人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ジョン・カサヴェテス監督「グロリア」「こわれゆく女」を観る ~ プッチーニ「ラ・ボエーム」のアリアが流れ、ヴェルディ「アイーダ」のラダメスの「清きアイーダ」が歌われる

2019年01月12日 07時23分57秒 | 日記

12日(土)。わが家に来てから今日で1562日目を迎え、英国の欧州連合からの離脱をめぐりメイ首相の離脱協定案が議会で否決される公算が大きくなる中、大手ブックメーカー(公認賭け屋)ウィリアムヒルの10日現在のオッズ(配当率)でも「否決」が「可決」を大きく引き離した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      国の大事な将来を賭け事の対象にしてしまうんだから 英国って困ったちゃんだね

 

         

 

昨日の夕食は「豚肉と野菜と豆腐の鍋」にしました 寒い日は鍋が簡単で温まりますね

 

     

     

 

         

 

昨日、池袋の新文芸坐でジョン・カサヴェテス監督による映画「グロリア」と「こわれゆく女」の2本立てを観ました

「グロリア」はジョン・カサヴェテス監督・脚本による1980年アメリカ映画(121分)です

組織を裏切り、命を狙われたジャック(バック・ヘンリー)は同じアパートに住む女性グロリア(ジーナ・ローランズ)に息子フィル(ジョン・アダムス)を預ける ジャックは組織の秘密を記したノートをフィルに託していた。その後、ジャック一家は皆殺しになる。その間にグロリアはフィルを連れてアパートを脱出する 子ども嫌いのグロリアは何度かフィルを手放そうとするが、結局彼を連れてタクシー、地下鉄、バスを移動手段として逃走を続けるはめになる 実はグロリアはかつて組織のボス、タンジー二の情婦だった。子どもの持つノートを奪おうとする組織に何度も追い詰められたグロリアは、決着をつけるためタンジー二の住家に乗り込む決意をする グロリアはフィルを守り切ることが出来るのか


     


最初のうちは、フィルを邪険にしていたけれど、一緒に逃走を続けるうちに母性本能が芽生えてきて、本気で彼を守ろうとするようになるグロリアの心境の変化をジーナ・ローランズが見事に演じています 音楽はビル・コンティが担当していますが、サックスを中心とするジャズ音楽は フィルを守るためなら躊躇なく拳銃をぶっ放すタフな中年女性グロリアに良く似合います


         


「こわれゆく女」はジョン・カサヴェテス監督・脚本による1975年アメリカ映画(147分)です

専業主婦のメイベル(ジーナ・ローランズ)は、土木工事の現場監督を務める夫ニック(ピーター・フォーク)や3人の子供たちと暮らしていた 精神のバランスの不安定なメイベルは、ある晩ニックが仕事上の突発的なトラブルで帰宅できなかったことを発端に、酒場で知り合った中年男を自宅に連れ帰ったり、隣家の子どもを預かって異様にはしゃいで隣家の主人を困らせたりと異常な行動を見せるようになる 思い余ったニックは彼女を精神病院に入院させる 数カ月後、退院したメイベルはニックと3人の子供たちと再会したことから、落ち着いて すっかり完治したかと思っていたが、そのうち病気が再発する


     


この映画はカサヴェテス監督の旧友ピーター・フォークと妻ジーナ・ローランズが主人公夫婦に扮しています そのためか二人とも迫真の演技です。とくにメイベルが異常な行動をとる時のジーナ・ローランズの演技は”ホンモノ”のように見えます また、ピーター・フォークと言えば、よれよれコートを着て登場し「うちのカミさんがね・・・」と話しかけるドラマ「掲示寝転んぼ」、ちがった「刑事コロンボ」を思い浮かべます

この映画では、冒頭近くのシーンでプッチーニの「ラ・ボエーム」のアリア(重唱)が流れたり、ニックの同僚たちを自宅に招いてスパゲッティを食べ、食後に同僚の一人がアカペラでヴェルディの「アイーダ」のダメスのアリア「清きアイーダ」を歌い上げ、喝さいを浴びるシーンがあります また、メイベルが隣家の子供たちを預かって裏庭で遊ぶシーンでは、チャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」の「情景」が流れます

この映画は、精神を病んだ妻と夫の愛と葛藤を描いたドラマですが、実際にこのような家庭があったとすれば夫や両親は大変でしょう

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「ラ・フォル・ジュルネTOKYO 2019」公式サイト オープン / ミューザ川崎「モーツアルト・マチネ」のチケットを取る / ディーン・R・クーンツ著「ベストセラー小説の書き方」を読む

2019年01月11日 07時27分34秒 | 日記

11日(金)。昨夕、内幸町の日本記者クラブ・レストランで「K氏と語る会」があり、参加しました   Kさんは私が25年間勤めた新聞関係団体に入職した時の初めての直属の上司(国際部主管:一般会社の課長相当)でした。私は国際部に3年間在籍しましたが、この間、Kさんから仕事のやり方を教えていただきました。今でも感謝しているのは、英文の手紙の書き方を含め 文章の書き方を徹底的に仕込まれたことです 今こうして毎日ブログを書き続けていられるのも 元をただせばKさん指導のお陰と言っても過言ではありません その後、Kさんは新聞製作技術部門の責任者、総務部長(徹底的な成果主義的な考えに基づく人事考課制度の導入など)、アメリカ駐在代表、ヨーロッパ駐在代表などの重責を担われました。この間、Kさんの薫陶を受けた”教え子”の数は図り知れません 「K氏と語る会」はKさんが総務部長時代に部下だったUさん(元NPC専務)が音頭をとって始められた会で、ロンドン在住のKさんが帰国するタイミングを見計らって、2017年1月11日(新橋亭)、同12月5日(日本記者クラブ・レストラン)、2018年4月16日(同)、同7月13日(同)と開かれ、今回が第5回目となります。Kさんの薫陶を受けた”教え子”が今でも集まるのはKさんの人徳以外の何ものでもありません

生ビールとワインをいただきながら、出身組織である新聞関係団体の現況(新聞の発行部数減少に伴う会費分担金収入の激減と、それに伴う団体事務局の規模の在り方など)から今年3月末に迎える英国のブレグジットの行方(Kさん曰く「どのようにECを離脱するにせよ、これほど国内外に混乱を生じさせた英国政府の責任は大きい」)に至るまで広範囲にわたる話題で 話が尽きませんでした 主役のKさん、呼びかけ人のUさん、楽しいひと時を過ごすことが出来ました。ありがとうございました

ということで、わが家に来てから今日で1561日目を迎え、日銀が9日に発表した2018年12月の「生活意識に関するアンケート調査」によると、1年後の景況感が現在から「良くなる」との回答から「悪くなる」を引いた景況感判断指数は マイナス32.0%となった というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      今年は消費税増税もあるし 米中の覇権争いも激化しそうだし 良いことなさそう     

 

         

 

昨日、夕食に「牛肉とブロッコリーのオイスター炒め」と「トマトとレタスとウインナのスープ」を作りました 昨夕は私が外で会食だったので、娘のために作りました。牛肉は焼肉用カルビを使用しています

 

     

 

         

 

