人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

クリスチャン・メルラン著「オーケストラ 知りたかったことのすべて」から第2部「構造化された共同体」を読む ~ 身代わり、楽団員の数え方、コーラングレ、対向配置の再発見など

2020年06月02日 07時17分10秒 | 日記

2日(火)。わが家に来てから今日で2071日目を迎え、ミネソタ州で黒人男性が白人警官によって死亡した事件への抗議活動は全米の75都市に拡大したが、暴徒化した群衆による略奪行為が各地で相次ぎ、企業は営業中止や安全確保などの対策に追われた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     略奪行為は許せないが  国民分断の土壌を作り 暴動を煽ったのはどこの大統領か

    

         

 

昨日、夕食に「手羽元と野菜のスープ」を作りました 材料は鶏手羽元、大根、人参、玉ねぎ、ほうれん草、ジャガイモで、味付けは醤油と日本酒だけです。シンプルでヘルシーで美味しいです

 

     

 

         

 

クリスチャン・メルラン著「オーケストラ 知りたかったことのすべて」の第2部「構造化された共同体」(全253ページ)を読み終わりました

第2部は次のような構成となっています

①組織と序列 ~ コンサートマスター、身代わりの栄光と苦悩、演奏する位置ほか

②弦楽器 ~ 第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス

③木管楽器 ~ フルート、オーボエ、コーラングレ、クラリネット、ファゴット、

④金管楽器 ~ ホルン、トランペット、トロンボーン、チューバ

⑤ティンパニ ~ 動物の皮かプラスティックか、マレットほか

⑥打楽器 ~ 新しい専門職、無数の同族楽器ほか

⑦ハープ ~ 孤独な楽器、レパートリーほか

⑧例外的な楽器 ~ ピアノほか

⑨配置 ~ 対向配置の再発見、管楽器、バイロイト祝祭劇場、様々な実験

 

     

 

第2部を読んで一番驚いたのは「①組織と序列」の中の「身代わりの栄光と苦悩」です

「『身代わり』は主として上演が毎晩行われる大規模な歌劇場のオーケストラに広まった習慣で、楽団員の頻繁な交代のことを意味する 同じ作品の演奏であっても、必ずしも同じ楽団員が演奏するとは限らない。パリ国立歌劇場管弦楽団などではかなり以前からスポーツの一種とでも思われているらしく、オーケストラでの演奏を代わってもらい、自分は協同するオーケストラ(パリ音楽院、コンセール・コロンヌ、コンセール・ラムルー、コンセール・パドル―)で交響曲のレパートリーを演奏したり、映画やバラエティー番組の音楽の録音やテレビの放映などの副業に精を出すのである にわかには信じ難い逸話もある。何度かリハーサルをしているうちに楽団員の大半が入れ替わってしまったのを見て、指揮者がクラリネット奏者に溜息まじりの声をかけた。『君には礼を言うべきだな。リハーサルに毎回出席してくれたのは君だけだよ』。すると、クラリネット奏者が言い返した。『それがですね、私は本番では演奏しないんですよ』。指揮者の悪夢はそれだけではなかった。ある楽団員が、演奏するふりだけしてくれ、誰にも気づかれないから、と言って自分の家の管理人をオーケストラピットへ送り込んだ 指揮者が指揮棒を振っても物音ひとつ聞こえない。オーケストラにいたのは家の管理人ばかりだったのだ

