8日(日)。昨日午前、マンションの管理組合の理事会が開かれたので出席しました 今回も出席者はたったの3人でした 大規模修繕計画の検討は佳境に入りつつあります いったいどうなるのでしょうか
ということで、わが家に来てから今日で3190日目を迎え、党への届け出なしにロシアを訪問した日本維新の会の鈴木宗男参院議員が、ロシアの国営通信社に対しロシアの勝利を100%確信していると発言していたことが6日に判明した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
ロシアとのパイプ役も必要だが この発言は完全にアウトだ しかも何の権限もない
昨日、東京藝大奏楽堂で「第69回藝大オペラ定期公演 コジ・ファン・トゥッテ」を観ました 7日と8日のダブルキャストですが、7日(土)の出演者は次の通りです フィオルディリージ=梅澤奈穂、ドラベッラ=倉林かのん、フェッランド=新海康仁、グリエルモ=植田雅朗、デスピーナ=八木麻友子、ドン・アルフォンソ=田中夕也。合唱=東京藝大音楽学部声楽科3年生、管弦楽=藝大フィルハーモニア管弦楽団、指揮=佐藤宏充、演出=今井伸昭です
「コジ・ファン・トゥッテ 女はみんなこうしたもの あるいは 恋人たちの学校」はウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)がロレンツォ・ダ・ポンテの台本により1789年から90年にかけて作曲、1790年にウィーンで初演された全2幕から成るオペラ・ブッファです
舞台は18世紀ナポリ。士官のグリエルモはフィオルディリージ(姉)と、フェッランドはドラベッラ(妹)とそれぞれ婚約している 彼らの友人で哲学者のドン・アルフォンソが、果たして彼女たちが本当に貞淑であるかどうか懸けをしようと2人の士官に提案し、2人はそれに乗る ドン・アルフォンソは姉妹の小間使いデスピーナを味方につけ、士官2人が国王の命令で戦地に赴くことになったとして船で送り出したと見せかけ、2人に外国人に変装させて、グリエルモはドラベッラを口説き、フェッランドはフィオルディリージを口説きにかかる 最初は抵抗していた姉妹だったが、男性2人が「愛を受け入れてくれないなら毒を飲んで死ぬ」と芝居を打つと、二人とも陥落してしまい、結婚式まで挙げてしまう すると2人の士官が急に戦地から戻って来て、姉妹はアタフタとする ドン・アルフォンソは種明かしして、「女はみんなこうしたもの」と言って幕が閉じるーという内容です
自席は1階23列26番、右ブロック左から2つ目です 会場は約8割の入りでしょうか
東京藝大の「藝大オペラ」は1956年4月の第1回「椿姫」から始まり、今回が第69回を迎えます この間、2020年に開催予定の第66回公演は新型コロナの影響により中止になりましたが、それ以外の年は毎年開催されてきました
舞台は極めてシンプルで、モーツアルトのオペラには必要最小限の物以外はいらないことを示しています
佐藤宏充がオーケストラ・ピットに入り、序曲が軽快に開始されます 私はこの序曲を聴くとワクワクします
フィオルディリージを歌ったソプラノの梅澤奈穂さんは、第1幕のアリア(風にも嵐にも~)、第2幕のロンド(恋よ、どうぞゆるして~)をはじめ、美しい歌唱で強い意志と揺れる心を表現し、聴衆を魅了しました
ドラベッラを歌ったメゾ・ソプラノの倉林かのんさんは、第1幕のアリア(私を苦しめる~)、第2幕のアリア(恋は小さな泥棒~)をはじめ、優れた演技力と魅力のある歌声で揺れる乙女心を歌い上げました
フェッランドを歌ったテノールの新海康仁さんは、第1幕のアリア(ああ、あの美しい人は)をはじめ、よく通る声で恋する青年の心情を表現しました
グリエルモを歌ったバリトンの植田雅朗さんは、第2幕のアリア(女よ、君らは、よく浮気をする)をはじめ、女性に対する不信感を 卓越した演技力とともに歌い上げました