「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO 2019」の公式サイト(www.lfj.jp)がオープンしています 今年のテーマは「旅から生まれた音楽」とのこと。昨年までは「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」として東京以外でも開催されてきましたが、今年は東京に絞られています さらに昨年初めて開催地に含まれた池袋での公演は今年はなく、「東京国際フォーラム」をメイン会場として大手町・丸の内・有楽町地域で5月3日、4日、5日の3日間にわたり開催されます 公式サイトには主な出演者やホールAとホールCの主要なプログラムが紹介されています

公開されたプログラムで個人的に興味があるのは次の各コンサートです

【5月3日・金】

①モーツアルト「ピアノ協奏曲第25番K.503」(Pf:アンヌ・ケフェレック)

②ショパン「ピアノ協奏曲第2番ヘ短調」(Pf:ボリス・ベレゾフスキー)

③チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」(Vn:神尾真由子)

【5月4日・土】

①サン=サーンス「ピアノ協奏曲第5番”エジプト風”」(Pf:アブデル・ラーマン・エル=バシャ)

【5月5日・日】

①リスト「ピアノ協奏曲第1番」「同:第2番」(Pf:金子三勇士)

②伊福部昭「日本組曲」、同「二十絃琴とオーケストラのための交響的エグログ」

 公演会場と他のホールも含めた全プログラムの発表は2月中旬の予定で、チケットの一般発売は3月に入ってからとのことです 日本での「ラ・フォル・ジュルネ」音楽祭は2005年「ベートーヴェン」から始まりましたが、私は翌2006年の第2回「モーツアルト」から毎年、3日間で17公演前後聴いています 毎年 自分用のプログラムを組むのが楽しみです

 

         

 

ミューザ川崎主催公演「モーツアルト・マチネ」の2019年度シリーズのチケットを取りました シリーズは全4回で、いずれも開演は午前11時、会場はミューザ川崎となっています 公演は、第37回(8月24日・土)=モーツアルト✕晩年、第38回(11月24日・日)= モーツアルト✕最期、第39回(1月18日・土)モーツアルト✕青年時代、第40回(3月14日・土)=モーツアルト✕円熟期という内容で、詳細は下のチラシの通りです

 

     

     

     

     

 

         

 

ディーン・R・クーンツ著「ベストセラー小説の書き方」(朝日文庫)を読み終わりました ディーン・R・クーンツは1945年米国生まれ。60年代後半からSFを中心とした作品を書き、70年代には心理サスペンスおよびホラーに転じた。米国を代表するベストセラー作家の一人

 

     

 

この本は、米国を代表する超ベストセラー作家が「どんな小説が売れるのか?」「売れる小説はどう書いたら良いのか?」という疑問に対して、自作をはじめ 様々な具体例を引きながら そのノウハウを書いた手引書です

この本は次の14章から構成されています

第1章「本書はなぜ書かれたか」

第2章「偉大な名作を書く」

第3章「移り変わる出版市場」

第4章「ストーリー・ラインを組み立てる」

第5章「アクション、アクション、アクション」

第6章「ヒーローとヒロイン」

第7章「信憑性のある登場人物を作り出す」

第8章「登場人物にいかにもありえそうな動機を与える」

第9章「背景描写(バックグラウンド)」

第10章「文体について」

第11章「SFとミステリー」

第12章「避けるべき落とし穴」

第13章「書いたものをどう売るか」

第14章「読んで読んで読みまくれ」

以上のうち第4章以降に「いかに売れる小説を書いたら良いか」が具体的に述べられています 特に第4章「ストーリー・ラインを組み立てる」の中では、①プロットは小説の最大必要条件である、②ストーリーのアイディアを見つけるには、より多くの本を読み、より多くの文章を書くことが大切である、③最初の3ページが勝負である、④相次ぐ困難によって主人公を追い詰める、⑤結末が面白くなければ失敗作である・・・などが説明されています

さらに、②「より多くの本を読むこと」については、「手当たり次第何でも読みたまえ。作家はくつろいだ気分のときに読むべきだ。なぜならそういうときこそ、読んでいるものの本質が心の中に沁みとおるからだ。作家にとって読書は、スキーやタップダンスや釣りや模型機関車作りやテレビ以上の楽しみであるべきだ」と書いています また、③「最初の3ページが勝負である」については、「読者が急いで本を選ぶ場合はたいてい5つの点(1.作家の名前、2.小説の種類、3.表紙、4.表紙に書かれた宣伝文句、5.第1ページにざっと目を通す)を基準にして買うかどうか決めているはず」として、「第1ページで読者を捕らえそこなったら、読者はその本を買わない」と書いています

最後の第14章「読んで読んで読みまくれ」では、「作家は良い読書家でなくてはならない」とし、クーンツが薦める作家81人とその作品をリストアップして推薦しています この中で私が読んだことのある作家は、アイザック・アシモフ、レイモンド・チャンドラー、アガサ・クリスティ、スティーヴン・キングと4人しかいないことに愕然とします クーンツは「この5分の1しか読んでいないなら、君が一般大衆小説で成功する見込みは、ほとんどない」と述べています しかし、冷静に考えてみると、クーンツがこの本を書いたのは1996年、今から23年も前のことなので、たったの4人というのも ある程度仕方のないことなのかな、と思います。もっとも小説家になるつもりは毛頭ありませんが

このリストの中にクーンツ自身の作品が含まれていない代わりに、訳者の大出健さんが「訳者のあとがき」の中で彼の作品をリストアップしてくれています 私としては81人の作品を読む前に、まずクーンツの本を読んでみようかと思います

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新国立オペラ研修所修了公演:モーツアルト「ドン・ジョバンニ」のチケットを取る / アンリ=ジョルジュ・クリーゾー監督「恐怖の報酬」「悪魔のような女」を観る ~ 「美しく青きドナウ」は死への前奏曲

2019年01月10日 07時24分33秒 | 日記

10日(木)。わが家に来てから今日で1560日目を迎え、中国の高速鉄道などで他人の指定席に居座る乗客に対し 当局が取り締まりを強めており、新たに制定予定の法律に「切符の通りの席に座らなければならない」と明記することも検討している というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     中国はアメリカに次ぐ経済大国と聞いていたけど フェイク・ニュースだったのか

 

         

 

昨日、夕食に「アボカドと鶏モモ肉の塩だれバター炒め」と「もやし豚汁」を作りました アボカドはお店でよく吟味して買わないと、固すぎたり 柔らかすぎて腐っていたりします 最近はベター・チョイスに慣れてきました

 

     

 

         

 

「新国立劇場オペラ研修所修了公演 ドン・ジョバンニ」のチケットを取りました 公演は3月8日、9日、10日の3日間ですが、すでにチケットを取ってある公演とダブらない公演でマチネの10日(日)を選びました この公演は毎年のように聴いていますが、レヴェルが高いので楽しみです

 

     

     

     

         

 

昨日、池袋の新文芸坐でアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督による「恐怖の報酬」と「悪魔のような女」の2本立てを観ました

「恐怖の報酬」はアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督・脚本による1953年フランス映画(白黒・152分)です

