24日(月)。わが家に来てから今日で3450日目を迎え、東京都知事選のポスター掲示板をめぐり、警視庁が23日、NHKから国民を守る党(N国党)の立花孝志党首に対し、掲示板に女性専用風俗の広告ポスター24枚を貼り出していたことが風営法に違反する可能性があると警告した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
金儲け目的の掲示板ジャックの結果がこれだ これからも次々と警告が出されるぞ!
佐藤愛子著「人生は美しいことだけ憶えていればいい」(PHP文庫)を読み終わりました 佐藤愛子は1923年、大阪生まれ。甲南高等女学校卒業。1969年「戦いすんで日が暮れて」で直木賞、1979年「幸福の絵」で女流文学賞、2000年「血脈」で菊池寛賞を受賞 2016年「九十歳、何がめでたい」が大ベストセラーとなる
本書は2019年4月にPHP研究所から刊行された作品(内容は半世紀にわたる)に、「犬たちへの詫び状」(PHP研究所)から「タロウの過去」を加えたエッセイ集です
本書は便宜的に次の3項目に分けられ、それぞれ複数のエッセイと『私の座右の言葉』が収録されています
「打たれ強くなるには」
「私が思ういい女、いい男」
「人生は美しいことだけ憶えていればいい」
巻末には「今の幸せ 昔の幸せ」と題する作家・遠藤周作氏との対談(当時66歳同士)が収録されています
恥ずかしながら、私はこれまで佐藤愛子さんの作品を読んだことがありませんでした したがって、彼女がどういう人でどういう文章を書く人なのか知りませんでした 本書の一番最初に掲載されているエッセイ「私の場合」を読むと、2度の結婚を通して波乱万丈の人生を送ってこられたことが分かります 最初の結婚は戦時中の20歳の時で、終戦になって帰還した夫は薬物中毒になっていて、それがもとで死亡したのでマトモな結婚生活は5か月くらいだった、と書いています 結婚生活の思い出が麻薬との戦いの断片以外に何ひとつ残っていない、と書いているので相当苦労されたのだと思います 2度目の結婚は31歳の時で、相手は文学同人誌の同人だった5歳年下のSという男だったが、「私が夫に腹を立てるのは、度を過ぎたお人好しの点だった。Sは絶えず文学仲間から金を借りられていた 生活費よりも他人に貸した金の方が多い月もある。貸した金は返ってきたためしがない」という状況だった。その上、「Sは事業に手を出して失敗し多大な借金を作った 妻である彼女はSの会社の借金の一部を肩代わりした。『次の会社を作って立ち直る』というSを信じて、借金を支払うため必死で働いている間に、Sは2度目の会社で同じ失敗を繰り返し再起不能になった挙句、水商売の女性のもとへ走ってしまった」
こういう辛い思いをしながらも、彼女は「Sと結婚してよかったと確信している。Sによって与えられた苦労は、私を強くしてくれた Sから影響を受けた人生観が今、私の人生を支えてくれている。結婚は、どうしてもしなければならないというものではない。しかし、しないよりはした方がいいと私は考えている」と書いています その上で、「私の座右の言葉①」としてフランスの思想家・哲学者アランの次の言葉を紹介しています
「少しは生きる苦労があったほうがいい。われわれも自分自身に対して目ざめさせるような、なんらかの不安、なんらかの情念、なんらかの苦しみがなくては幸福は生まれてこない」
ちなみに次の「逃げ場のない生き方」というエッセイの後には、佐藤さんが通っていて信頼している整体院のU先生の「私の座右の言葉②」が紹介されています
「苦しいことがきた時、逃げようとすればもっと苦しくなりますよ。苦難は逃げないで受け止める方がらくなんです」
本書は、このようにまずエッセイが何篇か紹介され、その後にそれらのエッセイのテーマに関する「私の座右の言葉」が掲げられるというスタイルを採っています
すべてをご紹介するわけにもいかないので、本書のタイトルになっている「人生は美しいことだけ憶えていればいい」についてご紹介します
その言葉の主は沢田美喜です 彼女は華族に生まれながら、「祖先の栄光と地位を、それにふさわしくない子孫たちがかさにきて、そっくり返っているのがたまらなく嫌だった」として反発していたが、現実の生活は祖父の力で築き上げられた富と権力によって守られていた やがて外交官・沢田廉三と結婚するが、日本の敗戦によりアメリカ兵と日本女性との間に生まれた混血児を収容する施設「エリザベス・サンダース・ホーム」を開設し、寄附金集めのためにアメリカ全土を回り、米軍総司令部に赴いては要求を突き付けたーという行動力溢れる豪快な女性です
佐藤さんは、エリザベス・サンダース・ホームを卒園して成人した混血児たちの姿を追った「子供たちは7つの海を越えた」というテレビ番組を観た時のことを書いています
「一人の黒人の混血青年が、アメリカのある町の公園のベンチでカメラに向かって昔を語っている そこへ沢田美喜が向こうから悠然と歩いてくる。混血青年は驚いて立ち上がり、澤田美喜に駆け寄って抱き合い、そうしてこらえきれず泣き出す。青年を抱いた沢田美喜の表情は動かない。堂々として動かない表情のまま、彼女は笑顔で青年に言った。『悲しいことは忘れなさい。人生は美しいことだけ憶えていればいい』。その時、私は沢田美喜のその動かぬ表情の下に、積み重なっている苦闘の歳月を見た思いがした そして彼女の驀進力は、かつて彼女の欠点とされていたものから出ていたことを思った。ある環境の中では欠点とされるものが、ある環境では美点に働く エリザベス・サンダース・ホームによって沢田美喜は大いなる欠点を美点に切り替えた。それが出来る人、出来る人生を私は素晴らしいと思う」
これを読んで疑問に思ったのは、なぜ沢田美喜は「悲しいことは忘れなさい」の後に「”楽しい”ことだけ憶えていればいい」と言わず「”美しい”ことだけを憶えていればいい」と言ったのか、ということです 「悲しい」の反対語は「楽しい」ではないのか、と思ったからです 空っぽの頭をフル稼働させて考えてみると、「悲しい」と「美しい」という対比ではなく、「忘れる」と「憶えている」に焦点を当てて考えれば答えが出てくるのではないか、と思いました 過去の悲しい思い出は「これから生きていく上で邪魔になるもの」なので「忘れた方がいい」だろう 一方、「美しいこと」には忘れがたい思い出や、美しいと感じたもの(音楽、映画、絵画、風景等)が含まれ、単なる「楽しいこと」とは異なり「これから生きていく上で大切に守りたくなるもの」なので「憶えていればいい」となるのではないか、と思いました
「私の座右の言葉」は、上記のほかに「変人は変人と、常識人は常識人と、それぞれ気質に合ったつき合いが楽しい」「人には負けるとわかっていても、闘わねばならない時がある」など示唆に富む言葉が紹介されています
人生の大先輩による有益な人生訓が収録されているエッセイ集として、広くお薦めします
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