4日(月)。昨夜9時過ぎに たまたまテレビを点けたら NHK-Eテレでリヒャルト・シュトラウス「4つの最後の歌」が演奏されていました 新聞の番組表を見ると「クラシック音楽館」という番組で、今年1月22日にサントリーホールで開かれたN響第1932回公演の録画映像でした 歌っているのはMETライブビューイングの「マノン・レスコー」や「蝶々夫人」のヒロインを歌ったラトヴィア出身のソプラノ歌手、クリスティーヌ・オポライス、指揮はファビオ・ルイージです コンマスはウィーン・フィルの元コンマスで現在 N響ゲスト・コンマスを務めているライナー・キュッヒル氏です 「4つの最後の歌」はリヒャルト・シュトラウス(1865-1949)が最晩年の1848年に作曲したソプラノ独唱とオーケストラのための作品です 第1曲「春」を聴いていて「いいなあ」と思っていると、第2曲「九月」がさらにいいのです そして第3曲「眠りの前に」がもっと良くて、第4曲「夕映えの中で」でとどめです オポライスは抜群のコントロールで作曲者最晩年の諦念の想いを歌い上げます タクトを持たずにオポライスをサポートするルイージの指揮も素晴らしい 生演奏が聴けないので、こういう番組は慰めになります 次の曲「英雄の生涯」が始まったのでスイッチを切りました。こういう誇大妄想的な作品はパスします サントリーホールでコンサート聴きたい
ということで、わが家に来てから今日で2042日目を迎え、動静が3週間近く途絶えていた北朝鮮の金正恩委員長が1日、北朝鮮西部・平安南道で肥料工場の竣工式に出席したが、一方、3日午前7時40分ごろ南北朝鮮軍事境界線付近の南側にある韓国側の監視所に向け、北朝鮮側から数発の銃撃があった というニュースを見て感想を述べるモコタロです
トランプ君も文在寅君も コロナばかり相手にしないで 僕と遊んで! 金誤恩より
昨日の日経「The STYLE / Culture」の「文化時評」に、「どうする『新型コロナ後』の文化振興策」と題する日経編集委員・瀬崎久見子さんの時評が掲載されていました 超訳すると、
「新型コロナウイルスの感染拡大により、収入を絶たれた俳優や音楽家ら 多くの団体や個人が補償や給付を求めているが、芸術文化にかかわる人が安心できる状況にはなかなかならない 対して海外からは、例えばドイツに暮らす日本人芸術家が、オンラインで申し込んで1週間以内に数十万から百万円を受け取れた、などという話がいくつも伝わってくる なぜここまで違うのか。日本は『文化予算が少ない』『芸術が軽視されている』のかもしれないが、それだけではなく、助成の仕組みも関係していると思われる 早稲田大学の藤井慎太郎教授によると、欧州各国に限らず、オーストラリア、シンガポール、香港でも支援策は出されていて、政府のほか自治体やアーツカウンシルのような助成機関がそれぞれ対策を立てるケースも多いという 公的助成より寄付が中心といわれる米国でも、民間の非営利団体が政府の代わりを果たし、芸術を支援しているという 日本にも文化庁や『芸術文化振興基金』などの助成機関があり、メニューも多様だが、特定のオーケストラや劇団が運営費を得られるわけではなく、個々の公演の赤字補填が基本で、イベント助成ともいえる プロでもアマチュアでも応募できる極めて公平で『薄く広い』支援だが、これが既存の芸術団体の弱体化を招いたという批判もある 一方、公的資金や寄付などで少なからぬ『団体助成』を得ている欧米の劇場やオーケストラは、感染症による公演の中止の間、有料、無料を織り交ぜたさまざまな動画配信(METライブビューイング等)をした 同様の仕組みは日本にもあるが、収益につなげる仕組みが未整備な上、アーカイブの量に圧倒的な差がある イベント中心の日本の文化助成の下では、芸術団体が総じて弱小になり、映像のような新しいプロジェクトに容易に挑戦できない これを機に、日本の文化助成の仕組みを、ゼロベースで構築し直してはどうか 現代の各国の芸術支援策の一つの手本になっているのは、1946年に発足した英国の『アーツカウンシル』だ 芸術団体を審査し、助成先を決め、財政難に陥った団体の財務の立て直しをはかることもある 10年に一度、中長期的な目標を立て、それに沿った芸術を重点的に支援しているという 賛否があるが、それを理解した上で、日本の新しい文化振興策を模索すべきだ しかし、すべてお上まかせで作るべきものではない。