ベネズエラの場末の街ラス・ピエドラスでは職がなく、移民たちが何もすることがなく暮らしている マリオ(イヴ・モンタン)も例外ではなかった。彼のもとにホンジュラスからジョー(シャルル・ヴァネル)がやってくる。マリオと年上のジョーは共にフランス人ということで意気投合してつるんでいた そんなある日、500キロ先の油田で火災が発生し、石油会社は火を消し止めるためにニトログリセリンを500キロ先の現場までトラックで運ぶことを決める 会社は2000ドルの報酬でこの役を引き受ける者を選ぶことにした。選ばれたのは、マリオ、ジョー、ルイージ(フォルコ・ルリ)、ビンバ(ペーター・ファン・アイク)の4人だった。彼らは安全装置の付いていない2台のトラックに分乗し500キロ先の目的地に向かう。道中は凸凹の悪路で落石など様々な障害が待っていた。マリオと組んだジョーは怖気づいてしまい、運転をマリオに任せて、事あるごとにすぐに逃げ出そうとしていた 「何もしないで2000ドルか」となじるマリオに、ジョーは「この2000ドルは運転だけの報酬ではない。恐怖に対する報酬でもあるのだ」と答える 彼らは無事に現地にたどり着き 火災を消化することが出来るのか

 

     

 

主役のマリオを演じたイヴ・モンタンは、シャンソン「枯葉」で一世を風靡した歌手として名を馳せていますが、映画俳優としても優れた才能を持っていたことが良く分かる映画です

それにしても、マリオとルイージって ニンテンドーの「マリオ・ブラザーズ」のキャラクターそのものです   どちらかというと、マリオを演じたイヴ・モンタンよりもルイージを演じたフォルコ・ルリの方がスーパー・マリオにソックリです 子どもたちが小さい頃、よく「マリオ カート」で遊んだな、と思い出しました。一度も勝てませんでした

さて、最後に一人だけ生き残ったマリオは、周囲から英雄視された上、2人分の報酬4000ドルを手にして舞い上がってしまいます 火災現場からトラックで山道を引き返す途中、ラジオから流れるヨハン・シュトラウス2世の「美しき青きドナウ」に合わせて蛇行運転を繰り返し、運転を誤って崖から墜落してしまいます ワルツ「美しき青きドナウ」が 図らずも死へのプレリュードになってしまったわけですが、この映画から得られる教訓は「蛇行運転や煽り運転は致命的な事故のもと」ということ 現代社会にも十分通用します

 

         

 

「悪魔のような女」はアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督・脚本による1955年フランス映画(白黒・117分)です

パリ郊外の小学校の校長ミシェル(ポール・ムーリス)は、病弱な妻クリスティーヌ(ヴェラ・クルーゾー)がありながら、同校の女教師ニコール(シモーヌ・シニョレ)と愛人関係にあった 粗暴なミシェルに対して我慢ができなくなったニコールとクリスティーヌは結託し、ミシェルを薬で眠らせ 風呂場で窒息死させて敷地内のプールに沈める その後、ある理由でプールの水を抜かねばならなくなったが、沈めたはずのミシェルの遺体が無くなっていた   それからというもの、ミシェルが着ていたスーツがクリーニング屋から届いたのをはじめ、2人の周囲にはミシェルがあたかも生きているかのような物証が次々と出現し、二人はノイローゼ気味になり、ついには老警視フィチェット(シャルル・ヴァネル)が介入するまでに及ぶ 果たしてミシェルは本当に死んだのか

 

     

 

この映画の最後に、「この映画の内容を漏らさないように」というクレジットが出ます    それはこの映画がミステリーだからですが、最後に種明かしがされ「ああ、そういう悪だくみだったのか」と納得していると、最後の最後にフィチェット警視のひと言で どんでん返しが起こります そこで、「やっぱり、あのままでは後味が悪くて、映画の印象が良くなくなるよな」と納得します ミステリーは面白い

 

     

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「ニューイヤーコンサートは楽しい!その2」の巻 ~ ヨハネス・フライシュマン✕村田千佳によるウィーンに因んだ名曲の数々を聴く:第480回日経ミューズサロン

2019年01月09日 07時19分09秒 | 日記

9日(水)その2.よい子は「その1」から見てね   モコタロはそちらに出演しています

昨夕、大手町の日経ホールで第480回日経ミューズサロン「ヨハネス・フライシュマン&村田千佳  ニューイヤーコンサート  ~  オーストリア音楽大使によるウィーンからの贈り物」を聴きました プログラムは①シューベルト「ヴァイオリンとピアノのための華麗なるロンドD.895」、②リヒャルト・シュトラウス「ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調作品18」、③ブラームス「ハンガリー舞曲第5番」、④クライスラー「愛の喜び」、⑤同「愛の悲しみ」、⑥ヨハン・シュトラウス2世「南国のバラ」、⑦ヘルムート・スティビッチ「素晴らしい古くて新しい時間」(世界初演)、⑧クライスラー「ウィーン奇想曲作品2」、⑨同「オールド・リフレイン」、⑩同「ウィーン狂詩曲風幻想曲」です

演奏はヴァイオリン=ヨハネス・フライシュマン(オーストリア音楽大使)、ピアノ=村田千佳、バレエ=佐々木美緒、鎌田真帆、米津萌、葛西仁黎花、阿比留友里香です

 

     

 

自席はG列6番、左ブロック右から3つ目です

スマートなフライシュマンと村田千佳さんが登場し、1曲目のシューベルト「ヴァイオリンとピアノのための華麗なるロンドD.895」の演奏に入ります この曲はフランツ・シューベルト(1797-1828)が1826年10月に作曲した単一楽章の作品です シューベルト特有の、終わるかと思うとまだまだ続く長大なロンドです 29歳当時の作品ですが、シューベルトは31歳で亡くなっているので、結果的に晩年の作品になってしまいました 天才は早死にします。フライシュマンの演奏はどちらかと言うと、理知的なアプローチだと思います

2曲目はR・シュトラウスの「ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調作品18」です この曲はリヒャルト・シュトラウス(1864‐1949)が1888年に作曲した作品です 作曲者が24歳の時に作曲された作品なので、瑞々しい感性を感じます 第1楽章「アレグロ・マ・ノン・トロッポ」、第2楽章「アンダンテ・カンタービレ」、第3楽章「フィナーレ:アンダンテ~アレグロ」の3楽章から成ります

フライシュマンはリヒャルト・シュトラウスの曲に求められる”艶やか”な音色で奏でます でも、作品に対するアプローチはあくまでも理知的です 第2楽章がとても美しい演奏でした ピアノの村田千佳さんがよく付けています

ここで終わったら「どこが『ニューイヤーコンサート』じゃい 責任者出てこい」と言いたいところですが、真打は後半のプログラムです


     


プログラム後半に入るにあたり照明が落ち、会場が暗転します 不安におののいていると照明がパッと点き、ステージを見ると 中央にフライシュマンと村田さんが、左右のスペースにバレエダンサーが2人ずつスタンバイしています さっそく後半最初の曲、ブラームスの「ハンガリー舞曲第5番」の演奏に入ります フライシュマンは前半の理知的な演奏がウソだったように情熱的な演奏を展開します どっちが本当のフライシュマンなんだい とツッコミを入れたくなります。それにつけても、クラシックバレエが入ると「ニューイヤーコンサート」らしくていいですね

