人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

日経「2019年ステージ展望 」にカンブルラン✕読響の「グレの歌」他 / ルイス・ブニュエル監督「ビリディアナ」「皆殺しの天使」を観る ~ ヘンデル「メサイア」、モーツアルト「レクイエム」も流れる

2019年01月08日 07時20分23秒 | 日記

8日(火)。わが家に来てから今日で1558日目を迎え、アメリカの与野党は6日、トランプ大統領が予算計上を求める「国境の壁」建設費を巡って協議を続けたが、トランプ氏は壁について「コンクリートではなく鉄製でもいい」と提案した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     コンクリートだろうが鉄製だろうが 高さ2メートル位にすれば 乗り越えられるぜ

 

         

 

昨日、夕食に千葉県勝浦市在住の友人S君が送ってくれたアジを塩焼きに、イカをバター焼きにしました あとはマグロの刺身とアサリの味噌汁です どれも美味しかったです

 

     

 

          

 

昨日の日経 夕刊文化欄の「2019年  ステージ展望  音楽」で、今年注目のクラシック・コンサートを取り上げていました それによると、2010年に読響の常任指揮者に就任以来、楽団のレヴェルを引き上げたカンブルランの、ポスト退任最後の公演(3月)は注目公演であるとして、3月14日のシェーンベルク「グレの歌」をカンブルランの集大成であると位置づけています さらに、この曲は4月14日の東京・春・音楽祭で東京都交響楽団が、10月に東京交響楽団が取り上げると付言しています 一方、海外勢では、ギリシャ出身の指揮者クルレンツィスが率いるロシアの楽団「ムジカエテルナ」の初来日公演(2月)を注目公演として取り上げています オペラでは新国立劇場の新作「紫苑物語」(2月・西村朗作曲)、黛敏郎「金閣寺」(2月・宮本亜門演出)などを取り上げています

私は上記のうち、読響の「グレの歌」、ムジカエテルナのチャイコフスキー、西村朗の「紫苑物語」を聴きますが、いずれも今から楽しみな公演ばかりです

 

         

 

昨日、池袋の新文芸坐でルイス・ブニュエル監督による映画「ビリディアナ」と「皆殺しの天使」の2本立てを観ました

「ビリディアナ」はルイス・ブニュエル監督・脚本による1961年メキシコ・スペイン合作映画(白黒・91分)です

 修道女を目指すビリディアナ(シルヴィア・ビナル)は、たった一人の親族である叔父ドン・ハイメ(フェルドナンド・レイ)の屋敷に呼び出される   ドン・ハイメは亡き妻に似たビリディアナを引き止めるために睡眠薬を飲ませて眠らせ、その間に彼女を犯したと嘘の告白をする ビリディアナが屋敷を出ていくと、叔父は罪の意識にさいなまれ自ら命を断つ 叔父の死を知ったビリディアナは修道女への道を諦め、罪滅ぼしのように貧しい人々を屋敷に住まわせて世話を始める。しかし、彼女の留守中に彼らはどんちゃん騒ぎを起こし部屋中を滅茶滅茶にしてしまう

 

     

 

貧しい人々がどんちゃん騒ぎの最中に、テーブルの向こう側に横並びに座ってポーズを取るシーンがありますが、その構図はレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」そのもので、直前に鶏が鳴くのも聖書の世界を暗示しています どうやらこうしたシーンが、カトリック教会から大きな批判を浴び、スペインやイタリアで上映禁止になる原因になったようです しかも、テーブルの中央に座っている盲目の男はルイス・ブニュエル監督その人なのです

映画の冒頭、タイトルロールで流れるのはヘンデル(1685-1759)の「メサイア」から「ハレルヤ・コーラス」です この曲は劇中でも流れます。一方、ビリディアナが睡眠薬入りの飲み物を飲んで眠り込み、ドン・ハイメが彼女を寝室に運び込むシーンで流れたのは、モーツアルトの「レクイエム」の「怒りの日」ではなかったか いずれにしても、主人公が修道女であることから、ブニュエル監督は宗教曲を有効に使っています

 

         

 

「皆殺しの天使」はルイス・ブニュエル監督・脚本による1962年メキシコ映画(白黒・94分)です

オペラ観劇後に晩餐会に招かれ、ノビレ夫妻の邸宅を訪れたレティシア(シルビア・ビナル)はじめ20人のブルジョワたちは、晩餐を終えて中年夫人ブランカの演奏するピアノ曲を聴いて、帰ると思いきや 客間にすっかり腰を落ち着かせ、夜が明けても全員が帰る方法を忘れたかのように客間を出ることができなくなってしまう   そのまま数日が過ぎ、水や食料も底をついて命を落とす者まで出現する    ブルジョワたちの道徳や倫理が崩壊していく中、ある瞬間、レティシアは各自がお暇する時と同じ位置に居ることに気が付き、その時と同じこと繰り返すことで脱出できるのではないかと考え、再びブランカ夫人に同じ曲の演奏を求める

 

     

 

この映画は痛烈なブルジョワ批判を込めたブラック・ユーモアに満ちた作品です 映画の冒頭、屋敷の使用人たちが 一人ひとり仕事を放棄して帰宅しようとするシーンがあります。大地震など大きな災害が起こる前兆として小動物が逃げ出すという現象になぞらえているように思えます   また、屋敷の主人ノビレ氏がブルジョワたちを迎えるシーンは冒頭で二度繰り返されます。ここで、すでに「同じことを繰り返す」という脱出策が暗示されていたことになります

中年夫人ブランカの弾いていたのはイタリアの作曲家ドメニコ・パラディージ(1707‐1791)のピアノ・ソナタです 三省堂の「クラシック音楽作品名辞典」によると、「1746年にロンドンに移住。歌劇作曲家、チェンバロおよび歌唱の教師として知られた」とあります 歌劇のアリアに「私はお前のわなにかかった」という作品があるようです。この映画とは関係ないと思いますが また、この映画ではショパンのワルツ(作品64-2?)も使われていました

ところで、ルイス・ブニュエル監督と言えば、「ブルジョワジーの密かな愉しみ」(1972年・フランス映画・102分)が忘れられません この作品はブルジョワの紳士淑女が食事をしようとレストランに行くたびに、何かと邪魔が入りなかなか食事にありつけないという悪夢を描いた映画で、ここでもブニュエル監督のブルジョワに対するブラック・ユーモアが炸裂しています 私がこの作品が忘れられないのは、教会での礼拝シーンで、ブクステフーデのオルガン曲が流れたからです 私はてっきりバッハの曲かと思っていたら、映画の中で誰かが「ブクステフーデの曲だ」と言ったのです。ブクスフーデ(1637頃~1707)は当時デンマーク領ホルシュタイン出身のドイツ人で、1668年にリューベックの聖マリア教会のオルガニストになり、ヘンデル(1685-1759)やヨハン・セバスティアン・バッハ(1685ー1750)に多大な影響を及ぼした作曲家・オルガ二ストでした これまで2度観ましたが、是非もう一度観たい映画です

 

     

     

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