いかにもフランスのオーケストラだな と思っていると、どうもそうではないようです

「バイエルン国立管弦楽団やシュターツカペレ・ベルリンといったドイツの主だった歌劇場では『身代わり』は今でも日常的に行われている   なかでも身代わりの牙城とでもいえる存在がウィーン・フィルハーモニー管弦楽団だ。このオーケストラは上演のプログラムの立案は難解を極めており、企画担当の責任者こそが組織の要であるといえる 何よりもまず、149人の楽団員が毎晩、ウィーン国立歌劇場での演奏を確実にこなさなければならない 36作のオペラと7作のバレエの上演が年に300回、さらにウィーンでのコンサートが46回、巡業で48回、そして夏にはザルツブルク音楽祭でコンサートが10回とオペラの上演が20回もあるのだ 世界的な名声の代価とはいえ、生半可な柔軟性ではこれほどの過密スケジュールに立ち向かうことはできない だからこそ、このオーケストラの楽団員はことあるごとに交替し合う習慣を身に着けたのだ。レパートリーはすべて知りつくし、オペラであろうがコンサートであろうが、準備なしで演奏できる、と楽団員たちは豪語する それに、ウィーン国立歌劇場の現在の音楽監督ドミニク・メイエが徐々に改めようとはしているものの、このオーケストラでは新作以外にはリハーサルを強制できないのだ 当然のように、再演作ではリハーサルは行われない。『トリスタンとイゾルデ』や『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を目をつぶってでも演奏できるというのは事実であり、リハーサルなしでこれらのレパートリーを指揮することに抵抗がない指揮者がいるのもたしかだ しかし、クリストフ・フォン・ドホナーニのように、演奏の完成度を高めることが出来ないとして、ウィーン国立歌劇場管弦楽団での指揮そのものを諦めてしまう指揮者もいる。『身代わり』の習慣は誰にも変えられないようだ 1983年にウィーン国立歌劇場の音楽監督となり数多くの改革を成し遂げたロリン・マゼールにしても、これだけは断念している。企画についての裁量権にも関わることだと楽団員に説得され、マゼールが折れたのだ

オペラを演奏する時にはウィーン国立歌劇場管弦楽団、コンサートを演奏する時にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と、二重構造になっているからか、凄まじいまでの公演回数です これでは休む暇もないでしょう。『身代わり』制度がなければ楽団員の身体が持たないでしょう まさかと思っていたのですが、『トリスタンとイゾルデ』や『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を目をつぶってでも演奏できるというのは事実のようです。これも驚きです 日本のオーケストラで勝手に『身代わり』をやったら厳重注意では済まないかもしれません

「②弦楽器」の中で、メルランは弦楽器の楽団員の数を簡単に数える方法を伝授しています

 「コンサートホールの客席から舞台にいる楽団員を一人一人数えてオーケストラの人数を知ろうとする観客もいるが、それでは手間がかかるばかりで正確だともいいがたい もっと確実な方法がある。コントラバスを数えてから、パートごとに楽器を2挺ずつ加えていくのだ 音の低いほうから高いほうへ、第1ヴァイオリンまで足していけばいい。たとえばコントラバスが8挺だとすれば、チェロが10挺、ヴィオラが12挺、第2ヴァイオリンが14挺、第1ヴァイオリンが16挺となるはずだ。レパートリーやオーケストラの習慣、指揮者の好みなどに応じて、交響曲のオーケストラが選ぶ構成は、大きく分けて次の3種類のうちのどれかとなる

①弦楽器が60挺(第1ヴァイオリン16挺 ~ コントラバス8挺) ⇒ ブラームス、ブルックナー、マーラーなど後期ロマン派の大作やシュトラウス、ストラヴィンスキーなど近代の大作に向けたもの。

②弦楽器が50挺(第1ヴァイオリン14挺 ~ コントラバス6挺) ⇒ ベートーヴェン後期、シューベルト、シューマンの作品のことが多い。

③弦楽器が40挺(第1ヴァイオリン12挺 ~ コントラバス4挺) ⇒ ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェンの前期が一般的。