次にフリッツ・クライスラー(1875‐1962)の「愛の喜び」と「愛の悲しみ」が続けて演奏されます この2曲は性格的に対を為す小品で、アンコール・ピースの定番です この曲を聴いている間、どこかでトントンという小さな音が聴こえてきました 日経ホールで やや規則的な”騒音”を聴くのは初めてなので、いったい何の音だろうと不思議に思っていましたが、次の曲でその原因が分かりました

次の曲はヨハン・シュトラウス2世(1825-1899)のワルツ「南国のバラ」です   この曲は6日の北とぴあの「ニューイヤーコンサート」で聴いたばかりですが、ヴァイオリンとピアノで聴くのは別の趣があります フライシュマンのウィーン情緒豊かな演奏に合わせて、バレエダンサーが華を添えます 彼女たちのバレエを観ていて、ハタと気が付きました 前の曲の時に聴こえたトントンという音は、彼女たちが舞台裏で踊っていたリハーサルだったのではないか、ということです 「トゥシューズ」ってジャンプして着地すると結構 大きな音が出るものだと気が付きました 次にこういう機会がある時は気を付けてほしいと思います

次の曲はフライシュマンの友人であるヘルムート・スティビッチがこの日のために作曲した「素晴らしく古くて新しい時間~世界で最も活気ある夢の都ウィーン」の世界初演です 演奏の前にフライシュマンがマイクを持って英語で曲目を解説し、村田さんが通訳をしましたが、この曲は「芸術都市ウィーンの伝統と歴史を受け継ぐ生活に根差した文化と自由な精神を反映した作品」ということのようで、「4日前に最終稿の楽譜が届いた」とのことです 二人の演奏で聴くこの曲は、ひと言でいえばピアソラのリベル・タンゴのような曲想でした 4日前に届いた楽譜を短期間でマスターしなければならなかったフライシュマンと村田さんは、何だかんだ言っても凄いなあ、と思いました

次にクライスラーの「ウィーン奇想曲作品2」を、続けてオーストリアの作曲家ブランドル(1835-1913)のオペレッタ「愛しのアウグスティン」の歌曲を編曲した「オールド・リフレイン」を演奏し、最後に「ウィーン狂詩曲風幻想曲」をウィーン情緒たっぷりに演奏してプログラムを終了しました この間もトントンという音が聴こえていたので、「おかしいな、プログラムはこれで最後だし・・・???」と思いましたが、またハタと思い付きました 「そうか、アンコール曲で踊るんだな」と。その予想は見事に当たり、アンコールにヨハン・シュトラウス2世のワルツ「美しく青きドナウ」がバレエ付きで演奏されました

今回の公演は前半よりも後半の方が圧倒的に楽しく、特にバレエが入ったのが「ニューイヤーコンサート」としては正解だったと思います 主役はフライシュマンでしたが、彼を支えた村田千佳さんのピアノは決して出しゃばることなく、それでいて抜群の存在感がありました 素晴らしいピアニストだと思います

ニューイヤーコンサートは楽しい

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ジャン・ルノワール監督「フレンチ・カンカン」を観る ~ オッフェンバックの喜歌劇「天国と地獄」の「地獄のギャロップ」に合わせて踊られるフレンチ・カンカンに圧倒される!

2019年01月09日 00時09分03秒 | 日記

9日(水)その1。わが家に来てから今日で1559日目を迎え、トヨタ自動車が7日、自動運転技術の開発に使う新型の実験車を米ラスベガスの家電・技術見本市「CES」で公開した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     自動運転技術は素晴らしいけど 実用化したら運転免許証は誰が持つんだろうか?

 

         

 

昨日、夕食に「豚バラ肉のエリンギ炒め」と「鶏肉と白菜とシメジのプチ鍋」を作りました 「豚バラ~」は娘の大好物です

 

     

 

         

 

昨日、池袋の新文芸坐でジャン・ルノワール監督・脚本による1954年フランス映画「フレンチ・カンカン」(カラー・105分)を観ました

1888年のパリで上流階級向けのクラブを営んでいたダングラール(ジャン・ギャバン)は、下町のキャバレーで見初めた踊り子二二(フランソワーズ・アルヌール)に触発され、自分の店を処分し、その店”白い女王”を買い取り、カンカンの踊りの復活を軸とした新しいショーを見せる娯楽の殿堂にしようと画策する    しかし、女性にもてる彼を巡って、以前の店からのスター、ローラ(マリア・フェリックス)と二二が衝突を繰り返し、ローラに気のある出資者から援助を止められたりして、なかなか計画通りにいかない 二二はポウロというパン職人の恋人がいたが、嫉妬深い彼よりダングラールの渋さに惹かれてしまう。そんな彼女に密かに恋い焦がれて自殺まで図ったアラブの王子は、彼女との一度の逢瀬に満足して支援をし、そのお陰で何とか店も開店に漕ぎつける ショーの本番の直前、他の歌手にちょっかいを出すダングラールに腹を立て、二二は楽屋にこもってしまう。しかし、観客が彼女を呼ぶ声に押し出されるようにフロアに出て、仲間とフレンチ・カンカンを快活に踊るのだった


     


監督のジャン・ルノワール(1894-1979)は、画家ピエール・オーギュスト・ルノワールの次男として生まれました この映画は、パリの名物だった「ムーラン・ルージュ」(赤い風車)の由来を虚実を混ぜて描いています。ダングラールは「白い女王」を買い取り、建て替えて「赤い風車」にしたわけですが、この店は画家のロートレックが通いつめ、踊り子たちをモデルに数々のポスターを描いたことでも有名です 現在でもパリの観光スポットとして人気があり、何と約840人が収容できるそうです

この映画は歌あり踊りありのオペレッタ映画なので、楽しいことこの上ありません エディット・ピアフら歌手陣が出演してシャンソンを披露しています。ラストのムーラン・ルージュの新規開店のシーンでは、ジョルジュ・ヴァン・パリスの楽しい音楽に続いてオッフェンバックの喜歌劇「地獄のオルフェ(天国と地獄)」の「地獄のギャロップ」(「カステラ一番、電話は二番、三時のおやつは~」ですよ)の賑やかな音楽に合わせて、踊り子たちがカンカン踊りを披露します。圧巻です

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日経「2019年ステージ展望 」にカンブルラン✕読響の「グレの歌」他 / ルイス・ブニュエル監督「ビリディアナ」「皆殺しの天使」を観る ~ ヘンデル「メサイア」、モーツアルト「レクイエム」も流れる

2019年01月08日 07時20分23秒 | 日記

8日(火)。わが家に来てから今日で1558日目を迎え、アメリカの与野党は6日、トランプ大統領が予算計上を求める「国境の壁」建設費を巡って協議を続けたが、トランプ氏は壁について「コンクリートではなく鉄製でもいい」と提案した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     コンクリートだろうが鉄製だろうが 高さ2メートル位にすれば 乗り越えられるぜ

 

         

 

