はカメラを携えて乗りこみました 偶然出会った市会議員の田中京子さんとの交流から、取材活動が始まりました。田中夫妻との親密な関係をもとに、時に避難所で寝泊まりしながら、懸命に生きる地域住民の表情や肉声を記録していき、土地の歴史にも迫っていきます
映画を観ていて感じるのは、まるで外国の映画を観ているような違和感です 原因は”相馬弁”にあります。お年寄りが多く出てきますが、何を話しているのか半分も分からないのですこれについて、会場入り口で配られた「監督メッセージ」には次のように書かれています。
「映画を観た後に、疑問や違和感を持たれたかもしれません その違和感や不自然さをそのまま感じてください。その違和感の一つだと思いますが、この土地の言葉についていけなかった所があったかもしれません。相馬弁を標準語の字幕にしなかったのは、電気を湯水のごとく使って、東京に住んでいる私が、土地の言葉に標準語を充てるのが非常に失礼な気分になったからです」
監督の意図するところはよく理解できます。彼はさらに続けます。
「福島から送られていた電気に頼って、東京で生きていた構造の中で、被害者と加害者の関係があると思いました 私は東京に住んでいたので加害者の一人だったと気が付きました。つい原発事故の責任を国家や東電だけが悪いと二元論だけで片付けてしまいそうですが、私たち日本の人の無関心が事故を招いたのだと思いました」
この言葉は東京に住んで電気を享受している自分自身への問いかけでもあります。実に重い言葉です。自ら危険区域内へ入っていき、真実を知らせるために撮影を続けた一人のドキュメンタリー映画監督の命がけのメッセージと言ってもいいでしょう
この映画を観てもう一つ思うのは、これは”現実”だということ。そして”こんなことが全国各地で同時多発的に起こったら日本はお終いだ”ということです。われわれはいったいどこに避難すればいいのか?考えるだけでもぞっとします。原発による放射能は映像に映りません。目に見えないだけに一層恐ろしいと思いました
この映画は5月26日(土)から渋谷のオーディトリウム渋谷(文化村前交差点左折。電話6809-0538)でロードショー公開され、順次全国で公開される予定です。再度、福島の原発問題を考える一つのツールとしてお薦めします
今晩、トリフォニー小ホールでご一緒しましょう。
トリフォニー小ホールでご一緒しましょう!でもどうやって
来月の新日フィル40周年記念特別演奏会も小澤征爾先生のピンチヒッターでハーディングさんが祝賀に棒をふることになりましたねぇ。
礼記の「徳音を之れ楽と謂う」を噛みしめて末席に参加させていただきまする。
今宵のの岸田晶子さんの実直な演奏ステキでした。