人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ベートーヴェン「弦楽四重奏曲全曲完全読本」を読んでみる ~ 「音楽の友」6月号 / オリンピックにおける名実況の効果 ~ あの感動をもう一度!

2020年05月25日 07時15分15秒 | 日記

25日(月)。昨日の日経朝刊 文化面にエッセイスト宮田珠己氏が「名実況の効果」と題するエッセイを寄せていました 感動的に面白かったので超訳してご紹介します

「東京オリンピックがまさかの延期になり、宙ぶらりんな気持ちだ (オリンピックで)どの競技も気になるが、注目するのはアナウンサーの実況だ 興奮のあまりアナウンサーも解説者も冷静さを失って、単なる応援団になってしまってる実況に感動する たとえば、バルセロナ オリンピック、競泳女子200メートル平泳ぎ決勝のラスト、アナウンサーも解説者も叫び倒していた

『さあ、ノールをとらえるか、あと25メーターの勝負、25メーターの勝負、日本の岩崎にチャンスがある、チャンスがある、並んだ、並んだ、アニタ・ノールちょっとくたびれた、ちょっと疲れた、あと10メーター、並んだ、並んだ並んだ、ピッチがあがった、ピッチがあがりました、さあチャンスだ、さあチャンスだ、もうメダルは間違いない、メダルは間違いない、さあ、さあどうだ、逆転した、逆転した、逆転した、勝ったあ、岩崎恭子金メダル

声だけ聴いても泣けてくる    長野オリンピック、スキージャンプ ラージヒル団体もよかった

『風は向かい風、いい風が吹いている。K点以上跳べばトップに出てくる。今度は高いか、高い、高くて高くて高くて高くて、いったあ!大ジャンプだ、原田あ

もちろん競技そのものにも感動しているのだが、アナウンサーの絶叫に近い実況でさらにそれが何倍にも増幅されるのだ

この後、筆者はソウル オリンピック 競泳男子100メートル背泳ぎ決勝の鈴木大地の実況、アテネ オリンピック 競泳男子100メートル平泳ぎ決勝の北島康介の実況におけるアナウンサーの意味不明の絶叫を紹介し、最後に、最も感動した実況として、バルセロナ オリンピック 陸上男子400メートルで日本人として初めて決勝に残った高野進の実況を紹介します

「必至でくらいついても結果最下位(8位)。私もまあそんなもんだろうとぼんやり見ていたら、ゴールの瞬間、アナウンサーがこう言ったのだ。

『高野!高野は世界の8位か

私は号泣した ちゃんと聴きとれたが、その優しさに泣いたのである

さあ、来年に延期された東京オリンピックは実現するのでしょうか そして絶叫調の実況は聴けるのでしょうか

ということで、わが家に来てから今日で2063日目を迎え、米紙ワシントン・ポストは22日、トランプ米政権が1992年以来行っていなかった核爆発実験の再開について議論したと報じた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     誰か暴走老人トランプを止める者はいないのか?  核で新型コロナには勝てない!

 

         

 

「音楽の友」6月号がベートーヴェン「弦楽四重奏曲全曲完全読本」を掲載していることを新聞広告で知ったので、地元の書店で買い求めました コロナ禍騒ぎでもない限り買わない雑誌です

 

     

 

この特集では、クァルテット・エクセルシオ、ストリング・クヮルテットARCO、古典四重奏団といった弦楽四重奏団のメンバーや音楽評論家たちが、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲全16曲に解説にを加えています

最初に平野昭氏が「エポックにして頂点 創造的破壊を繰り返した表現様式の変遷」と題して全16曲の作曲の変遷を概観していますが、通常、初期、中期、後期の3つに分けて分析するところを、「中期の『ラズモフスキー・セット』と『ハープ』や『セリオーソ』との間には表現様式に大きな違いが見られ、これを2分して全体を4期区分することで、作曲技法や弦楽四重奏曲に対する創作姿勢の変化をより明確に捉えやすくなるだろう」として、創作期を次の4期に分けています

第1期(初  期):1798年夏=作品18(第1番~第6番)

第2期(中期前半):1806年4月~11月=作品59(第7番~第9番=ラズモフスキー四重奏曲)

第3期(中期後半):1809年夏~10年秋=作品74、95(第10番「ハープ」、第11番「セリオーソ」)

第4期(後  期):1824年5月~6年11月=作品127、130~132、133「大フーガ」、135(第12番~第16番)

後期の「弦楽四重奏曲 第13番 変ロ長調 作品130」は、当初、最終楽章(第6楽章)に「大フーガ」が置かれていたのですが、当時の聴衆をひどく困惑させた(理解困難)ため、楽譜の売れ行きを心配する出版社が別のフィナーレを書くよう間接的に依頼し、ベートーヴェンもこれを受け入れ、新たに分かりやすいフィナーレ(アレグロ)を作曲しました    外された「大フーガ」は作品133として独立して出版されました     これについて、越懸澤麻衣さんは解説で

「ベートーヴェンはまったく異なるコンセプトで新たな終楽章を作曲した これはこれで作品全体のバランスに配慮したものとなっており、過小評価すべきではないだろう

と書いています まったくその通りだと思います 私は「大フーガ」は素晴らしい音楽だと思いますが、晩年の肩の力が抜けたような軽快なアレグロが大好きです 結局、この新たな第6楽章アレグロが、結果的にベートーヴェンが完成させた最後の作品となりました しかし、解説にもある通り、ベートーヴェンは新たなフィナーレによる第13番を聴かずして天に召されました

越懸澤麻衣さんは「3大ジャンルにおける『弦楽四重奏曲』の立ち位置」という文章も書いています

「ベートーヴェンの作曲様式を初期、中期、後期と分けて考えると、どの時期にも弦楽四重奏曲が書かれており、全曲を見ると彼の様式的な変化をはっきりと辿ることができる そして大まかに捉えるならば、ベートーヴェンは新しい試みをピアノ・ソナタ、交響曲、弦楽四重奏曲の順で取り入れる傾向があった

とした上で、

「ベートーヴェンの創作の3本柱と言われるピアノ・ソナタ、交響曲、弦楽四重奏曲。これらのジャンルは、ベートーヴェンの作曲時期とその様式変化を克明に捉えている傑作揃いであるが、生前から19世紀にかけて、弦楽四重奏曲は他の2つのジャンルほど高い人気を獲得していたわけではない (ピアノ・ソナタや交響曲と違い)弦楽四重奏曲、とくに中期、後期の作品は ごく一部の人々にのみ評価され、一般的には尊敬されはしたが理解はされなかった

と指摘しています たしかに、実際に個々の楽曲を聴いてみればよく分かるような気がします。当時は今ほど頻繁にコンサートが開かれることもなかっただろうし、CDやDVDといった機械もなかったので、繰り返し聴いて曲を覚えることも出来なかったはずです 逆に言えば、当時、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲を理解して適正な評価をすることができた ごく一部の人たちは相当 耳が肥えていたことになるでしょう

 

         

 

「音楽の友」を読みながらBGMとして聴いたのはイタリア・クァルテットの「ベートーヴェン『弦楽四重奏曲全集』」(1967~1975年録音)です 私はアルバン・ベルク四重奏団、バリリ四重奏団、ヴェーグ四重奏団の全曲盤も持っていますが、つい手が伸びてしまうのはイタリア・クァルテット盤です

 

     

     

コメント
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