昨日、夕食に千葉県勝浦市在住の友人S君が送ってくれたアジを塩焼きに、イカをバター焼きにしました あとはマグロの刺身とアサリの味噌汁です どれも美味しかったです

 

     

 

          

 

昨日の日経 夕刊文化欄の「2019年  ステージ展望  音楽」で、今年注目のクラシック・コンサートを取り上げていました それによると、2010年に読響の常任指揮者に就任以来、楽団のレヴェルを引き上げたカンブルランの、ポスト退任最後の公演(3月)は注目公演であるとして、3月14日のシェーンベルク「グレの歌」をカンブルランの集大成であると位置づけています さらに、この曲は4月14日の東京・春・音楽祭で東京都交響楽団が、10月に東京交響楽団が取り上げると付言しています 一方、海外勢では、ギリシャ出身の指揮者クルレンツィスが率いるロシアの楽団「ムジカエテルナ」の初来日公演(2月)を注目公演として取り上げています オペラでは新国立劇場の新作「紫苑物語」(2月・西村朗作曲)、黛敏郎「金閣寺」(2月・宮本亜門演出)などを取り上げています

私は上記のうち、読響の「グレの歌」、ムジカエテルナのチャイコフスキー、西村朗の「紫苑物語」を聴きますが、いずれも今から楽しみな公演ばかりです

 

         

 

昨日、池袋の新文芸坐でルイス・ブニュエル監督による映画「ビリディアナ」と「皆殺しの天使」の2本立てを観ました

「ビリディアナ」はルイス・ブニュエル監督・脚本による1961年メキシコ・スペイン合作映画(白黒・91分)です

 修道女を目指すビリディアナ(シルヴィア・ビナル)は、たった一人の親族である叔父ドン・ハイメ(フェルドナンド・レイ)の屋敷に呼び出される   ドン・ハイメは亡き妻に似たビリディアナを引き止めるために睡眠薬を飲ませて眠らせ、その間に彼女を犯したと嘘の告白をする ビリディアナが屋敷を出ていくと、叔父は罪の意識にさいなまれ自ら命を断つ 叔父の死を知ったビリディアナは修道女への道を諦め、罪滅ぼしのように貧しい人々を屋敷に住まわせて世話を始める。しかし、彼女の留守中に彼らはどんちゃん騒ぎを起こし部屋中を滅茶滅茶にしてしまう

 

     

 

貧しい人々がどんちゃん騒ぎの最中に、テーブルの向こう側に横並びに座ってポーズを取るシーンがありますが、その構図はレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」そのもので、直前に鶏が鳴くのも聖書の世界を暗示しています どうやらこうしたシーンが、カトリック教会から大きな批判を浴び、スペインやイタリアで上映禁止になる原因になったようです しかも、テーブルの中央に座っている盲目の男はルイス・ブニュエル監督その人なのです

映画の冒頭、タイトルロールで流れるのはヘンデル(1685-1759)の「メサイア」から「ハレルヤ・コーラス」です この曲は劇中でも流れます。一方、ビリディアナが睡眠薬入りの飲み物を飲んで眠り込み、ドン・ハイメが彼女を寝室に運び込むシーンで流れたのは、モーツアルトの「レクイエム」の「怒りの日」ではなかったか いずれにしても、主人公が修道女であることから、ブニュエル監督は宗教曲を有効に使っています

 

         

 

「皆殺しの天使」はルイス・ブニュエル監督・脚本による1962年メキシコ映画(白黒・94分)です

オペラ観劇後に晩餐会に招かれ、ノビレ夫妻の邸宅を訪れたレティシア(シルビア・ビナル)はじめ20人のブルジョワたちは、晩餐を終えて中年夫人ブランカの演奏するピアノ曲を聴いて、帰ると思いきや 客間にすっかり腰を落ち着かせ、夜が明けても全員が帰る方法を忘れたかのように客間を出ることができなくなってしまう   そのまま数日が過ぎ、水や食料も底をついて命を落とす者まで出現する    ブルジョワたちの道徳や倫理が崩壊していく中、ある瞬間、レティシアは各自がお暇する時と同じ位置に居ることに気が付き、その時と同じこと繰り返すことで脱出できるのではないかと考え、再びブランカ夫人に同じ曲の演奏を求める

 

     

 

この映画は痛烈なブルジョワ批判を込めたブラック・ユーモアに満ちた作品です 映画の冒頭、屋敷の使用人たちが 一人ひとり仕事を放棄して帰宅しようとするシーンがあります。大地震など大きな災害が起こる前兆として小動物が逃げ出すという現象になぞらえているように思えます   また、屋敷の主人ノビレ氏がブルジョワたちを迎えるシーンは冒頭で二度繰り返されます。ここで、すでに「同じことを繰り返す」という脱出策が暗示されていたことになります

中年夫人ブランカの弾いていたのはイタリアの作曲家ドメニコ・パラディージ(1707‐1791)のピアノ・ソナタです 三省堂の「クラシック音楽作品名辞典」によると、「1746年にロンドンに移住。歌劇作曲家、チェンバロおよび歌唱の教師として知られた」とあります 歌劇のアリアに「私はお前のわなにかかった」という作品があるようです。この映画とは関係ないと思いますが また、この映画ではショパンのワルツ(作品64-2?)も使われていました

ところで、ルイス・ブニュエル監督と言えば、「ブルジョワジーの密かな愉しみ」(1972年・フランス映画・102分)が忘れられません この作品はブルジョワの紳士淑女が食事をしようとレストランに行くたびに、何かと邪魔が入りなかなか食事にありつけないという悪夢を描いた映画で、ここでもブニュエル監督のブルジョワに対するブラック・ユーモアが炸裂しています 私がこの作品が忘れられないのは、教会での礼拝シーンで、ブクステフーデのオルガン曲が流れたからです 私はてっきりバッハの曲かと思っていたら、映画の中で誰かが「ブクステフーデの曲だ」と言ったのです。ブクスフーデ(1637頃~1707)は当時デンマーク領ホルシュタイン出身のドイツ人で、1668年にリューベックの聖マリア教会のオルガニストになり、ヘンデル(1685-1759)やヨハン・セバスティアン・バッハ(1685ー1750)に多大な影響を及ぼした作曲家・オルガ二ストでした これまで2度観ましたが、是非もう一度観たい映画です

 

     

     

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ニューイヤーコンサートは楽しい!~ 内藤彰✕鵜木絵里✕東京ニューシティ管弦楽団でJ.シュトラウスのワルツ、ポルカ、モーツアルト「アレルヤ」、プッチーニ「私のお父さん」他を聴く

2019年01月07日 07時20分58秒 | 日記

7日(月)。わが家に来てから今日で1557日目を迎え、中国の習近平国家主席は4日の中央委員会の会議で演説し、「我が国は発展の重要なチャンスを迎えているが、同時に予想が難しいリスクも増えている。危機意識を高め、軍事闘争の準備を着実に進めなければならない」と軍への指示を出した いうニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      これに呼応して 仕掛け人のトランプが米軍に軍事強化を指示しなければいいが

 

         

 