もちろん規則の範囲内であれば、多少の変更も可能だ。音に刺激を加えようと、オーケストラを水増しするのが好きな指揮者も多い

この知識は知っていると便利ですね

同じ「②弦楽器」の中の「コントラバス」で、メルランは数少ないコントラバスのソロ演奏としてマーラー「交響曲第1番」の第3楽章冒頭を挙げて、次のように解説しています

「オーケストラのコントラバス奏者には個人主義より団体行動を好む傾向がある    そもそもコントラバスのソロは極端に少ない。有名なところでは、グスタフ・マーラーの『交響曲第1番』第3楽章のソロがある ティンパニ奏者が静かに葬送行進曲の2拍子をとると、コントラバスが遠慮がちに姿を現わし、高音で『フレール・ジャック』を意図的にデフォルメした音型を弾く。このソロでは、2つの障害がコントラバス奏者の前に立ちはだかる まずは、ヴァイオリン奏者やチェロ奏者にくらべて、コントラバス奏者がソロに慣れていない。首席奏者は1年中、演奏すべきソロがないと不満をもらすくせに、マーラーの『交響曲第1番』が来ると、今度は緊張のあまり地の底に身を隠したくなってしまうというジレンマに陥るのだ そして、もう一つの障害は、マーラーがコントラバスのために用意したソロには、辛辣なアイロニーが満ち溢れていることだ このソロは不器用なヴァイオリン弾きが耳障りな音を響かせる場面であり、あえて不器用に演奏する必要がある 初めてソロを演奏する機会が来たかと思ったら、きれいな音を諦めなければならないのだ 指揮者のミヒャエル・ギーレンは対談集『マーラーをめぐる対談』で、ソロのコントラバス奏者の譲歩を引き出すのにどれほど苦労するかを詳細に語っている。何も知らない聴衆がコントラバス奏者に才能がないのだと勘違いしかねないのだ

どうも私は、これまで勘違いしていたようです Wikipediaによると、この楽章は「ティンパニの4度下降の刻みにのってコントラバスが物憂く虚ろな印象の主題を奏する この主題は童謡「フレール・ジャック」として知られる民謡(日本では「グ―チョキパーでなにつくろう」という歌詞で有名)を短調にしたもので、哀調を帯びるが俗っぽい信仰を経て主題が戻る」と解説されています この解説をはじめ、CDの曲目解説などを読んでも同様のことが書かれてはいるが、どこにも「あえて不器用に演奏する必要がある」とは書かれていないのです メルラン氏の解説に従えば、下手に演奏すればするほどコントラバス奏者は称賛に値することになります 私は今まで演奏が素晴らしかったとして拍手をしていました しかし、演奏する側はいかに不器用に演奏するかに腐心し、それを聴く側は 不器用に演奏できた時に大きな拍手をする、という自己矛盾を抱えながら対峙しなければならないようです 分かりやすく言えば、モーツアルトの「音楽の冗談K.522」を楽譜通り真面目に演奏すればするほど、聴く側はズッコケて笑うけれど、それが正しい演奏であり正しい反応である、というのと同じだということです

「③木管楽器」の中の「コーラングレ」で、メルランは音色の魅力を解説をしています

「オーボエの5度下にあたるコーラングレ(イングリッシュ・ホルン)は、ホルンでもなければ、イギリスの楽器でもない。曲がったという意味の「アングレ」とイギリスを意味する「アングレ」とが混同されたのだが、オーボエと違ってリードがまっすぐではなく肘型に曲がっている 誤った名称は他の言語にも感染し、英語とドイツ語では「イングリッシュ・ホルン」と呼ばれるようになった。先端のベルが梨型をしたコーラングレは、その驚くほどの深みのある響きと、豊かでノスタルジーを帯びた表現力が作曲家たちのインスピレーションを刺激し、とくに美しいソロが生み出された

コーラングレの独奏は、ドヴォルザーク「交響曲第9番”新世界より”」の第2楽章「ラールゴ」、ラヴェルの「ピアノ協奏曲ト長調」の第2楽章「アダージョ・アッサイ」、ベルリオーズの「幻想交響曲」の「野の情景」などで聴かれますが、どれもが哀愁を帯びた美しい音楽です