今こそ芸術家でも、プロデューサーでも誰でもいい。『こういう芸術に税金を投入すべきだ』という案を、どんどん世に問うべきだ それは『ヒットが期待できる芸術』なのか、『社会に問題提起する芸術』なのか、あるいは『地域社会に役立つ芸術』なのか、さまざまな議論が生まれるといい うまくまとまる保証はないが、手をこまねいていても芸術の危機は終わらないし、特に舞台芸術は生き残れない そして全国にある大小さまざまな劇場が、廃墟と化してしまうだろう」
この時評を読んで思ったのは、日本でも コロナの影響で中止に追い込まれたコンサートやオペラを無観客で実施し配信する方策が取られてきたものの、ほとんどが無料配信であり、収入面では直接的なメリットが全くないという実態です これを有料配信に結び付けることが出来れば、米国のメトロポリタン歌劇場の「METライブビューイング」のように、ある程度 安定的な収入源の一つとして期待できると思います
また、瀬崎さんが指摘している英国の『アーツカウンシル』の仕組みを日本でも導入できないか、とも思います 支援先を「浅く広く」ではなく、「芸術団体を審査し、助成先を決め、財政難に陥った団体の財務の立て直しをはかるところまで面倒をみる」という方式は、限られた資金の中では団体間の競争にもなるので 個々の団体にとっては厳しいかもしれませんが、優れた芸術活動をする団体にとっては「実力発揮のチャンス」となり、支援が決まれば中長期的に経営の安定が保証されるようになると思います
さらに、先日のブログにも書いたように、行政には あくまでもオーケストラや劇団等は「人が財産である」ことを踏まえて「今そこにある危機」に対応してほしいと思います
早くも手許の本が底を突きかけてきたので、本の買い出しに行こうと池袋のジュンク堂書店の営業時間をホームページで調べたら「5月2日~10日は臨時休業になります」と書かれていました。「あんだって 」と思わず志村けん口調になってしまいましたが、紀伊国屋書店、三省堂書店などを調べてみても同様で、大型書店はほとんどが新型コロナウイルスの影響で休業中であることが分かりました 最初はコンサートが次々と中止となり、次に映画館が休館となり、ついには書店までが閉店となってしまいました 私の3つの目標がすべて否定されてしまったようで、腹が立って「日本の文化はどこに行ってしまったんだ 責任者を出せ」と叫んでみましたが、今の日本は責任者不在のようで誰も出てきません 「こうなったら あそこに行くしか手はない」と即断した私は、巣鴨駅近くのS堂書店に行きました。大型書店が閉まっていても、地元の小さな書店は開いていました 本の種類や数は限られているものの、探せば読みたい本が見つかるものです 地元の商店は大切にしなければならないと 思った次第です
ということで、さっそく本を5冊買いました 1冊目は東野圭吾著「素敵な日本人」(光文社文庫)です 東野圭吾氏の本はほとんど買ったことがないのですが、これを機会に読んでみようと思いました
2冊目は井岡瞬「冷たい檻」(中公文庫)です 井岡瞬の作品は今年に入って集中的に読みました。これは文庫最新作です
3冊目は門井慶喜「銀河鉄道の父」(講談社文庫)です これはかなり前、新聞の書評に載っていました
4冊目は堂場瞬一著「孤狼 刑事・鳴沢了」(中公文庫)です 意外にも この人の作品を読むのはこれが初めてかも知れません
5冊目は万城目学著「パーマネント神喜劇」(新潮文庫)です 彼の作品を読むのは久しぶりです
いずれも読み終わり次第、このブログでご紹介していきます