昨日、王子の北とぴあ さくらホールで「ニューイヤーコンサート2019  in 北とぴあ」を聴きました プログラムは①ニコライ:喜歌劇「ウインザーの陽気な女房たち」序曲、②ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「南国のバラ」、③同:ポルカ「百発百中」、④同:ポルカ「観光列車」、⑤ヨーゼフ・シュトラウス:ワルツ「わが人生は愛と喜び」、⑥同:ポルカ「憂いもなく」、⑦モーツアルト:モテット「エクスルターテ・ユビラーテ」K.165から「アレルヤ」、⑧ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「短いことづて」、⑨同:ポルカ「おしゃべりな可愛い口」、⑩ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「ジプシー男爵」より入場行進曲、⑪同:ワルツ「春の声」、⑫ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ「騎手」、⑬同:ポルカ「鍛冶屋」、⑭同:ポルカ・マズルカ「女心」、⑮プッチーニ:歌劇「ジャンニ・スキッキ」より「私のお父さん」、⑯ヨハン・シュトラウス2世:ワルツ「美しく青きドナウ」です

演奏は⑦⑪⑮のソプラノ独唱=鵜木絵里、管弦楽=東京ニューシティ管弦楽団、指揮=芸術監督・内藤彰です

 

     

 

自席は1階0列28番、センターブロック右から2つ目です。2階席の様子は見えませんが、1階席は8割以上の入りでしょうか ステージ中央、指揮台の手前にはニューイヤーコンサートらしくオレンジ、イエローなど明るい色調の花々が飾られていて華やかな雰囲気を醸し出しています  

オケのメンバーが入場し配置に着きます。弦は左から、第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後方にコントラバスという並びです 女性奏者はそれぞれ思い思いのカラフルな衣装を身にまとっていて華やかなステージを演出しています

指揮者・内藤彰が指揮台に上がり早速1曲目のオットー・ニコライ(1810-1849)の喜歌劇「ウインザーの陽気な女房たち」序曲の演奏に入ります。実に楽しい曲です

ここで内藤氏がマイクを持って 「昨年は自然災害が各地で起こり、大変な1年でした 今年は良くなるかと思っていたら、新年早々、株価が暴落して株式市場が始まりました 良い年になってほしいと思います」とあいさつし 次の曲に入りました

ヨハン・シュトラウス2世(1825‐1899)のワルツ「南国のバラ」を華麗に演奏し、次いでポルカ「百発百中」を軽快に演奏しました

演奏後、指揮者の内藤氏が指揮台の上でもそもそしていると思ったら、駅長の帽子を被っていたようです 駅長に成り切って指揮したのはポルカ「観光列車」です。ノリノリの指揮でノリノリの演奏でしたが、鉄道オタクの秋山和慶先生には一歩及ばなかったかも知れません

続いてヨハン・シュトラウス2世の弟、ヨーゼフ・シュトラウス(1827-1870)のワルツ「わが人生は愛と喜び」とポルカ「憂いもなく」を 何の憂いもなく楽し気に演奏しました

ここで、ソプラノの東京藝大出身で二期会会員の鵜木絵里さんを迎えます。明るく楽しい性格で歌も申し分ないのでニューイヤーコンサートにはピッタリの人選だと思います  オケをバックに歌うのはモーツアルト(1756‐1791)のモテット「エクスルターテ・ユビラーテ」K.165から「アレルヤ」です この曲を聴きながら、ディズニー映画「オーケストラの少女」でストコフスキーの指揮でこの曲を歌ったディアナ・ダービンを思い出していました

次いでヨーゼフ・シュトラウスのポルカ「短いことづて」とポルカ「おしゃべりな可愛い口」を続けて演奏し、前半のプログラムを終了しました


     


休憩後の最初はヨハン・シュトラウス2世の喜歌劇「ジプシー男爵」より入場行進曲です 後半のオープニングを飾るのに相応しい選曲で、楽しい演奏でした

次に再び鵜木絵里さんを迎えてワルツ「春の声」の演奏に入ります。いつ聴いてもほれぼれする歌唱力です この曲を聴くと、映画「男はつらいよ  柴又慕情」(マドンナ:吉永小百合)でこの曲が流れていたことを思い出します    山田洋二監督は見事にクラシック音楽を使いこなします

次いでヨーゼフ・シュトラウスのポルカ「騎手」を軽快に演奏します   スキンヘッドの打楽器奏者が、曲の要所要所でラヴェル「ピアノ協奏曲」の冒頭で鳴らされる鞭(ムチ)を鳴らします

ここで内藤氏とムチ奏者が舞台袖に引っ込みました   何を仕掛けてくるのかと警戒していたら、まず指揮台の傍に鍛冶屋の使用する金槌と金梃が準備され、二人が鍛冶屋職人の恰好で出てきました   内藤氏は指揮台に上がり、ムチ奏者は鍛冶職人奏者に変身し コンマスのそばの椅子に腰かけて呑気に新聞を読み始め、最前列の客席に声をかけたりしていました   これを世間一般では”職場放棄”と言います。経営者側の内藤氏は彼を無視してポルカ「鍛冶屋」の演奏に入ります   鍛冶職人奏者は出番が来るとあわてて立ち上がり、金梃を打ち始めます   そのうち、内藤氏も指揮台を下りて、二人でテンポよく金梃叩きの二重奏が始まります   これを世間一般では”労使協調路線”と言います キンコンカンコンとリズミカルな音が会場に響き渡りますが、これを世間一般では "鍛冶場の馬鹿力" と言います。言わないか

次いでポルカ・マズルカ「女心」を演奏し、続いて鵜木絵里さんを迎えてプッチーニ(1858-1924)の歌劇「ジャンニ・スキッキ」より「私のお父さん」が歌われました いいですね、鵜木絵里さん

プログラムの最後はヨハン・シュトラウス2世のワルツ「美しく青きドナウ」です この曲はウィーン・フィルの「ニューイヤーコンサート」の1曲目のアンコール曲として有名です 何度聴いても名曲だと思います

会場一杯の拍手に、アンコールとしてヨハン・シュトラウス2世のポルカ「雷鳴と稲妻」が軽快に演奏されました この曲を聴きながら、ン十年前に神奈川県民ホールで聴いたカルロス・クライバー指揮バイエルン放送交響楽団のコンサートでアンコールに演奏されたこの曲を思い出しました その時、華麗な指揮とはクライバーの指揮のことを指すのだと理解しました

2曲目のアンコールは、シュトラウス2世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」です この曲は4日の「ラ・ルーチェ弦楽八重奏団」のアンコールで編曲版を聴いたばかりです。どちらもノリノリの演奏でした

最近のニューイヤーコンサートでは、”お約束”のようにヨハン・シュトラウス1世の「ラデツキー行進曲」で最後を〆るようです 御多分に漏れず 内藤氏も客席の拍手を手拍子に変えてラデツキーの演奏を始めました   鵜木絵里さんが登場し、客席と同調して手拍子をしていたと思ったら、内藤氏が絵里さんに指揮棒を手渡して「指揮してみんさい」と声を掛けたようで、絵里さんが指揮台に上がり指揮を始めました   内藤氏の行動を、世間一般では”職場・・・以下同文。彼女の指揮姿を見て初めて知ったのですが絵里さんは左利きのようです   その指揮ぶりは華麗そのもので、ピンクレディーも顔負けの”サウスポー”でした