「⑨配置」ではオーケストラの弦楽器の並び方の歴史と現状を中心に解説しています

「オーケストラの配置にはさまざまなバリエーションがあるが、どのような配置にも長所と短所が存在する バリエーションの違いはとくに、指揮者を中心とした半円のどこに弦楽器のパートを配置するか、による。19世紀にはヨーロッパでの配置が標準となり、それが1920年代まで続いた。これは『対向配置』と呼ばれる原則に基づいた配置で、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンとが分けられ、それぞれが左右から指揮者を挟んで向かい合う形式だ。これによってヴァイオリンの2つのパートと、その応答とエコーの効果が聴きとりやすくなる 1920年代になると、レオポルド・ストコフスキーがフィラデルフィア管弦楽団で、のちに『アメリカ式』と呼ばれることになる配置法を編み出した 第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンをまとめて左に配置し、指揮者の右側にあった第2ヴァイオリンの位置にチェロを配置する(※コントラバスはその後方)。1925年にはセルゲイ・クーセヴィツキ-がこの配置法をボストン交響楽団に適用している。アメリカでの配置の変化はレコードの発展によるところが大きい。生まれたばかりのこの録音技術には、まだステレオやマルチ・トラックといった技術もなく、音域ごとにはっきり分離する必要があった ヴァイオリンを一方に配置し、その反対側にチェロを配置すれば、複数のマイクによる録音が容易になる この配置法はすぐに普及した。このアメリカ式の配置法をヨーロッパに持ち込んだ指揮者に、シャルル・ミュンシュ、メンゲルベルク、サー・トーマス・ビーチャムなどがいる。同時期のドイツの多くのオーケストラでは、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンはアメリカ式と同様にまとめて左側に置かれるが、右端にはチェロでなくヴィオラが置かれるようになる。これはフルトヴェングラー以降のベルリン・フィルの配置法(ドイツ式と呼ばれる)で、カラヤンは終生これを守り、現在でもこの配置法をとっている この配置法の利点は、指揮者の正面に来たチェロが客席に向かってダイレクトに音を放射するため、よりチェロの音が聴き取りやすくなることだ さらに、ウィーン・フィルは対向配置をとるが、コントラバスは後方の壁際に(横一列に)線状に並ぶ。マーラーもこの配置法を採用していたが、これはホールの形状によるところも大きい

このコントラバスの配置法はウィーン・フィルの「ニューイヤー・コンサート」の放送を見ると確認できます    私はフィリップ・ヘレヴェッヘ指揮 王立フランドル・フィルハーモニー管弦楽団が1990年代後半に来日し、すみだトリフォニーホールでコンサートを開いた時に初めてこの配置を目にして驚きました

続けて「⑨配置」の中の「対向配置の再発見」では次のように解説しています

「アメリカ式の配置法とその亜流であるドイツ式の配置法がオーケストラの大半で採用されたところへ、ピリオド楽器のオーケストラが旧来の対向配置というヨーロッパ式の配置法を復活させた 1980年代初頭、バロックや古典派、ロマン派の時代のレパートリーを探求するニコラウス・アーノンクールやフランス・ブリュッヘン、ロジャー・ノリントンが提言した配置法は、コントラバスを左側に置き、ヴァイオリンを指揮者の左側と右側に振り分けて、パートごとの特性とステレオ効果を活用するものだ。この影響を受けて、現代のオーケストラを過去の配置法に戻すことにした指揮者も少なくない。ヘルベルト・ブロムシュテットなどである この配置では、以前よりも耳をすまし、注意を払わなければならない

これを読んで思い出したのは、ベルリン・フィルの首席指揮者兼芸術監督も務めたサイモン・ラトルが若い頃、1980年代終わりから1990年代初めにかけてだったと思いますが、彼が首席指揮者を務めるバーミンガム市交響楽団とともに来日した際、ステージ上のオーケストラの配置を見て度肝を抜かれたことです ヴァイオリンが対向配置となっていて、チェロとコントラバスが左サイドにスタンバイしていたのです こういう配置は生まれて初めて見たので、何かの間違いではないかと思ったほどです メルランの本書を読むと、当時の若きラトルは アーノンクールなどの影響を受けていたんだろうな、と想像できます

以上のほかにも、まだまだご紹介したい項目がたくさんあるのですが、第3部「指揮者との関係」を読まなければならないのでこの辺にしておきます

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