デスピーナを歌ったソプラノの八木麻友子さんは、第2幕のアリア(女は15にもなれば~)をはじめ、美しい声とコケティッシュな演技で歌い上げ、「オペラ・ブッファ」としてのオペラに華を添えました
ドン・アルフォンソを歌ったバスの田中夕也さんは、魅力のある声で哲学者を歌い演じ、存在感を示しました
以上、個々人のアリアのほかに二重唱、三重唱、四重唱、五重唱、六重唱といったアンサンブルがいくつもあり、このオペラが「アンサンブル・オペラ」と呼ばれる所以になっています 特に美しいのは第1幕・第2幕でのフィオルディリージとドラベッラの二重唱、そして、第1幕での姉妹とドン・アルフォンソによる三重唱(風はおだやかに~)です モーツアルトはなんと素晴らしい音楽を書いたのか、と感嘆します
合唱も素晴らしい 第1幕で若者2人が出兵する時に歌われるコーラス(軍隊生活はすばらしい)を聴くとワクワクします 素晴らしい合唱でした
佐藤宏充指揮藝大フィルハーモニア管弦楽団の演奏は歌手に寄り添い、モーツアルトの音楽の素晴らしさを表現していました 若干、間が空くシーンがいくつか見られ、それが演奏時間が長引く原因になりましたが、指揮者が歌手の動きに合わせたためと思われるので仕方ないと思います
演出面では、「オペラ・ブッファ」の側面を前面に出した演出が目立っていました 第1幕で2人の士官が船で出兵する話は、留守中に姉妹が浮気をするかどうかを試すための「お芝居」で、2人を見送る民衆もドン・アルフォンソに雇われているわけです この演出ではドン・アルフォンソが元締め的な男女にお金を渡し、それを男女が民衆に分配するシーンが見られました 現代で言えば、元締めが日雇い労働者に日当を配り、「ヤラセ」で2人の兵士を合唱で送り出すという演出です
また、デスピーナの演技がこれまで観たどのオペラ公演よりも突出してコメディータッチになっていました 第1幕のレチタティーヴォ(小間使いの生活のひどさときたら!)の後、姉妹がこぼしたお茶を雑巾で拭くシーンでは、雑巾を足で踏みつけて床を掃除し、その雑巾をラグビーのゴールキックのように蹴り上げ、悦に入っていました 第2幕のラストでは、すべてがバレて、デスピーナもドン・アルフォンソとグルになっていたことが分かり、デスピーナは士官の剣でお尻を刺され、痛々しい足取りで長椅子に座ります。その恰好が可笑しい
興味があったのはラストをどうするかです ありきたりの演出ではつまらないな、と思っていました ラストは六重唱で次のように歌われます
「ものごとの良い面をみる人間は幸せだ そして、さまざまな事件と変動の中で常に理性で自分を導く人間は、他人が泣くようなことでも その人には笑いの種だし、世の中を風が吹き荒れていても、その人は平然としていられる」
この六重唱の後、通常の演出ではフィオルディリージとグリエルモ、ドラベッラとフェッランドという「本来の婚約者同士の組み合わせ」と、ドン・アルフォンソとデスピーナという「賭けの仕掛け人の組み合わせ」で、それぞれのカップルが手に手を取り合って舞台を去っていくというのが多いパターンです ところが今井版ではそうはならなかったようです
私の勘違いでなければ、今井版のラストは「フィオルディリージとフェッランドが抱き合い、ドラベッラとグリエルモは唖然として立ち尽くす」となっていました この見方が正しければ、フェッランドは最初に陥落した婚約者ドラベッラが最後まで許せず、フィオルディリージを本気で愛するようになり、それを見たグリエルモは姉妹の両方を信じられなくなり、ドラベッラはフェッランドが自分に戻ってくると思っていたのに姉の方になびいてしまったのを見て「男もみな、こうしたもの」と思った、と解釈できるかもしれません
藝大オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」は今日も別のキャストで開催されます モーツアルトは理屈抜きで素晴らしい
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