とても楽しいコンサートでした   東京ニューシティ管弦楽団は1990年創立と、在京オーケストラの中で最も歴史の浅い楽団で、在籍楽団員が最も少ないオケですが、芸術監督・内藤氏のもと頑張っている姿が印象的でした どこの世界でも「多様性」が大事です。これからも頑張ってほしいと思います

 

     

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ビクトル・エリセ監督「ミツバチのささやき」「エル・スール」を観る ~ 少女たちの澄んだ目と名演技が忘れられない名作

2019年01月06日 07時27分55秒 | 日記

6日(日)。わが家に来てから今日で1556日目を迎え、豊洲市場で5日 新春の初セリがあり、青森県大間産の278キロの本マグロが史上最高値の3億3360万円(すしに換算して一貫平均2万4千円)で、すしチェーン「すしざんまい」の運営会社が落札した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

       テレビや新聞等のニュースで取り上げるから 広告宣伝費を考えるとペイするかも

 

         

 

昨日、夕食に「クリームシチュー」と「生野菜サラダ」を作りました ここのところ息子が夕食を作ってくれていたので、山形に戻る前夜くらいは作ってあげようと思いました。我ながら美味しくできて 息子も私もお代わりしました

 

     

 

         

 

現在、池袋の新文芸坐ではお正月恒例の「魅惑のシネマ クラシックス」を上映中です 昨日、ビクトル・エリセ監督「ミツバチのささやき」と「エル・スール」の2本立てを観ました

 

     

    

「ミツバチのささやき」はビクトル・エリセ監督・脚本による1973年スペイン映画(99分)です

スペイン内戦が終結した翌年の1940年、6歳の少女アナ(アナ・トレント)が暮らす村に映画「フランケンシュタイン」の巡回上映がやってくる 映画の中の怪物を聖霊だと思うアナは、姉イサベル(イサベル・テリェリア)から村はずれの一軒家に怪物が潜んでいると聞き、その家を訪れる。するとそこには謎めいた一人の負傷兵がいた アナは家族に内緒で彼に食料や衣服を持っていく。しかし、彼はアナのいない間に銃殺されていた 自分の衣服を死んだ負傷兵が着ていたことに不審を抱いた父親はアナが持ち出したことを察知する。父に事情を聞かれそうになったアナは逃走してしまう。アナは映画で観た場面と同じ湖のほとりでフランケンシュタインと出会い気を失う。発見されたアナは、ショックで食べることも話すことも出来なかった。見えない精霊に向かって「私はアナよ」と呼びかけるのだった

 

     

 

この映画は、スペイン戦争終結直後のフランコ独裁政権下で起きた村の小さな出来事に政権批判を込めたとも言われていますが、それよりも何よりも、この映画の最大の魅力は主人公のアナを演じたアナ・トレントと姉のイサベルを演じたイサベル・テリェリアの澄んだ目と名演技です

 

         

 

「エル・スール」はビクトル・エリセ監督・脚本による1983年(95分)です

1957年、ある秋の日の朝、枕の下に父アグスティン(オメロ・アントヌッティ)の振り子を見つけた15歳の少女エストレリャ(ソンソーレス・アラングレン)は、父がもう帰ってこないことを予感する 彼女は父親が文章にしたためた「南部」の秘密に興味を抱く。彼女が幼い頃、父は謎めいた人物だった。彼女は成長すると、かつて父親にイレ―ネ(オーロール・クレマン)という恋人がおり、まだ彼女のことを愛していることに気が付く 父親が自死し、病気になったエストレリャは静養のため南へ向かう

 

     

 

この映画では、アグスティンが彼の父親と意見が合わず、家を飛び出して南から北へ引っ越してきたことが語られます アウグスティンは反フランコ派で彼の父親はフランコ派だったことが窺えます。アウグスティンが自死を選んだのは、イレ―ネあてに出した手紙の返信が冷たいものだったからという理由の他に、フランコ政権下では生きずらいという思いがあったのではないか、と思わせます

2つの映画に共通するのは”静けさ”です タイトルロールとエンドロールにはBGMが流れないのをはじめ、映画の各シーンは静寂を湛えています ビクトル・エリセ監督の作品の特徴なのでしょうか

 

     

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ラ・ルーチェ弦楽八重奏団でブラームス「弦楽六重奏曲第2番」、ブルッフ「弦楽八重奏曲」、グリエール「弦楽八重奏曲」を聴く ~ 素晴らしかった今年の初コンサート!

2019年01月05日 07時28分31秒 | 日記

5日(土)。わが家に来てから今日で1555日目を迎え、中国の無人月探査機「嫦娥4号」が3日午前10時26分、世界で初めて月の裏側に着陸した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     トランプがメキシコ国境の壁の予算をごり押ししてる間に 先を越されたじゃん!

  

         

 

昨日は品川で頂いた牛肉を使って、息子が「牛肉巻きおにぎり」と「卵スープ」を作ってくれました   あとは頂きもののカボチャとサラダです。「牛肉~」は初めて食べましたが、すごく美味しかったです

 

     

 

         

 

今年の初コンサートは昨夕 東京文化会館小ホールで開かれたラ・ルーチェ弦楽八重奏団の第5回演奏会です ラ・ルーチェ弦楽八重奏団は、東京藝大と桐朋学園大 各4名により2013年6月に結成された若者たちの音楽集団です   メンバーはヴァイオリン=大江馨、小林壱成、城戸かれん、毛利文香、ヴィオラ=有田朋央、田原綾子、チェロ=伊東裕、笹沼樹です

プログラムは①ブラームス「弦楽六重奏曲第2番ト長調作品36」、②ブルッフ「弦楽八重奏曲変ロ長調」、③グリエール「弦楽八重奏曲ニ長調作品5」です

 

     

 

自席はF列27番、センター右ブロック右通路側です。会場は満席近い状況です この会場は小ホールと言えども約650席あるので他の小ホールより収容人数が多く、この会場を満席にするのはプロの弦楽四重奏団でも難しいくらいです チケット代が3,000円と格安とは言え、自由席でなく全席指定で満席の状況はかなりの人気コンサートと言えるでしょう

1曲目はブラームス「弦楽六重奏曲第2番ト長調作品36」です この曲はヨハネス・ブラームス(1833-1897)が1864年から65年にかけて作曲、1867年2月3日にウィーンで公開初演されました 第1楽章「アレグロ・ノン・トロッポ」、第2楽章「スケルツォ:アレグロ・ノン・トロッポ~トリオ~プレスト・ジョコーソ」、第3楽章「ポコ・アダージョ」、第4楽章「ポコ・アレグロ」の4楽章から成ります

左から城戸、大江、田原、有田、伊東、笹沼という並びでスタンバイします 田原さんのヴィオラがさざ波のようなメロディーを奏で、他のメンバーが加わります コンミス役の城戸さんのヴァイオリンは本当に美しい そしてチェロの笹沼君のチェロは表情豊かです 第2楽章は憂いに満ちたメロディーが支配していますが、トリオに入ると賑やかなエネルギーに満ちた演奏が展開します 第3楽章は美しい旋律が続きます そして第4楽章では各楽器が歌心に満ちた演奏を展開します。この曲を聴いただけでも、メンバーが実力者揃いの集団であることが分かります リード役の城戸さんは終始 緊張感に満ちた厳しい表情でしたが、総じて6人の奏者は実に楽しそうに演奏していました。とても良いことだと思いました


     


休憩後の最初はブルッフ「弦楽八重奏曲変ロ長調」です この曲はケルン生まれのマックス・ブルッフ(1838‐1920)がドイツのヴァイオリニスト、ヴィリー・ヘスとその弟子たちのために作曲した作品です 第1楽章「アレグロ・モデラート」、第2楽章「アダージョ」、第3楽章「アレグロ・モルト」の3楽章から成ります

メンバーが2人加わり、左から大江、小林、城戸、毛利、田原、有田、笹沼、伊東という配置です

ブルッフというと「ヴァイオリン協奏曲第1番」を思い出しますが、この曲は初めて聴く曲です 雰囲気としてはブラームスに近いように思いました。リード役の大江君のヴァイオリンが素晴らしい ヴィオラの田原さんがメンバーの中では一番表情が豊かに見えました

最後の曲はラインホルト・モリツォヴィチ・グリエール(1875-1956)の「弦楽八重奏曲ニ長調作品5」です 第1楽章「アレグロ・モデラート」、第2楽章「アレグロ」、第3楽章「アンダンテ」、第4楽章「アレグロ・アッサイ」の4楽章から成ります

メンバーの配置替えがあり、左から小林、毛利、城戸、大江、有田、田原、笹沼、伊東という並びです この曲も初めて聴く曲でしたが、どの楽章も民族色豊かな、分かりやすいメロディーに溢れています 8人は色彩感溢れる爽快な演奏を展開しました 特に第3楽章のおける伊東君のチェロは心に沁みました

満場の拍手を受けて、8人はアンコールにヨハン・シュトラウス2世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」を山中氏が編曲した「ラルッチ・ラルッチェ・ポルカ」を超ご機嫌に演奏(パガニーニも入っていたな)、やんややんやの喝采を浴び、2曲目のアンコールとして(大好きな)メンデルスゾーン「弦楽八重奏曲」第4楽章を超高速で演奏し、会場の温度を2度上昇させました

メインの3曲とアンコールを聴いて感じたのは、彼らの演奏は歌心に満ちていて爽快感が溢れているということです メンバーそれぞれが気心が知れた仲間なのでしょう。そのことが緻密なアンサンブルによく表われていました 彼らは年に1度のペースでコンサートを開いていますが、せめてもう1回増やしてほしいと思います。東京文化会館小ホールを満席近くまで埋める実力と人気があるのですから、英断を求めたいと思います。8人のおのおの方、いかがなもんでしょうか

2019年の初コンサートは素晴らしく、幸先の良いスタートが切れました。8人の皆さんにお礼を言わなければなりません

 

     

 

 

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齋藤美奈子著「日本の同時代小説」を読む ~ 1960年代以降の「同時代文学史」の決定版

2019年01月04日 07時26分55秒 | 日記

4日(金)。昨日は品川に新年のあいさつに行ってきました 金魚を飼っていて、名前を三百といいます。300円で買ったからだそうです。金魚の言い分を聞いてやってください

 

     

       三百なんてイージーな名前つけて 金魚迷惑だ こうなったら変身してやる! 

 

     

     フーテンの寅さんの実家の裏の工場の社長だぞ~ 労働者諸君  今日も頑張りたまえ

 

ということで、わが家に来てから今日で1554日目を迎え、がんの原因になりうる「遺伝子の変異」は、健康な人でも多く起き、それは加齢や飲酒、喫煙によって増えるという研究結果を京都大や東京大などのチームがまとめた というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

                 お酒やタバコだけじゃなくて 加齢によっても変異が起きるんだ!  加齢なる変異?

 

         

 

齋藤美奈子著「日本の同時代小説」(岩波新書)を読み終わりました 齋藤美奈子さんは1956年新潟県生まれ。児童書などの編集者を経て、現在は文芸評論家。「妊娠小説」、第1回小林秀雄賞を受賞した「文章読本さん江」をはじめ著書多数

 

     

 

齊藤さんがこの本を書こうと思ったきっかけは、「明治以降の小説の歴史については岩波新書の中村光夫『日本の近代小説』(1954年)と『日本の現代小説』(1968年)が最適な入門書でありガイドブックだった 前者は明治大正の、後者は昭和の文学史だ。しかし、この2冊の最大の難点は1960年代で話が終わってしまうことだ 『日本の現代小説』の出版から50年目に当たる2018年の節目に、1960年以降の小説の歴史を書いてみようと思った」からです

筆者は1960年代から2010年代までを10年ごとに区切り、次のようなキャッチ・フレーズで小説を振り返っています

①1960年代「知識人の凋落」

②1970年代「記録文学の時代」

③1980年代「遊園地化する純文学」

④1990年代「女性作家の台頭」

⑤2000年代「戦争と格差社会」

⑥2010年代「ディストピアを超えて」

齋藤さんは、①1960年代を振り返る中で、純文学と大衆文学の中間に位置する文学「中間小説」が登場したと書き、次のように続けています

「純文学と大衆文学(エンターテインメント)の差は、今日では発表媒体の差として認識されている 『群像』『新潮』『文學界』『文藝』『すばる』などの文芸誌に載るのが純文学。『小説現代』『オール讀物』『小説新潮』『小説すばる』などの中間小説誌に載るのが、かつては大衆文学とか中間小説と呼ばれたエンターテインメント 観点を変えると、芥川賞の対象となるのが純文学、直木賞の対象となるのがエンターテインメントである

そして、60年代を代表する青春小説として、柴田翔「されど われらが日々ー」(1964)と、庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」(1969)の2冊を挙げています この2冊は同時代人として読みました 齋藤さんは「赤頭巾ちゃん気をつけて」は初めて「僕/ぼく」という一人称で書いた小説だと指摘しています

②1970年代の中でよく読んだのは五木寛之の超長編「青春の門」です

③1980年代を象徴する小説として齋藤さんが挙げているのは田中康夫のデビュー作「なんとなく、クリスタル」(1981)と島田雅彦のデビュー作「優しいサヨクのための喜遊曲」(1983)です

④1990年代に続々と登場する女性作家として、高村薫、宮部みゆき、桐野夏生、川上弘美、小川洋子、角田光代などを紹介しています

⑤2000年代はアメリカの9.11同時多発テロ事件やリーマン・ショックなどが文学にも影響を与えたことや、インターネットの普及を背景とした「ケータイ小説」の流行があったことを指摘しています

⑥2010年代は東日本大震災の影響、ブラック企業が生んだ新生プロレタリア文学の登場、少子高齢化時代の老人介護小説の台頭などについて触れています

この本に登場する主な作家は241人に及び、巻末にその一覧が生年順に掲載されています 齋藤さんは少なくともこれらの作家の作品は一通り目を通し、その上で論評を加えているわけですから、プロとは言え凄いものだと思います

「この本読んだ」という本がきっとあります 1960年以降の「同時代文学史」の決定版としてお薦めします

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